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第41話 世界一

 ジェットコースターを降りると、足がわずかだけれどガクガク震えていた。 「ははっ、すごい、ちょっと膝が笑ってる」 「でも、怖くなかったでしょ?」  出口側の階段を降りてる最中、転んだりしたら大変だと思ったのか、正嗣が手を差し伸べてくれた。俺は支えがわりに掴まっていた階段の手すりを離し、その手をキュッと握った。 「……あぁ、怖くなかった」  この震えは恐怖からじゃなくて、味わったことのない感覚に足が、身体がびっくりしただけ。それはまるで大空を滑空する鳥にでもなった気分――なんて言ったら大袈裟だなと人に笑われそうだけれど。 「ね? 案外、楽しかったでしょ? 鳥になったみたいな気分がして」  でも、正嗣もそう言ってくれたから。 「あぁ、すご、かった」  不規則に上っていって、空気を裂く音がしそうなほどのスピードで落ちて、そこから地面ギリギリを駆け抜け、ぐるりぐるりって空を舞う。地上に足をくっつけたままじゃ味わえないもの。 「やってみて、よかった」  怖がってるばかりじゃ、味わえないもの。 「でしょ?」  一人じゃ絶対にやってみようなんて思わなかったもの。 「つ、次は、世界一の速さのがいい!」  正嗣が一緒にいてくれたから、味わえたもの。 「それ、いいですね」  彼はちょっとだけ驚いてから、そう言って笑って、繋いだままの手をまたキュッと強く握ってくれた。  世界最速のジェットコースターは、そうだな、なんだろう。未来の乗り物にでも乗った気分、かな。まるでロケットの発射口みたいになっている乗車口。光が前へと進むようにピカピカと青白く点灯していると、カウントダウンが始まって、ものすごい衝撃と共に前へと身体が飛び出していく。胸のところに空気の抵抗が衝撃波みたいにズドンと当たるのが、楽しかった。 「うわあああああ! ま、また来た!」  お化け屋敷はなんの世界一だったっけ。 「い、いっぱい来た! やばい! やばい!」  びっくりした。だってお化けの軍団が近寄ってくるものだからやばい、なんて言葉、乱雑な言葉。テンション上がった子どもみたいだ。 「うわっ! 人がいた!」 「あはは。ここで懐中電灯返すんですよ。返さないとあの受付の人がゾンビになっちゃうらしいです」 「で、でも! それじゃ、もう終わりなのか?」 「まさか、ここ、世界一長いお化け屋敷ですよ? ここで半分」  それは、やばい。ここで半分って、しかもここから先はライトなしだなんて。 「一応、ここ、リタイヤスポットですけど」  あまりに長く、あまりに怖がらせることに熱意溢れるお化けたちのおかげで途中リタイヤが可能になっている。「ヘルプミー」と書かれた看板。それがついたドアを開けると、そのまま平穏無事な遊園地へと帰ることができるらしい。  けれど、大丈夫。 「へ、平気だ!」  案外、これもさ。 「い、行くぞ!」  ワクワクして、楽しいから。そして、意を決して、正嗣の手をもう一度握り直し、いざ! と前へ足を進めた。  他にもたくさん乗った。バイキングは……ちょっと苦手らしい。あの規則正しく揺らされる感じがどうも苦手だった。けれど、世界一の高低差も、世界一の速さも、世界一の長さも、どれもこれも。 「案外楽しかった」 「それは、よかったです」  他にもたくさん乗り物に乗った。最後なんて、すごいんだ。俺は何か乗り越えちゃったんじゃないのか? って思ってしまうけれど、きっと数ヶ月前の自分が今の自分を見たら、目玉が飛び出てしまうくらいに驚くだろうけれど、もう一度乗ったんだ。 「わ……すごい、あれに乗ったのか」  あの鳥のようになれるジェットコースターに。 「二回目ノリノリで手離してましたね」 「うん」  あろうことか、あのジェットコースターに二回も乗ったのか。すごいな。  そのジェットコースターを観覧車の中から見下ろしていた。コースがどんなだったのか上から見るとすごい複雑怪奇で面白い。  不思議だ。  今日一日、目まぐるしく、ぐるぐると身体も視界も回って、踊るように忙しかった。でも、その仕舞いに乗ったのは、きっと世界一ゆっくり動く乗り物。  観覧車だなんて。  今がちょうどてっぺん。  ここからまた時間をかけてゆっくりゆっくり地上へと降りていく。 「すごい、夕日が見事ですね」 「……あぁ」  ちょうど、今日一日、俺たちを照らしてくれていた太陽もゆっくりゆっくり沈んでく。  沈んだら、夜になる。  地上に着いたら、遊園地はお終い。 「オレンジ色だ」  もう今日一日青かった空は夜の濃い藍色に変わってしまってる。名残惜しそうに、ほんの少しだけ太陽が居残ってるだけ。  もう少し、もう少しって。あと少しって。 「楽しかった」  たくさん叫んで、たくさん声をあげて、たくさん笑って驚いた。それはどれもこれも一日で体験するには多すぎるくらい。きっと、ここ二年分くらいは叫んだし、驚いたし、笑ったと思う。 「なんか…………」  どれもこれも、挑戦できた。けれど、それはきっと正嗣が隣にいたからなんだろう。 「なんか、すごいな」 「?」 「世界一の高低差と世界一の速さのジェットコースターに、世界一長いお化け屋敷」 「……」 「それを世界一かもしれない怖がりが乗ったんだ」  なんだかすごいだろう?  この手を繋いでると、なんでもできる気がする。 「正嗣といると……」 「……」  優しい手。 「……」  その手を繋いだまま、身体を前に倒すと正嗣も前へと身体を傾けてくれた。 「……」  散々叫んで笑って大忙しだった唇に、世界一柔らかくて優しいものが触れる。唇が重なる。 「さっき、調べたんです」 「?」 「ここの直営ホテルがあるんですけど、今日、まだ宿泊可能らしくて」  夕日が沈みきってしまった。  あんなに遥か遠く、足元にあった地面はゆっくり丁寧にキスをしていた間にあんなに近くになってしまった。 「プールもついてて、夕食はバイキング、もしよかったら」  夕日が沈んで夜になる。  地上に戻って遊園地はお仕舞い。 「うん。泊まろう」  けれど、今、次の行き先に世界一ワクワクしている自分がいる。

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