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第27話 最高ですか? 最高です。
「えっ、ちょ、どうしたんですか?」
ドン引きだろう。
「っ、なんでもっ」
変なところを見られてしまった。かなり年上の職場の先輩が楽しいはずの懇親会の最中、一人ベッドの上で泣いてるんだから。
こういうところもタイプじゃないかもしれないと、慌てて、涙を手で拭おうとするとその手を掴まれて、阻止されてしまった。
「ちょっ、待っ、そんな擦ったら赤くなりますからっ」
樋野が神様だと崇めたソウはここにはいないんだ。あれはただの調子に乗った高校生が背伸びをしてそれらしく見せてるだけ。本物の、ソウの本当の姿なんてこんなものなんだ。
――ソウくん、やらしくて最高!
やらしいことなんて本当は誰ともしたことない。
――ソウくんのレア後ろ姿ー! 拝む!
あんなことを言われて調子に乗ってただけ。
――ソウくん、絶対に可愛いよね! 目隠ししててもわかる!
今となってはただの二十九歳のしがないサラリーマンだ。
――ソウ君に一度でいいから会いたいなぁ。
会ったら、なぁんだ、つまんねぇって幻滅されるのがオチだ。
――ソウ君で、もう何回抜いたかわかんねー!
実物に会ったら、きっとシオシオのしょぼしょぼになるぞ。えっちなんてしたことがない童貞なんだから。
「ソウ、じゃない」
樋野が好きなソウじゃないんだ。本物の俺は。
「いや、泣いてるでしょ。何があったんです?」
「そ、そういうことじゃなくてっ」
ほら、ネーミングセンスだってイマイチ。ソウ、と、そうがごっちゃになる、使いづらい名前。
「そうじゃなくて……俺は、樋野が想像してるような奴じゃない」
「……ぇ」
きっと樋野はやらしくて、そういう行為に慣れていて、上手で、気持ち良いことをたくさん知っていて、交際にだって手慣れている、大人っぽい関係を持てるソウがよかったんだろ? ほら、エロス満載、みたいなさ。
「本物の俺は、ソウ、じゃない」
「……」
また涙が出そうになる。
知ってます。だからこっちもまずったなぁって思ってました。まさかこんな感じだとは……って、言われるんだ。それを想像したら、涙がまた勝手に出てきそうになる。
「樋野が言っていた神様みたいなソウじゃないんだっ」
涙がぽとりと落ちてしまった。悲しいのか、寂しいのか、申し訳ないのかわからないけれど、でもその全部がごちゃ混ぜになって、涙になって溢れてしまった。
「最上、さん……」
「そうだ。俺は最上荘司っていう普通のそこら辺にいる地味で市役所勤めをしているサラリーマンで、二十九歳で、友達だってたくさんいるわけじゃない。遊び慣れてもいない」
自由奔放で、性に寛容で、ピチピチした若い子でもない。まるで別人。
「恋人、だって……いたことない」
「……」
「だから、見当違いだっただろっ、俺は、樋野が会いたかった、ソウじゃっ……」
ソウ、じゃないって言おうとしたけれど、ぎゅっと、胸のところで息が詰まって言えなかった。涙を拭うと赤くなるからと掴まれて阻止されていた手首を引っ張られ、そのまま胸の中に。
「そうじゃないです」
胸の中に、ぎゅっと……。
「そう、だよ。俺は、ソウ、じゃない」
抱き締められてしまった。
「いや、そういうことじゃなくて」
「……」
息が上手にできないくらい。
「確かに、見当違いでした」
「っ」
ほら、やっぱりなんだと、耳元で囁かれた言葉に身がキュッと竦む。
「貴方が後悔してるのかと、思って」
「え?」
「俺なんかじゃ、年下のクソガキなんかじゃ、満足できないって、これは見当違いだったって、もっと大人の方がいいやって」
「なっ」
「山内課長とか」
「はっ? な、なんで、今、市民課課長の名前がっ」
とんでもない名前を今のこの状況で聞いて、声がひっくり返りそうになった。それこそ止まらなくて仕方なかった涙が一瞬で止まってしまうくらいにびっくりする、この会話の中に突如現れた登場人物に。
「だって、俺のこと避けてませんでした?」
「!」
避けていたわけではなくて。ただ隠してることが。
「隠してることがあるでしょう?」
「!」
樋野は実は気が利く新人職員ではなく、人の心が読めるエスパーか何かなんだろうか。
「何か隠してて、夜は会う約束をするよりも早く帰るし、そわそわしてた。そこに来て、なんか、かなり仲良く会話をする大人、しかも離婚直後」
「なっ、なんで、離婚されたことを知っ……」
ぺろっと勝手に暴露してしまった。言いかけた言葉を閉じ込めるように、しまったと、慌てて口を噤んだ。きっとこれはそうたくさんの人が知ってることじゃないだろう。
「いや、噂で」
「噂になってるのかっ」
「離婚したって」
「はわぁ! シーっ」
内緒にしとくべきプライベートだぞ。個人情報だ。プライバシーの保護をしないといけないんだ。
「だから、貴方は俺みたいなガキよりも大人の男の方がいいなぁって思ったのかと」
「な、なんでそうなる」
「避けてるから」
「!」
「何か隠してるから」
「!」
もうすでに、樋野が理想にしてた「ソウ」じゃないのは丸わかりだろう。今更、誤魔化せるとは思えない。それなら。
「避けてたのは……隠してたのは……練習、してたんだ」
「練習?」
「…………キス、の」
「……」
「したことなくて……でも、ソウは、してそうだっただろう? そういうの慣れてそうだと思っただろ? けど、実際の俺はそんな経験一つもしてなくて、だから、不慣れだし、どうしたらいいのかもわからないし」
だからネットで調べたんだ。
「触り心地がいいようにって、高いローヤルゼリー入りのリップを毎日つけて、ベロを鍛えるといいっていうから、その飴玉で毎日練習してた。キスの顔も何回も、これは、見る度に落ち込んだけれど、見てはブサイクにならないようにと練習して」
「……」
「今日の懇親会できっとするだろうからって」
「……」
「けど、樋野がなんだか不機嫌そうだったから、一週間でそんなことはまだしないのにやる気満々なのがバレたのか、それとも、ソウと全然違うって、この交際を後悔してる、の、」
「最高ですか?」
「?」
問われた?
「あ、いや」
最高ですか? と問われたら、最高じゃないです、と答えるだろ。
「あんなにエロい人が、キスしたこともないなんて」
「……」
「どんなご馳走なんですか?」
「あ……」
ご馳走? ご馳走はバーベキューだった。
「俺は、貴方のこと好きですよ?」
「!」
「かなり、すごく好きです」
本当に?
「今、また、もっとハマりました」
本当に?
「一週間練習したんですか? キス」
「あ……うん」
「してもいいですか? キス」
「あ……」
心臓がドクドクうるさい。
「待っ、あのっ」
「待てない。今、キスしたいです」
「リップを……」
うるさいのが、止まった。
「……」
唇が触れた瞬間、鼓動が止まって。
あ、って思い出した。唾液が多くなるようにって水もたくさん飲まないといけないのに、今、泣いてしまったから、もっと体内の水分量は減ってしまってるんじゃないかなって、リップもしてないし、大丈夫なのかなって。
「ぁ……樋野……」
キスの終わりに樋野を呼んだ自分の声がまるで別人で、色々、慌ててしまった。
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