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第9話 数
「あー、あの、一個、訊いてもいいですか?」
「?」
テレビの中ではラストのクイズが出題されている。どうやら、ラストの問題はポイントが二倍になるらしい。俺はこういうの納得がいかなかったっけ。
「その、どうして、動画撮ったんですか? あ、いや、嫌なら答えなくていいです」
樋野は不味かったかもと慌てて、いまの問いを無かったことにしようとするみたいに手をブンブンと横に振った。
「その、俺、ソウさんのこともっと、こう、奔放な人だと……」
まぁ、そうだろう。あんな動画を撮るくらいなんだから。
「あ! 先に言っておきます! 動画はもうちゃんと削除されてるんで! そのうちそれをやってくれた俺の友人から報告書も来るんで!」
どこに載っていたのか、どう対応したのかちゃんと紙にして渡してくれるらしい。だから安心してくれと樋野が優しく笑った。
「最初は……」
最初は試しにやってみただけ。
「本当に田舎だから、ネットの中、あのSNSの中の、なんというか世界の広さにすごくドキドキしてた」
自分のことを曝け出したって全然大丈夫。ど田舎の閉鎖された世界とは全く違う、広がり続ける世界。
「リアルのさ、周りにはゲイの、同性愛者の人なんて一人もいなかったから」
自分だけなのだと思っていた。ゲイなのは。
それはものすごい孤独感。周囲はみんな女の子を好きになる。俺は最初こそ気がつけずにいたけれど……いや、どうだろう。気がついていたのかもしれないけれど、それを自覚してしまうのはあの環境の中ではとても恐ろしいから気がついていないフリをしたのかもしれない。
「でもネットの中にはたくさんいた」
SNSのアカウントを作ったら、本当にたくさんいたんだ。自分と同じように同性を好きになる人がたくさん。それがすごく嬉しかった。リアルには相談するどころじゃない。自分はこうなんだとほんの少しでも喋ってしまっただけで大変なことになるだろう。けれど――。
――俺も、男の人が、好きです。
「そうSNSに書き込んだら、俺も、って返事が来る」
「……」
「それだけでただただ嬉しくて」
そこからはひっきりなしに呟くようになった。どんどんSNSにハマっていって、それなしじゃいられないほどになるのなんて、そう時間はかからなかった。
独りぼっちじゃない、同じ人がいる、そう思うだけで毎日が劇的に変わっていった。
今日はこんなところに来てます。と、呟けば、楽しそうって返事が返ってくる。ソウ君と一緒に遊びに行きたいなと言ってもらえる。ネットの中には仲間がたくさんいる。相談だってできる。誰かの恋愛話を楽しく聞いていられる。
そうして自分の生活をそのSNSの中に溶け込ませていったある日、買ってきたマフラーを写真に上げた。こんなのがすっごい安くなって売ってたんで買っちゃいましたって。タータンチェックのただのマフラー。けれどSNSの中ではいつも通りに返事が返ってくる。そんなに安いんだ! あったかそう! そっち寒いんだもんね? 風邪引かないようにしなくっちゃ!
「その中にあった、それを首に巻いてるソウ君が見てみたい、その一言に嬉しくなりながら、顔だけは隠して、首元から下の写真をアップした」
少しドキドキはしたけれど、これなら大丈夫でしょ? って、部屋の真っ白い壁に立って、パシャリと写真を撮ったんだ。
「いつもの倍以上の反応をもらえた」
「……」
「中には絶対に美少年なんて言ってくれる人もいてさ」
そんなの田舎の高校生が喜ばないわけないだろ?
「そこから少しずつ顔を出していくようになって」
最初は顎くらいまで。そうすると顎から首のラインが綺麗だと褒めてもらえる。細くて可愛いっぽいなんて。
そのあとマスクして、でも目元にはモザイクをかけて動画とか撮ったりしては、またもらえる反応に一喜一憂。
「次は風呂に入る直前の自分」
「……」
「見たことあるかもしれないけれど」
裸を載せてからどのくらいだっただろう。褒めて、煽てられて――。
「もうそこからは……」
写真を、動画を、アップするたびに増えていく閲覧数と、フォロワー。もらえる返事はいつも褒め言葉。嬉しくて嬉しくて、その言葉達に、見えないけれどネットからの視線にどんどん自撮りの行為がエスカレートして、過激さが吊り上げられていく。
「そして」
あのカラオケで、いつも見てもらっていた閲覧数と、フォロワーの膨大な「数字」の中の人が出現した。
本当に、目の前に、それまではネットの中でただ数字としてしか表れてなかった一人。
「急に怖くなって、うちに帰ってすぐに消したよ」
ふとテレビへ視線を移すと、すでにクイズ番組は終わっていた。
「バカだろ? 調子に乗ってさ」
どこが優勝したんだろう。わからないけれど、でもラストはポイント二倍だから。
「でも、俺は……最上さんに感謝してます」
「……樋野」
「貴方のおかげで、自分自身に俺は素直になれましたよ」
「……」
あの日はとても怖くて怖くてたまらなかった。目の前に出現した「閲覧数」「フォロワー数」の、ど田舎では決して繋がることのできない「数」が具現化した時。一瞬で、ただの数字だったものが、人型に変わった時。
「ソウさんのおかげですごい世界が変わりました」
今、目の前にまた出現した、その「数」の具現化がビールを飲んで、作った筍ご飯を褒めてくれた。彼は怖くなかった。
「俺は感謝してます」
俺はもうその動画を知らないし、今はないし、どれだけの人が見たのかは知らない。知らないけれど、でも、そんな閲覧数の中には、樋野もいたんだ。
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