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第十八章 満月
今夜の満月は、一際大きく見える。
グレアムは荷造りの手をふと止めて、窓からその月を見上げた。しかしすぐ作業に戻る。
誰かが部屋の戸を叩いた。
「グレアム。入ってもいいか?」
「ああ、ちょっと待て」
グレアムは慌てて荷物を寝台の下に隠した。
「入れよ」
扉が開き、サーシャがひょいと顔をのぞかせた。まるでかくれんぼをする子供のようだ。
「どうしたんだ、こんな夜更けに」
「用はないのだが、なぜか胸騒ぎがしてな」
サーシャは口ごもった。
――いい勘だな。
グレアムは黙って瞳を伏せる。
「もう寝支度をしていたか? すまない」
サーシャは妙に整頓された部屋を見回した。
「いや、まあ、適当に座れよ」
「うん」
サーシャは寝台にちょこんと腰を下ろした。グレアムは思わず笑みをこぼす。
「そうしてると、まるでガキみたいだな」
「ちゃんと成人しているぞ」
「……そうだな。就任式では違って見えた」
グレアムも、サーシャの隣に腰かける。
「立派な神子さまだった」
その言葉に、サーシャは少し頬を染めた。
「……我はお前に礼を言いたい、グレアム」
「俺に?」
「今回の旅で、お前は我に、様々な人の営みを見る機会をくれた。それはこれから先、我を守り力づけてくれるだろう」
顔を上げたサーシャの瞳は、生き生きと輝いている。グレアムは手を伸ばし、柔らかな金髪をゆっくりと撫でた。
「あんたは神子らしくだけじゃなく、人間らしくなった」
――だからもう、大丈夫だな。
温かな晩だった。窓から吹き込む心地良い夜風に、サーシャはうっとりと目を閉じる。風は金色の睫毛をかすめ、通り過ぎていった。
「お前は我の人生に吹いた、一陣の風だ」
サーシャはまっすぐにグレアムを見つめた。グレアムの心臓が時を止める。言葉は途切れた。グレアムは、この美しい二色の瞳から、目を逸らす事ができなかった。ただ見つめているだけで、幸福感が背中を駆け上がる。それはグレアムの手足を縛りつけ、心を絡め取り、身動きできなくしてしまうのだった。
そしてサーシャもまた目を逸らさなかった。
「サーシャ。俺は……、」
グレアムはサーシャの手を引き寄せた。
「誰かを大切に想う事など、もうできないと思っていた。時が目の前を通り過ぎるのを、俺はただ眺めていた。そして、そういう自分にいつしか慣れてしまっていた……」
グレアムは、サーシャをきつく抱きしめた。
「だが結局、人は何かを大切に想うようにできているんだな」
長い長い口づけの後で、唇がそっと離れた時、サーシャはおずおずと尋ねた。
「グレアム。その……、これは、恋愛ごっこなのか?」
「違う。サーシャ」
グレアムは首を振る。
「俺には過去も未来も、永遠もない。今この瞬間しか、俺にはない。それでも、俺は愛したいんだ」
――魔物よ。お前は俺の過去と未来は奪えただろう。だが、今この瞬間、一瞬ごとの煌めきだけは奪えるものか。
グレアムはサーシャの細い首筋に、食らいつくように口づけた。
「あっ」
サーシャがおののく。
「い、嫌か?」
まるでうぶな少年のように上ずった自分の声に、グレアムは思わず頬を染めた。まるで自分の声でないような気がする。
「……心地良い」
サーシャがそう言って首に腕を回すのに、笑ってしまうくらい安堵する。
背や肩を撫でると、サーシャは安心しきった顔で掌の感触を楽しんでいる。グレアムは迷った。今まで幾度か身体に触れたが、今夜グレアムがしたい事は、違う。
「サーシャ」
「ん?」
「その……。最後まで、しても、いいか」
「最後まで?」
サーシャは咄嗟にその意味が分からないようだったが、次の瞬間、頬を染めた。
「一応、知識はあるんだな」
