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第十一章 恋愛ごっこ
考える時間ならたっぷりあった。出かける気は失せていたし、すべき事も特になかった。いつもならこんな時は歌って過ごすのだが、ここではそれも憚られた。なのでサーシャはサーシャなりに、グレアムの言った事をよく考えてみようと思った。しかし考えるほどに頭の中はこんがらがり、終いには何を悩んでいるのかさえ、分からなくなってしまった。
「ああ、もう」
サーシャは頭の上で両手を組んだ。
「この問題は、我には少し荷が重いようだ」
独り言を呟き、思いきり背を伸ばす。
「……そうだ」
風呂に入ろう。サーシャは勢いよく立ち上がった。
逗留先の宿には大きな共同浴場があり、風呂好きのサーシャは気に入っていた。湯に浸かって頭がすっきりすれば、良い考えも浮かぶだろうと、サーシャは浴場へ向かった。
大きな浴槽には薬草が浮かべられ、爽やかな香りが浴場に広がっている。サーシャは熱い湯に入り、ほっと息をついた。浴場はテラスを挟んで庭に面していて、テラスへの大きな両開きの扉は開け放されている。外気が頬を撫でる心地良さに、サーシャはうっとりと目を閉じた。
梢がガサガサと音を立てた。サーシャが瞼を開くと、テラスの外側、花をつけた灌木の陰から、見覚えのある尻尾がのぞいている。
「竜どのではないか。そんな所でどうした」
サーシャが声をかけると、ミニ竜はひょっこり顔を出した。
「湯に入らないのか?」
「入りに来たんだけどよー」
竜はもじもじしている。
「でもよー」
「どうした。こっちへ来て一緒に入ろう」
「……いいのか?」
「ん? こんなに広いのだから、二人で入ってもまだまだ余裕があるぞ」
サーシャは両腕を広げ、ぱしゃぱしゃと湯をかいてみせた。竜は躊躇いつつやって来て、小さな身体をぽしゃんと湯に沈めた。
「湯が好きなのか」
「うん。俺はこう見えて水竜だからな!」
「ほう、そうだったのか」
「……お前、嫌じゃないのか?」
竜はいつになく真顔でサーシャを見た。
「何がだ?」
「魔族と一緒に、風呂入るの」
「なぜだ。別に嫌がる理由はないだろう」
「そっかー」
竜は嬉しそうに笑った。
昼間の浴場には二人の他に誰も来る気配がなく、竜は楽しげに泳ぎ始めた。
「見事な泳ぎだ」
サーシャが感心して見ていると、竜はにやりと笑い、尻尾で水面を打った。水しぶきがサーシャに降り注ぐ。
「やったな!」
サーシャもやり返す。浴場に二人のはしゃぐ声が響いた。
「はは。降参だ。水竜どのには敵わない」
サーシャは手を上げて水しぶきを避けながら、笑った。
「あ、笑った」
竜が呟く。
「ん?」
「さっき、なんか悲しそうな顔してただろ」
「そう、だったか?」
「うん」
「そうか。見られてしまったか」
サーシャは少しだけ肩を落とした。
「誰かに苛められたのか?」
「そんな事はない」
「じゃあ、どうしたんだ?」
「うん……」
サーシャは口ごもった。
「実は、よく分からないのだ」
「へ?」
「分からないのだが……、なんだか悲しい事を言われたような気がするのだ」
「分かんねえのになんで悲しいんだ?」
「分からない」
「???」
「分からない事が悲しいのか、それとも分からないけれど悲しいのか、それも分からない」
「俺にもさっぱり分かんねえ!」
竜とサーシャは顔を見合わせた。
「えーと、つまりそれは、すごく難しい問題なんだな?」
「そのようだ」
「じゃあ初めから詳しく話せよ。俺様が知恵を貸してやる!」
竜は胸を張った。
「おお、そうか! ありがたい。実は――」
サーシャは竜に、グレアムの言った事を話して聞かせた。だがその間にも、竜の首の傾げ方は深くなるばかりだった。
「――と、グレアムは言うのだ。竜どのは、どう思う?」
「うぅ~ん……」
答えを期待するサーシャの眼差しに、竜はたらたらと汗を流した。
「やはり、竜どのにも難しいだろうか」
「ま、待て! 今考えてる!」
「そうか」
「えーと、その。要するにだな……」
「うん」
「あんたは今、ちょっと自信がなくなって、がっかりしちゃってるんだろ?」
「そのようだ。我はこの街がとても好きになったのに、街の人々は聖教の教えを疎ましく思っていると知って……」
