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第九章 祝福
サーシャの唇は、溶けてしまいそうに柔らかく甘い。軽く食んでみると、それは微かに震えていた。しかしサーシャは逃げようとはしなかった。そっと舌を差し入れても。
グレアムは敷布の上に胡座をかいて座ると、サーシャを膝の上に乗せ、向かい合わせに座らせた。背に腕を回して抱き寄せ、何度も唇を食んでゆっくりと味わう。
「あ……」
沈んでゆく。甘い美酒の海で溺れるように、サーシャは酔いながら沈んでいった。
「ん、ふ」
口づけの合間に漏れる、戸惑うようなサーシャの吐息。首筋にしがみつく腕に力が入る。グレアムはサーシャをなだめるように、広く逞しい胸で包んだ。サーシャの身体は猫のように温かい。少しの隙間すら惜しいというように、グレアムは二人の身体を密着させた。
「うふふ」
サーシャが忍び笑いを漏らす。
「まるで、小さな子供同士が戯れているようではないか? グレアム」
「そうだな」
「だが、不思議だ。とても心地良い」
「そうか」
小柄で細いサーシャの身体は、まるで元からそのためにあるように、グレアムの腕にすっぽりと収まっていた。
グレアムはサーシャの胸元に口づけを落とすと、服の襟を開いていった。はだけたローブは肩から落ちて、腰の周りにまとわりつく。グレアムも無造作にシャツを脱ぎ捨てると、包帯だらけの身体が露わになった。
「グレアム。これでは風邪をひいてしまう」
サーシャがきょとんとした顔で言う。
「こうすれば温かいし、もっと心地いい」
グレアムはそう言って、裸の胸にサーシャを抱いた。肌と肌がぴたりとくっつく。
「……本当だ」
人肌がこれほど心安らぐものだとは、サーシャは知らなかった。目を閉じてその感触をただ味わう。肌をすり寄せると、グレアムも応えてくれた。二人で同じように心地良いのだと分かり、サーシャは嬉しくなった。
今度はどちらからともなく、自然に唇が触れ合う。小鳥がついばむような口づけを繰り返しながら、グレアムはサーシャの脇腹や背をゆっくりと撫でた。
「ふ……」
サーシャはくすぐったそうに身を捩る。だがその吐息は、既に熱を帯び始めていた。
「――は、ぁっ」
大きく息をつき、サーシャの身体が伸び上がった。顎が上がったのを捕らえ、グレアムは白い首筋に唇を這わせていった。
「ん、ん……」
くすぐったいような、気持ちがいいような、恥ずかしいような。サーシャには区別がつかない。そんな事は人生で初めての経験だった。どうしよう、と戸惑っているうちに、グレアムの唇は首筋から顎、また唇に口づけてから耳元へ這い上がっていった。
「んぁ、ふ……っ!」
急に耳たぶを甘噛みされ、サーシャは思わず声を上げた。その途端、おかしな声を出してしまった、と頬を染める。
「ん……っ、」
決まりが悪くて顔を背け、唇から逃れようとする。しかしグレアムは、
「大丈夫だ。恥ずかしがらなくていい」
と、少し強引なほどの力でサーシャをしっかり捕まえた。
「ひゃ……ぅ……!」
野バラの蕾のように愛らしい胸の突起をつつかれると、サーシャは大きく仰け反った。
「んぁッ!! や、グレアム、やめ……」
蕾を唇に含んでしゃぶり、舌先で舐めてやると、サーシャの身体は痙攣するようにビクビクと跳ねた。
「んん……ふ、――あ、ぁっ!」
「ここは、気持ちいいか?」
グレアムは、唇の代わりに指先でそれを刺激しながら、サーシャの口元に耳を寄せる。
「ぅ、ん……」
いつもと違う、低く囁くようなグレアムの声に、サーシャの心臓が高鳴った。同時に下腹部の――、普段、あまり触れてはいけないように思っている部分が大きく脈打って、サーシャは身じろぎした。するとグレアムは見透かしたように、そこへ手を伸ばす。
「じゃあ、ここはどうだ……?」
グレアムの指が、服の上からそれを撫でた。
「あ、ああッ!」
