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第十章 行くあてのない街

「修道士さま、口が開いてますよ、口が!」  兵士にからかわれ、馬上のサーシャは慌てて口元を引き締めた。隊員たちは笑い合う。 「無理もない。きっとお珍しいのだろう」  グレアムの隣で、ミラン中尉も声に微笑を含めて囁いた。  あらから数日。先発隊の一行は順調に旅を続けていた。実際、順調すぎるほどで、後発の本隊にかなり先行している。そして今日先発隊は、フェスティバル真っ最中の大きな港町に入るところだった。  見た事もないほど幅の広い通りに、ずらりと並ぶ商店。一体どこから現れたのかと思うほど、大勢の人々。祭りのために飾りつけられた美しい街並みに、客寄せの声や賑やかな音楽が響く。視界に広がる光景に、サーシャはすっかり圧倒されていた。 「少し本隊に先行しすぎている。この街で、追いついてくるのを待とう」  ミラン中尉の指示で、先発隊の面々は街の宿に落ち着く事になった。 「少しくらい構わぬだろう。ちょっと見物に行くだけだ」  サーシャは唇を尖らせて、目の前に立ちはだかる大柄な隊員に文句を言った。 「いいえ。隊長の命令です。修道士さまはこの宿で待機していて下さい」 「…………」  サーシャはふてくされた顔で、上目使いに隊員を睨む。 「そんな顔してもだめです」  隊員は大きな身体でしっかりと出入り口を塞ぎ、通してくれそうもない。 「しかし、狙われているのは尊い聖霊の神子さま。我のような一介の見習い修道士に、何の危険があるというのだ?」 「そ、それは」 「神子さまも、このように大きな街での人々の暮らしぶりはいかようなものか、ご興味がおありのはず。僭越ながらこの見習い修道士が我が身を捧げて見聞し、神子さまに上奏奉らんというのだ」 「し、しかしですね。命令ですから」 「そこをなんとか」  もう一押し、と身を乗り出したサーシャの頭に、大きな手がぽんと置かれた。 「こら。あまり困らせるんじゃない」  振り向くと、グレアムが立っていた。 「グレアム!」 「大人しく宿にいろ」 「……お前まで」  サーシャはしょんぼりと項垂れた。 「……分かった。我は所詮、籠の鳥。飼い鳥は飼い鳥らしく、命令を聞こう」 「な、なにもそこまで……」 「竜よ、我はたいそう退屈だ。部屋に来て話し相手にならぬか。菓子があるぞ」 「行く!」  竜はサーシャの肩に飛び乗った。  すごすごと部屋に戻る背中を見送り、グレアムは見張りの隊員と肩をすくめた。 ――『もうすぐ人の営みから離れてしまう』  サーシャの言葉が胸に甦る。 「しょうがねえな」  グレアムはため息をつき、ミラン中尉を探しにいった。 「おい、許可が出たぞ」  部屋に入るとサーシャはちょうど窓枠に片足をかけ、身を乗り出しているところだった。 「あ」  「やっぱりな。どうせやらかすと思ったぜ」 「外出許可を出してくれたのか!? あの固そうな隊長どのが?」  サーシャは悪びれずに瞳を輝かせる。 「ああ。危険も少ないだろうし、ずっと閉じ込めておくわけにもいかない、とな」 「グレアムが頼んでくれたのか?」 「まあ、せっかくの機会だしな」  グレアムは目を逸らし、前髪をかき上げた。 「とりあえず、次から部屋は二階にするよう進言しておくぜ」  グレアムはサーシャを連れて宿を出た。  目抜き通りへ向かうと、フェスティバル真っ最中の大通りは絢爛豪華の一言だった。沿道の花壇や街路樹には金銀の装飾が施され、趣向を凝らした装いの人々が行き交う。大道芸人たちがそこかしこで芸を披露する。音楽が溢れ、紙吹雪が舞う。食欲をそそる異国の料理の香り。物売りや客寄せの声。豪奢なレンガ敷きの目抜き通りは、まさにこの街の富と活力を象徴していた。 「はあ……」  サーシャは感激のあまりため息をついた。見るべきものが多すぎて、どこから見れば良いか分からない。きょろきょろしていたサーシャだったが、その時、さらに驚くべきものが瞳に飛び込んできた。 