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第39話 阿鼻叫喚
まさか本当に怖いものを克服していこうだなんて。
ジェットコースターに、お化け屋敷。どちらも怖くて苦手だったと話したら、正嗣がパッと表情を明るくさせて、じゃあ、それを克服しましょうって。
行くなら本格的に、なんて。
「車持ってたんですね」
「あぁ、普段使わないけどな」
通勤にはバスを使ってる。日々の買い物は徒歩圏内で事足りる。病院だって、歩いて十五分以内に内科、胃腸科、あまり俺には関係ないけれど小児科、それから、もうちょっとだけ歩けば耳鼻科もある。車がなくても不便だと感じることはないと思う。維持費のことを考えたらなくてもいいかもしれない。
「でも、田舎は車は必需品だからかな。ないと困る気がして、落ち着かないんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ、一人一台は持ってる、かな。大体の家が二台は普通に持ってるよ」
「すごい」
「すごくはない。普通に不便なんだ」
電車は一時間に三本、もしくは二本。最寄りの駅まで歩くとしたら一時間かかるかもしれない。俺の実家は駅までバスが通ってるけれど、そうじゃない同級生もいたりした。でもそのバスだって朝と夕方の一番利用客が多い時間帯でさえ一時間に四本程度だ。だから車がないと困るんだ。
「コンビニにだって車で行く」
「え? 本当に?」
「本当に」
「夜にはハクビシン、たぬき、その辺りの動物だったらしょっちゅう遭遇してたよ」
「猫じゃなく?」
「猫じゃなく」
面白いように正嗣が驚いてくれた。
シルエットが違うからすぐにわかるよ。猫はシュッとしてるけれど、タヌキは体つきが丸いし、ハクビシンには太くて長い尻尾がある。そう説明すると、隣で興味津々で聞いてくれた。
「同級生のうちの壁にイノシシが激突したこともあったっけ」
「えぇ!」
「あと庭の畑の作物を猿が食べてたり」
「はい?」
庭に畑があることからびっくりだって言われて、自分にとっては本当にただの田舎だけれど、そんなに驚かれるとあれもこれもと自慢気になって話してしまう。こんなエピソードなら山盛りにあるんだと、ずっとそんな話をしていた。
「道、案外空いてるな」
大型連休の真ん中だから混んでるかと思った。けれど高速道路は渋滞になることなく今のところ、順調に進めている。
「まさか本当に遊園地に行くことになるなんて思わなかった」
「? そうですか?」
「あぁ、だって」
だって、そういう場所ってもっと準備立てて行くものな気がしていたから。サイトを見て、チケットのこととか調べて、曜日をあらかじめ決めて、いざ! って、行くものだと思ってた。
「行ってみたいって思ったから行ってみよう、みたいなの、すごいと思う」
「……」
「あぁ、そうだ」
「? どうかしましたか?」
すごいなと思う。
「田舎だからかな、夜の車の運転も怖くて苦手だった」
準備立てて、気持ちを、持ち物を用意しないと遊園地なんて行こうと、俺は思わない。何かあったら困るだろうって、すぐに臆病者が顔を覗かせる。
「それにしても、すごいな。本当に渋滞していない」
まるで、ほら行っておいでと言うように、高速道路は快適で、これじゃ、遊園地まであと一時間もかからず到着しそうだった。
あと少しで着いてしまうのに、持ち物大丈夫かな? とか、平気かな? とか漠然とした不安も臆病風も吹かない。そして何より。
「あ、看板が見えた」
遊園地に、ワクワクしていた。
ワクワク、していたんだ。
「…………こ」
到着するまでは。ほら、観覧車が見えるって、高速を降りた途端に見えた大きな観覧車を指差して、ちょっと声も弾んだり。
「ここここ、こ」
していたんだ。
今は震えてるけれど。
でもこれは震えるだろう。なんでこんな「ほーら、これに乗ってごらんよ?」みたいな感じに駐車場のギリギリをジェットコースターが通り抜けていくんだ。ほら、ものすごいスピードで悲鳴が通り過ぎていく。あのまま青空高くに悲鳴ごと飛ばされてしまうんじゃないか? と、思った瞬間。
「……ひぇ」
俺が小さな悲鳴を上げてしまうほど、ジェットコースターが真っ逆さまに落ちていった。もちろん阿鼻叫喚の叫びを携えて。
「ひぃ」
そう思ったら。今度はまた遥か遠くに顔を覗かせて、ぐるりぐるりとジェットコースターが渦を巻くレールの中を猛スピードで駆け抜けていく。
「あはは、すごいですね。俺、ここに来たのは久しぶりかも」
そんな呑気に見るものなのか?
「最上さんは?」
「ニ、二回目だ!」
「そうなんだ。その時はこのジェットコースターありました? 中にもすごいのがあるんですよ」
な、中にもこんなのがあるのか? 一つじゃないのか? ジェットコースターって。普通。遊園地に一つだろう?
「な、ないっ! 違う、ここに二回目じゃなくて、遊園地が二回目なんだっ! 一回目がっ」
「へぇ、じゃあよかった」
よかったのか? な、なんか今、またどこかで阿鼻叫喚が。
「世界最速を体験できるんです」
「んなっ」
そんなの体感しちゃダメだろう。
「さ、最上さん、行きましょお!」
「えっ? ちょっ!」
そんな楽しげに歩いて入るところなのか?
「待っ」
あんな阿鼻叫喚の叫びが行き交うような場所に? 遊園地って、遊ぶ園って書くのに、あんな叫び声上げる遊びあるか。ないだろう。
「さ!」
ないだろう?
けれど、にこやかに笑う正嗣に手を引っ張られて、連れられて、よろけながらも入ることになった俺たちの頭上を、またどかしらで落下してぐるぐる回って、猛スピードで叫び声ばかりが走り抜けていった。
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