布ごしに軽く触れられただけで、すぐにそれは反応する。
「あ、待っ、……ん、ぁ」
グレアムは服の中にするりと手を滑り込ませると、直にそこに触れた。
「ひ……あ!」
「ん、ここ……だな」
グレアムは優しい手つきで、サーシャの感じやすい部分と愛撫の仕方を探り当てていった。サーシャは波のように次々と襲いくる快感に翻弄され、どうしたら良いか分からない。
「そのまま、素直に感じていればいい」
グレアムは言った。
「ん、――あぅ!」
また、唇が胸の蕾に触れた。気持ちいい所を二カ所も同時に触れられて、サーシャは快感を受け止めきれず、瞳に涙を滲ませた。
「んッ、や、あ、ぁ――!」
グレアムの手の中で脈動するサーシャのそれは、驚くほど温かくすべすべしている。グレアムはもう、その温もりに抗えなかった。
――このまま、捕まえておきたい。ずっと。
服を乱暴に取り払い、熱く昂ぶる己のもので貫いてしまえば。そうすれば、手に入るのじゃないだろうか。ずっと、なくさずに、いられるのじゃないだろうか……。
はやる心にけしかけられて、グレアムはサーシャの服を強く引いた。
しかし――。頬に落ちる銀の光にふと目を上げれば、窓の外から、冴え冴えとした月がグレアムを見張っていた。
「…………」
「はアッ、あ、ふ、……」
サーシャは激しく息をして、快楽に身を任せている。グレアムは柔らかな金の髪を撫で、唇を寄せた。春の陽射しの匂いがする。
「……気持ちいいか? サーシャ」
「うん」
余計な見栄や羞恥心を持たないサーシャが、とても清らかだとグレアムは思った。このまま、何も変えたくはないと思った。
「じゃあ、一番気持ちいい事をしてやろう」
「う、うん……?」
一番、というのが何なのか分からなかったが、サーシャはグレアムに任せれば良いのだと思った。裸の胸と胸がぴたりとくっつくのも気持ちいいし、唇と唇が触れ合うのも気持ちいい。その唇で食まれるのも、舌先でそっと舐められるのも、グレアムのする事は全部気持ちがいいのだから。
グレアムの手がそこを包み込んで独特の動きをし始めると、サーシャは自分の身体がこんな快楽を得られる事に驚いた。
「あぁ……ぅぁ? は……っ、あ、あ!」
「は、ふ…っ」
「んぁ! あ、んああッ!!」
身体の中心から、何かが駆け上ってくる。怖い。何か、大変な事になってしまう。サーシャは無意識に身体を引いたが、グレアムはサーシャを逃さなかった。グレアムの手が再び触れた時、サーシャは、自分がそれを望んでいるのだと分かった。だから今度は逃げずに、グレアムの導きに従った。
「んッ、は、ぁ……」
注意深くサーシャの反応を見ながら、グレアムは丁寧にそれを扱いた。
「あ、アッ、ん、ぁ、あぁ!」
サーシャが高まるにつれて、グレアムは手の動きを少しずつ早めていく。
「あ、グレアム、……め」
サーシャが濡れた子犬のように震えた。グレアムの手の中でサーシャ自身が大きく脈打ったかと思うと、温かい精液が掌に零れる。
「あ、あ……っ」
サーシャは嗚咽を漏らし、ぐったりと崩れ落ちた。
やがてグレアムに体重を預けたままうっすら瞼を開くと、服の裾をたくし上げられてむき出しの腿や、腹や胸に飛び散った精液が目に入る。サーシャは途端に頬を染めた。
「あ、す、すまな、い」
サーシャはおろおろと慌てた。
「構わないさ」
グレアムは笑って、とりあえず脱いだ自分のシャツで拭って後始末をした。それがサーシャには、悪戯の秘密を二人で共有しているようで、嬉しいような、幸福な気分だった。
「……なぜ、拒まなかった?」
グレアムが、どこか不安げな声音で尋ねる。
「うん……」
サーシャは少し考えて微笑んだ。
「お前のする、人の営みを知りたかった」
「おいおい」
グレアムは思わず苦笑したが、
「我はもうすぐ、人の営みから完全に離れてしまうから」
その言葉に、ふと笑みは消えた。
「あんたは、それでいいのか?」
