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第25話 なかなか恋が進まないですね

 あんなこと、検索しなければよかったな。 「……はぁ」  交際からキスまでの期間、なんて。  おかげで迷い始めちゃったし。何より、樋野がなんとなく不機嫌というか怒ってるというか、とにかく、あまり話せてない理由を考えられなかった。結局、買い出しの後だって、食材のカットの手伝いだなんだかんだって、他の新人職員と一緒に動き回っていて、まともに話せてないし。 「……はぁ」  もう一度、マスクの中で溜め息を一つ零した。 「そんなに悩まなくても大丈夫だよ」 「ぁ……山内課長」 「そろそろ火起こし係の出番みたいだね」  なにせ大人数だ。食材のカットだけだって相当な量になる。途中、樋野の様子を伺いに調理場を覗いたけれど、大きな、基本大家族のような状態で食事をする実家でも見たことがないような大きなボールの中に野菜が山盛りに入っていた。  樋野は他の職員と一緒に笑いながら、野菜をカットしていた。 「えーっとまずは新聞紙を」 「あ、課長、薪を」 「そうだったそうだった」  火起こし係は三つの鉄板にそれぞれ二人ずついる。他の鉄板担当も火起こしを始め出していた。 「なかなか、火が付かないですね」 「……そのようだね」  くしゃくしゃにして丸めた新聞紙に火をつけて、それを薪の中へと慌てて放った。火って何かやっぱり怖いもので、そう長いこと持っていられなかったんだ。すると、火はすぐに新聞紙だけを半分ほど燃やしてそのまま勝手に鎮火してしまった。 「おやおや……」 「課長、まだ新聞紙あります」 「あぁ、ありがとう」  もう一回。今度は山内課長がギリギリまで新聞紙を手に持って、十分、火が回ったところで薪の中へ……。 「あ、あれ? 火付かないですね」  どうしようか。今度は新聞紙は燃え尽きたけれど、でも新聞紙だけで、薪にはちっとも火が移ってはくれなかった。  また小さく山内課長が「困ったね」と呟いて、俺はもう一枚の新聞に火を。 「息子に火起こし係は向いてないねって去年笑われたっけ」 「課長?」 「去年はこの懇親会に息子も来てたんだ」  そうだった……かもしれない。その時は俺は別の係だったし、山内課長は多部署だし、少し話をする程度だから、あまり去年のこの旅行中も話さなかった。 「息子さん、今年、小学六年生ですっけ」 「あぁ……中学受験をするそうだ」  する、そう? なんで、そんな他人。 「よくは知らないんだ。元嫁からそう聞いただけで」 「……」  そんな他人行儀みたいな。 「今年初めに離婚してね」 「……」 「市役所、隣の市でよかったってあの時思ったっけ」 「……あ」  ちょうどその頃だったかもしれない。山内課長が、ご自身の休憩時間に住所のある市役所に書類を出しに行ったら、その市役所はお昼休憩を一斉に取るようにしていて、しばらく待たなくてはいけなかったって、そう話してた。 「ここの市に本籍置いてたらここに離婚届出さないといけないから」 「……」 「って、君に話してしまったけれど」 「あ、いえ……あの」 「つい、去年、ここに息子と来たなぁなんて、思い出してしまってね」  行きの電車の中で缶ビールを持ってたっけ。  急行の向かい合わせになる、旅行っぽい雰囲気を味わえる列車の中で懐かしそうに窓の外で流れていく新緑の景色を眺めて。 「あの時はまだ離婚なんて考えてもいなかったな」 「……」 「楽しかった……」 「……」 「君といると、おかしなことを言うようだが、息子と一緒にいるような気がして、懐かしくなってしまってね」 「……」 「って、君にしてみたら小学六年生と一緒にされても困るよな。あははは」 「……いえ」 「中学受験、応援なんてされても迷惑だろうが、でも」 「迷惑なんかじゃないと思いますよ。息子さんのお父さんは山内課長だけですから」  課長は顔を上げた。 「山内課長に似て、きっととても頭のいい息子さんだと思うので、きっと受かりますよ」 「……最上、くん」 「少し落ち着いたら、息子さんと二人キャンプとか楽しそうじゃないですか」 「……」 「男同士、って感じで」 「……あぁ、そうだな。そしたら、それまでに火起こし覚えないと」 「ですね。って、課長、他の鉄板はもう火が」  振り返ると他の二つの鉄板はもう火が着いたようだった。けれど俺たちの担当している鉄板はといえば。 「あぁ、こりゃ急がないとだな」  まだまだそのままの薪と新聞紙の燃えカスが増えるばかりの危機的状況だ。慌てて二人でもう一度新聞紙に火を――。 「あー、ちょっと待っててください」  火をつけようとしたら、まだだと止められた。 「そういう時は木屑を使うんですよ。これ、さっきもらってきたんで」 「……樋野」 「薪に火が移りにくい時は、火をつけた新聞紙に木屑を振りかけるんです」 「そ、ぅなのか?」  顔はなんだか怖いままだった。 「ありがとう」  けれど、手伝ってくれた。 「いーえ」  だから、きっと嫌われてないって思った。 「どういたしまして」  ただそれだけでなんだかとても嬉しくてたまらない気持ちになれた。  なれたのだけれど。火もついて、俺たちが夕食を食いっぱぐれることも無くなってとてもよかったのだけれど。 「ちょっ! ここ、煙い! ものすごく!」  火がものすごい暴れん坊なんだけれど。 「おーすごいね。私たちの火起こしが一番立派に火を付けられたな」 「あらあら、なんだかキャンプファイヤーみたいね」  いや、そういうことじゃなくてと、火柱をのんびり眺める山内課長と橋本さん、それから同じ子育て促進課の皆にマスクの中で一人ツッコミを入れていた。

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