「うん。その、本で……。師が、正しく学んでおきなさいと言って。知った上でどうするか、己で選ぶ事が大切だと教えてくれた」
「それであんたは……、どっちを選ぶ?」
「我は……、お前と、」
サーシャは少し不安げな顔をしたが、
「愛するという、人の営みをしてみたい」
そう言ってグレアムの頬に口づけた。とろけるほど柔らかい唇に、グレアムは目眩を起こす。サーシャの襟元に手をかけて純白の衣装をはだけさせると、仕立ての良い柔らかな布は、微かな衣擦れの音を立てて肌の上を滑り落ちた。グレアムもシャツを脱ぎ、胡座をかいて腿の上にサーシャを乗せる。抱き寄せて、首の後ろから背を伝い、尻まで身体の輪郭をなぞるように撫でると、それは彫刻のように滑らかな曲線を描いていた。
「……熱い」
サーシャが呟く。
「お前の触れた所が、熱を持ってうずく」
それはサーシャにとって未知の感覚だった。触れられた肌は自ら脈打ち、呼吸をし始める。まるで別な生き物のようだ。竜と「恋愛ごっこ」をした時は、こんな風にならなかった。
「ずっとこうして、触れられていたい」
サーシャはグレアムの肩口に頬を寄せた。
「……触れてやる。もっと」
グレアムはすべすべした小さな尻をしっかりと抱え、少し乱暴なほどの力で引き寄せた。二人の裸の胸がぴたりと密着する。
グレアムが身体をすり寄せてくると、サーシャの下腹部に何か熱くて固いものが当たった。そしてサーシャの敏感な部分に触れる。
「は、っ、あぁ!」
サーシャは宙に浮き上がるような声を上げた。グレアムが腰を動かして、固いものをそこに擦りつけてくる。そのたびに、じんじんと痺れるような快感が身体を駆け抜けた。
「んッ、ん…っ!」
「はぁ……っ」
グレアムが吐息まじりの声を上げた。触れているものが、さらに固くなった気がする。
「ん、んッ」
僅かに腰を動かして自分に応えるサーシャを、このまま一息に貪りたい。衝動がグレアムの下腹部を責め立てた。だが反対に、こうしてただ優しく触れ合っていたい、とも思う。矛盾した欲望の間で、グレアムは波間に揺れる木の葉のように漂った。
白い胸元に唇を寄せると、その肌からは甘い香りがする。ゆっくり唇を這わせ、芽吹く前の蕾のような突起に口づける。
「あ、アッ!」
サーシャの身体が大きく跳ねた。舌先で軽くそこを舐めると、サーシャは震えるほどの快感を恐れたようで、身構えたのが分かった。
「大丈夫だ、サーシャ」
グレアムは唇を離し、小さな耳たぶを噛む。
「んッ、ぁあ……!」
耳たぶに甘噛みを繰り返しながら、胸の突起を軽くつまんで擦り合わせる。無垢な肌は、浜辺に寄せた波が白砂に染み込むように、グレアムの与える快楽をいともたやすく吸い込んだ。
「は、ぁ、あ……ッ、んぁ……ふっ」
いつの間にか熱く昂ぶっていたサーシャ自身が、グレアムに訴えかける。
「ひ、ああぁ!」
軽く一撫でしただけでサーシャは悲鳴に近い声を上げ、グレアムにひしとしがみついた。
「そのままつかまっていろ、サーシャ……」
グレアムが囁くように自分の名を呼ぶ。それがサーシャには、なぜか嬉しかった。名を呼ばれる、ただそれだけの事なのに。
「ん、ん…っ、グレアム……」
サーシャも耳元で呼んでみた。自分も名を呼びたいと思ったのだ。
「ん、なんだ。サーシャ……」
甘く優しい声でグレアムが答えた。
「グレアム。お前が我にする事は、全部気持ちが良いのだな。身体を撫でられるのも、お前の声も、肌も、全て心地良い」
「……!」
突然グレアムは、まるで何かに突き動かされたように、サーシャを腿の上から下ろして寝台に押し倒した。そして残りの服を脱ぎ捨てる。無造作な仕草が男らしくて格好良く、サーシャはまじまじとグレアムを見つめた。しかし、
「……そんなに見るなって」
照れたように呟いたグレアムの顔は、今度は少年のように見えた。