「あれは! あれは何だ!? グレアム!」  サーシャは通りの先を指差した。グレアムが見ると、大きな飾車がこちらへやってくる。 「パレードだ。フェスティバルの名物さ」 「パレード……!」  サーシャは瞳を輝かせてそれを見つめた。  飾車は次々と現れる。色とりどりの衣装に羽根や宝石で身を飾る人々が、その周りを練り歩いていた。パレードの先頭が近づくと、沿道の人波がゆっくりと割れる。まるで、川面をかき分けて進む船のようだ。 「お、おい! 待てって」  サーシャはローブの裾をつまみ上げ、ふらふらと足を踏み出していた。グレアムは慌ててその手を掴む。 「俺から離れるな。はぐれたらどうする」 「分かった」  サーシャは子供のようにグレアムに手を引かれ、道端に立ってパレードを見物した。「あ! 魔族のやつがいる!」  竜が叫んだ。見れば仮装した人々に交じり、魔族らしき者たちもパレードに参加している。 「あいつ竜族だ! あっちの奴、あれは本物の尻尾だぞ。あいつは水中に住む水魚人だ」  竜以外の魔族を初めて見たサーシャは、目を丸くした。 「結構いっぱいいるんだぜ!」  竜は誇らしげに胸を張る。 「そのようだ。皆仲良く暮らせているか?」 「うーん、どうだろ。魔族嫌いなやつ、多いしな。でもまあみんな、なんとなくうまくやってんじゃねえのかな!」 「そうか。なんとなくうまくやっているのか。それなら安心だ」  サーシャは微笑んだ。    パレードが去った後は港へ回り、大きな貿易船が出入りするのを見物した。それから通りをぶらついて店をのぞいたり、大道芸に見入ったり、サーシャは忙しくあちこち飛び回った。しかしうっかりグレアムから離れすぎると、子犬のように慌てて戻ってくる。 「すごいな、この街は。こんなに歩いているのに、まだ反対側の端に着かない」  頬を紅潮させてサーシャが言った。 「街の終わりは、まだずっと先だ」  グレアムは笑う。やがて二人は、市が立つ広場の前を通りかかった。 「おお、これは大変な賑わいだ」  広場には様々な露店が、所狭しと並んでいる。サーシャは次々と軒先をのぞいていった。 「大きな街をいくつも通ってきたが、これほど様々な人や物に溢れる場所は初めてだ」 「それは、街の成り立ちに関係があってな」  グレアムが言った。 「成り立ち?」 「ああ。この街はかつて隣国の一部だったんだが、内乱と天災で国が滅亡し、この街だけが残された。祖国の守護をなくした街の住人は、我が国にこの街を領土として迎え入れてくれと要請してきた。我が国にしてもここの港は有用で、願ってもない話だった――」 「それで、我が国の一部になったのだな」 「いや。聖教会の反対で、実現しなかった」 「聖教会が!? なぜだ?」 「聖伝の教えでは、他国の領土を得て国土を拡大する事を禁じている。この街はもともと隣国の領土だから、我が国の一部として取り込む事は聖伝の教えに反するとして、聖教会が頑なに反対したんだ」 「あ……」  サーシャは、あまり重要視していなかった、聖伝の一節を思い出した。  歴史上、この国は侵略戦争を仕掛けた事も仕掛けられた事もない。冬将軍という名の雪と氷が、一年の半分以上国境を守り、どちら側からも侵攻する事を阻んでいるのだ。そういう事情から、サーシャは聖伝のその一節は、事実上形骸化したものと思っていた。 「結局、折衷案としてこの街と我が国の間で協定を結び、この街を『特別区』として定めた。税金の優遇をしたり、手続きを簡略化したりして、我が国とこの街の間で人の行き来や商売が自由にできるようにしたんだ。その結果、この街を通して我が国と取り引きしようという人間が他の国からも集まって、様々な物や人が集まる独特の街になったんだ」 「そう……なのか……」 「当時住民の間で治安維持のための自警団が結成されて、自治体制が作られた。それが今も続いている。しかし何かあった時はそれだけじゃ力不足だし、街の住人は今も、我が国の一部になりたいと願っているんだがな」  サーシャは瞳を曇らせた。 