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第3話 御尊顔
「それで? お前、どこで俺の見たんだよ」
「……あの、すみません、これって俺、酒飲んでもいいんですか?」
樋野がメニューを広げてるくせに、恐る恐るそう尋ねてきた。
「……あぁ、どうぞ」
「ありがとうございます」
途端に、にこーって笑って、二十二歳の屈託のない笑顔ってやつに、溜め息が出た。
「あの、すみません、なんか居酒屋にお誘いいただきまして」
「……こういうとこが一番目立たないから」
あのまま職場で立ち話をしてたら、見かけた人がなんだ? って思うだろ。道端で話す内容じゃないし、むしろ話したくない内容だし。かと言って、レストランっていうも個室なんてファミレスとかじゃありえないから、少々込み入った話をするのには居酒屋が一番なんだ。そう説明すると、そういうもんなんですねぇなんて呑気に言っている。
そういうもんなんだ。
市役所勤めなんて、そう楽しいことや達成感があるわけじゃない。娯楽には多少なりともみんな飢えてる。
「じゃあ、俺は、ビールを。最上さんは?」
「……同じビールで。あとつまみは適当に樋野が選んでいい」
「はい」
そして、襖を開けて身を乗り出すとそこから店員を呼びつけた。ビール二つに唐揚げ、タコ唐揚げに、枝豆、サラダ。揚げ物二つに、刺身なしっていうのがなんとも若い感じのメニュー。
「あ、えっと、さっきの、見かけたのはサイトの方です」
一通り頼んでホッとしたところで、ぽつりと話し始めた。
「あ、どこで見かけたか、ですよね?」
「あぁ」
「サイトで見かけました」
……サイト。そっか。まだ残って。
「俺の神様だ! って思いました」
「は?」
「だって、一瞬で俺のなんというか、道標を教えてくれたー! って、方でしたから!」
なんだ、それ。
「大袈裟だろ」
「大袈裟なんかじゃないですよー」
そこで襖の向こうから声が聞こえた。頼んだビールと先に持ってれそうなおつまみの到着だ。
「えっと、じゃあ、乾杯」
「……乾杯」
これっぽっちもこっちは祝賀ムードなんかじゃないけれど。
でも樋野は嬉しそうにビールをぐびっと喉を鳴らして半分近くまで飲み干した。
「偶然見つけたんです」
「……」
「俺、どっちが好きなんだろうって、悩んでた時で。それでネットで何か色々探してたんです。あはは、おかず的な。けど、女の子の裸見ても全然興奮しなくて、俺、なんか変なのかなぁって」
「……」
「その時に見かけたんです! ソウさんを!」
それはまるで雷にでも打たれたかのような衝撃だった……っていうんだろ?
身に覚えがある。それはまるで俺だから。
中学生の頃、自分の恋愛に対して、悩んでた時期の自分が重なる。
「なので! ソウさんは俺の神様なんですよ! 俺のそのあとの生き方を教えてくれた」
「……」
「本当に! 本当にそうなんです! あの瞬間、あぁこっちだっ! って」
「っぷ」
こっちって。
「いやいや笑い事じゃないんですって」
「あはははは」
笑うだろ? だって、自分がそんなふうに思われることがあるなんて思わない。
「なので絶対に言いません!」
「……」
「安心してください!」
けど、なんだろ。なんか。笑えたのは、なんでだろう。じんわりと指先があったかくなったのは、なんでなんだろう。
二十二歳の樋野はよく話す、明るい奴だった。
ゲイだと気がついたのは俺の動画がきっかけ。その時のことはよく覚えているんだそうだ。よく晴れた、春麗の桜舞い散る日、爽やかな気持ちとは裏腹に、最近ずっと抱えていた悩みに溜め息をついた春の日のこと。
悶々としつつ眺めていたサイトで俺を見つけ、雷に打たれたような衝撃と、どこぞの神様が海をパカーンと割って道を作ったのかの如く、開けた自身の道標に感動すらしたらしい。
大袈裟だなって笑うたびに、大袈裟なんかではないとと必死になっていた。
「あの、すみません。ご馳走になってしまって」
「……いや、いいよ」
今のところ、さっき昼間に覚悟を決めた退職の判断については保留としている。
「あの、絶対に口外しませんから!」
「……」
保留にする、ことにした。
「……なぁ、ちなみにそのサイト名前わかる?」
「わかりますよ。あ、けど、けっこう俺探しまくってて、複数のサイトで見かけました」
「……」
一瞬血の気が引いた。そんな複数のところに残ってるなんて思わなかったから。その状況でこうして市役所勤めを普通にしていたっていうことにすくみ上がる。