寝台の上で裸の身体を重ねると、グレアムの重みが嬉しくて、サーシャはうっとりと目を閉じた。口づけをねだるようなサーシャの仕草にグレアムが応えると、サーシャは戸惑う事なくグレアムの唇を食み、小さな舌で恥ずかしげにグレアムの舌先を舐めた。
「ん、んふ…ッ」
愛撫をすれば、無垢であるが故に恥じらいを知らないサーシャは、素直に声を出す。
「こうして触れ合っていると、まるでお前に包まれているようだ」
首筋に腕を回してサーシャが言う。
「そうか。じゃあここも、包んでやろう」
グレアムはそう言って手を伸ばし、戸惑うように頭をもたげたサーシャの分身を、大きな掌で包み込んだ。
「んふ……あ…っ」
薄紅色に頬を染めたそれは、喜びに身を震わせた。扱くと手の動きに合わせるように、身体がビクビクと跳ねる。まるで、心誘う音楽を奏でる楽器のようだ。
「んぁ、あ、アッ、……っ!」
「ここは、気持ちいい、か?」
「うッ、う…ん」
快感に飲み込まれながら、サーシャは必死でこくこくと頷いた。
「ちょっと待ってろ」
「?」
グレアムは何やらごそごそと寝台の下を探り、金色の香油が入った小瓶を取り出した。蓋を開けると甘い香りが広がる。グレアムは香油をたっぷりと掌に取り、その手で再びサーシャ自身に触れた。
「……ひぁ…っ」
ぬるりと滑らかな感触に、サーシャは弓のように背を反らせた。
「あ、ぁ、……んぁあああ!」
擦り上げ、包み込むように扱いてやると、サーシャは必死にしがみついてきた。少しずつ動きを早くすれば、それはすっかり成熟して熱く固くなり、グレアムを誘った。
「んぁっ、あ、あ、ま、待っ、」
容赦ない愛撫の手にサーシャは縋る。
「大丈夫だ」
グレアムはサーシャの耳元で囁いた。
「気持ちが良ければ、そのまま身を任せていろ。抵抗しなくていいんだ」
「ん――ッ、う、うっ、――ん、あ、あぁ」
言われた通りに身体の力を抜く素直さが可愛い。グレアムがあれこれ試していると、サーシャはふと目を開いた。そして安心したような顔で体重を預けてくる。
「これが一番好きか」
「ん……っ」
グレアムがそのやり方でさらに触れると、先端からとろりと甘い蜜が零れた。
「あ、ふ、んあ、あ、グレアムっ」
自分を呼ぶサーシャの声に、グレアムは思わず吐息を漏らした。まるで美酒を楽しむように瞳を閉じ、その声をじっくりと味わう。
「あ、グレアム……っ、ま、待っ……」
「どうした?」
哀願の声に、グレアムは慌てて目を開けた。
「な、なんだか、変、な……、」
「堪えなくていい、サーシャ」
「あ、あ、――ふぁぁ…ッ」
切なげな喘ぎを上げ、サーシャは大きく身震いした。その瞬間、グレアムの指に温かい精が零れる。
「んんっ、……ふ」
「おっと」
ぐったりと脱力し崩れ落ちた身体を、グレアムはしっかり支えてやった。
「そんなに……、気持ちよかったか?」
「うん」
サーシャは微笑んだ。何の媚態も見栄も知らないサーシャの微笑みが、長い年月の間にもつれて絡んだグレアムの心を、ゆるゆると解いていく。
「サーシャ……」
グレアムはサーシャを引き寄せ、先ほどまで触れていた部分の、さらに後ろへ指を伸ばした。自分もサーシャにならい、年上の余裕を見せねばという気負いを手放そうと思った。
「!!」
サーシャは驚いたようだ。しかしグレアムはしっかりとサーシャを捕らえたまま、濡れた指先で小さな窪みをそろりと撫でた。
「ひあぁ……」
力の抜けたような声でサーシャが鳴いた。香油で卑猥な音を立てながら何度も撫でると、さすがに恥ずかしいのか、頬が染まる。
「んっ、や、グレアム……っ、そ、んな、とこ……、触っ、」
「恥ずかしがらなくていい」
こんな場所をグレアムに触られていると思うと、恥ずかしい。それなのに、そんな部分にまでグレアムが触れてくれるのが、嬉しい。サーシャは未知の感情に戸惑った。