「でもさあ、それって落ちこむようなことなのか? だって皆はべつに、あんたをいらないって言ってるわけじゃないだろ。その、聖教をいらないって言ってるだけじゃんか」
「いや。それは違う」
サーシャはきっぱりと言った。
「我は聖霊の神子だ。人々に聖神の教えを伝え、聖霊との絆を結ぶのが役割だ。その人々に聖教は必要ないと言われれば、それは我自身が必要ないと言われるのと同じだ」
その時サーシャはふと思い出した。そういえば、前にグレアムがそんな事を言っていた。神子ではないサーシャ自身、とか――。
「うーん。俺にはよく分かんねえけどさ、」
竜は小さな腕で腕組みをした。
「いらないって言われたら、そりゃ悲しいよな。それは俺も分かるぜ。俺だっていっぱい言われるけど、その時は悲しいもん」
「そういう時、竜どのはどうするのだ?」
「きれいな石見るんだ。あと、おやつ食べる」
「なるほど」
「でもあんたは、『神子にいてほしい』って、皆に思ってもらいたいんだよな?」
「そうだ」
「で、悲しくなくなればグレアムもいらないし、問題解決ってわけだよな?」
「え?」
サーシャは、きょとんとして竜を見つめた。
「それはやはり、悲しい事のような気がする」
「へ? ……それってもしかして、お前あいつのこと好きなんじゃねえの」
「もちろん好きだぞ。だがグレアムは、それは『恋愛ごっこ』なのだと言った」
「うーん。難しいなあ」
「それに、好きというなら我は竜どのだって好きだ」
「そうか?」
竜は尻尾を振って照れた。
「それから苺も好きだ」
「俺はりんごの方が好きかな」
「…………」
「…………」
「恋愛と恋愛ごっこは何が違うのだろう?」
「恋愛ごっこってのはさ、アレだろ。要するに……、『あれ』のことだろ?」
「そうだ」
「じゃ、じゃあさ!」
竜は身を乗り出した。
「俺ともやってみようぜ! 恋愛ごっこ!」
「ええっ」
「楽しそうだし、俺もやってみたい!」
「そうか。竜どのとも恋愛ごっこをすれば、恋愛ごっこの事がもっと分かるかもしれないな。そうすれば、恋愛と恋愛ごっこの違いも分かるだろう。良い考えだ!」
「だっろ~!?」
竜は得意げに鼻を鳴らしてみせた。
「じゃあそうと決まれば、準備するぜ!」
「えっ」
竜は小声で何やらモゴモゴと呪文を唱えた。一瞬、辺りに煙のようなものがたちこめ、サーシャの目が眩む。だが次の瞬間――。
ポンッ!
「な、なんと!」
サーシャの前に、同じ年頃の少年が立っていた。太陽のような赤毛に、はしっこそうな黒い瞳。口元には生意気な笑みを浮かべ、尖った犬歯がのぞいている。
「これは、どちら様」
「俺だよ! 竜だ!」
素っ裸の少年は小麦色の身体をくるりと返し、サーシャに背を向けた。人の姿をしているが、尻にはあの尻尾がある。
「俺は人型にもなれるんだ!」
「おおっ! これはすごい!」
「えっへん」
竜は腕組みし、サーシャの前に仁王立ちした。小ぶりの性器がふるふると揺れる。
「じゃあ、やってみようぜ!」
「よし」
二人は湯の中で静々と近寄り、向かい合わせに座った。
「…………」
「…………」
「まずは、どうすれば?」
「えっと。とにかく、このふにゃふにゃしたやつをどうにかすればいいんだろ?」
竜はいきなり、湯の中でサーシャのそれを掴んだ。
「んひゃあっぁぁ!!」
「お、おいっ」
竜は驚いて後ずさった。
「変な声出すなよ! びっくりするだろ!」
「す、すまぬ。だが……」
サーシャはもじもじしながら、なんだか恥ずかしくてそこを手で隠した。
「いいから俺様に任せとけ! なんたって俺は、百年も生きてるんだからな!」
「なんと。そうなのか」
「こう見えて、お前よりお兄さんなんだぞ」
「それは頼もしい。では、よろしく頼む」
サーシャは真面目な顔で頭を下げた。
「よ、よし。じゃあお前は慣れてないみたいだから、最初は手加減してやる」
竜は再びサーシャの股間に手を伸ばした。湯の中で半ば浮いたようなそれを、指先で軽くつつくと、逃げるようにふわふわと動く。
「うふふ……」
竜は小さな犬歯を見せて笑った。
「ぷにゃぷにゃして、触り心地いいな!」
「ん、んっ」
サーシャは目を閉じ、口元を手で隠す。顔が真っ赤だ。なんかかわいいな、と竜は思う。
「えい」
「ん、ぁ」
サーシャが小さく声を上げた。そこで竜は、今度はそれをつまんでみた。
