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第44話 君の瞳に、百万ドルの夜景に、乾杯
楽しい旅行だった。
卒業旅行や、日帰りで少し遠くへ出かけることは友人とあったけれど、泊まりで、あんな風に過ごしたことはないと正嗣に話すと、嬉しいと笑ってくれた。俺にしてみたら、こちらこそ、とても嬉しいとお辞儀をしてしまいたくなるくらいなのに。
彼の笑った顔に見惚れていて、あまり上手にそのことを伝えられなかった。
すごく怖がりなんだ。
夜中のトイレだって怖くて行けなかった。学校の誰も使われてないトイレとかも怖かった。ほら、時々あるだろう? 学校の中に、誰も、滅多に寄り付くことのない場所って。例えば理科室とかさ。それでなくても気味の悪い標本なんかが並んでいたりするから、もしも何かの用事でそこに行かなければならなかったりすると、もう、本当にピューッと行って、ピューッと駆け足で逃げてたっけ。
得体の知れないものは怖い。
お化けも怖い。
もちろん暗いところも怖い。だって、見えないところに何か潜んでいるかもしれない。
だから夜のドライブなんて――。
「ちょ、なんか、段々、住宅地も何も無くなってきたぞ」
「大丈夫ですよー、道はあってます」
ほ、本当に?
「…………多分」
「た! 多分ってなんだ!」
「あ、そこを右へ……多分」
「ほっ! 本当に大丈夫かっ?」
「あははは、大丈夫。道はどこかに繋がってますから」
怖がりだから夜道の運転もしないと話したら、正嗣がドライブに行きましょうと言い出した。とてもいい場所があるんだと。少し遠いけれど。この大型連休、ラストにふさわしいと思うからって。
「おま……そんな……能天気な」
「最上さんが真面目なんですよ」
「真面目男じゃなくて怖がりなんだ」
「ほら、そうやって訂正するあたりが」
くすくすと笑って、正嗣が助手席の窓の向こう、かなり明かりの乏しくなってきた外の風景を車から聞こえてきる音楽に合わせて鼻歌混じりで眺めてる。
いつも朗らかだけれど、今夜は特別機嫌がいい。
その理由に、もしかしたら、ほんの少しだけれど、思い当たることがある。
もしかしたら、だけれど、俺がマスクしてないからかなって……思ってみたりして。
夜だし、ドライブだし、他の誰かに顔を見られることもないから、いいかなって。普段はマスクをしているけれど。でも、大丈夫かなって今日はしてこなかったから。
「あ、ここです。……多分」
「また多分っ!」
「だって、俺も来たことないから。ほら、車降りましょう」
「あ、あぁ」
少しずつ民家の灯りが遠くなって、少しずつ、坂道を登っていくような感じがあって、どこに行くのだろうと思った。道はゆっくり走らないと危ないなと思うほどカーブが多くなっていった。と思ったら、急にずいぶん開けた場所になり、そこにはだだっ広い駐車場があった。どこかの運動場の駐車場らしい。けれど、夜なのにチェーンで封鎖されることもなく自由に停められた。正嗣に促されて、車を出ると、草の匂いがした。それと普段なら感じることのない、少ししっとりとした空気。木々のせいだろうか。埃がほんの少しも混じらない空気が、マスクをしていない頬に、唇に触れて心地良い。
「あっち、かな」
「あ、正嗣」
少し考えて、正嗣がスマホを出すと、彼の顔をぽわりとそのスマホの画面が照らした。と、思ったらすぐにそのスマホをしまうから、明かりの残像だけが残って、目が眩む。
「こっちです」
駐車場を出て右へと進む。少し階段を登ると、屋根付きのベンチがあった。柵で四方を囲まれていて、どっち向きにも座れるベンチが東西南北、屋根の柱を中心に四角を作るように設置されていた。
「こっち」
ここで行き先は合っているらしく、正嗣はスマホで再度確認することなく、そのベンチの向こう側を目指して歩いていく。
「わぁ……」
そこからはすぐだった。
「すごい……」
眼下に広がるのは眩い夜景。
「夜のドライブにはちょうどいいでしょ?」
「……あぁ、すごいな」
「案外、すごかったですね。もう少ししょぼい感じを想像してた。だって、ほら」
「あぁ、写真は五割り増しくらいに写してあるからな」
二人してそこで、泊まったばかりのホテルのプールを思い出して笑った。あの時、写真ではとても立派に見えたプールだけれど実際目にしたら、大きいジャグジーくらいのもので、大人が満喫するには少し狭すぎるし、子どもが遊ぶには深すぎるという、なんとも中途半端な作りだったから。
でも、今回はその逆だった。
「本当にすごいな……」
正嗣が探して見つけた夜景スポット。ちょうど俺たちの住まいのある市からそう遠くない場所だったけれど、いやいや、この写真はきっと少し誇張されてるに違いないと。けれど、実物はもっと瞬いて綺麗でしたねと話す正嗣の白いTシャツが小高い丘を駆け抜ける風に膨らんだ。
「すごい綺麗だ。でも、意外だ」
「?」
「正嗣ならこういうところ、恋人とたくさん来ていそうなのに。って、あ! あれ! これはヤキモチとか詮索とかじゃなくて、その単純にそう思っただけで。ほら、いろんな場所に連れていってくれるだろう? だから、こういう場所だってすでに」
これは本当にヤキモチとかではなく。いいんだ。わかってるし、過去は過去、だろう? そうじゃないと俺の過去なんてさ、ほら、それこそ。そういうのを正嗣は何も言わないでいてくれる。俺の馬鹿げた過ちのことはほじくり返すこともなく、ただ、今のことを大事にしてくれる。だから、これは。
「来たことないですよ、夜景」
「……そう、なのか」
「だって、ただの街の灯りでしょ?」
「……」
「ものの五分も見れば充分。そのために遠路はるばるなんてしなくたって、写真で十分だし」
「……」
「そう思ってたんですけど」
薄暗かり。街灯はさっき通り過ぎたベンチのところにある一本だけ。けれど、正嗣が笑ってこちらを見たのがわかる。だからこそなのかもしれない。乏しい灯りの中だから、綺麗な夜景が瞳に写っていて、とてもドキドキしている。
「今、めちゃくちゃ感動してたりします」
「……」
「最上さんと見てるから」
とてもドキドキしている。
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