9 / 19

第九章 祝福

 サーシャの唇は、溶けてしまいそうに柔らかく甘い。軽く食んでみると、それは微かに震えていた。しかしサーシャは逃げようとはしなかった。そっと舌を差し入れても。  グレアムは敷布の上に胡座をかいて座ると、サーシャを膝の上に乗せ、向かい合わせに座らせた。背に腕を回して抱き寄せ、何度も唇を食んでゆっくりと味わう。 「あ……」  沈んでゆく。甘い美酒の海で溺れるように、サーシャは酔いながら沈んでいった。 「ん、ふ」  口づけの合間に漏れる、戸惑うようなサーシャの吐息。首筋にしがみつく腕に力が入る。グレアムはサーシャをなだめるように、広く逞しい胸で包んだ。サーシャの身体は猫のように温かい。少しの隙間すら惜しいというように、グレアムは二人の身体を密着させた。 「うふふ」  サーシャが忍び笑いを漏らす。 「まるで、小さな子供同士が戯れているようではないか? グレアム」 「そうだな」  「だが、不思議だ。とても心地良い」 「そうか」  小柄で細いサーシャの身体は、まるで元からそのためにあるように、グレアムの腕にすっぽりと収まっていた。  グレアムはサーシャの胸元に口づけを落とすと、服の襟を開いていった。はだけたローブは肩から落ちて、腰の周りにまとわりつく。グレアムも無造作にシャツを脱ぎ捨てると、包帯だらけの身体が露わになった。 「グレアム。これでは風邪をひいてしまう」  サーシャがきょとんとした顔で言う。 「こうすれば温かいし、もっと心地いい」 グレアムはそう言って、裸の胸にサーシャを抱いた。肌と肌がぴたりとくっつく。 「……本当だ」  人肌がこれほど心安らぐものだとは、サーシャは知らなかった。目を閉じてその感触をただ味わう。肌をすり寄せると、グレアムも応えてくれた。二人で同じように心地良いのだと分かり、サーシャは嬉しくなった。  今度はどちらからともなく、自然に唇が触れ合う。小鳥がついばむような口づけを繰り返しながら、グレアムはサーシャの脇腹や背をゆっくりと撫でた。 「ふ……」 サーシャはくすぐったそうに身を捩る。だがその吐息は、既に熱を帯び始めていた。 「――は、ぁっ」  大きく息をつき、サーシャの身体が伸び上がった。顎が上がったのを捕らえ、グレアムは白い首筋に唇を這わせていった。 「ん、ん……」 くすぐったいような、気持ちがいいような、恥ずかしいような。サーシャには区別がつかない。そんな事は人生で初めての経験だった。どうしよう、と戸惑っているうちに、グレアムの唇は首筋から顎、また唇に口づけてから耳元へ這い上がっていった。 「んぁ、ふ……っ!」  急に耳たぶを甘噛みされ、サーシャは思わず声を上げた。その途端、おかしな声を出してしまった、と頬を染める。 「ん……っ、」  決まりが悪くて顔を背け、唇から逃れようとする。しかしグレアムは、 「大丈夫だ。恥ずかしがらなくていい」  と、少し強引なほどの力でサーシャをしっかり捕まえた。 「ひゃ……ぅ……!」  野バラの蕾のように愛らしい胸の突起をつつかれると、サーシャは大きく仰け反った。 「んぁッ!! や、グレアム、やめ……」  蕾を唇に含んでしゃぶり、舌先で舐めてやると、サーシャの身体は痙攣するようにビクビクと跳ねた。 「んん……ふ、――あ、ぁっ!」 「ここは、気持ちいいか?」  グレアムは、唇の代わりに指先でそれを刺激しながら、サーシャの口元に耳を寄せる。 「ぅ、ん……」 いつもと違う、低く囁くようなグレアムの声に、サーシャの心臓が高鳴った。同時に下腹部の――、普段、あまり触れてはいけないように思っている部分が大きく脈打って、サーシャは身じろぎした。するとグレアムは見透かしたように、そこへ手を伸ばす。 「じゃあ、ここはどうだ……?」  グレアムの指が、服の上からそれを撫でた。 「あ、ああッ!」 布ごしに軽く触れられただけで、すぐにそれは反応する。 