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儚い月と黒い星
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物心つく頃には、オレは父さんと二人で暮らしていた。
大きな屋敷に広い庭。使用人はいなかった。
時々訪れる雇われた人が、使っていない部屋の掃除や庭の手入れをして行った。
家でパソコンで仕事をする父さんは隠れて暮らしている様で、それは本当にそうなんだと後で知った。
その家の中で、オレと父さんはままごとをする子供のように暮らした。二人で食事を作り、自分たちの使う部屋の掃除や洗濯をする。
オレがどんな失敗をしても、父さんはいつも微笑んでいた。
父さんは優しくて、すごく綺麗な人だった。男に綺麗とか変かもしれないと思う。
でも、細身で長身、穏やかで儚げな父さんは確かに綺麗な人だった。
そして、そんな父さんがオレは大好きだった。
「父さんが悪いから、母さんは居なくなっちゃったんだ。ごめんな?」
そう聞いたのは小学四年の頃。
父さんが悲しそうに泣くから、いつものようにキスをして、ハンカチを出すと涙を拭いてあげた。
「オレ、父さんがいるから平気だよ」
父さんは壊れそうな笑顔を浮かべた。
いつも優しい声でオレを呼ぶ。
「星影」
そう呼ばれると嬉しくて、子犬の様に父さんにじゃれた。
「キスをしてるのは内緒だよ?もし誰かに知られると、一緒にいられなくなるかもしれないから」
オレは父さんと引き離されるのが怖くて、誰にもキスのことは話さなかった。
「噛まないで……」
最初にディープキスをした時、父さんが囁いた。オレは噛まなかった。抵抗もしなかった。
父さんはキスが終わると、上手だと褒めてくれた。オレがお返しに舌を絡めると、父さんは真っ赤になってオレの頭を撫でた。
中学になっても、オレは父さんと一緒のベッドで寝ていた。キスは深いものになっていたけど、父さんはそれ以上の事はしなかった。
多分、こんな風に過ぎて行くんだろうと思ってた。儚げな父さんを護って、この世界から切り離されたような館でままごとのようにずっと暮らす。そうやってオレと父さんは生きていくんだと。
でも、終わりは突然やって来た。
「こりゃまた、うまく作ったもんだな」
冷酷な微笑みを浮かべて、その男は言った。
オレそっくりの顔が嘲りの表情を浮かべておれを見おろす。
「俺も星影なんだ。自分の子供に昔の恋人の名前とか、悪趣味だよな」
もう一人の星影。
星影は星の光、星のあかりだ。
でも、こいつは……。
オレにそっくりのこいつは影の星だ。凄絶な魅力を持ち、すべてを吸いこんで破壊する。まるでブラックホールみたいに。
黒い星影。ーー黒い星ーー
伸びて来た手をオレは震えながら見つめた。
「触るな!」
真っ青な顔の父さんが手を払った。
「抱き潰したと思ったのにな」
黒い星が嘲る。
父さんの白い肌に赤い色が昇る。
かくんと父さんが崩れるように座りこんだ。オレは意味が分からずに父さんを支えた。
「今日は帰ってくれ」
父さんが震える声で言うと、黒い星は言った。
「楽しめそうだ」
笑いながらあいつは去って言った。
それから、オレの生活は一変した。父さんはもうキスをしてくれなくなった。一緒に寝ることもなくなった。黒い星が父さんを支配して、父さんを壊して行く。オレは棄てられた子犬の様に途方にくれたまま、それを見ているしかなかった。
「な、父さん。逃げよう」
星影が留守にしている間に、オレは父さんに縋って言った。
父さんの綺麗な顔は片側が腫れていた。
「ごめんね。星影」
父さんは微笑んで言った。
「もう逃げられない」
それはぞっとするような綺麗な微笑みだった。オレは黒い星が完全に父さんを捕まえたのだと悟った。
あいつはオレが父さんを気にかけると余計に父さんを苛んだ。
だから、オレは自分の感情を抑えた。見えているものを見ないようにして、いつでもうっすらと笑みを浮かべる。
黒い星がオレに触れた時、オレにはもうなす術がなかった。
オレが拒めば、こいつは父さんにその責任を取らせるだろう。
「俺と同じ顔でネコとか、連れて歩いたら面白そうだよな」
制服のボタンを外しながら、黒い星は魅力的に嗤った。
オレは黙って立っていた。
「自分とヤルってどんな感じ?」
可笑しくて堪らないという様に胸に指を這わせる。
避けないように、逃げないように、泣かないように。オレはそこに立っていた。
引っ張られて横になった。
父さんとの優しいキスとは全然違う、蹂躙するようなキスをされる。
泣くな、絶対泣くな。
息を殺して、無表情を装う。
「耐えちゃって、可愛いな。父さん、大好きだもんな」
もう一度キスされそうになった時、身体が軽くなった。
頬に衝撃を感じて目を見開く。
オレの上には父さんが乗っていた。
「泥棒!」
平手が次々と飛んで来た。
泣きながらオレを打つ父さんを黒い星が嗤う。
「いい加減にしとけ」
ぐったりしたオレを見て、黒い星が止める。
「死なれちゃ面倒くさい」
「こんな奴、もう見たくない」
父さんが黒い星に抱きついた。
「おまえも鬼畜だよな。父さん大好きわんこだろ?」
「もう、いらない」
父さんは黒い星に蕩けるような笑みを向けた。
黒い星は父さんを連れて出て行った。最後に父さんは振り返って、何か言ったけど、どうしてもその時の事は思い出せない。
一人きりの屋敷で、一晩泣き明かして過ごして、次の日、電話が来た。
父さんと黒い星は死んでしまった。高速道路で事故を起こして。焼けた父さんは、父さんともう分からない何かになってしまった。
黒い星は父さんを完全に壊して、オレに思い出すら残してくれなかった。
葬式の時、会ったこともない母親がやって来て、自分が不幸になったのはオレのせいだと罵った。
オレにそっくりな顔。いや黒い星に似た顔なのか。
オレが男だったから、父さんは母親を愛さなくなったのだと。
オレは黒い星を模した人形だと。
「でも、結局、あの人はあっちの星影を選んだのよね。かわいそうに」
母親は一片の憐れみも見せずに、オレを嘲笑って帰って行った。
気がつくともう高校の願書を出す時期になっていた。
先生に全寮制の学校に入りたいと言い、事情を察した先生が勧めた学校に進学することにした。
先生が母親に連絡し、書類を作る。
そして、オレは、月村先輩に出会った。
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