「あ、ぁ、んっ、ふっ」
グレアムが少し指を立て、内部に触れた。
「ひっ……あ!?」
サーシャは瞳を見開いた。
「大丈夫だ。力を入れるな」
「し、しかしっ……」
慌てるサーシャを抱きすくめ、グレアムはさらに指を進めていく。
「そっ、そんなところに指を、入れ……っ」
「こうして慣らせば、痛くないから、な」
「ん、んッ」
「この奥に気持ちいい場所があるから、な」
何度も優しく言い聞かせるようなグレアムの口調に、サーシャは薄目を開けた。
「お前は本当に、いろんな事を知っているのだな」
「べ、別に経験豊富ってわけじゃないぞ!」
思わず弁解めいた事を言ってしまった自分が、なんだか可笑しかった。それはとても幸福な愉快さで、グレアムは、少しの間にずいぶん変わったものだと、くすぐったい思いでそんな自分を受け入れた。
「そら……、もう少しだ」
じわりじわりと埋めていく指を、サーシャの可愛らしい窪みがきゅうと締めつける。
「あ、あぁっ、ん、あ、」
「ほら……、」
ぷくりと膨らんだ部分に慎重に指先を当て、優しく一撫でする。
「ひ、う――ぁあ……ッ!」
サーシャは大きく身を捩った。
「あッ、な、に……、ふあぁ……っ」
戸惑う唇を口づけで塞ぎ、ふくふくと柔らかいその部分を幾度も擦る。
「は…あっ、あ!」
恍惚の声は翼を広げ、グレアムを掴んで宙に引き上げた。そして高みへと誘う。
「サーシャ、サーシャっ!」
「あっ、あ、あぁッ……」
肉が柔らかく開き、グレアムを受け入れる準備ができてくる。グレアムは熱く昂ぶる己自身を、サーシャのそこに押し当てた。
「あ、あ!」
「サーシャ……。いい、か?」
そう問いかけたグレアムも、サーシャと同じだけ不安に揺れている。
「……お前がしてくれる事なら、いい」
熱に浮かされた瞳で、サーシャは微笑んだ。
「は……っ、」
長い間、時の流れと人の営みの外にあったグレアムは、ただ一人の人を見つけたとばかりに食らいついた。
――忘れない、俺は。
ゆっくりと体重を乗せていく。サーシャの足を抱え、身体が楽になるように支えた。
「あ、ふ、ぁ……っ」
サーシャの声が少し怯えていたので、グレアムは身体を引いて額に口づけを落とした。そしてまた、少しずつ奥へと進んでいく。
――お前が忘れても、俺は、忘れない。
「サーシャ。少しだけ、我慢できるか?」
「んっ、ん?」
グレアムは、少し強引に身体を進めた。
「い、っ!」
サーシャの身体が逃げる。しかしグレアムはもう、己を抑えられなかった。少しでもサーシャが辛くないよう、口づけを落とし、髪を撫で、優しくなだめながらゆっくりと挿入する。サーシャも抵抗せず、受け入れようと歯を食いしばっている。
「サーシャ。俺の、神子……」
グレアムは、一気にサーシャを貫いた。
「あ、あああぁぁ……っ!」
熱く蠢くサーシャの内部が、グレアムを締めつけている。グレアムも思わず呻いた。
「そら。一番奥まで、入ってるぞ……」
「ほ、ほんとう……か」
うっすら開いた瞳に涙を滲ませ、サーシャが下腹部を見た。その表情に、無理をさせてしまったかとグレアムは慌てた。
「だ、大丈夫か。辛いか? もう抜くか?」
「へ、へいき、だ」
「無理しなくていいんだぞ、サーシャ」
しかしサーシャは首を振った。
サーシャは、心地良い痛みというものがあると初めて知った。身体が裂けてしまいそうなのに、それは甘美で――、痛くても、グレアムとこうして身体を繋げていたかった。グレアムにそう告げると、グレアムはおかしな声を出した。
「だ、めだ、サーシャ……」
切羽詰まった手が、柔らかい金髪をくしゃりと揉む。
「少し……だけ、動いて、いいか……?」
こんなに余裕のないグレアムを見るのは、初めてだ。サーシャはなぜだか嬉しくなった。