「あ、待っ、……ん、ぁ」  グレアムは服の中にするりと手を滑り込ませると、直にそこに触れた。 「ひ……あ!」 「ん、ここ……だな」  グレアムは優しい手つきで、サーシャの感じやすい部分と愛撫の仕方を探り当てていった。サーシャは波のように次々と襲いくる快感に翻弄され、どうしたら良いか分からない。 「そのまま、素直に感じていればいい」  グレアムは言った。 「ん、――あぅ!」  また、唇が胸の蕾に触れた。気持ちいい所を二カ所も同時に触れられて、サーシャは快感を受け止めきれず、瞳に涙を滲ませた。 「んッ、や、あ、ぁ――!」  グレアムの手の中で脈動するサーシャのそれは、驚くほど温かくすべすべしている。グレアムはもう、その温もりに抗えなかった。 ――このまま、捕まえておきたい。ずっと。  服を乱暴に取り払い、熱く昂ぶる己のもので貫いてしまえば。そうすれば、手に入るのじゃないだろうか。ずっと、なくさずに、いられるのじゃないだろうか……。  はやる心にけしかけられて、グレアムはサーシャの服を強く引いた。  しかし――。頬に落ちる銀の光にふと目を上げれば、窓の外から、冴え冴えとした月がグレアムを見張っていた。 「…………」 「はアッ、あ、ふ、……」  サーシャは激しく息をして、快楽に身を任せている。グレアムは柔らかな金の髪を撫で、唇を寄せた。春の陽射しの匂いがする。 「……気持ちいいか? サーシャ」 「うん」  余計な見栄や羞恥心を持たないサーシャが、とても清らかだとグレアムは思った。このまま、何も変えたくはないと思った。 「じゃあ、一番気持ちいい事をしてやろう」 「う、うん……?」  一番、というのが何なのか分からなかったが、サーシャはグレアムに任せれば良いのだと思った。裸の胸と胸がぴたりとくっつくのも気持ちいいし、唇と唇が触れ合うのも気持ちいい。その唇で食まれるのも、舌先でそっと舐められるのも、グレアムのする事は全部気持ちがいいのだから。  グレアムの手がそこを包み込んで独特の動きをし始めると、サーシャは自分の身体がこんな快楽を得られる事に驚いた。 「あぁ……ぅぁ? は……っ、あ、あ!」 「は、ふ…っ」 「んぁ! あ、んああッ!!」  身体の中心から、何かが駆け上ってくる。怖い。何か、大変な事になってしまう。サーシャは無意識に身体を引いたが、グレアムはサーシャを逃さなかった。グレアムの手が再び触れた時、サーシャは、自分がそれを望んでいるのだと分かった。だから今度は逃げずに、グレアムの導きに従った。 「んッ、は、ぁ……」  注意深くサーシャの反応を見ながら、グレアムは丁寧にそれを扱いた。 「あ、アッ、ん、ぁ、あぁ!」  サーシャが高まるにつれて、グレアムは手の動きを少しずつ早めていく。 「あ、グレアム、……め」  サーシャが濡れた子犬のように震えた。グレアムの手の中でサーシャ自身が大きく脈打ったかと思うと、温かい精液が掌に零れる。 「あ、あ……っ」  サーシャは嗚咽を漏らし、ぐったりと崩れ落ちた。  やがてグレアムに体重を預けたままうっすら瞼を開くと、服の裾をたくし上げられてむき出しの腿や、腹や胸に飛び散った精液が目に入る。サーシャは途端に頬を染めた。 「あ、す、すまな、い」  サーシャはおろおろと慌てた。 「構わないさ」  グレアムは笑って、とりあえず脱いだ自分のシャツで拭って後始末をした。それがサーシャには、悪戯の秘密を二人で共有しているようで、嬉しいような、幸福な気分だった。 「……なぜ、拒まなかった?」  グレアムが、どこか不安げな声音で尋ねる。 「うん……」  サーシャは少し考えて微笑んだ。 「お前のする、人の営みを知りたかった」 「おいおい」  グレアムは思わず苦笑したが、 「我はもうすぐ、人の営みから完全に離れてしまうから」  その言葉に、ふと笑みは消えた。 「あんたは、それでいいのか?」 