「聖伝の教えが、人々の暮らしの妨げになる事もあるのだな……」 「別に、あんたのせいじゃないだろう」  グレアムは言った。 「そうだ。店が色々出てるし、何か食うか」  笑いかけるグレアムに、サーシャは頷いた。 「お兄さん! 新鮮な果物はいかが?」  辺りを見回すサーシャに、商売上手な売り子の少年が声を張り上げる。 「おやつだ!!」  竜が飛んでいく。サーシャも店先をのぞいてみると、様々な種類の果物が並んでいた。 「苺だ」  サーシャは嬉しそうに言った。 「苺でいいのか」 「うん」  苺の入った袋を手に、二人して木陰にかけると、グレアムは竜の口に一つ入れてやった。 「あま~~い!!」  竜は尻尾を振った。サーシャも苺をつまむ。 「今まで食べた苺の中でも、これは絶品だ」  その日はまだ春先というのに上天気で、人混みもあって暑いくらいだった。少し汗ばみ乾いた身体を、瑞々しい苺が潤す。サーシャは食べながら、広場を行き交う人々を眺めていたが、ふと手を止めて呟いた。 「この街は、我と似ているな」 「え?」 「曖昧な国境で区切られた、半分だけ別の国。『半分の神子』と同じだ」  サーシャは少しだけ自嘲気味に笑った。 「だが、悪い事ばかりじゃない」  グレアムは、賑やかな広場を指差した。 「見ろよ。その曖昧な状況のおかげで、ここには様々なものが集まるんだ」 「ああ、本当だ……」  サーシャは目の前の光景に目を細めた。ありとあらゆる品が取り引きされ、商売は活気に満ちている。様々な背景を持つ人々が肩を並べて笑い合い、芸術家たちは議論に花を咲かせている。飛び交う異国の言葉や歌。不思議な芸に熱心な視線を注ぐ通行人。  新たな文化がここで生み出され、磨かれているのだった。 「我は、この街がとても好きになりそうだ」 「そうか」 「……グレアム」 「ん? なんだ」 「お前は我に、色々な事を教えてくれる。このような街があると、我は今日初めて聞いた」 「まあ、何を神子さまの耳に入れるか、周りの人間が厳選してるだろうからな」  サーシャの世間知らずぶりを見れば、グレアムにも想像はついた。  強い春風が、道端に散る花びらを巻き上げた。風はサーシャの髪をなぶって吹きすぎる。 「お前はまるでこの風のようだ、グレアム」  サーシャは服に落ちた花びらを手に取った。 「こうして我に、今まで知らなかったものを運んできてくれる」  花びらを見せて笑うサーシャに、グレアムは胸の内で呟いた。 ――運んでくるのは、あんたもだ、サーシャ。 「感謝している、グレアム」  サーシャは掌の花びらをふっと吹き、花びらはまた風に運ばれてどこかへ去った。 「まあ、俺は立場なんてもののない、流れ者だしな。だから何でも言えるのさ」  グレアムは改めて街を眺めた。行くあてのない街。帰属する場所を持たない人々。この街には、様々な事情を抱えたはぐれ者も多い。  グレアムも、この街にどこか親近感を覚え始めていた。  楽しい一日を過ごしたサーシャだったが、その晩に事件は起きた。夕食後、宿の談話室で非番の兵たちがたむろしていると、硝子の割れる派手な音が響いた。 「なんだ!?」  それまでカードに興じていた兵たちの表情は一変した。全員が、凜々しい兵士の顔で椅子を鳴らして立ち上がる。食後の茶を飲んでいたサーシャの側には、グレアムが素早く駆け寄った。隣のテーブルを片付けていた宿の女中が、音に驚いて小さな声を上げた。  一人の兵士が様子を見に行った。しかし、苦笑まじりの顔ですぐに戻ってくると、テーブルの上に何かを放り出した。 「心配ない。誰かがこいつを投げて窓を割ったらしい。ただの悪戯だろう」  それは、卵ほどの大きさの石だった。 「なんだ。脅かしやがって」  皆、口々に安堵のため息をついた。グレアムも緊張を解き、サーシャの隣に座る。兵たちは再びゲームに戻った。  テーブルを拭き始めた女中の娘とふと目が合い、グレアムは何気なく尋ねた。 「こういう事はよくあるのか? 誰が悪戯をしたか、心当たりが?」  娘はくりくりした瞳を見開き、物怖じせずに言った。 