「それが神子の務めだ。良いも悪いもない」
「そうじゃない。神子でなく、一人の人間としてのあんたはどうなんだ?」
「え?」
サーシャは瞳を見開いた。
「神子ではない、我?」
「そうだ」
「……我にそんな事を聞いた者は初めてだ」
サーシャは困惑した顔で俯いてしまった。グレアムは黙って頭を撫でてやる。
神子の、ではなく、サーシャ自身の幸福とは何だろう、とグレアムは考えた。
「サーシャ。あんたは、自分自身を幸福にする事も忘れないでくれ」
「我が? 我自身を幸福にする?」
「そうだ。人々が幸福に暮らせるよう、聖霊の元へ導く事が尊いなら、自分自身を幸福にする事も同じように尊いはずだ」
サーシャは考えてみたが、よく分からなかった。サーシャにとって己が神子である事と、己が己である事は同じだった。
「……何でもない。つまらない事を言った」
グレアムはそっぽを向いた。
苦い罪悪感が、グレアムの胸を締めつけていた。サーシャは神子としての使命感と慈愛の心から、救いを求める者を慰めようとしただけだ。それをいい事に激情に身を任せ、寂しさや虚しさを埋めたい一心で、無垢なサーシャに触れてしまった。いとも簡単に身体を投げ出したサーシャに、言い訳がましく説教じみた事を言う自分が恥ずかしかった。
グレアムはサーシャの顎を捕らえ、二つの色を宿す双眸をまっすぐに見つめた。
「……あんたは俺に、祝福をくれた」
グレアムは言った。
「あんたが俺を見守ると言ってくれた。その心を、俺は、忘れない」
――あんたが忘れてしまっても。
「だから俺も、あんたの命を守る」
――次の、満月までは。
グレアムは、もう一度しっかりとサーシャを抱きしめた。
「我々が逗留した事でこのような事態を招き、お詫びの申しあげようもない」
ミラン中尉は沈鬱な面持ちで言った。
先発隊出立の朝。一行は教会の前で、見送りに来てくれた村長や村の人々、そして宿のおかみたちと挨拶を交わした。
「今回の件は、ひとえに我々の力不足ゆえ。御身の信仰が変わらぬ事を祈ります」
中尉は宿のおかみに深々とお辞儀をした。サーシャたち修道士もそれにならう。
「聖教会本部と軍の上層部には経緯を知らせてあるので、追って連絡があるはずです。できる限りの事をさせていただくので、その点はどうかご心配なきよう……」
「まあ、もったいないお言葉を」
おかみは恐縮した。
「では名残惜しいですが、そろそろ」
「ええ。色々とありがとうございます。どうか道中、お気をつけて」
「……おや?」
サーシャが辺りを見回した。
「グレアムの姿が見えないが」
「ああ、グレアムさんなら、さっきうちの娘と裏庭の方に行きましたよ」
おかみが言った。
「もう出立だ。誰か――」
ミラン中尉が言うと、
「我が呼んでこよう」
サーシャがすたすたと歩き出す。
「あ、俺も一緒に探します!」
先発隊の若い隊員がサーシャの後を追った。
「実は、渡したい物があってな」
「まあ、私に? 何ですの?」
アリアは腕に抱いた赤ん坊を、軽く揺すり上げながら言った。その口調がどこか、子を持つ母親のそれらしくなっている。
「その……、これなんだが……」
グレアムは上着のポケットから、木の小箱をおずおずと取り出した。
「あんたに貰ってほしくてな」
アリアは小首を傾げつつ小箱を受け取った。蓋を開けると、可愛らしい指輪が入っている。
「まあ」
アリアは問いただすようにグレアムを見た。
「あ、いや、その。誤解しないでほしいんだが、これは……」
どう言ったものかと、グレアムは焦った。
「別に深い意味はないんだ。実は、ある人に渡すはずだったんだが……」
あらぬ勘違いをされないよう、グレアムは額の汗を拭いつつ、苦しい言い訳を考えた。
「事情があって、渡せなくなった。それでこの指輪は、行き場をなくした訳で……」
「まあ」
察するに、恋人への贈り物だったのが、渡す前に振られてしまったのだろう。アリアはそう考えた。
