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第12話 お礼にお礼

 頬をどこかにぶつけたりはしなかったらしい。  うちへ帰って見てみたけれど、頬は赤くなったりはしていなかったから。  けれど、転びそうになってそれを受け止めてもらった時、確かにビリビリとした。  風呂へ入り、水をコップ一杯飲んで、ベッドへ。寝る支度をして、もうその頃にはビリビリとした痛みは頬に走らなかったけれど。  あれはなんだったんだろう。  けれど確かに、頬にビリビリと何か電気のようなものが走ったような――。 「おはよーございます」 「お……はよう」  走ったような気がしたんだ。 「今日は、ちょっとあったかいですね」 「あぁ」 「ケーキ、職場まで大丈夫ですかね。あ、冷凍庫って借りられるかなぁ。給湯室に小さい冷蔵庫ありましたよね? あそこって勝手に使って大丈夫ですか?」 「あぁ」 「ならよかった。あ、バス来た」  手、力強かったな。  俺一人がよろけて体当たりしたって、びくともしなかった。水泳をやっていたからだろうか。手もほら、水をかき分けて進むわけだから。それに高校の時はバスケをやっていたって言ってたっけ。バスケットボールを扱うわけだ。そう小さくはないボールだろう? だから手が、こう、なんというか、物を掴むとかに長けてるのかもしれない。バスケットも激しいスポーツだろうし、水泳だって体力ないともたないだろ? だから、あんななんだろうな。  水泳の選手って筋肉すごいじゃないか。なんというか。 「あの、最上さん?」  逞しい……と、いうか……。 「! あ、あぁ!」 「あの大丈夫ですか? っていうか昨日飲みすぎましたか?」 「! い、いや」  びっくりした。覗き込まれて、思わず仰け反って。 「わっ!」  そこでちょうどバスが通りを曲がったりするものだから、ぐらりと揺れてバランスが。 「おっとっと」  崩れそうになったけれど、また大丈夫だった。 「大丈夫ですか?」 「!」  少し窮屈なバスの中、ちょうど俺のいた位置には手すりがなかった。 「ここ、掴まっててください」 「あ、あぁ」  よろけた俺の手首を掴んで、そのまま樋野の前にあるバスの支柱のところを掴めと引っ張り上げてくれた。けれど、ここだと、樋野の目の前に割り込むような形になる、から。 「…………」  背後に樋野がいて、俺が前に割り込んで。 「…………」  だから、会話はそこでしなくなったけれど、その無言の間ずっと。 「…………」 「…………」  ずっと、背後にいる樋野が気になって、うなじの辺りが勝手に何故かくすぐったくて仕方なかった。  市役所は基本、平日の朝から夕方まで開いている。けれど、その時間帯には仕事をしていて来れない人もいるわけで、そのため、時間外の延長受付があるところや、月に一回ほど土曜が開所しているところがある。  うちの市役所は平日、毎週、木曜を延長三時間、八時までの窓口受付としていた。  どの窓口も開所としているけれど、日中と同様の人員をそこに当てるのではなくて、人数は各受付ごと二名、人気というか、来所される人が多い窓口だけは三名での対応をしている。  ちなみにうちの子育て促進課は二名対応。 「…………ぁ」  ちょうど、明日がその木曜だった。そして連絡事項や、予定等が書き込まれるホワイトボードの木曜の箇所にその週の延長事務対応が書かれている。  延長事務対応の日はその三時間分遅く出勤することになっていた。  来週の木曜の延長対応のところに俺の名前があった。  そして、明日のところには樋野の名前が。 「あ、最上さん……来週なんですね」 「……」  明日、樋野が延長対応なのか。 「そっかぁ」  男性職員はここの窓口はそう多くない。というか、二人しかいない。課長は女性だ。だからその窓口対応で俺と樋野が一緒になることはない。女性二人が残ることは人員の都合であるけれど、俺と樋野、男二人が一緒に受付対応になることはなく、必ず女性と組むようにシフトがされていた。警備の人もいるけれどやっぱり夜間ということから安全面を考えてのことだ。  そうか、明日、樋野なのか。  そしたら、明日の朝は、一人なんだな。 「樋野は明日だな」  そして、来週の木曜日も、一人だ。 「あ! ここにいたのね! 二人とも」 「……橋本さん」 「ちょうどよかった! ね、これ、二人に」 「え、あのっ」  今朝のうちに渡したんだ。お礼にと買った冷凍のケーキ。橋本さんはとても喜んでくれて、あのお裾分け野菜は貰い物だったり庭で採れた不恰好な野菜ばかりなんだから気にしなくていいのに、と、笑ってくれていた。こちらこそいつもたくさんもらってしまっているから、お礼がしたかっただけなんだ。だから。 「これ、さっきね、お昼を食べに行ったら、冷凍であったから、そのまま焼けばいいらしいの。食べてね」 「あ、あのっ」  そう言って、橋本さんからビニール袋ごと手渡された中身がカラコロと楽しげな音を出した。焼けばいいらしいけれど、と言われて中身を覗くと、結構な量だった。 「……あの」  三十個も入ってる。  中にはまるで作り物みたいに見えるカチカチに凍った餃子があって、それがまるでプラスチックのおもちゃのように袋の中で転がって軽い楽しそうにな音を立てていた。 「またもらっちゃいましたね」  お礼にお礼が来てしまった。 「もし、よかったらですけど、餃子パーティーしませんか? 俺、餃子は上手く焼く自信があるんすよ。ラーメン屋でバイトしたことあるんで」  そう言って、同じ、三十個の餃子が入った袋を樋野が持ち上げると、ビニールの中でカラカラと餃子がまた音を立てていた。

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