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第14話 彼と、彼

 あの!  そんな声が背後から聞こえた。でも聞こえなかったフリをしてその場を駆け足で逃げた。  なんで?  なんでだろう。  でもなんだか、嫌だなと思った。  何が?  美人だった。  だから?  洗練された感じがして、なんだか居た堪れなかった。  どうして?  並んだら、惨めな気持ちがしたから。  確かにね。  それに。  それに? 「っ」  それに、居心地が悪かったんだ。  春らしいオフホワイトのコートに身を包んだ彼と、ビニール袋に冷凍餃子とポテサラの入ったタッパを持ったラフな格好の自分とじゃ、何から何まで違いすぎて、とても居心地が悪かったんだ。  とても何かチクチクと痛くて、ジリジリと胸の辺りが焦げ付いて。  冷凍庫に戻す時、カランカランと呑気な音を立てる餃子になんでか、笑えてしまった。なんというか、彼なら、先程の彼なら夕食にもっと素敵なものを食べそうだから。  田舎から出てきたおのぼりさんだった俺にしてみたら洒落っ気付いていて、戸惑ってしまいそうなものを食べてそうでさ。  見劣りする自分が恥ずかしかった。  けれど、一番逃げ出したかった理由はそこじゃなくて。  そうじゃなくて。  多分、彼と樋野が並んで歩いていたら、とても目を引くだろうと思ったから。  それを妬ましく、思ってしまいそうだったから。  彼は樋野の……。 「はぁ……」  彼は樋野の、恋人なんだろう。  この前、餃子をご馳走になった時言ってたじゃないか。ゲイバーでバーテンダーをしていたって。俺は、行ったことがないけれど、ゲイバーにはゲイが行くわけだから、恋人だって見つかるだろ。 「そりゃ……そうだ」  樋野は顔も良いし、人当たりもいい。明るく気さくで、礼儀もちゃんとしている。けれどもその礼儀がぎちぎちしていないから、あまりかしこまらずに接することができる。  つまりは……居心地がいい。  そんなの、恋人くらいいるに決まってる。 「恋人……か」  さっきの人が樋野の恋人。  ―― 俺がバイトしてたラーメン屋は羽なしだったんですけど、皮がパリッパリで美味いんですよ。  明るく気さくで、礼儀もちゃんとしている。  ―― あの大丈夫ですか? っていうか昨日飲みすぎましたか?  気配りもできる。  ―― ここ、掴まっててください。  優しい。  ―― 水泳は大学でやってたんです。その前、高校の時は野球、中学の時は囲碁将棋。  スポーツ万能。  ―― 大丈夫ですか? 最上さん。  つまづいて転びそうになった時、軽々と受け止めてくれたっけ。手、あったかくて、大きかった。 「…………」  どんななんだろう。  樋野は恋人の前ではどんなふうなんだろう。 「……」  あの手で触れられるんだ。  軽々と二十九の男一人位受け止められる身体で、あのさっきの人と。 「……」  したり、するんだろうか。  その、つまりはキス、とかそういう類のことを。  そりゃするんだろうな。  大人なんだから、お手手繋いで登下校なんて歳じゃないんだから。キスをして、触れて、触れられて、それで……。  あの手で触れるんだ。  あの手で触れられたらどんななんだろう。  さっきの彼は触れたことがあるんだろうな。  見たことだってあるんだろう。  樋野の身体を。きっと逞しい。さっきの彼はモデルのように足が長くて、スリムだったけれど、充分に男性らしい身体をしていた。けれど、きっと樋野の方が逞しくて。  どんなふうだろう。樋野の……。  ――最上さん……。 「!」  今、俺、何を。 「イタ……」  慌てて、今、脳内で再生しかけたイメージを追い出そうと冷蔵庫の前で立ち上がると、そのまま頭で冷蔵庫の扉に頭突きをした。痛くない程度に。けれど、うちの冷蔵庫は扉を手でトンと押すと反動をつけて勝手に開いてくれるタイプのもので。  勢いよく扉が勝手に開いて、額をしたたかに打ちつけた。まるで頭突きの仕返しのように。  ―― ギリギリセーフですね。 「ギリギリセーフ……だっただろうか」  同じ職場で働く職員の在らぬ姿を今、再生しかけた俺は、ギリギリ。 「アウト……だった気がする」  今度はそっと、仕返しをされないように冷蔵庫に額をくっつけて、本当なら頭を冷凍餃子のように冷凍庫で冷やしておきたいけれど、それは無理そうだから、そっと目を閉じて、考え事で散らかった頭の中を整理整頓した。  橋本さんにはお菓子をあげたけれど、何がいいだろうか。 「うーん……」  日曜の朝、洗濯と掃除を済ませ、食料調達の買い物ついでに、ぶらりと駅ビルまで向かった。この前、樋野と飲んだ駅ビルだ。  餃子のお礼を買おうと思ったんだ。  ほら、恋人がいると知らなかったから、のこのこ食事を一緒にしてしまったけれど、でも、あまり良くはないだろう? 彼にしてみたら気持ちのいいものじゃないだろうから。 「……酒、か」  ぶらぶらと歩いていると大きなリカーショップを見つけた。  ちょうどいいかもしれない。  バーテンダーをやっていたし、よくビールを美味そうに飲んでいたから、酒は好きなほうなんだと思う。この前も居酒屋に行ったし。飲むのが苦手なら率先して居酒屋になんて行かないだろうし。 「すみません、あの」  けれど俺はバーテンダーほどには酒に詳しくないから、店員に声をかけた。  プレゼント用なのだが、何かオススメはないかと。そして笑顔で応対してくれた店員が俺の代わりに見繕ってくれた酒の解説を聞きながら、あの彼と二人で飲むんだろうか、と考えると。 「……」  少し、また胸の辺りがチクチクと痛い気がした。

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