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第13話 羽なし餃子
木曜は樋野が遅番だったから帰りが別だった。いや、そもそも帰りも行きも約束をしているとかではなく、同じ職場、同じバス停、道を挟んだお向かいさんということで、タイミングが同じになるだけのことなのだけれど。だから、当たり前だけれど、遅番なら帰りも行きも別々になる。
そして、金曜の朝、今朝のことだ。
バス停前へ向かう途中、背後から樋野がやってきて、今夜、いただいた餃子食べません? と話しかけられた。餃子パーティーを今夜しないかと。
そして、いつも通り「おはようございます」と笑った。
「俺がバイトしてたラーメン屋は羽なしだったんですけど、皮がパリッパリで美味いんですよ」
いつもは作ったものを持ち寄っていたから、キッチンでああやって調理をしているところを見るのは、実は初めてだった。
手際良く動く樋野の背中をじっと見つめてた。柔らかい薄手のニット越しに背中の筋肉が動くのが見える。腕を伸ばして水を取る時に、蓋を開けて餃子の具合を見る度に。水泳とあとバスケで鍛えた背中が。
「厨房に立ったりもしたのか?」
「ラーメン自体は味を出せないんで作ったことないですけど、焼くだけとかはできるんで、餃子は焼いてました」
「へぇ、すごいな。それじゃあプロの餃子をいただけるのか」
ほら、また背中が動いた。
「あはは、そんなたいそうなものじゃないですよ。けどバイトは結構色々してたんです」
「へぇ」
「最上さんはバイトとかしてました?」
「俺は、大学の時に」
「へぇ、どんな?」
「スーパーの品出しとか。樋野は?」
「俺は、接客を色々、カフェとか、あー、あと、これ、役所勤め的にはアウトなんですかね」
「?」
「ゲイバーのバーテンダーとか」
「!」
「大学の時に」
すごいところでバイトをしてたんだなと驚いてしまった。
でも、そうか、そう……だよな。俺の動画を見たことがあるんだし、それで自分の恋愛観がわかったって言ってたから、その、つまりは同性愛者なわけだから、そういう場所への出入りもしたことがあるのか。
「べ、別に、アウトではないだろう」
「そっか。よかった。でも本当バーテンダーで酒注ぐだけだったんすけどね。ちょうどバイト探してたんです」
でも、樋野がそういう場所で働いていたら、人気がありそうだ。
「知り合いが紹介してくれて」
恋人とかも……。
「一年くらいやってましたよ」
恋人。
「餃子、できました!」
恋人とか。
いる、だろうな。樋野は人当たりもいいし、職場でも評判がいいし、その顔も良いと思うし。
好かれると思う。男女関係なく。だから、いただろう。
「……?」
何か、今、なんだ? なんか、チクリと……胸? 腹? 何かチクチクって。
「あー! やば!」
「! どうかしたか? 樋野」
急に樋野が叫んで、手を止めてその背中を見つめていた俺は飛び上がって駆け寄った。大きな背中でその手元は見えなかったけれど、火傷でもしたのかと慌ててその手元を覗き込むと。
「久しぶりで失敗しました」
「……」
そこには底面が黒く焦げてしまった餃子があって、樋野がブランクあるとダメですねと苦笑いを零していた。
あの時は、樋野がいただいた餃子を食べた。
底面は焦げていたけれど、でも、食べられないほどの焦げ方ではなかったし、三十個完食した。
美味かったと感想を言ったら、やっぱり餃子職人の意地なんだろうか、もっと上手に焼けたのを食べさせたいと「また挑戦しますんで」と言っていた。
底面に小麦粉をつけるんだそうだ。羽はついてないけれど、その小麦粉がまぶしてあるおかげで底面がパリッパリで、肉汁がそのパリパリ底面のおかげで溢れることなく、中はジューシーに仕上がるらしい。それを聞いたら食べたくなるだろ?
そして、俺がいただいた三十個の冷凍餃子がまだ残っている。
ただ焼いてくれというのは失礼だと思い、お供にとポテサラを作った。これと再挑戦の餃子で、夕飯をどうだ? と提案しようと思った。
明日も仕事は休みだし。
リベンジするにはタイミングが早いかなと思いつつも、でも、ポテサラとか作るなら休みの日の方がいいから。だから、その昨日の今日だけれど。
休日だけれど。
一緒に夕食を――と。
「……」
思ったんだ。樋野の部屋は道沿いの角部屋だ。上階へと上がっていく階段はアパートの中央にある。樋野の部屋は三階。階段をその分上って、廊下に出ると、ちょうど、樋野の部屋のある扉の前に男性がいた。
扉に向かって立っていて、今、チャイムを鳴らしたらしく人差し指が扉を差している。
けれど、中に樋野はいないらようで、その人は踵を返してこちらに歩いてきた。
歩いてきて、目が合った。
「あ、もしかして正嗣に?」
「……」
「もう出たみたいだから」
「ぁ……」
「僕が伝言受けましょうか?」
洗練された感じの人だった。少し長い髪は緩くウエーブがかかっていて、しっかりとした、けれど太いとかではない、しなやかな逞しさのある、長身の男性。
美形の。
「え、あ……いえ」
「そうですか? けど、あいつに差し入れ?」
「! あ、いえ、これはっなんでもない、のでっ」
彼が首を傾げると、甘い香りがした。
彼のつけている香水なんだろう。
「買い物のついでに少し寄っただけ、なので」
慌ててビニール袋を自分の背後に隠して、一礼をしたら、ほら、またふわりと甘い香り。
「そ、れじゃっ」
ずしりと重たい甘い香りは少し鼻について、なんだか胸のところがやけにチリチリと痛んで、あまり好きな匂いではなかった。
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