「ふ……ぁ」
サーシャが薄く瞼を開く。翠と青の瞳が、竜を見ている。きれいな石みたいだと思いながら、竜は掌でサーシャ自身を包み込んだ。
「あっ! 今なんかちょっと動いた!」
「おおっ!」
二人は揃ってそこに目線を落とした。
「よし。いい線いってるな」
「次はどうするのだ?」
「えーっと」
竜は今までに何度か見た「あれ」の事を、一生懸命思い出そうとした。
「え、えっと。お前も思い出せよ。あいつ、どういう風にやってた?」
「知っているのではなかったのか」
「だ、だって。人間のやることなんて興味なかったから、あんま見てなかったし。なんか見ちゃいけないような気もしたし……」
「頼りないな」
「しょうがないだろ! 俺だって竜の寿命で言えば、お前と同じくらいの歳なんだから」
「なんだ。そうなのか」
「い、いいから頑張って思い出せって」
「ええと、そうだな。どうだったか……」
サーシャも記憶をたどる。
「あの時は、グレアムはそこをたくさん撫でてくれたように思う。だが実を言うと、我はとても気持ちが良くて夢中だったので、グレアムのする事をあまり見ていなかったのだ」
「そっか。うまくやれば、それだけ気持ちよくなるってことだよな。よし!」
竜は指の腹を使い、子猫の頭を撫でるように優しく先端を撫でてみた。
「あ、アッ」
サーシャの身体がぴくりと跳ねる。
「おっ」
調子づいた竜は、さらにくりくりと撫でた。
「あ、ぁ、――ッ、は、ふ……」
「やった! さっきより大きくなってる」
竜は大きさを確かめるため、それをぎゅっと握り込む。
「――んあああぁっ!!」
サーシャは大きく仰け反った。指先が縋る先を求めて湯の中で彷徨い、だらりと伸ばされた竜の尻尾に当たる。サーシャは思わず、それを握りしめた。
「んひゃぃやぁぁ!!」
今度は竜が、まるで猫のような声で鳴いた。
「ん、ん?」
竜はくたりと脱力している。
「ど、どうしたのだ!?」
見れば、竜の股間のそれが元気よく自己主張していた。褐色の肌の上、つやのある赤みを帯びたそれは、まるで食べ頃の苺のようだ。
「触れてもいないのに、どうしたわけだ」
サーシャは試しに、尻尾をさすってみた。
「ひ、ぁ、ちょ、ちょっと、ま、」
竜はぷるぷると身体を震わせる。
「あ、すまない。嫌なのか」
「う、えっと、嫌、じゃない……」
「では、気持ちが良いのか?」
「え、えっと。分かんない」
「分からないとはどういう事だ。心地良いか悪いかは、己で分かるだろう?」
「わ、分かんねえんだから仕方ねえだろ!」
「とりあえず、続けてみても良いか?」
「うん……」
指で輪を作り、鱗に沿って根元から先端に向けてゆっくりしごくと、竜は切なげなため息を吐いた。
「あ、あっ……ふぅ」
「竜どの、本当に大丈夫なのか?」
「うん……。き、気持ちいい」
「そうか」
どうやらうまく「恋愛ごっこ」ができているようだ。サーシャは嬉しくなった。
「ふむ。こうして尻尾を擦れば良いのだな」
だんだん要領を掴んできたサーシャは、手を動かしながら呟いた。
「だが、尻尾のない我はどうすれば」
「さ、サーシャっ!」
竜が手を伸ばし、サーシャの性器に触れた。
「あ……っ」
竜もサーシャの真似をして、それを扱く。
「お、お前も気持ちいいか?」
「う……、うん」
二人は目を閉じた。身体を寄せ合って互いに愛撫を続けると、サーシャは、竜と前より仲良くなれた気がした。
「んッ、ちょ、ちょっと……待て……!」
哀願するような声にサーシャが目を開けると、竜はなんだか辛そうな顔をしている。
「どうした。痛いのか?」
サーシャは慌てて手を止めた。
「ち、違、う……。なん、か」
「どうした」
「俺、なんか、出そう」
「え?」
そう言われてサーシャは、あの時、「何か出た」事を思い出した。急いで竜に教える。
「きっと、これが正しいやり方なのだ」
サーシャは得意げに言った。
「そ、それは、いい、けど……」
竜は、ハアハアと荒い息をつく。
「待て。湯の中で出したらだめだ」
サーシャは竜の両脇に腕を差し入れて立たせ、浴槽の脇に座らせた。
「ここなら良いだろう」
また尻尾を扱き始めて、ふと思いつき、もう片方の手で性器にも触れてみた。
「あ、あ――!!」
竜の身体が跳ねた。同時に、性器の先端から熱い体液がほとばしる。
「んアッ、あ、あふっ、あッ」
