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第18話 迷子で、迷子なサラリーマン
「何してんですか。最上さん」
何って。
「……迷子になって、た」
ぐるぐると考えていたら道がわからなくなってしまったんだ。
「でしょうね。ここ、どこだか分かってます? って、分かってて来てたんなら、あれですけど」
「ここ?」
わからないから迷子なんだろう? どこをどうやってここに来たのかなんて知らない。もちろんここがどこだかもよく分かってない。それどころじゃなかったんだ。
「わかってなかったんですか? さっきの」
だから何をわかってないんだ。
「ここゲイバーが多い辺りなんですよ」
「そう、なのか?」
「えぇ、それでこの辺で何してたんです。一人……ですか?」
驚いた。この辺、同性愛の人が多いのか。そういう場所があるのは知っていたし、今日の飲み会の場所がその近くなのもわかってはいたけれど、でも迷子になったのがその界隈だとは思ってなかった。
「あ、いや、大学の時の友人と飲んでて、もう俺は帰ろうと思ってたんだ。でも、帰り道が分からなくて」
そう、考え事をしてたらどこかで道を間違えてしまったんだろう。気がついたら駅どころか知らない場所にいた。
「さっきのはナンパですよ」
「ナンパ?」
「えぇ、一人でウロウロしてる貴方をナンパしてたんです」
「……」
「貴方みたいな人が無防備にウロウロなんてしてたらナンパされるんです」
「……」
俺みたいなの、とはどういう人のことをいうのかと思わず顔を上げたんだ。俺がナンパなんてされるとは思わないだろう? だから、驚いて顔を上げて、樋野と目が合った。
「ナンパ、されたかった、とかですか?」
久しぶりにちゃんと顔を見たんだ。ここ数日、ずっと避けていたから、顔をまともに見ていなかった。ちゃんと見たのはあの餃子の時が最後だったから。だから、久しぶりに樋野を見て。
「勝手に邪魔しちゃいましたけど。でも、貴方ならあんなの相手しなくたって、いくらでも良いのいるでしょ?」
なぜかしかめっ面になった樋野にトクンと胸が鳴った。
「わからないんだ」
「? 何が?」
今、こうして声をかけてくれたけれど、樋野に嫌われてやしないかと考えてる。けれど、嫌われても仕方ないことをしてるのは俺なんだ。それなのにどうして嫌われてないかと心配してるんだと思う? おかしいだろ? わけがわからないだろ?
なぁ、これはなんなのだろう。
「困ってる」
「だから何がです」
「恋人がいるなんて思ってなかったんだ」
「え? あー、そう、なんですか?」
「けれど、考えたら、いてもおかしくないんだ」
「……へぇ」
「そういうの全く考えてなくて」
「……」
「いざ、目の前にその恋人を見てしまったら、なんだか急になんというか、その、わけがわからないんだ。苛立つというか」
「……」
「顔を見る度に恋人がいるんだと思うと、なんだか」
「……」
「だから、避けてしまってた」
「……」
「避けてるのはこちらなのに、嫌われるのは嫌だなと考えてみたり。もう印象なんて悪いに決まってるのに、言わなければ、聞いてもらえないのにバスに乗らない言い訳をずっと内心説明していたり」
「え?」
ずっとしてたんだ。毎朝同じだったはずのバスに乗らない理由を色々考えて胸の内ではたくさん言い訳をして。いくら察しが良くて気の利く樋野だってエスパーじゃないんだから、胸の内の声まで聞こえるわけないのに。
「あの、最上さん?」
「ずっと考えてて」
「あの、今、恋人がいるって」
「頭の中が樋野のことばかりで」
「はっ? あのっ」
「今だって、こうして話しができて、迷惑をかけただろうに、それよりも嬉しくて。まともに話せてなかったから。と言ってもまともに話そうとしなかったのは俺なのに……あの……樋野?」
樋野がしゅるしゅると縮んだかのようにその身体を折り曲げて、足元にしゃがみ込んでしまった。
「あの、具合悪いのか? お前もそのゲイバーにいたってことは飲んでたんだろう? 気持ち悪いのか?」
手を差し伸べようとしたら、その手を掴まれた。具合が悪くて立てなくなってしまったんだろう。手を貸そうとしつつも、ほら、やっぱり掴まれたところがジンジンと熱くなって、ジリジリと焼けてしまいそうで、痛いくらいで、止まってしまう。早く引っ張ってあげないと、手を貸してやらないとと思うのに、それどころではないと固まってしまう。急に仕事を止めてしまったパソコンみたいに、思考停止してしまう。
「思ってましたけど、少し、天然ですよね。最上さんって」
「?」
掴まれた手が熱くて困る。
「あの、多分ですけど……」
「……」
「これ言うと、すごい俺が自意識過剰馬鹿みたいですけど」
「?」
しゃがみ込んだままの樋野がこちらを見上げて、強く俺の手首を掴むからもっと困る。
「最上さん、俺のことを好きなんだと思いますよ」
まるで、逃げないでと、逃がさないと言われてるみたいで。今から、言うことに驚いて逃げたりしないでと、言われてるみたいで。
「そんで、俺も最上さんが好きです」
手首が焼けてしまいそうだ。熱くて、熱くて、ヒリヒリする。
「え? あの、だって、樋野には恋人が」
「あのさっきも言ってたそれって誰のことですか?」
「だって、この前、餃子をまた一緒に食べようと思って伺ったら、男性がいた。すらっとしたかっこいい」
「は?」
「少し髪が長くて、背の高い」
俺より少し背が高かったと空いている方の手でその高さを表現してやるとぽかんと口を開けたまま樋野がその高さを確認して、数秒後、「あっ!」と声を上げた。そして、前髪を片手でかき上げた。
「あー、それ、あいつですよ。この前、ソウさんの動画の消去を依頼した。あいつっ、そっか、何か報告書を持ってくるって、うちが帰り道でちょうど通るからポストに突っ込んだからって言ってたけど」
「えっ? あの違うのか?」
「違いますよ!」
手首を掴んだまま、スクッと樋野が立ち上がった。
急に背を越され、足元にいた樋野を目で追いかけてた俺は一気に視線が上を向くだけでもクラクラしてしまう。
「俺はてっきり。だって、彼も、とても親しそうにしてたし」
「それは多分からかったんでしょ。あいつは、知ってたから、その」
掴まれた俺の手首も熱いけれど、俺の手首を掴んでる樋野の手もとても熱い。
「俺……ヤキモチ、してたのか?」
「……かもしれないですね」
あんなに胸の内を歩き回ってウロウロウロウロしていた言葉たちがスッと落ち着いていく。
「俺は樋野のことが好き」
「……そうだったらすごく嬉しいです」
ほら、また落ち着いた。
「樋野も、俺のことが」
「好きですよ」
でも、今度は。
「貴方のことが好きです」
ドキドキして、胸の内がまた騒がしくなってきた。
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