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魔王は勇者に触りたい
3.魔王は勇者に触りたい
どうせ、どうなろうともいい身だ。こうなったら思う存分、今の状況を楽しんでやろう。そう吹っ切れたのは、少し豪勢な夕食を食べた、その翌々日、夢から覚めてからだった。
身体を起こし、目をこする。
昔も昔、大昔のことを思い出した。暖かい手、俺を守ってくれる大きな手があった頃の記憶だ。もはや、現実だったのか、妄想だったのかすらあやしい。
耳を撫でる。
もっと、触ってほしい。そう思うのに、勇者はあれから、必要以上に俺と距離をとっている。一緒の机でとっていた食事も時間をずらすようになった。部屋にも入ってこず、声をかけるときも廊下からだ。
寝台を降り、窓を開ける。勇者兼王子が庭の隣、畑で鍬を振るっていた。物音に顔を上げる。目が合うと頭を下げられた。
「おはようございます、魔王様。すぐに朝食を」
「いい」
窓枠に足をかけ、そこから飛び降りる。「ひぃ」と勇者は短い悲鳴をあげた。なんだよ、お前もこれくらいできるだろう。地面に降りる寸前、身体を少しだけ浮かし、衝撃を殺す。青ざめる勇者の前、首をかしげてみせる。
「別に、何か危害を加えようとしたわけじゃない。そんなことはしない。そう約束しただろ。それとも、普通に力を使うのもだめだったのか?」
「そ、そういうわけじゃないんですよ」
勇者は長く息をつき、肩を脱力させた。
「ただ、驚いただけです。心臓に悪いので、できれば階段を使って下さい」
「ふぅん、お前がそう言うなら従おう」
「お願いします。ところで」
「なんだ」
「近いです」
「嫌なら振り払うなり、突き飛ばすなりしてくれて構わない」
おそるおそる勇者の衣服をつまみ、それが暖かいことを確認する。そして、胸板に触れる。しっかりとした大人の体躯をしていた。バクバクと早鐘のように心臓が打っている。暖かい、というよりは、熱い。
不思議に思って目を上げると、勇者が両手で顔を覆い、首筋を真っ赤にしていた。
「汗、すごいぞ」
「はい。あの」
「なんだ」
「体調が悪くなってきたので、失礼します」
「あ、ああ」
手を離す。勇者は俺を見ることなく、駆け足で屋敷の中に飛び込んでいった。
なんだよ。
掌に視線を落とし、それを握りしめる。
体調を悪くするような効果、ないはずだ。嘘を吐いて逃げ出すくらいに嫌だったのか。
「別に、いいけど、さ」
勇者がどう思おうが関係ない。嫌なら逃げ出さず、処分でもなんでもすればいいんだから。とはいえ、そう、傷ついた。
大きな音を立てて閉められた扉を開ける気にもならず、門の外に出た。門からうっすら続く獣道のような隙間を歩いて行けば、やがては森を抜けるのだろうか。外に出る気などないが、特にあてもないので、その道を辿ることにする。
大きく息を吸って、吐く。
「今更、人肌恋しいとか、馬鹿げてる」
しかも相手は勇者様だ。
立ち止まり、しゃがみ込む。寒い。腕を交差させ、自分の手で肩を抱く。本当に今更だ。あいつらが俺に何をしたのか、憶えているだろう。
魔物達を巻き込んでまで始めた戦いだっただろう。それに敗北したのは、自分のせいだろう。今更、今更、
「っ!」
突然、手と肩を痛みが襲った。見れば、細い光る矢に貫かれている。それは。パシュと音を立て消えた。同時に血が溢れ出る。
見れば、枝の上や、木々の間、複数の人影があった。中には憶えのある顔もある。アルといったか、王子の従者だという男が後ろの方に立っている。ああ、それから、馬車に揺られてここにくる間、勇者の隣にいた男だ。
殺せばいいとは思っていたけど、勇者以外の手にかかることは考えていなかった。そういえば、あいつは王子様だったから、こういうところで手を汚さないとか、あるのかもしれないな。
回復? 攻撃? できるわけがない。俺は勇者とこの身を差し出すと約束した。