何度かそれを滴らせながら、竜はビクビクと痙攣するように身体を震わせた。
「ふ……」
サーシャはなぜか少し誇らしく、幸福な気分で、ぐったりと崩れ落ちた竜を抱き止めた。落ち着いてからぬるま湯をかけて身体を流してやると、竜はうっとりと目を閉じた。
「大丈夫か?」
「うん……」
サーシャも竜の隣に膝を抱えて座った。ふと思い出して見れば、サーシャの性器はすっかりいつもの状態に戻っていた。
「あっ」
「あれ」
二人は顔を見合わせた。
「正しく『恋愛ごっこ』ができただろうか」
「初心者だし、こんなもんじゃねえか? で、何か分かったのかよ?」
「うーん」
サーシャは腕組みをして考えた。
奇妙な充実感と、何か物足りない感じが胸に交錯していた。正直なところ、グレアムとの「恋愛ごっこ」とは、何か違う気がした。竜にそう言うと、竜も首を傾げた。
「うーん。何が違うんだろ。難しいな」
「何と言えばいいのか。あの時はもっと、こう、身体が熱かった気がする」
「今も熱いぞ。これよりもか?」
「ええと。いや、違う。ここが熱かった」
サーシャは胸に手を当てた。
「そうだ、思い出した。胸が熱くて、鼓動が早くて……、少し恐ろしかったのだ。なのに、それが嬉しくて」
「なんだそれ、複雑だな。じゃあとりあえず、もっと身体を温めればいいんじゃねえか?」
「そうか。では湯に浸かろう」
二人は並んで、肩まで湯に浸かった。
「ああ~。温かい水、気持ちいいな」
竜はのびのびと身体を伸ばした。健康的な長い手足が、サーシャの目には眩しく映る。
「竜どのは、どうだった? 恋愛ごっこは」
「うーん」
竜は両腕を上げて大きく伸びをした。
「結構、いいな」
サーシャも微笑んだ。
「我も、以前より竜どのの事を好きになった気がする」
「そ、そうか?」
竜は照れて尻尾を振った。
「よし。身体が温まったら、再挑戦だ!」
「よし!」
「サーシャ! 竜! ここにいるのか?」
突然、浴場の戸が開かれた。
「うわっ」
「わっ」
二人が振り向くと、グレアムが立っている。
「脅かすなよ! 風呂に入るなら、服ぐらい脱いでこいって」
「お前たちの姿が見えないから探しに――、って、竜、どうして人型になってるんだ?」
「サーシャと『恋愛ごっこ』してたんだ!」
竜は胸を張った。
「な……っ!?」
「竜どのとも恋愛ごっこをすれば、お前の言う事がよく理解できるかも、と思ってな」
「結構うまくできたんだぜ! なっ?」
「うん」
二人は得意げに頷き合う。
「れ、恋愛ごっこ、って……、まさか……」
「なんか出た」
竜は、尻尾でぱしゃんと水しぶきを上げた。
「お、お前たち――!」
「ん?」
「どうしたのだ、グレアム?」
「サーシャ!! 竜!!」
グレアムはずかずかと大股で歩いてくると、二人の腕を掴んで浴槽から引っ張り上げた。
「だ、だめだ! そういう事は、き、気軽にするもんじゃない!」
「へ? なんでだよ」
「何でもだ!」
「それじゃ、わっかんねーよ!」
竜は唇を尖らせる。
「グレアム、」
サーシャはおずおずと尋ねた。
「お前は、恋愛『ごっこ』と言った。それはつまり、重要ではないという意味ではないのか。なぜ気軽にしてはいけないのだ?」
「う……、それはその……、」
サーシャが曇りのない眼で見つめている。
「つまりあれは……、『特別』な事なんだ」
「『特別』?」
「そ、そうだ。特別だから、やたらにするもんじゃないんだ」
どうにかこれで納得してくれないだろうかと、グレアムはサーシャの顔をうかがった。
「そうか。『特別』か……」
「そうだ」
サーシャは、にっこりと笑った。
「なんとなく安心した」
特別、という言葉は、なぜかサーシャの心をなだめたのだった。
「ふーん」
竜も、分かったような分からないような顔をしている。グレアムは安堵のため息をつき、二人の腕を引いた。
「さあ、部屋に戻っ――、」
ところが二人の身体は突然クタクタと脱力し、グレアムの腕の中で崩れ落ちてしまった。
「お、おい! どうした!?」
「あ、熱い……」
「のぼせた……」
見れば二人の肌はすっかり上気して、桃色になっている。
「おいおい……」
グレアムは二人を両脇に抱えて呆然とした。
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