「それが神子の務めだ。良いも悪いもない」 「そうじゃない。神子でなく、一人の人間としてのあんたはどうなんだ?」 「え?」  サーシャは瞳を見開いた。 「神子ではない、我?」 「そうだ」 「……我にそんな事を聞いた者は初めてだ」  サーシャは困惑した顔で俯いてしまった。グレアムは黙って頭を撫でてやる。  神子の、ではなく、サーシャ自身の幸福とは何だろう、とグレアムは考えた。  「サーシャ。あんたは、自分自身を幸福にする事も忘れないでくれ」 「我が? 我自身を幸福にする?」 「そうだ。人々が幸福に暮らせるよう、聖霊の元へ導く事が尊いなら、自分自身を幸福にする事も同じように尊いはずだ」  サーシャは考えてみたが、よく分からなかった。サーシャにとって己が神子である事と、己が己である事は同じだった。 「……何でもない。つまらない事を言った」  グレアムはそっぽを向いた。  苦い罪悪感が、グレアムの胸を締めつけていた。サーシャは神子としての使命感と慈愛の心から、救いを求める者を慰めようとしただけだ。それをいい事に激情に身を任せ、寂しさや虚しさを埋めたい一心で、無垢なサーシャに触れてしまった。いとも簡単に身体を投げ出したサーシャに、言い訳がましく説教じみた事を言う自分が恥ずかしかった。  グレアムはサーシャの顎を捕らえ、二つの色を宿す双眸をまっすぐに見つめた。 「……あんたは俺に、祝福をくれた」  グレアムは言った。 「あんたが俺を見守ると言ってくれた。その心を、俺は、忘れない」 ――あんたが忘れてしまっても。 「だから俺も、あんたの命を守る」 ――次の、満月までは。  グレアムは、もう一度しっかりとサーシャを抱きしめた。 「我々が逗留した事でこのような事態を招き、お詫びの申しあげようもない」  ミラン中尉は沈鬱な面持ちで言った。  先発隊出立の朝。一行は教会の前で、見送りに来てくれた村長や村の人々、そして宿のおかみたちと挨拶を交わした。 「今回の件は、ひとえに我々の力不足ゆえ。御身の信仰が変わらぬ事を祈ります」  中尉は宿のおかみに深々とお辞儀をした。サーシャたち修道士もそれにならう。 「聖教会本部と軍の上層部には経緯を知らせてあるので、追って連絡があるはずです。できる限りの事をさせていただくので、その点はどうかご心配なきよう……」 「まあ、もったいないお言葉を」  おかみは恐縮した。 「では名残惜しいですが、そろそろ」 「ええ。色々とありがとうございます。どうか道中、お気をつけて」 「……おや?」  サーシャが辺りを見回した。 「グレアムの姿が見えないが」 「ああ、グレアムさんなら、さっきうちの娘と裏庭の方に行きましたよ」  おかみが言った。 「もう出立だ。誰か――」  ミラン中尉が言うと、 「我が呼んでこよう」  サーシャがすたすたと歩き出す。 「あ、俺も一緒に探します!」  先発隊の若い隊員がサーシャの後を追った。 「実は、渡したい物があってな」 「まあ、私に? 何ですの?」  アリアは腕に抱いた赤ん坊を、軽く揺すり上げながら言った。その口調がどこか、子を持つ母親のそれらしくなっている。 「その……、これなんだが……」  グレアムは上着のポケットから、木の小箱をおずおずと取り出した。 「あんたに貰ってほしくてな」  アリアは小首を傾げつつ小箱を受け取った。蓋を開けると、可愛らしい指輪が入っている。 「まあ」  アリアは問いただすようにグレアムを見た。 「あ、いや、その。誤解しないでほしいんだが、これは……」  どう言ったものかと、グレアムは焦った。 「別に深い意味はないんだ。実は、ある人に渡すはずだったんだが……」  あらぬ勘違いをされないよう、グレアムは額の汗を拭いつつ、苦しい言い訳を考えた。 「事情があって、渡せなくなった。それでこの指輪は、行き場をなくした訳で……」 「まあ」  察するに、恋人への贈り物だったのが、渡す前に振られてしまったのだろう。