「その、たまたま村の者が話してるのを聞いたんだ。もうすぐ二十歳の誕生日なんだろう。だから、その祝いの品にどうかと……」
しどろもどろのグレアムを、アリアは少し訝しげに見つめた。
「グレアムさん。なぜ私に、そこまで……?」
アリアの表情に影が落ちる。
「同情、でしょうか」
「違う!」
グレアムは強い口調で否定した。
少しの間があった。グレアムは目を細め、アリアを見つめた。
「あんたは俺の、妹……に、似ていて、な」
「まあ。妹さんに?」
「そう――、そうなんだ」
「そういえば、私とグレアムさんは顔立ちが少し似ていますね」
グレアムの心臓がどきりと跳ねた。
「初めてお顔を見た時から、思っていたんです。私にもし兄がいたら、グレアムさんみたいだろうな、なんて」
「……そ、そうか。じゃあこれも、何かの縁だ。貰ってくれないか」
アリアは少し迷っている様子だったが、やがて屈託のない顔で笑った。それは、母の笑顔ともよく似ていた。
「分かりました。ご厚意、お受けしますわ」
アリアはそう言って、指輪をはめてみた。
「ぴったりだわ。まるであつらえたみたい」
目を丸くして自分の指を眺めているアリアに、グレアムの口元が柔らかくほころんだ。
「よく似合う」
「ありがとうございます。大切にします」
アリアは指輪をはめた手を、もう片方の手で大切に包んだ。
「あいつ~! 固そうな顔してるくせに、隅に置けないですよねえ~、修道士さま!」
若い兵士は隣のサーシャに囁いた。
グレアムを呼びにきた二人だったが、邪魔してはいけない雰囲気を感じ取り、物陰に隠れて様子をうかがっていたのだった。
「……何を、しているのだろうか」
「女の子を口説いてるんですよ!!」
「口説いて、とは?」
「ええと、つまり、デートしてるんです!」
「デート……?」
サーシャは二人の様子をまじまじと見つめた。「デート」という言葉は本で読んだ事があるので、どういう意味なのか知っている。
「そういえば最初っから、なんかいい雰囲気だったし。あいつ、うまくやったな~!」
「…………」
アリアと一緒に歩き出したグレアムが、二人に気づいて足を止めた。
「何してるんだ?」
「別に~!」
兵士は、じきに出発なので迎えに来た、と言った。
「お見送りしますわ」
「わざわざ、すまないな」
「いえ、そんな」
アリアは優しい笑顔をグレアムに向け、二人は並んで歩き出した。
「…………」
サーシャは、そんな二人をぼんやりと見ていた。まるで苦い薬を飲んだ時のように、胸がむかむかする。
――デート。
その言葉が、胸にすとんと落ちて留まった。
「修道士さま?」
兵士に声をかけられて我に返る。正体の分からない感覚に戸惑いつつ、サーシャも兵士と一緒に二人を追った。
先発隊は人々に別れを告げて出発した。十数騎が蹄の音を響かせ、砂埃の舞う村道をゆく。沿道から子供たちが手を振った。馬上のグレアムは最後にもう一度だけ振り返り、宿の母娘と、新たに加わった小さな家族の姿を瞼に焼きつけた。
二人には、軍と聖教会から充分な手当が出るはずだ。生活の事は心配ないだろう。グレアムは再び前を向き、後は振り返らなかった。
出発前のザキの言葉を思い出し、心を引き締める。
「今のところ、作戦が功を奏している。本隊の到着を待って火事を起こしたところを見ると、レスコフ派はサーシャの正体に気づいていない。しかし……」
ザキの口調は重かった。
「早い段階で道筋を調べ上げていた事といい、敵はかなり綿密に計画を立てている」
「それだけ本気って事だな」
グレアムの言葉にザキは頷いた。
「ここから先は、さらに慎重になってくれ」
「ハッ」
ミラン中尉は緊張した面持ちで敬礼を返す。
「了解した」
グレアムも静かに頷いた。
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