「あー、もしかして、知らなかった……ですよね。そしたら俺、知人にそういうのに対応する仕事してる人いるんで頼んでみます」
「え? 何を?」
「削除を。そういうのってどうしても残るんですけど、そいつプロなんで結構しっかり対応できると思います」
「そ、なのか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。それで結構消せると思います」
「マジ?」
「はい」
なんだろ、こういうの。今までなかったんだ。ずっと一人だった。一人で嵌って、一人で見境なくなって、一人で慌てて逃げて削除して、一人で。
「連絡しときます」
それが一人じゃないことの、なんか。
「あ、りがと」
「早い方がいいっすよね。今、連絡しますよ。あいつ、夜型だから今の方が連絡つきやすいし」
「……すまない」
なんというか、安心感。
「いえいえ…………あ、もしもし? あのさ、悪いんだけど、プライベートで頼みたいことが……あはは、マジで? すっごい助かる」
「……」
「そんじゃ、おー、サンキューな」
「……」
ずっと一人でさ、心臓バクつかせながらエゴサしてた。それで見つからなければ多分そんなに拡散されてないはず。ないよな? 俺の過去の動画、出回ってないよな? 大丈夫だよな? ど素人が今更ながらに慌てふためいて、どうしたらいいのかわかんなくて。
それを樋野が、解決してくれるって。
「……?」
「たぶん、これで大丈夫っす」
「……なぁ、その待ち受け」
「……」
「それって」
――ソウくんのレア後ろ姿ー! 拝む!
「それって!」
俺の、昔の写真じゃんか。
「ええええええ! 俺もですか? 俺も?」
「あったりまえだろうが! 消せ! それか、スマホ貸せ! 消すから!」
「やだー! 俺の神様! 拝んでただけなのに! 他言しませんってば!」
「そういう問題じゃないだろうがっ!」
「やーだー!」
「ちょ、おまっ!」
スマホをぎゅっと抱え込んでこっちに背中を向けやがった。
「あのなぁ……」
「……」
でかい背中だな。水泳やってたっつったっけ。
「……これを眺めると元気になったんです」
「……」
「でも、ソウさんはこれ消して欲しいんですよね」
「最上だよ。あぁ消して欲しい」
「……」
そのでかい背中を必死に丸めて隠してる。
「……わかりました。さっき、すごく焦ってたし、困ってたから。俺、ソウさんを困らせたいわけじゃないんで」
なんか、あれに似てる。飼ったことないけど、犬に。犬とかさ、ほら、よく大事なもの、おやつのホネとか? ぬいぐるみとか? そういうのを取られないようにって必死に口に咥えて隠したりするじゃん。動画とかでみた事ある。そういうのに似てる。
「けど、代わりに!」
「!」
「顔、見せてください」
「は?」
その犬みたいな新人職員がバッと振り返り、ババっと顔を上げた。
「顔! 全部見た事なくて! どんな顔してるんだろうってずっと思ってたんで!」
「はぁ? やだよ。さっき見ただろ。酒飲んでた時だって」
マスクしながらじゃ飲めないだろうが。ちゃんとその都度、マスクずらして飲んで。
「あれは缶コーヒーとかグラスが邪魔でした!」
「なっ」
「顔見せてくださいっ!」
俺の顔なんて見たって、大した事ないだろ。
「け、消してくれんのかよ」
「もちろんです!」
「…………」
「もちろんですっ!」
「……今、消せよ? 見たら、消せよ?」
「もち、ろんっ、です!」
本当に大した事ないんだからな。
「…………」
そこらへんにいるだろ、このくらい。そうブツクサ文句を零しつつ、そっと、マスクを片耳外した。
外気に、しかも夜の少し落ち着いた外気の中にどこからだろう、桜の香りが混ざってた。どこの桜だろう。けれど普段はマスクをしてるから気が付かなくて。
スン。
と、自然に鼻先がその匂いを追いかけた。
春の匂いがしたんだ。
「っ…………ほら、もういいだろ」
けど、なんか滅多に外すことのなかったマスクだから。特に人前でこんなふうに外すのってかなり気恥ずかしくて、すぐにまた隠したんだ。
「ほら、今すぐ、消、って、おい! なんで! お前! 鼻血!」
「これは……やばい」
どこにもいないだろ、俺なんかの顔見て、鼻血出す野郎なんて。
「おい! 樋野! おーい!」
鼻血だして天を仰ぐ野郎なんて、きっとどこを探したっていやしないだろうと思うから、なんか、呆れすぎて、笑えたんだ。
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