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魔王は勇者と穏やかな日々を過ごす

2.魔王は勇者と穏やかな日々を過ごす  勇者は本当によく働いた。掃除洗濯料理、それから俺の世話を甲斐甲斐しくやく。  それに、部屋に鍵をかけるでもなく、鎖に繋ぐでもなく俺をほぼ野放しにしている。遅くまで森の中をうろうろして帰ってきても特に何も言われない。 「暖かくなってきたとはいえ、そんな薄着で長時間外にいるなんて風邪を引いたらどうするんですか。それに遅くなるときは一言言って下さい、心配するでしょう。さ、湯の準備ができています。その冷えた身体を温めましょう」  いや、言われはしたのだが、止められはしなかった。罰もなかった。  その日の夕飯は、身体が温まるようにと、たくさんの香辛料で煮込まれた肉がごろごろ入ったスープと、焼きたてのパンだった。  いつだって毒薬が盛られている覚悟で食べているが、今のところそれもない。  椅子を窓の方に向け、ぼんやり庭を見下ろす。勇者が、庭の手入れをしていた。日よけのつばの広い帽子を目深に被り、一心に土いじりをしている。俺には気がついていないようだ。まだ朝も早いというのにご苦労なことだ。  ふと、屋敷の門前に人影を見つけた。大きな荷を背負った小柄な男だ。おろおろといった様子で、門の前を右往左往している。声をかける前に、勇者が彼に気がついた。手招きをし、中に招き入れる。  誰だ。耳を集中させ、声を拾い上げる。  どうやら、彼は食料品や日用品を持ってきてくれたらしい。商人だろうか。せわしなく視線を彷徨わせている。やがてそれは上に向けられ、俺に気がついた。大きく目が見開かれる。 「あれが、魔王」 「そうだよ。あ、見てたんだ。おーい、魔王様」 「本当に白い」 「きれいだよね」  男は慌てて目を伏せた。勇者の言葉など耳に入っていないようだ。男の口が動く。「気持ちが悪い」、そう聞こえたところで、声に集中するのはやめた。勇者が大きく手を振っている。そこから目を反らし、椅子を降り、寝台にうつぶせる。  まあ、気持ち悪いわな。髪は真っ白、瞳は真っ赤、15の姿で100年以上生きる化け物。俺だってなんでこうなのかわからないのに。  自分の髪の毛を握る。伸び放題になっていた髪をシィラが首筋に沿わせるくらいに整えてくれて、それ以来は、変わりない。  扉が叩かれる音に顔を上げる。「入ってもいいですか、魔王様」、わざわざ許可を求める必要なんてないのに、勇者はいつもこうだ。「どうぞ」と応じる。  勇者が満面に笑みを浮かべ、紙袋を持ち立っていた。  「今日の夕食は少し豪勢にできそうです」 「そうか、よかったな」 「はい、たくさん食べて下さいね」  さっきの男はもう帰ったのだろうか。力を感じない、普通の人間のようだった。怯えた目で俺を見ていた。被害者ぶった目、大嫌いだ。   「聞こえて、ましたか? 外の声」 「聞こえるわけねぇだろ」 「そうですよね。ええと、彼は長く俺に仕えてくれているこでアルっていいます。驚きましたよね」 「別に。勝手にすればいい」  さすが、勇者様ともなれば、従者のひとりやふたり、いるってわけか。その割には、ひ弱そうな男だったな。あれで魔物と戦うつもりだったんだろうか。 「俺は、王子なので」    俺の疑問に答えるように、勇者は言った。苦笑しながら「王位継承権とかはないんですけどね」と付け加える。 「城下で流行っていた妓館で働いていた女が母だそうです。そんな出自で、しかも僕が生まれた翌年に王妃様が見事ご懐妊、男の子が生まれたので、俺は、なんでしょうね。完全に持てあまされた感じです」  なるほど。なんとなく身の置き所がなかったところに、勇者という立場が降ってきて安泰、魔王様には感謝感謝だぜーということだったのか。  少し、今の状況に納得した。 「けど、一応は心配をされているのか、ああいうふうに人を寄越されてしまったようですね。すいません」 「それは、別に。お前の屋敷なんだし、好きにすればいい」 「ここは、魔王様のものですよ。そのために用意したんです」 「はいはい」  そうか、本当に純粋な感謝の気持ちの表れがこれだとしたら、こいつは本当に普通に悪い奴じゃないのかもしれないな。  まぁ別に、どちらでもいいのだけれど。  これ以上話すことも特にないので、ごろんと転がり勇者に背を向ける。 「魔王様」  勇者が近づいてくる気配に、上半身を捻る。勇者はすぐ傍の絨毯の上、跪いていた。手が伸びてきて、耳を掠める。髪に触れた。  ぶわっと、全身に汗が噴き出る。 「僕は、魔王様の髪も瞳も、愛していますよ」  寝台の上、勢いよく後ずさる。後頭部が壁にぶつかり、ゴンと大きな音を立てた。勇者は、目を大きく見開き、固まっている。  それから、手を引っ込め、「あ、わ、す、すいません」と顔を赤くした。 「すいません、本当に申し訳ないです。あの、元気がないようでしたので、もしかしたらと、いえ、すいません」  勇者は、紙袋を持ち立ち上がると、何度も頭を下げながら、早足で部屋を出て行った。  頭が、じんじん痛む。一瞬だけ触れられた耳が、熱い。  膝を引き寄せ、抱きかかえる。  そうか。  そうだ。  人間って暖かかったんだ。

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