「反聖教派の人ですよ! 修道士さまがお泊まりだって、近所の人は知ってますから」 「反聖教派?」 「そういう人たちがいるんです。聖教に反感を持ってて、集会したりビラを配ったり」 「それはもしや、聖教会が街の統合に反対している事が、原因なのだろうか?」  サーシャが尋ねた。 「ええ」  娘は大きく頷く。 「それさえなければ、この街は正式に国の一部になれるのに、とか言ってます」 「そう、なのか……」 「そうなんです! あ、でも私は別にそういうのないですけど! 政治の事はよく分かんないし、教会のオーヴェル司祭さまは、いい人だから好きだし。オーヴェル司祭さまのとこも、しょっちゅう硝子を割られて大変なんですよ。司祭さま貧乏なのにお気の毒で!」 「まさか、教会に!? 石を!?」  サーシャは仰天してしまった。信心深い人々に囲まれて育ったサーシャには、神聖な教会に石を投げるなどというのは、信じ難い行為だった。 「この街の人々にとって聖教の教えは、『自分たちを受け入れないもの』、いわば敵と思われているのだな……」  しょげてしまったサーシャに、娘は慌てた。 「あ、でも! オーヴェル司祭さまなんて、『だからこそ、やりがいがある』って笑ってらして――」  サーシャも少しだけ微笑んだ。 「そうか。機会があれば、その司祭どのに一度お会いしてみたいものだ」  お喋り娘は仕事に戻っていった。サーシャは、先ほど兵士がテーブルに置いた石を手に取って、珍しい物でも見るように見つめた。  その小さな石ころは、サーシャの胸の泉に深く沈み込み、わだかまる事となった。  数日の間は宿で待機するようにと、ミラン中尉はサーシャに言い渡した。グレアムたちの予想に反し、サーシャは大人しく従った。外に抜け出そうとする様子もないので、隊員たちは訝しんで互いに顔を見合わせている。 「サーシャ」  ある午後、グレアムが部屋をのぞくと、サーシャは窓辺にかけて外を眺めていた。 「何してるんだ」 「うん……。別に、何も」  振り向いた表情には、いつもの覇気がない。 「どうした、グレアム。何か用か」 「いや、その。非番になったもんでな、あんたが退屈してるんじゃないかと……」  グレアムは無造作に髪をかき上げた。 「我を気づかってくれたのか」  サーシャはようやく少しだけ笑顔を見せた。 「べ、別に。ただあんたの元気がないんで、皆、火が消えたようだと言っているからな」 「…………」  グレアムはサーシャの側へ寄ると、大きな手を細い肩にかけて顔をのぞき込んだ。 「この間の事を気にしてるのか」 「うん……」  サーシャは突然、グレアムの身体に腕を回し、広い胸に顔を埋めた。 「聖都までもうすぐだというのに、ここまで来て、不安になってしまった。今までは、聖霊の神子としてどのように使命を果たすか、そればかり考えていたのだが……」  甘えるようなサーシャの行動に、グレアムの心は揺れた。それをごまかすため、そしてサーシャを慰めるために、黙って背を撫でる。  サーシャの出生には複雑な事情があるものの、一般の人々に限っては、聖霊の神子を愛し、必要としている――。サーシャはそう信じてきたはずだ。政治上の思惑や極端な信仰とは無縁の、ごく普通の人々。それはサーシャにとって、揺らぎがちな神子としての自信を支えてくれる存在に違いなかった。  しかし実際には、この国の人々が皆、信仰に篤いわけではない。長らくの神子の不在は、人々の心を聖霊から遠ざけた。加えてこの街には特殊な事情もある。  サーシャは今初めて、現実と対峙したのだ。 「人々に必要とされなければ、神子の存在には意味がないではないか……」 「サーシャ。物事の悪い部分だけを見るもんじゃない。神子の存在が救いになる人間だって、大勢いるんだ」  グレアムの言葉に、サーシャは顔を上げた。 「お前にとっても、か? グレアム。あの時のように?」  グレアムは、さっと顔を赤らめた。 「ま、まあな」 「そうか」  素直な声音に喜びが溢れる。  