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第60話 優しいバナナに跨って

 いや、確かに、正嗣の水着姿は少し奔放的になった女性にして見たら、とても、あの、目の保養というか、少し色々あるだろう。水着を着ていなくったって、服で覆っていたって、バーベキューの懇親旅行の時はしょっちゅう女性職員が正嗣に話しかけていたから。今時あるのかどうかわからないが、その、ナンパ、というものだってあり得るだろう。この開放感溢れるビーチでは。 「あ、荘司、パインジュース、めっちゃ美味しそうですよ」  なんでだろうな。パインジュースって、パインを使っただけでもうトロピカルな雰囲気がある。全然スーパーでも売ってる、缶詰にだってなっている、とても身近な果物なのに、なぜかジュースになると南国風味になる。 「それでいいですか?」 「あ、あぁ」 「じゃあ、すみません。パインジュースを二つ」  いや、パインジュースのことを考えてる場合じゃなくて、その、いくら開放的だからって。 「はい。これは荘司の、どうぞ」 「あ、あぁ」  俺の開いている方の手にパインジュースを手渡すと自分もカウンターでももう一つを受け取り、早速一口飲んでは「うっま!」と「ビールで生き返ったお父さん」のような顔をした。  いや、そこじゃなくて。その片手、塞がってるんだ。俺も、正嗣も。その。 「あ、あのっ、正嗣!」 「?」 「こ、これっ、手」  手を繋いでいるから。  ビーチは大賑わい。お盆の最中だ。あっちもこっちも人だらけ。今って、テントなんだな。俺が海水浴をしていた子どもの頃はパラソルだったけれど、今の主流はテントらしい。作ったことはないけれど、あのほうが確かに簡単だろうな。中に荷物を入れておけるし、少し、いやかなり暑そうだけれど日除けにはなる。女性なんかは常に影の変化するパラソルの下をぐるぐる移動するよりもずっといいだろう。って、そうじゃなくて、その、そんな大勢がいるビーチで。 「手を繋いだままにっ」  男二人が手を繋いでいるっておかしいだろう? 変だろう? その、つまりは。 「だって、手繋いでないとただの男友達二人が海遊びしてるって思われる可能性があるじゃないですか。そしたら絶対に、ねぇ、二人だけなの? カノジョはぁ? いないの? ラッキーって、女の子が寄ってきます」 「ラッキーって……」 「だから、カップルですアピールしておかないと」 「で、でも! そもそも俺たちはっ」 「だって、カップルでしょ?」  男同士だぞ? その一般的には。  戸惑っている時だった。  前から歩いてくる男性が俺たちを見て、その手元を見て、表情を――。 「あ! 見て! 荘司! バナナボートだって」 「え、ちょっ」  手をぐんと引かれて急に方向転換するものだから、もう片方の手に持っていたパインジュースを危うくこぼしてしまうところだった。 「あれ、乗りません?」 「バナナボート? あれに乗るのか?」 「…………」 「どうした? 正嗣」 「荘司が言うとなんかエロいですね」 「! バ、バカ!」 「あはは」  あぁ、そうか。  おかしくなんて、ないか。  だってカップルなんだから。  さっきの男性はきっと同性愛に理解のない人だった。視線が少しとんがっていた。全員に理解されるのは難しいかもしれない。でもパインジュースを買ったところからここまでかなり距離がある。大賑わいの海岸はあっちもこっちも人だらけ。けれど、嫌悪混じりの視線を送られたのは、さっきの人だけだった。  まぁ、視線は少しあったように感じるけれど。  俺だって、多分、男性同士が手を繋いでいたら見てしまうだろうし。 「ね? 荘司」  でも、カップルなんだろうな、って思うだけだろう。 「大丈夫。俺、元水泳部ですよ?」  同性のカップルなんだ、そう思って、ちらりと見てから、すぐに視線を外すだろう。 「ね?」 「ねって、わああああああああああ!」 「あはははは、めっちゃ楽しい!」 「ちょわああああああああああああ!」  なんでバナナなんて、優しげのある果物を使ったんだ。ロケットボートとか。 「ぎゃああああああああああ!」  魚雷ボートとか。 「うわああああああああ!」  他にこの猛スピードに見合ったものが世界にはたくさんあるだろうに。なぜに、バナナなんて健康的で優しい果物を採用したんだ。 「大丈夫ですってば」  カップルだとか、ここで同性同士でなんて、悠長なことは言ってられない。他人からどう見られようがもう構ってなんていられないんだ。  命の危険が差し迫っているんだ、と、ぎゅっとその背中にしがみ付く。もう他人の視線なんて知ったこっちゃない。それどこではない。  生身なんだぞ。  海は水だけれど、水って思いっきり飛び込むと結構痛いんだぞ。 「だって、お前っ」 「俺、水泳部なんだから」 「それはっ」  それはだって、水泳部って、落ちた時のことじゃないか。落ちたら、大丈夫ってことだろうが。この場合この猛スピードで突き進む優しい果物には全くもって水泳の技術も実力も関係ないだろう。そもそも落ちたくないんだ。 「曲がるみたいですよー!」 「へ? え? うわああああああああ、投げ出されるー!」  急にかかった遠心力に、なりふり構わず前にいた正嗣の身体にぎゅっと更にしがみつくと、正嗣が楽しそうに大笑いをしてあろうことか片手を離したりするものだから、俺の「バカ!」という叫び声が賑やかな海岸に断末魔として響き渡っていた。

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