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第5話 想定外の
地元を離れたのは大学入学を機に、だった。直前までは地元にある、まぁ通えなくもない大学を志望していた。
けれど、あの一件があった後に進路を急遽変更。上京して進学へ変更した。
家族も学校も、俺の進路変更に慌てていたけれど、やっぱり二時間近くかかる通学時間はしんどいのだと、言い続けた。本当に田舎だったから。小学校でのクラスは各学年ごとに一つずつしかないような規模のところで、空き教室が山ほどあったっけ。そのせいか少し埃臭かったと覚えてる。中学はいくつかの小学校から合わさっていたから、それでも学年ごとのクラスは二つずつ。
狭くて、誰もが知り合いで、誰もが互いの家族のことを知っていた。
筒抜けだった、と言った方がいいかもしれない。
あそこの親、離婚したんだって。
あいつのねーちゃん、大学落ちたんだって。
あいつの弟さ……。
筒抜けになる話題はネガティブなものが多かった。
みんなの耳元でコソコソと伝い広がるそれらの話題、噂、予想。中には、「らしいよ?」なんて確信のないことだって混ざっていた。
でも、そんな重大ニュースのように流れてくるどれもこれもが都会でなら「ふーん」と言われることばかりだ。誰かの離婚も誰かの落大も全部。むしろつまらない、退屈な噂。
けれどもやっぱり地元では重大ニュースなんだ。
良いことも流れては来ていたんだろうけれど、ネガティブな情報は殊更大きな声で周囲に広がっていくような気がした。
だから、余計に怖かった。
あいつってさ……。
そう誰かに言われやしないかと。
もしも、俺のことが地元で知られたら……想像しただけで心臓がバクつく。すくみ上がる。嫌な汗がじっとりと滲み出す。
小中高、の友人とはあまり会っていない。あいつらが俺の動画を見掛けるかどうかはわからないけれど、あまりないだろう。地元にいる奴らはどいつももう結婚して子どももいる。恋愛対象は全員、異性だった。地元を出た奴らは、あの閉鎖的な空間が嫌だったのが大半なのかもしれない。そういう場合は大概が地元にはそれ以来寄り付いてない印象がある。たまに連絡をする友人たちは、あいつらは薄情だと、正月も盆も帰ってきてるのかどうかもわからんと嘆いていたから。
俺はそれを聞きながら、そちらの、つまりは地元に寄り付かない側だから、そうか、と同意をするふりをしていた。
今も付き合いのある友人は大学で一緒だった人間がほとんどだ。
たまに飲みに行ったりする程度。あまり深くなく、あまり関わらず、適度な距離感を、って感じ。地味に暮らしていたせいもあって、友人はおとなしい奴が多い。
恋人は……。
いたことがない。
そもそも人見知りするほうなんだ。
狭いコミュニティでしか過ごしてなかったからか、得意じゃない。だから、恋人の作り方も正直わからない。
よく話に聞く同じ恋愛趣向の人が集まる場所、いわゆるゲイバーみたいな場所にも行ったことがない。
もしかしたら俺の動画を見たことがある奴がいるかもしれないと思うと、もう反射的なものなんだろう、行く気になれなかった。
仕事が終わったら、自宅へ帰り、夕食を食べてテレビを見て、寝る。
起きたら仕事へ行って。
そんな毎日。
「あれ? 最上さん……」
だったんだ。
「……」
「この辺、なんですか?」
駅から真っ直ぐに線路沿いに続く市役所通りのバス停から、バスに揺られて、十五分。
バス停を降りたら、自宅へ帰る。ただそれだけの、変わらない道端に、樋野がいた。
「……」
びっくりした。
バスに乗る時には気がつかなかった。俯いていたし、周囲にいる人物が誰なのかをキョロキョロと観察なんてしないだろ? だから、わからなかった。
「……おま」
「うわー、この辺なんですか? 俺、あっちにあるアパートなんです」
「は?」
「最上さんはどちらなんですか?」
俺も、あっちにある、マンションなんだ。
あの辺は小さいアパートとか、マンションが多い。
「あの辺ってワンルーム系のアパートとか多いんですよね」
近くにスーパーマーケットがあるから便利。
「近くにスーパーがあるから何かと便利で。って言っても小さいスーパーでしかも近隣に何もないからか」
ちょっとだけ価格が割高なのが少し不便。
「高いんすよ。でもまぁ、駅の方には安いスーパーもあるんで」
だから基本的に買い物は安い駅近くのスーパーで済ませることが多いけれど。
「それで、最上さんちはどの辺なんですか?」
俺のうちは……。
「もしかして近いです? こっち方面?」
歩いて行く方向が同じだ。
「俺んち、そこのアパートなんです」
最近、近所にアパートができた。シングル向けのこぢんまりとしたアパートで、全部で十部屋くらいの。
「俺は……」
そのアパートが去年少しずつ出来上がって行くのを眺めてた。
「こっち」
道路を挟んだ向かい側の、こっちのマンションから。
「……ぇ?」
そうだった。世間っていうのは、案外狭くて、案外、窮屈。
そして、こいつは、想定外の不意打ち、藪から棒、窓から槍だった。
「ええええ?」
想定外の、ご近所さん、だった。
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