アリアはそう考えた。 「その、たまたま村の者が話してるのを聞いたんだ。もうすぐ二十歳の誕生日なんだろう。だから、その祝いの品にどうかと……」  しどろもどろのグレアムを、アリアは少し訝しげに見つめた。 「グレアムさん。なぜ私に、そこまで……?」 アリアの表情に影が落ちる。 「同情、でしょうか」 「違う!」  グレアムは強い口調で否定した。  少しの間があった。グレアムは目を細め、アリアを見つめた。 「あんたは俺の、妹……に、似ていて、な」 「まあ。妹さんに?」 「そう――、そうなんだ」 「そういえば、私とグレアムさんは顔立ちが少し似ていますね」  グレアムの心臓がどきりと跳ねた。 「初めてお顔を見た時から、思っていたんです。私にもし兄がいたら、グレアムさんみたいだろうな、なんて」 「……そ、そうか。じゃあこれも、何かの縁だ。貰ってくれないか」  アリアは少し迷っている様子だったが、やがて屈託のない顔で笑った。それは、母の笑顔ともよく似ていた。 「分かりました。ご厚意、お受けしますわ」  アリアはそう言って、指輪をはめてみた。 「ぴったりだわ。まるであつらえたみたい」  目を丸くして自分の指を眺めているアリアに、グレアムの口元が柔らかくほころんだ。 「よく似合う」 「ありがとうございます。大切にします」  アリアは指輪をはめた手を、もう片方の手で大切に包んだ。 「あいつ~! 固そうな顔してるくせに、隅に置けないですよねえ~、修道士さま!」  若い兵士は隣のサーシャに囁いた。  グレアムを呼びにきた二人だったが、邪魔してはいけない雰囲気を感じ取り、物陰に隠れて様子をうかがっていたのだった。 「……何を、しているのだろうか」 「女の子を口説いてるんですよ!!」 「口説いて、とは?」 「ええと、つまり、デートしてるんです!」 「デート……?」  サーシャは二人の様子をまじまじと見つめた。「デート」という言葉は本で読んだ事があるので、どういう意味なのか知っている。 「そういえば最初っから、なんかいい雰囲気だったし。あいつ、うまくやったな~!」 「…………」  アリアと一緒に歩き出したグレアムが、二人に気づいて足を止めた。 「何してるんだ?」 「別に~!」  兵士は、じきに出発なので迎えに来た、と言った。 「お見送りしますわ」 「わざわざ、すまないな」 「いえ、そんな」  アリアは優しい笑顔をグレアムに向け、二人は並んで歩き出した。 「…………」  サーシャは、そんな二人をぼんやりと見ていた。まるで苦い薬を飲んだ時のように、胸がむかむかする。 ――デート。  その言葉が、胸にすとんと落ちて留まった。 「修道士さま?」  兵士に声をかけられて我に返る。正体の分からない感覚に戸惑いつつ、サーシャも兵士と一緒に二人を追った。  先発隊は人々に別れを告げて出発した。十数騎が蹄の音を響かせ、砂埃の舞う村道をゆく。沿道から子供たちが手を振った。馬上のグレアムは最後にもう一度だけ振り返り、宿の母娘と、新たに加わった小さな家族の姿を瞼に焼きつけた。  二人には、軍と聖教会から充分な手当が出るはずだ。生活の事は心配ないだろう。グレアムは再び前を向き、後は振り返らなかった。  出発前のザキの言葉を思い出し、心を引き締める。 「今のところ、作戦が功を奏している。本隊の到着を待って火事を起こしたところを見ると、レスコフ派はサーシャの正体に気づいていない。しかし……」  ザキの口調は重かった。 「早い段階で道筋を調べ上げていた事といい、敵はかなり綿密に計画を立てている」 「それだけ本気って事だな」  グレアムの言葉にザキは頷いた。 「ここから先は、さらに慎重になってくれ」 「ハッ」  ミラン中尉は緊張した面持ちで敬礼を返す。 「了解した」  グレアムも静かに頷いた。

ともだちにシェアしよう!