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第45話 夜道で白い服を着ると……
夜景はただの人口的な灯りの集まりでしかない。
綺麗だけれど、それを目にしたところで、ものの五分で充分。
そう正嗣は言って、笑った。
けれど、今はとても綺麗で感動していると、俺と一緒にいるからかなと、笑っていた。
俺は夜景を実際に目にしたのは初めてだった。見にいってみたいなと思ったこともなかったから、ものの五分で充分かどうかも考えたことがなかったけれど、正嗣とだったらまた来たいなと思った。また一緒にみたいなと思った。
「まだ大丈夫、そのままで歩いてください」
「……うっ、うん」
「あ、そこちょっと段差なんで、気をつけて」
「うん」
怖いものを克服していこうって、ジェットコースターにお化け屋敷、夜のドライブに、あとはないですか? って、夜景見ながら話してて。特にないかなって。多分全部克服したかなって。
「正嗣」
「はい」
これは最終テスト。最後の試練? っていうやつだ。
真っ暗闇の中、名前を呼ぶとすぐ近くで返事が聞こえた。って、当たり前なんだけれど。手を繋いでいるから、すぐ近くにいるに決まってるのだけれど。
「このまま真っ直ぐです」
「うん」
今、目を瞑って歩いてる。
目を瞑って歩いてるから自分がどこに向かって歩いてるのかとかよくわからない。苦手な真っ暗闇の中、大の苦手なお化けがいつどこから飛び出してくるかもわからない。道標になるのは繋いだ、握ってるこの正嗣の手だけ。
そんなのすごく怖いに決まってるだろう? おっかなびっくりで、一歩一歩探り探りで歩くに決まってるだろう?
「平気? 最上さん」
「……うん」
けれど、怖くなかった。
「大丈夫」
本当に真っ暗闇、一歩ずつ、そりゃ無鉄砲にズンズン歩かれたら怖いよ。足がまごついて追いつけなくなりそう。でも、大丈夫。
「正嗣がいるから」
ゆっくり一緒に歩いてくれるから。
この手があるから。
「平気だ」
キュッと少ししっかり手を握った。怖いからじゃなくて、ただこの手のおかげで怖くないと伝えたくて。
「じゃあ……これは?」
「?」
繋いでいてくれてる手が少し引っ張られて、少し空気が動くのを感じる。砂利を踏む正嗣の足音が小さく僅かに聞こえて、そして目を瞑ったままの俺の唇に柔らかいものが触れた。
「びっくりした?」
「しない」
柔らかくて優しいもの。
「正嗣の唇だから……っ、ん」
そして、もう一度触れた時は少しだけ啄まれて、小さく吐息が溢れた。
「はい。到着」
「……」
気がつけば、車を止めた駐車場だった。だだっ広い駐車場の中、停まっている車は俺たちのこの車だけ。
目を開けると、視線が触れ合うほどの近さに正嗣がいた。目が合って、にこっと微笑まれると、目をやっと開けた安堵感と、繋いでいてくれた手が離れてしまった寂しさに、恋しさが増した気がした。
正嗣もそうなのかもしれない。目を細めて、愛しそうに俺を見つめて。
「案外綺麗でしたね」
互いにドキドキしていそうって思った、その時だった。
「あ、正嗣、背中に」
「え?」
「背中に虫」
「え? わっ、うわああああああああああ! え? どこ? マジで」
「あ、あぁ、あのっ、取ってやる」
「え? 最上さんっ?」
だって背中についてるって言ってるのにそんなに動かれたら、取れない。というか、そんなに暴れてるのに逃げずにしがみついてるのもすごいな。
「マジで? 取ってくだ、最上さんっ」
「あぁ、ほら、カナブンだ。でかいな」
山奥だからか、結構立派なカナブンだった。それを指で摘んで、コンクリートの上に置いてやると、今更ながらに大慌てで飛び立っていった。
「び、びっくりした」
「正嗣は虫苦手なんだな」
「っていうか、最上さん、虫平気なんですね」
「だって田舎育ちだって言ったろう? あのくらい普通にいる」
「マジで?」
だってただのカナブンだ。実家なんて、どこからどうやって忍び込んだんだ? そのすくすくと成長した大きな体で、と尋ねてみたくなるほど大きなムカデにトカゲに蜘蛛も、何でもかんでも入ってくる。流石に夜中、トイレに行こうと起きて部屋の電気をつけた瞬間に壁にへばりついているアシダカ蜘蛛を見つけた時は少し驚いたけれど。
でもカナブンくらいでそんな暴れていたら、ずっと暴れているようだ。
「正嗣にも怖いものがあるんだな」
「ありますよ! っそりゃ!」
「そっか。そしたら、白系の服はこういう山道に来てこない方がいい。あと蛍光とか普通のでも黄色も。虫が寄ってくるから」
「い、以後気をつけます。って、何を笑ってるんですか」
「だって」
小さい頃からそう。怖がりながらするから失敗してばかり。友達と学校の運動場にある、半分だけ地中に埋まったタイヤ、あるだろう? まるで筍が生えてるみたいに連なってる。あれを飛び越えるのも、怖がりながら、身をすくめながらやるから転んで顔面大怪我をした。体育の跳び箱もそう。同じように萎縮しながらやるから逆に危ない。リアルで恋を探すのは怖いからと、安易にSNSなんかするから失敗をする。
けれど、思うんだ。
SNSをやらなかったら、あんな馬鹿なことをしなかったら、失敗はしなかったけれど、やっぱり自分を曝け出すことはできないまま田舎で暮らしていたんだろう。
そしたら、正嗣にも会えなかったんだろう。
苦手な夜のドライブをしなかったら、この綺麗な夜景を見れなかったように。
「だって、正嗣の慌てた顔、可愛いから」
このドライブに来なかったら、かっこいい正嗣のあんなに慌てた顔も、あんなになんでも飄々とこなす正嗣の怖いものを知ることもできなかったから。
今、生まれて初めてかもしれない。
「可愛いのは、最上さんでしょう」
怖がりな自分を好きになれたのは――。
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