「へぇ、魔王でも血は赤いんだな」
「反撃はない。リッツ様がそう断言していた。――どうやら本当のようだな。打て」
号令とともに一斉に光の矢が構えられる。さすがにあれ全部をまともに受けたら死んじゃうなあ。
なんか、俺の人生なんだったんだろうな。
シィラ達といたときが一番幸せだったな。いや、もっと昔、父さん、母さんが俺を守っていてくれたときが、あったようななかったようなそんなときが、一番、
「魔王様!」
透明な壁が目の前に現れた。その壁はいとも容易く、放たれた矢を消滅させる。ぐいと後ろの引っ張られ、胸の中に庇われた。見上げれば、勇者の顔は、珍しく焦っているようだった。
「言っておくが、俺は力を使っていない」
「使って下さい。今すぐ、血を止めて、回復を」
とりあえず言われたとおり、穴をふさぎ、組織の回復に力を注ぐ。それを見ていた勇者は俺を痛いくらいに強く抱いた。
「よかった。間に合って」
「お前の、命令じゃなかったのか」
勇者はにこりと笑って立ち上がった。冷たい風が勇者の周りを舞い始める。対峙する男達の顔色が変わった。
「リッツ様、これは」
「俺は王位もいらないし、この国をどうこうする気もない。魔王も俺には敵わない。2人で静かに暮らす。そう言ったはずだ。それの何が不満だったんだ」
「それ、はっ」
怒っている。相手に問うたというよりは、怒りがそのまま声に漏れただけだったんだろう。勇者が右手を払うような動作をしただけで、鋭く尖った氷の欠片が目に追えない速度で飛び出す。それは、周囲の樹木ごとなぎ倒すような威力を持ち、男達を黙らせた。
「二度と、ここに立ち入るな。アル、お前もだ」
***
「俺、もう傷治ったんだけど」
「帰ったら、栄養のあるものを食べてゆっくり休みましょう。血の気の回復には時間がかかるでしょう?」
「それはそうだけど、別に歩けるし、それにお前、こんなに密着して大丈夫なわけ?」
「大丈夫、とは?」
勇者は俺を横抱きにしたまま、足を止めた。だんだんと顔色が悪いくなっていく。
「だ、大丈夫ですよ。僕は、絶対にあなたに手を出したりしません」
「何の話だ? ――朝、言っていただろう。俺に触れられると体調が悪くなるって」
「あれは!」
勇者は黙って俺の顔をじっと見つめてきた。あまりに顔が整っているので、迫力がある。しかしなんとも苦しそうな表情だ。
「あれは、まさかあなたから接近してもらえるなんて思っていなくて、心の、準備とか。色々、堪える心構えがまだできていなかったから」
「どういう意味だ」
「その、だから」
勇者は堅く目を閉じていたが、やがてカッと見開いた。
「あなたのことが好きなので、本当に好きなので、触れられると欲情してしまうのです、こうムラムラと!」
好き、俺が?
勇者は顔を真っ赤にし、俺の方をもはや見ようともしないで、大股で歩き始めた。耳の側そば、心臓が強く早く打っている。身体は熱いのに、手先だけは冷たく、緊張と不安が読み取れた。
「もちろん、あなたを傷つけるような真似はしないと誓います。感謝を、本当に感謝をしていて、これも本当で」
「なんだかかわいいな、お前」
「はい?!」
普段年齢の割に落ち着いているものだから、わからなかった。考えてみれば、こいつは俺よりも随分と年下なのだ。
手で勇者の頬を撫でる。しっとり汗をかいていた。ますます動悸がひどくなったのがわかる。
「俺はお前に触れてほしいよ」
「はぁ?!」
「お前の体温は気持ちがいいな」
暖かい。俺と同じ体温に抱かれている。俺はもうずっと、このぬくもりがほしかった。
「あまり、僕の忍耐力を試すような真似はしないようにお願いします」
「何がだ?」
「無自覚ですか? なんなんですか?」
「さあ」
なんなんだろうな。
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