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第10話 腹は口ほどにものを言う

 食卓はいつも人がたくさん、だった。  母の、そして祖母の口癖は、ご飯は大勢で食べた方が美味しいじゃない、だった。  俺はそれが苦手だった。  俺にとっての食卓は「情報交換の場」だったから。  最近どう?  部活は?  荘(そう)ちゃんは何部だっけ?  うちの馬鹿は毎日毎日泥だらけの靴下を洗濯機にそのまま突っ込むなって言ってもやるのよねぇ。  荘ちゃんは高校どこにするんだっけ?  うちの娘と同じとこかと思ったわぁ。  荘ちゃんは大学どこにするんだっけ?  あら、県内のところじゃなかったっけ?  いや、情報「交換」は不正解だ。  食卓は情報「提供」の場だった。  しかも何度も同じことを訊かれる。野球部のかっちゃんの話になれば確実に俺は親戚のおばさんから部活何と尋ねられる。多分、覚えられないんだろう。天文部だと言っても、あまり印象に残らないんだと思う。  進路のことはなぜかいつも予想されていた。親戚それぞれで勝手に予想して、勝手に県内にずっといると思われていた。  本当の情報を何度も何度も告げなければいけない、話さなければいけない、少し疲れる場所だった。  俺は「食卓」が苦手だった。  一人暮らしになってから、一人で食べる飯に感動すらしたっけ。  何も話さなくていいっていうのが、とても嬉しくて、そして、少し不思議だったっけ。  今は。 「…………」  少し……あれかな。 「…………」  なんというか。 「…………」  なんか……。 「……ごちそうさまでした」  ――ごちそうさまでした。なんだかいつもすいません。めっちゃ美味しかったです。  なんか。 「……」 「あの、最上さん、今度の金曜日、仕事後、少し時間ありませんか?」 「……え?」  職場の奥にある例の少しポンコツなコピー機で冊子を作っていた時だった。このぺーパーレスの時代であってもやっぱり冊子作りはよく行われる。市役所には色々な人がやってくる。ネットに疎い人もいれば、ネット環境が整っていない人もいる。  コピー機の端で冊子を作っていたら、樋野がやってきた。 「あ、いや、その少しの時間でいいんです。その、ほら、いつも橋本さんに野菜をもらうじゃないですか。なんかもらいっぱなしだなぁと」  樋野の第一印象は軽そう、だったけれど、しっかりしていて、気配りができる、にいつの間にか変わっていた。 「一人で渡してもいいんですけど、でもできたら最上さんも一緒に選んでもらえたらなぁと」 「……ぁ」 「あ! 金曜ですもんねっ、予定ありますよね! 失礼しましたっ」 「あ! いや!」  慌てて引き返そうとする樋野につられて、慌てて引き止めてしまった。声をかけると、ピタッと樋野が一時停止した。そしてゆっくり振り返って。 「いいと思う。ぜひ、半分出資させてくれ」  そう答えると、表情がパッと変わった。なんだか、それが、なんというか……。 「何がいいかなぁ」  仕事後、とりあえず市役所からいつもとは反対の道を通り、歩いて駅まで向かい、そこから電車で十五分ほど上った。市役所のある辺りにはショッピングモールも商業用の駅ビルもなかったから。 「何がいいと思います?」 「うーん……何がいいだろう」  こういうの苦手なんだ。何が喜ばれるのかさっぱりわからない。  大まかでも何を買うのか決めておけばよかったかもしれない。本当に漠然としていて、何も考えてなかったから。 「野菜いっぱいもらったからなぁ」 「じゃあ、魚にして返しますか?」 「っぷ、そういうの面白いな」  ちょうど通りかかったのは少し高めのフード市場だった。新鮮野菜が夕刻だからか値引きされて「安いよ安いよ」と大きな声に釣られたお客で賑わっている。その奥に魚屋があるようで多分同じ夕刻だからという理由で人が集まってきていた。 「あ、調味料っていうのは」 「橋本さんの好みがわからん」  今度通ったのは世界中の調味料が売っている店だった。 「あ、けどここのケーキめっちゃ美味いんすよ。冷凍になってるからちょうどいいかも」 「なるほど」 「消えもののほうがいっすよね。なんか物だと持ってないといけない気にさせるかもだし。金券とかっつうのも違うし」 「確かに。冷凍ならケーキでもいいんじゃないか?」 「そうっすか? じゃあ、そうします?」 「あぁ、あ、それに紅茶のギフトをつけたらどうだろう」 「お、いいっすね」  樋野は上手だなと思う。人付き合いが。 「いくついるんだろう。橋本さんって、お子さんいらっしゃるんですよね」 「あー……どうだっただろう」 「この前受験の話してたんですけど、うちの娘がーって話してたから、娘さんがいると思うんですよ。でも、息子さんがいるようなことを言ってた気もするんですよね」 「……」  ――あら、荘ちゃんお留守番? そしたらこれ、コロッケ、すごく安かったからこっちのみんなの分も買って来ちゃった。渡してくれる?  近所に住む父の姉夫婦、そこからもらったコロッケはちょうど祖父母も入れて十個入っていた。一人二個。他にも、その時その時の家族の人数に合う量をお裾分けでもらうことが多かった、と……今、気がついた。 「そしたら何個が」  根掘り葉掘り聞かれて、情報を「提供」しなければいけないのが嫌で嫌で仕方がなかったけれど。 「一人二個ずつと計算して、八個で?」  そうか、こういう時に少しでも相手のことを知っているととても役に立つのか、と、今、樋野に教わった。 「りょーかいです」  そう、クシャッと笑って、樋野がレジへと、狭い店内を擦り抜けて向かっていく。そのあとを慌てて追いかけ、すでにレジを通って会計になっていた樋野の代わりに、トレーへ紙幣を置いた。 「は、半分出すから」 「……ありがとうございます」  そして、またクシャッと笑った。 「あ、そしたら、ビニールじゃなくて、なんか紙袋いただけますか? 保冷剤たっぷりめで」  樋野はとても……優しい良い奴だと。 「いい感じの買えましたね」 「あ、あぁ」  案外、あっという間に決まってしまったな。と言っても仕事の後の買い物だから、そうたくさん時間があるわけじゃなかったから、助かったのだけれど。俺一人ではこんなに早く決められずに、すぐに閉店になってしまっていただろうから。 「最上さんがいたから、選ぶの助かりました」 「いや……俺は何も」  明日も仕事だ。買い物はできるだけ早くして、早く帰らないと夕飯を……。 「あ、もう七時なんですね」  夕飯を作るのが面倒になってしまう。それに少し腹も空いていた。 「あー、腹、空きません?」 「……」 「もし、よかったら、ですけど」  腹も。  ――ぐーぎゅるるるる。  その時だった。腹の虫とやらに耳でも付いてるんだろうか。まるで樋野の言葉に返事をするかのように、盛大な音を鳴らした。 「! こ、これはっ」 「っぷ、よかった」 「あのっ」 「俺も、さっきから腹の虫がすごいんですよ。なので、家まで持ちそうにないんで、どっか食べに行きませんか?」  腹も、すごく空いていた。  ――ぐーぐるぐるぐるぐる。 「だ、だからっ、これは!」  腹は口ほどにものをうるさいくらいに言う、らしい。そのいいお返事をした腹に、樋野が楽しそうに笑っていた。

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