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第40話 翼
普通こういうのは最後にするんじゃないのか。
「あー、やっぱここは並びますね。でも、二十分待ちなら、空いてる方かな」
普通、準備運動するだろう? プールだって、体育だって、なんだって準備運動してから挑むだろう? いきなりプールに飛び込んだらダメだろう? 心臓止まったらどうするんだ。うっ! って唸ってその場でパタリと倒れたらどうするんだ。だから、普通は先に準備運動するのに。
うっ! ってなってしまうのに。
「世界一の高低差なんだそうです」
そう解説してくれる正嗣の声を阿鼻叫喚が掻き消してしまう。世界一のなんだ? 何?
「世界一の高低差、なんだって」
なんだそれは。それってすごい高さからすごい低いところまで落ちたり上がったり落ちたり、ぐるぐるしたり、ブンブンされたりするってことだろう? ここに来たとき、迫り出すように、駐車場にもかかっていたこのジェットコースターは。
「こういうアトラクションって何に乗ったことありますか?」
「え?」
こういうの、と正嗣が指を刺して、今から乗るジェットコースターの方を指さした。着々と進んでいく行列。あと、一回? ニ回? そのくらいのターンで、順番が回って来てしまいそうだ。
「バ、バイキング、かな」
「そうなんですか?」
「も、もうあの時点で怖かった。内臓がグッと持ち上がるような、感じたのことのない感覚がして、怖くて」
日本語がメチャクチャになるくらい。
ただブランコの大掛かりなものなだけなのに、側から見ていたらそう大したことなさそうだったのに。同級生たちは、「はいはい、じゃあとりあえずバイキング」ってそれこそ準備運動みたいに乗っていたのに。だから大丈夫かなって乗ってみたんだ。そしたら、内臓がひっくり返りそうで気持ち悪いばっかりで、なんだこれって。
「!」
その時、また悲鳴が恐怖心を煽るようにどこかから聞こえてきて、どこかへ去っていってしまった。
死んでしまうかもしれない。
あぁ、なんてことを思い出したんだ。あの記憶が蘇ってきて余計に怖くなってきた。
いや、そうだ。準備運動だ。
準備運動をしていないんだ。これじゃ心臓が止まってしまう。それに準備をしておけば少しはマシになるかもしれない。憂いあれば備えな……あ、いや、違った。備えあれば憂いなしだ。うん。そ、そうだ。スマホで、調べてみよう。ジェットコースター、乗り方、コツ、とかでやったら、恐怖心を解消する方法が見つかるかもしれない。
「大丈夫ですよ」
「……」
キュッと正嗣が手を繋いでくれた。
「なんでもやってみましょうよ」
「……」
「やってみたら、案外楽しいかもしれない」
「た、楽しくない……かもしれないじゃないか」
そうだ、何でもかんでも楽しいわけはないんだ。楽しいこともあれば悲しいことや、苦しいことだって。
「でも、やっぱり楽しいかもしれないし、後々楽しくなるのかもしれない」
「そんなこと」
その時だった。
ガタン、と大きな音をさせて、ゴトゴトと物騒な音をさせながら、ジェットコースターが戻ってきた。
次は、俺たちの番。
「はーい、お待たせしましたー。お次の方、順番にお進みくださーい」
俺たちはちょうど真ん中当たりの席だった。
時間がなくて、スマホでジェットコースターの乗り方を調べられなかった。しかも、手荷物は一切持ち込み禁止らしい。そりゃそうか。バイキングどころの高低差じゃないんだ。世界一の高低差なんだ。荷物なんてもっての外だ。
乗る前にそばにあったコインロッカー荷物を預ける。鍵はかけず、そのままスタッフに荷物の番を頼み、ジェットコースターの席へと座った。狭くて、窮屈な座席。それに、物々しいけれど、でもこんなベルトで大丈夫なのか? と問いただしたくなる古いベルトを音がするまでしっかりセットして、それから首がちっとも回らなくなるくらいにピッタリフィットする首周りのベルトを下ろす。
もう、こんな頑丈に身動きを取ってはならないっていうことなのののの、が恐怖を――。
「それに……」
「な、何? 正嗣っ」
耳のところもベルトがくっついてるから上手に聞き取れなかったんだ。慌てて聞き返すと、正嗣が手をキュッと、もっと強く握ってくれた。
「怖いからって、知らない、やらない、ままでいるのは、もったいないです」
「……」
手はずっと繋いだままだった。
――ブーッ!
ガッタンって脅かすように大きな音がして、ゆっくり、ゆっくり、俺の心の準備なんて気にもせずに、ジェットコースターが動き出してしまう。
「ちょっ〜!」
「だーいじょうぶ!」
カタカタカタカタ、まるでこれから味わう恐怖へとゆっくり進む恐ろしい音。
「最上さん! 空が綺麗ですよ!」
「え? ええええええ?」
こんな時に空なんて、見られるわけが。
「あ、来ますよ」
「は? え? っ!」
何が? なんて聞く暇もない。カタカタカタ……カタと、音が止んで、はて? と思った、ら。
「あっ! ………………」
声なんて出ないんだ。阿鼻叫喚なんて無理だった。うわー! なんだこれー! ああああああ、って頭の中では叫ぶけれど、それが喉から外に出ることなんてできないくらい落下の風圧とかなんか色々なもので声が押し止められる。
ギュって、堪えて、目を瞑って。ただ、この怖さに。
「ほら! 最上さん! 空!」
ぎゅうっと掴まれた手と一瞬届いた正嗣の声に、ただ素直に、パッと目を開いたら。
「……」
真っ青だった。空が、真っ青で、他には何もなくて、上で輝く太陽がやたらと眩しくて。
「わっ……」
まるで、空を飛んでるみたいだって。
「うわぁ!」
声が出た。
「ヒャッホー!」
正嗣の楽しそうな悲鳴が聞こえた。
「手、広げて!」
「え?」
「手、ほらー!」
両手を広げてそのまま一番高い、一番空に近いところから、一気に落下。
「うわあああああ!」
広げた両手は翼。まるでそれは、空から地上ギリギリを滑走する。
「わああああああ!」
まるで、鳥の気分。
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