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第7話 ジャガイモの上手な使い方

 職場でいただいたジャガイモが三つありました。  それを使って豚汁を作ろうと思いました。  一人暮らしなので、それを作って二日間食べる作り置きにしておこうと思いました。  ですが、ジャガイモを二つ……使ってしまうと残りは一つ、それならば面倒だからと三つ全て使ってしまいました。 「……多い、だろ」  ほら、よくあるだろ? 中途半端に残しておいたって、使い勝手が悪くて残ったままになるっていうの。そうなるよりは全て使ってしまおうと思ったんだ。ただそしたら結構な量になってしまうと、なんというか、予測できてなかったというか。大根ニンジン、こんにゃく、もちろん豚汁なのだから豚肉。長ネギに、ごぼうはジャガイモ的な使い勝手の悪さがあり、余ってしまうから、今回の豚汁からはナシで。で、色々足して、これで明日の分も大丈夫だと……そう、思ったら。  忘れてたんだ。  すっかりその存在を忘れてた。 「……溢れるな」  これは溢れてしまう。こいつを、この白いやつをここに投入したら、確実に溢れる。かき混ぜたら、もうそのまま溢れて零れる。  この、豆腐を入れたら。  だからだ。  溢れてしまうからというだけのこと。 「仕方がないだろ」  だって溢れてしまうんだから。 「別に、こんなには食べられないだけだから」  さすがに、カレー作る鍋になみなみ入った豚汁は成人男性とはいえ、流石にな、食べられないから。だからっていうだけ。  これは困ったなと思った矢先、同じ職場の人間がたまたま近所にいて、たまたまそいつも一人暮らしで、たまたま豚汁が余ったからっていうだけ。  本当ただそれだけ。  本当に? 「…………ぁ!」  あと、あれもあった。この前、ほら、満員のバスの中で俺が苦しくないようにと庇って、支えになってくれていた分、かなり、ものすごくたくさんの人に踏みつけにされていたから。そのお礼? も兼ねたっていうこと。  うん。  本当に。  作りすぎてしまった豚汁を半分、そんなに食べないからとご近所さんっぽく持っていこうかなと思っただけ。これからも同じ職場で働くのだから、友好的にしておくことになんの不都合もないだろ?  ただそれだけ。 「はいはーい」  ピンポンを鳴らしてしまった。  そしてピンポンを鳴らしたら、すぐに中から返事が来た。そして聞こえてきたほんのわずかな足音がどんどん大きくなった……と思ったら、玄関扉が開いた。 「え? 最上、さん?」 「……ぁ」  もしかしたらピンポンとしても出ないかもしれない。それはそれで持って帰ろう。そんな感じだったんだ。  だから、本当に、これは別に。 「あ、あの、部屋番号は伺ってなかったんだが」  ――俺、そこのアパートの三階なんです。ちょうど最上さんのいるマンションとの間にある道路に面した、角部屋、三階。 「た、確か、道路に面した側の角部屋だと言っていた。三階って」  部屋番号は教えてもらっていないけれど、それなのに尋ねてしまった。 「……」  樋野が目を丸くしてた。  もしかしたら部屋番号をちゃんと教えていないのに、普通、こんなふうに押しかけて来ないだろう? って思った? 確かに普通はしないかもしれない。しかも片手に豚汁が入った鍋持って。  少し、いや、まぁまぁ、いやいや、かなり――怖くないか? 「す、すまない! なんでもないっ悪かったっ、突然、アポイトメントも取らずにっ。失礼しました」 「え、ちょっ、何、鍋っ」 「な、なんでもない! また、明日っ」 「ちょっ! 待っ!」  慌てて引き返そうとしたら、腕を掴まれた。その途端に、小鍋いっぱいの豚汁が波立って、チャプンと音を立ててしまう。 「それ……俺に、とか……ですか?」 「っ! つ、作りすぎたんだっ、だから、どうぞと思って。き、近所だしっ、だから、けれど、部屋番号教わってないのに来てしまって、申し訳ないなと」 「ちょっと、最上さん! あのっ」  豚汁だけでもどうぞと、手渡して、逃げようと思った。 「申し訳なくないです。むしろ、俺もポテトのガレットを作ったんで、お裾分けしようと」 「ポテ……」 「ポテトのガレットです」 「ガレ……」 「…………っぷ、そしたら、あんま綺麗な部屋じゃないですけど、上がってきません?」 「焼き立て、うまいですよ? 多分、っすけど」  そうそう、これはつまり、あれだ。俺がポテトのガレットを知らないから、その、なんだろうと思っただけなんだ。 「お、お邪魔します」  ただ、それだけ、なんだ。  ポテトのガレットというのは、チーズを混ぜて、焼いた食べ物、らしい。 「ぅ、うまっ!」 「マジですか? やった。最上さんの作ってくれた豚汁もめっちゃ美味いです」 「そうか? 煮ただけだ」 「それも焼いただけですよ」  目が合って、二人して笑った。 「でも、美味い。こんなの食べたことない」 「そうなんですか? 美味い店知ってます」 「へぇ。すごいな。俺はそういうの疎くて」 「そうなんすか?」 「田舎者なんだ」 「良いじゃないっすか。田舎」  田舎にはなかった。ポテトのガレットなんて洒落たものは。 「良くない……」 「最上さん?」 「! な、なんでもない!」  田舎にはなかった。  本当に何もなかったんだ。

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