「へい、き、だ……ぞ」
「あ、あっ、サーシャ!」
グレアムが一度身体を引き、ぐい、とまた奥に入ってくる。受け止めきれないほどの快感と痛みに身悶えても、サーシャは、この痛みが喜びの代償なら少しも構わないと思った。
「――はあ…ッ」
グレアムの息づかいが次第に荒くなる。少しずつ、動きが速く、力強くなっていく。
「あ、あ、んっ、ぁ、はふっ」
身体の奥から何かが湧き上がるような衝動に、サーシャは震えた。
「ぐ、グレアムっ、あ――」
どくん、と身体が脈打った。快感が稲妻のように全身を駆け巡る。サーシャはただそれに翻弄されて、溺れた子犬のように無力だった。耳元でグレアムが低く呻いたかと思うと、身体の中心に熱が解き放たれた。
「ひぁっ、あ――!! あ、んぁあああっ!」
「くッ……、サーシャ、」
グレアムは、声を絞り出すようにしてもう一度、サーシャの名を呼んだ。
――忘れない。
熱い身体をしっかりと抱きしめる。
――二度と会えなくても。俺はお前を愛した事を、ずっと覚えているだろう。
様々なわだかまりも、恐れも、気負いも、悲しみも、孤独も、グレアムの心を占めていた余計なものは全て、熱と一緒に吐き出されてしまった。その後に残ったのは、ただ、サーシャが愛しいという想いだけだった。
窓から吹き込む涼しい風が、火照った身体を心地良く冷やす。風は薄いカーテンを巻き上げて、月光が寝台の上を照らした。寝そべるサーシャの白い肌が、彫像のように光り輝く。
閉じた瞼の裏が急に明るくなったので、サーシャは目を開けた。身体を起こし、寝台脇の大きな窓から空を見上げる。夜空には満天の星、そして満月がかかっていた。
「見事な月だ」
サーシャはグレアムの方へ振り向きながら、月を指差した。
「見ろ、グレアム。とても綺麗だ」
白銀の月を背景に窓辺にもたれる裸体は、完成された絵画のように美しかった。
「ああ。綺麗だな。忘れていた……」
グレアムも肩を並べて月を見上げる。
「我も、あの月のようになりたい」
サーシャは、焦がれるように月を見上げた。
「明るい陽の下では、ものがよく見える。だがその光が眩しすぎて、見えなくなってしまうものもある。ちょうどあの星々のように」
白い指先が天を差す。
「闇の中で初めて見えるもの――、我は、そういうものをも照らす神子になりたい」
「なれるさ。あんたなら」
グレアムはサーシャの額に口づけた。サーシャがあの月のように人々を見守っているなら、自分はいつどこにいても、サーシャの愛を感じる事ができる。グレアムはそう思った。
「そろそろ眠れ。明日も務めがあるだろう」
横にならせ毛布をかけてやると、サーシャは不満げに唇を尖らせた。
「まだ、眠りたくない」
だが言葉と裏腹に、もう微睡みかけている。
「子供みたいな事を言うな」
グレアムは笑った。
「明日は――、」
サーシャはそっとグレアムの手に触れた。
「二人で、あの東屋へピクニックに行こう……。『デート』だ……」
サーシャは幸福そうに微笑んだ。
「……分かった。デート、だな」
「うん……」
眠気に降参し、サーシャは瞳を閉じた。
「明日……」
「ああ。明日――、な」
サーシャは安心した顔で眠りに落ちた。小さな寝息が聞こえる。グレアムはしばらくの間、その安らかな寝顔を見つめていたが、やがて身体を起こした。服を着て、まとめてあった荷物を取り出すと、竜が肩の上に乗る。
最後に一度だけ、グレアムは振り返った。
「俺は、ただ気まぐれに吹いた風だ。お前の人生に吹いた、一陣の風。だから――、」
部屋の扉は静かに閉ざされ、後には月光の下、寝息を立てるサーシャだけが残った。
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