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最後のキス

 マジで門限ギリギリ。寮監の先生に注意された。  髪には気づいたんだろうが、赤点さえ取っていなければ、染色OKの学校だから、何も言われなかった。先生に頭を下げて部屋に急ぐ。携帯に返信はない。  途中で同じクラスの奴に呼び止められた。 「うわ。なんだ、その頭。キメキメじゃん」 「あ〜。カットモデル頼まれたらこうなった」 「月村先輩に天河が誰と一緒か知らないかって聞かれたぞ。なんか怒ってる感じだったけど。なんかやったん?」 「いや、別に。オレ、一人だったし」 「なんかやったんなら、ちゃんと謝ったほうがいいぞ。月村先輩、いつもゆるい感じなのに、マジ切れしてたっぽい」 「あ〜ほんと? どうしたんだろ」  適当な返事をしながら部屋に向かう。  ドアを開けると中が暗い。  寝てんのか。  じゃ、電話にも出ないし、メールも来ないよな。ほっとして静かに部屋に滑り込む。  カーテンが閉まっていなかった。部屋の中が月明かりでぼんやりと明るい。オレは先輩を起こさないように静かにカバンを机に置いた。ちらっと二段ベッドを見ると、なぜか上の段に人の影がある。  なんで、オレのベッドで寝てるんだ?  どうしようと思いながら、頭にワックスがついたままだったから、とりあえず着替えを出してシャワーに向かう。  ユニットバスの鏡の前で改めて自分を見つめる。髪形でだいぶ印象って違うもんだよな。  自分の顔が嫌いだから、髪はいつも長めだった。短く、明るい髪のオレはなんだか別人みたいに見える。自然に頬が緩むと、本当に印象が変わって、オレはヤツには見えなくなった。  ユニットバスの扉が開いた。  びくっとしてそっちを見ると、月村先輩が唖然とした表情でオレを見ている。 「あ、トイレですか?」  譲ろうとして言うと、先輩の目に怒りが浮かぶ。 「何その髪。すっげえ短いじゃん。色も、なんなの」  ちょっと浮かんだ気持ちが地面に叩きつけられる。 「あ、似合いません?」 「俺のせいか? そんで、着信とかも無視したのか?」  このタイミングじゃ、そう思われてもしょうがないと気づいて血の気が引く。  それに、オレは知っていた。先輩が黒髪が好きで、彼女になる人は大体、黒髪だって。  しっかりしろ。  取り繕え。 「違いますよ。前髪伸びたから、なんか無性に切りたくなって……美容室行ったら、今日は暇だからってカットモデル頼まれたんです。タダだって言われたし。  モテ系でお願いします。任せろ!みたいな」 内心の怯えを隠して、無邪気な後輩の笑みを浮かべる。 「モテたいんだ?カットモデルとかってホムペに載せたりするんじゃねえの?  そういうのがいいわけ?」  先輩の声が尖っている。  彼女の行動とか束縛したり詮索するの嫌いな人なのに。  ……まるで嫉妬してるみたいじゃないか。 「そりゃモテたほうがいいでしょう?  今回は練習台だから、写真は撮るだけで外には出さないって言われましたけどね。  オレの写真なんか別にどうってことないと思いますけど……先輩みたいなイケメンじゃないでしょ? オレ」 「だから、俺のこといっつも見てるんだ?お前の好みなんだろ?」  それは明らかな誘惑だった。  動揺しろよ。認めろよ。  先輩の綺麗な目が誘いかける。  何も気づいてない。  オレは気づかない。  先輩はオレに落ちかけてる。  でも、オレは知らない。  知っていることを知られちゃいけない。  手を伸ばせば、月が手に入るとしても、オレは手を伸ばさない。  月がちかづいて来たなら、オレは逃げなければいけない。  その覚悟はしていたはずだ。 「月村先輩はオレの憧れですもん」  信じきった、何も知らない微笑みを慎重に作り、とっくに憧れなんかを超えている恋心に、なめらかに嘘をつく。  先輩が暗い目でオレを見た。  天然キャラ設定のオレは、当然そんなのには気付かずにフラグを折る。 「シャワー使いたいんですけど、先輩、先に使います?」  オレは着替えを持ち上げて、バスルームを出ようとした。 「いや、いい」  先輩はバスルームを出ると乱暴にドアを閉めた。  震える手で着替えを置くと、シャワーを浴びる。  シャワーを浴びながら声を殺して泣いた。  諦めなければならないものの大きさに打ちひしがれる。  ワックスのついた髪を洗い、シャワーを出ると、色落ちするから、必ずドライヤーで乾かしてと言われていたので洗面台で乾かす。永遠に髪が乾かなければいいのに。けれど、短く刈り込まれた髪はあっさりと乾いてしまった。  風呂場を出ると、カーテンが閉まっていた。部屋の明かりは暗いままだ。  先輩はベッドヘッドの明かりをつけて携帯をいじっている。  今度はちゃんと自分のベッドにいる。オレはほっとした。  オレが風呂を出ると、ベッドへ向かうオレをじっと見る。  先輩が微笑んだ。軽く携帯を振って人差指を口に当てる。  電話?  オレが髪を乾かしていたから、待っていたのか。  オレは頷いてベッドの階段を登って横たわった。先輩のつけてる香水の匂いがする。  まるで抱かれてるみたいに。  また浮かんでくる涙を必死で堪えた。 「もしもし。明日さ、予定ある?」  ──彼女だ。  オレに聞かせる為か?  本当なら傷ついたりするんだろうが、オレはほっとしていた。  それでいい。それならオレはまだ側にいられる。 「どうしても会いたいんだ。…うん。少しでいい。……ああ。そうだな。……別れ話したくてさ。……マジで好きな奴出来て。……いや、まだ。でも追っかけるつもりだから。……今回は俺がすげえ好きなんだ。そ?会わなくていい?  ……うん。ありがとな」  心臓がめちゃくちゃに打ち始める。何を言ってるんだ、この人。マジで好きな奴って。  いや、オレじゃない。オレじゃ。 「別れるんだって、聞いてくんないの?」  下から柔らかい声がする。 「いつもの事ですから」  白い壁を見つめて、声が震えませんようにと祈りながら囁く。 「な、俺、前に今の女と別れたら、お前と付き合うって言ったよな?」 「付き合うって……どこか行くんですか?」  とぼけてみせた。  先輩が笑う。  梯子を登って、オレの横に滑りこんで来た。先輩の綺麗な顔がオレを覗きこむ。 「どこにも行かない。俺とキスしたり、SEXしたりしないかって聞いてるんだ」  直球すぎて避けられない。  やってくれる。  オレはゆっくり瞬きをした。 「……しません」 「なんで?」 「嫌だから」 「なんで?」 「男同士ですから」 「星影はオレならなんでもいいんじゃないの?」 「自惚れないでください」 「じゃあ試そう。抵抗しろ」  先輩はオレにキスをする。  オレは抵抗しなかった。  きっと、これがオレの最後のキスだ。  目を開いたまま、熱いキスが繰り返されるのを眺める。  先輩の舌がオレの唇を割りオレの舌に絡むと、見ていたいのに、目が閉じてしまった。  微かな甘えるような声がオレの口から漏れると、先輩が静かに尋ねる。 「なんで抵抗しない?」  オレは息を吸うと、震える息をはいた。 「最後だから、いいかなって」 「最後ってどういうこと?」 「オレはもう誰ともキスしない」 「するさ。俺と、何回でもな」 「したくなくなる」 「なんで?」 「……オレ、オレは……父親とキスしてた。中二まで」

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