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希望の石

 醜悪としか思えない過去を語り終わる。  沈黙が場を支配した。  先輩は逃げ出すだろう。オレだって逃げたいのに、先輩が逃げない理由が分からない。 「な。抱きしめていい?」  ボソっと言って、返事も聞かず先輩は布団に潜り込んで来て、オレを抱きしめた。  それは本当に、本当に、久しぶりの感覚だった。 「どうしたらいいんだろうな」  頭の上で先輩が囁く。 「オレのこと、忘れてください。オレも先輩のこと、忘れますから」  それは嘘だとわかっていた。オレが先輩の事を忘れることはない。何も考えることの出来ないような苦痛の日々の中で、燦然と輝くこの人を眺める事だけがオレの救いだった。  きっと目が追うだろう。  気づかれなければ見てしまうだろう。もう近づくことは出来ないけど。 「忘れたくない。俺のこと忘れるとか、絶対、嘘だしな」  離さないという様に腕に力がこもる。その心地よさにオレはため息をついた。 「なんでそう、自信満々なんですか?」 「そうじゃなきゃ、嫌だから」 「先輩はモテ男でチャラ男なんだから、オレじゃなくても、いいじゃないですか」 「じゃあ、お前も俺じゃなくていいの?」  嫌だ。心の中で即答する。 「オレは、誰も、選ばない」  嘘をつく。とっくに先輩を選んでいた。  きっと、オレの心はこの人以外には動かないだろう。  このぬくもりだけで、この思い出だけで生きていける。オレの過去を知って、オレが人形だと知って、それでも抱き締めてくれた。  忘れないと言ってくれた。 「自分が欲しい相手にもてなかったら、どんなにもてても意味ないだろ」 「ね、先輩。さっきの話、聞いたでしょ?オレは人形なんです。棄てられた、人形なんです」 「あったかいよな。星影」  腕に力がこもる。 「すげえあったかいし、可愛いし、息もしてるし……それに、泣いてる」  先輩がオレの涙をゆっくりぬぐう。 「俺には人形に見えない。それに、棄てられたんだったら、俺が拾う」 「そんな、の、ダメです」 「誰もいらないなら、俺が貰ってもいいだろ?黙って俺のものになっとけよ。大事にするから」 「ダメです」 「嫌じゃない、ダメなんだよな。だったら俺は、絶対、あきらめない」  先輩は起きあがるとベッドボードに手を伸ばした。アマゾナイトを手に取ると、オレの手に握らせた。 「アマゾナイトは希望の石だ。  お前がいない間、これを見てたんだ。なんでこれが来たのかなって考えていた。  きっと俺たちを助ける為に来たんだ」 「た、助けるって」 「お前、親父さんの恋人じゃなかったよな?キスしてたし、一緒に寝てたけど、恋人じゃなかった」  先輩が身を乗り出してキスをする。優しいキスが激しくなって声が漏れる。先輩は優しくオレの身体を撫でると、オレが震えるのを感じて微笑んだ。 「もっと欲しくなるだろ?」  欲しいと言いたくなる唇を噛む。  オレは首を振った。 「嘘つきめ。親父さんとはこうならなかったよな?」  思い出して目を見開く。  父さんのキスは優しかった。  キスが終わるとオレ達は微笑んで手を繋いで眠った。  オレは気がつくと頷いていた。  先輩がため息をつく。 「お前と親父さん、寂しかったんじゃない? 二人きりでさ。行き過ぎのことしてたんだろうけど、でもしっかり根っこでは、親子だったんだろ」  先輩が片足を立てて座って、オレの頭を撫でる。 「最後の親父さんの言葉が思い出せないんだろ? きっとさ、大好きって言われたんだよ」 「そんなの……」  ある訳がない。 「そう思ったら、親父さんのこと、好きでいられるだろう?叩いたのも、いらないって言ったのも黒星からお前を守る為だったんだ。そう思え。だから、お前は親父さんを好きでいい。  死んだ人は戻って来ない。  本当のことはわからないけど、お前の思い出の中の親父さんは、優しくて綺麗な人だったんだろう?だったら、そのまま覚えていてやれ」  最後に出て行く父さんの姿がぼんやりと浮かぶ。何度思い出そうとしても思い出せなかった姿がゆっくりと像を結ぶ。  涙を流して真っ赤になった目、壊れそうな微笑みを浮かべた顔。  口には出していなかった。  唇だけが微かに動いていた。 《星影、大好きだよ》  喜びが身体を満たす。  それは幻かもしれない、そうであればという願いかも。  それでも、何度思い出しても、もうその像は揺るがなかった。  オレと父さんは古い館でままごとをするように暮らした。  寂しくて放置された小さい子供同士が慰めあう為にキスをして、抱き合って眠るように。  オレは、それがままごとだと、幼すぎて理解できなかった。  父さんは……どうして。  わからない。  聞きたくても父さんはもういない。  オレ達はお互いの寂しさを埋めていた。  そうして暮らした年月、少なくともオレは幸せだった。  もう誰も、その幸せをオレから奪うことは出来ない。  アマゾナイトをぎゅっと握る。手の中で石は暖かい気がした。  息をする度に涙があふれる。  暖かい涙がオレに刺さっていた棘を洗い流す。  先輩はそんなオレのとなりでいつまでもオレを撫で続けた。

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