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第42話 ヤキモチ
「すごいな……」
思わず、そう呟いてしまった。
「……ですね」
きっと、正嗣も思わずそう答えたんだと思う。
ゴールデンウイーク半ば、突然、やってきた遊園地。途中の高速道路は時間帯が良かったのか、大型連休だというのにそこの市町村の環境課は大丈夫なのか? と余計なお世話をしたくなるくらいに空いていた。けれども、さすがに、ホテルの、しかも遊園地に隣接していて豪華バイキングに室内プールの利用券付き。こんなホテルがよく取れたなって思った。それなりに夕食のバイキングは混んでいたし。蟹もあったし、アワビもあったし。これはプールもすごいことになってるんじゃないかって思った。水着は持っていなかったから、購入することになるのだけれど、水着だって、選べたし。学校の海パンみたいなものじゃなかったし。べらぼうに高い水着だったけれど。べらぼうに高い割には、夏になれば数千円で売っていそうな水着だったけれど。でも、さぞかし混雑していることだろうと思ったのに。
「どうりで、水着買う時、スタッフが少し慌ててたはずですよね」
そう確かに慌ててた。水着を買う客に慌てていたとか、水着が売れてしまった、こんな安いのをべらぼうな割高価格で売っているのに、と慌ててたわけじゃなくて、多分、売るのが久しぶりだったんだろう。水着専用の買い物袋がレジカウンターの下になかったり、プールのことを尋ねられて、しどろもどろで手元にあったパンフレットを見ながら解説してくれていたから。
なんだか……おかしいなぁなんて思いながら、それでもバイキングでたらふく食べたし、運動がてら元水泳部の泳ぎを披露してもらおうなんて思っていたんだ。
そして、さっきの「すごいな……」の言葉が出てしまったわけで。
だって――。
「プール、ちっっさ!」
「ちょっ、正嗣」
あまりにも小さなプールだったから。いや、、正嗣がここのホテルなんですって見せてくれた時の写真、スマホから見たから写真そものが小さくてしっかりと確認はできなかったけれど、ナイトプールの様子はとても洗練されていた。すごく奥行きのあるプールで豪華に見えた。それを一時間とはいえ貸切にできるなんて、なんと贅沢な、って思ったけれど。
「あはは、だって、これ、ちょっと大きめのジャグジーって感じじゃありません?」
「ま、まぁ」
「貸切の予約いらない気もしますね」
確かに。子どもは入れないことになっていた。小学生まで不可と明記されていたっけ。遊園地に隣接しているのだから、宿泊客に子ども連れの家族は多いだろうにと思ったけれど。
「あ、でも深いですよ。結構、ほら」
そう見せてくれた正嗣の肩まですっぽりとプールに浸かってしまっている。だから、子どもはダメなんだろう。かといってこの狭さじゃ泳ぎたい人には物足りない。浮いている程度が丁度のいいスペースしかないから。
「にしても、あの写真の誤魔化し方は上手でしたね」
「まぁ確かに」
「俺がバイトしてたバーもすごい狭いのに、サイトとかに載っけてるのは同じ店とは思えないくらいに広かったから、こんなもんでしょうね。あと、そうだ、今更ですけど、夜の撮影をしているところは期待しないほうがいいって言ってました。八代が」
そうなのか?
八代クンの考察によれば、夜の方が色々誤魔化せるらしい。薄暗かりの中、ぼんやりと淡い光を一つ二つ灯してしまえばどんな場所もそれなりに見える。このプールも然り、だ。確かに夜の写真で雰囲気がとても良さそうに見えたから。
「でもこれじゃ充分に泳げないな、正嗣は」
「あはは、けど、そんな本気で泳いでもビミョーでしょう?」
「そんなことない。俺は見たかった」
「じゃあ、ちゃんと夏になったらプールか海に行きましょう」
手を差し伸べられて、俺も水の中に入ると、水が温かく、この中にいる方が暖かいような気がした。確かに、結構深い。正嗣で肩の辺りだから、俺は顎が水に触れてしまうくらい。
顎のほわりと温かく柔らかい水が触れてくすぐったい。
「……誰かと、行ったこと、あるか?」
「……ぇ?」
「プールとか海とか……」
過去に、前に、誰か、恋人と。
「! ご、ごめんっ。なんでもないっ」
急に何を気しているんだ。そんなのわかってたし、そこは気にしたって仕方のないことだろう。八代クンが話してくれた時はそんなこと思わなかったのに。今まで交際した相手が俺に似ている人だったと聞いて、少し嬉しくなっていたくらいなのに。なんで、今更、こんなタイミングでそのことを気にするんだ。
「違うんだ。その、えっと。今日一日、すごく楽しくて、デート、が……上手だなと思ったら。きっとたくさんの人とデートをしたんだろうって思って、だから」
「あ、あのっ最上さんっ」
「っ」
少しでも激しく動くと水面が揺れて顔が濡れる。
「今のって、ヤキモチ、です、よね」
「っ」
この前は気にならなかったこと。むしろ、俺に似ている人を選んでいたことに喜んでさえいたのに。
今は、気になってしまう。俺に似ていると選ばれた誰かを、誰か達を、少し羨ましく思ってしまう。
「そ……う、だ」
温水プールの優しい温かさに茹でだこになりそうだ。
「あの、俺、見たかったんです」
「? 何を」
「貴方のマスク取ってるところ」
きっと真っ赤だろう。
「飯の時とかは外してるけど、基本つけてるでしょ? もっと顔たくさん見たいなって思ってて。プールならマスクしないだろうから。それで、ここのプールが小さいことはサイトで見てて、結構、本当に小さいってそこだけネタみたいにレビューもあったんだけど、でも個室にしたくて。そしたらマスクはきっと外すだろうから」
「……俺の、顔なんて」
「一緒にいて話してて、ふと笑ってくれる時とか、どんなふうに笑ってるんだろうとか、口元が気になって」
別に普通に笑ってる。
「素顔の貴方が見たくて、っていうか色んな貴方を見て見たくて。だから今、ヤキモチの顔が見れて、めちゃくちゃ嬉しい。そのくらいなんです」
「……」
「確かに誰かとデートしたことあるけど、でも、初めてですよ」
マスクしてない顔だからどこも素晴らしく見栄えがいい顔、じゃないだろう? 普通だ。
「こんなの」
ただのサラリーマンだ。
「マスクなしの最上さんにやたら嬉しくなるくらい」
初めてです。こんなに。すごくデートに浮かれるのは、と、正嗣が笑って、マスクをしていない俺の唇にふわりと温水プールの水はやっぱり熱くて。
「好きですよ」
ただのサラリーマンはのぼせてしまいそうだった。
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