情を交わした相手に、恥じらいも駆け引きもなく向き合うサーシャを見ていると、グレアムの胸には温かくも複雑な想いが込み上げる。  この感情は何だ、とグレアムは思う。 その一部には、確かに罪悪感が含まれていた。激情に任せてサーシャの慈愛につけ込み、無垢なサーシャに触れた。それはグレアムの良心を苛んだ。だがそれでもグレアムは、後悔する気にはなれなかった。 「お前にこうしていると、安心するな」  厚い胸に頬を寄せ、サーシャは呟いた。 「今日はもう非番なのか、グレアム?」 「ああ。出かけたければミラン中尉に――」 「いや。今日は我と『あれ』をしよう」  サーシャはグレアムの顔を見上げ、まるで屈託のない笑顔を見せた。 「なっ!?」 「この前の晩――。あの時我は、お前に必要とされていると強く感じた。だからまたすれば良いと思うのだ。そうすればきっと、こんな不安な気分も消えるだろう」 「い、いや。待て!」 「グレアムは嫌か?」  きらきら光る瞳が、まっすぐにグレアムを見つめた。まるきり色気のない誘いに、グレアムは苦笑したが、同時に様々な想いが胸に交錯する。  愛おしい、と思った。だが罪悪感と愛情はとても似ていて、時に区別がつかないのだと、グレアムは胸の内で己を戒めた。  グレアムはそっとサーシャの身体を離し、しゃがみ込んで目線の高さを合わせた。サーシャに理解できるよう、慎重に言葉を選んで話す。 「サーシャ。あんたにとって俺は、ただの行きずりの人間だ。俺は仕事であんたに雇われているだけで、聖都に着いたら契約は終わる。二度と会う事もないだろう――」  サーシャが聖都に到着して聖霊神殿へ入り、就任式を経て正式な神子の座に着く頃。ちょうどその頃、次の満月がやって来る。 「そういう相手とだな、やたらに『あれ』をするのは、良くない事なんだ」 あの行為をサーシャにどう説明しようかと、グレアムは思案した。 「その、つまりだな。そういう、『恋愛ごっこ』のような事は――」 「恋愛!?」 その言葉に、サーシャは身を乗り出した。 「それは本で読んだ事があるぞ!」 「そ、そうか?」 「本当は、そういう本を読むのは好ましくないと言われていたのだ。しかしどうしても気になって、こっそり読んだ」 「そうか。面白かったか?」 「うん、面白かった。だが実を言うと、良く分からなかった」 「分からなかったのに、面白かったのか?」  グレアムは笑った。 「うん。家族でも師でも友でもない相手――、それも、よく知らない相手に特別な想いを抱くというのが、我にはよく分からなかった。だが分からないからこそ、面白いと思ったのだ。この世には、我の知らないもの想いや人の営みがあるのだと、わくわくした」  サーシャはグレアムの手を取った。 「我はお前が側にいると安心する。お前に触れると心地良い。あの本に書いてあった通りだ。これが『恋愛』なのだな」 「ち、違う。サーシャ」  グレアムは慌てて首を振った。 「言っただろう。恋愛じゃない。『恋愛ごっこ』だ」 「恋愛――ごっこ?」 「そうだ。あんたは今、神子として、自分の存在の意味を見失いそうになっている。その不安から逃げたいだけなんだ」   サーシャを説得しながら、グレアムは自分自身にも同じように言い聞かせた。 「あくまでも、『ごっこ』だ。お手軽に不安を忘れられる。それだけだ」  グレアムはそっと、サーシャの手を離す。 「熱病のようなものだ。病気で熱が出て、頭がぼんやりして、どこか心地よい事があるだろう。あれと同じだ。だが、すぐに冷める」 「そうなのか……? では我とお前は、あの本にあったような、『恋人』ではないのか?」 「それは、ち、違う」 「お前が言うのなら、きっとそうなのだろうな。お前は色々な事を知っているから」  サーシャはがっかりした顔をした。 「サーシャ。あの事は忘れよう。人の営みをしてみたかっただけなんだ、あんたも俺も」  グレアムは、そう言い残して部屋を出た。

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