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第57話 花火大会ってとっても大変
浴衣を着て、下駄をカランコロンと軽やかに鳴らし、夜空を彩る花火を見上げ、その美しさに歓喜の声を上げる。そのひと時を大事な人と過ごせることに、夏の夜、涼しげに微笑んで――。
「っていうのとは真逆を突き進む感じなんですね?」
「? その、正嗣の言っている花火大会はイメージ画像だ。そもそもまだ夜じゃない」
「えぇ、そうでした」
まだまだ日はしっかりと空高くから直射日光ビームを降り注がせてる。ウオータープルーフの日焼け止めすらこりゃたまらんと汗と一緒に流れてしまいそうな炎天下の、しかも花火を楽しめる会場な訳だから、日差しを遮る屋根もない。ただのとてつもなくだだっ広い運動場だ。そこにパイプ椅子をびっしりと四千五百脚並べていく。
五百が来賓。
四千が有料指定席を購入した市民。
「あ、正嗣、タオルを首に巻いておくといいぞ」
「えー?」
えー? じゃない。すごい汗なんだ。本当に滝のように流れてくるんだから。そう言って、予備に持ってきていたタオルを一つ分けてやった。
夏休みが欲しいならばここで頑張りたまえ、とでもいうかのように、お盆休みの直前に市で開催している花火大会がある。市としては夏の一大観光イベントの一つで、観光課は花火委員を設けて、冬からずっとこの準備をしているんだ。
「こうしておくんだ」
「……っぷ」
「な! 笑うなっ、これはっ」
「いや、可笑しいとかじゃなくて。なんていうか、こんなに綺麗な人が首にタオル撒くのって、なんか、可愛いですね」
「また、お前は、そうやっておかしなことを」
そんなわけないだろう? って、毎回毎回言っているのに、毎回毎回なんでそう可愛いなんて。
「あら、可愛いわよねぇ」
「橋本さんっ」
振り返ると、同じようにタオルを首に巻いた橋本さんだった。彼女はもっと用意周到で、携帯式の蚊取り線香を腰からぶら下げている。なるほど、これに長袖長ズボンにしておけば、蚊対策は確かにバッチリだ。
「最上君は何にでも一生懸命で真面目で、頑張れーって応援したくなるわよ」
「ですよね、橋本さん」
「えぇ」
橋本さんはにっこりと微笑むと、パイプ椅子を一つ、よっこらしょと持ち上げた。御年五十九才。小柄な人で、俺の肩くらいしかない。正嗣の隣に並んでしまうともっと小さく見えて、そんな橋本さんの方がよっぽど可愛い気がする。
「って、持ちますから! 橋本さん!」
「あらあら。でも大丈夫よ」
大らかな人だ。
「休みの日は庭の畑仕事してるんですから、このくらいなんてことないわ。ほら、皆で頑張りましょ」
「よーし!」
「まぁ、樋野君の本気モードね」
二人はガッツポーズをすると、まだまだあります、と、少しゾッとするほど並べられるのを待機しているパイプ椅子たちへと果敢に挑みに向かった。なんだか、そのでこぼこコンビの背中が可愛らしくて、俺はキュッと首にタオルをしっかり巻き付け直し、駆け足で二人よりも早く椅子の軍団へと突進した。
ちょっと達成感があるんだ。
「最上さーん!」
「あぁ! こっちは並べ終わった」
暑いし、長袖も長ズボンも汗が張り付いて気持ち悪いし、それにマスクもしてるから熱気が口元に溜まって、すごくしんどい。
「これで、あとは市民課が受け持ってる会場入り口のあたりの椅子が並べ終われば完了だな」
「え? そうなんですか? けど、まだ椅子が余って。ほら」
あんなに大きいパイプ椅子のモンスターと化していた山はもう見る影もなく、あといくつだろう、十数脚の椅子がぽつんと端っこに立てかけられているだけになった。
「あぁ、あれは予備なんだ」
「なるほど」
ようやくほぼ四千五百脚を並べ終えた頃には、空高くにいた太陽も傾いて、もうそろそろ夜に空が切り替わろうとしていた。
「はぁ」
椅子を並べ終わる頃にはもう汗だくだ。ため息のような息切れのような。疲弊しきった身体は少し酸素不足なのか、クラクラする。
でも、それはみんなも同じだろう。暑い炎天下の中、黙々と椅子を並べていたんだから。橋本さんはバテてやしないだろうか。うちの課は女性が多いから、椅子の持ち運びだけでも相当大変だろう。
「飲み物配らないとな」
毎年ある差し入れの飲み物をみんなに配っておこうと、もう一踏ん張りって、重たい腰を上げた。それこそ「よっこらしょ」が自然と口をついて出てしまうくらい。
「荘司、ちょっと失礼」
「! ひゃあ!」
「……これ、飲んで」
「……ぁ」
冷たい。
「ほっぺた、真っ赤ですよ」
ずっとつけていたマスクを顎までずり下げられ、汗と熱で確かに真っ赤になっていそうな頬に冷たいペットボトルが触れた。
過熱していた頭の中がスッと冷えていく感じ。
「市民課担当エリアは山内課長が張り切ってたから大丈夫。なんか息子さんが来るそうですよ」
「え? そうなのか?」
「えぇだから、めっちゃ張り切って椅子両手で十脚持ちとかしてました」
そ、それ、大丈夫か? あの人も、橋本さんよりは若いけれども、でも、そう若くはないのにそんな無理して。
「子育て課や、その辺、とにかくいた人全員に飲み物は配ってます」
「……」
「だから、貴方は少し休憩して、あ、ほら」
正嗣が指さした先にはすでに会場にやってきた観覧者が自分たちの席を探してキョロキョロしている。
「あ、誘導を」
「誘導は観光課がちゃんとテキパキやってます。ヘルプに子育て課の俺の同期が行ってるし」
「あ、りがとう」
「いいえ」
その時だった。
「あ……」
彩も何もない花火がひとつ、音だけを夜色へと変わった空へと響かせた。
「始まりますね。花火」
「……あぁ」
ただの音だけ花火。
「始まった」
けれど確かに、その花火に胸が躍り、このひと時を大事な人と過ごせることに、静かに微笑んだ。
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