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第61話 畳とお花
優しい果物、バナナに跨って大絶叫しまくっていた。そのあと、あまりに叫びすぎたことが恥ずかしくて、手を繋いでいることなんて気にならなかった。
ずっと手を繋いでいた。
いや、むしろ繋いでないと、いつ水着姿の女性がふらふらと正嗣の前に現れるかわからないから、途中からはこっちから手を繋いでたくらいだ。
嫌な思いは一度もしなかった。
本当に一度も。
「はぁ……疲れた」
砂なら充分に落としたから、寝そべるくらいならしても大丈夫だろうか。
両手両足を投げ出すように畳の上に寝そべると急に身体が畳に沈むように重く感じる。
夕方、三時過ぎに波が高くなってきたから、そこで上がることにした。大きな海水浴場だったから、備え付けの水道がビーチ入り口にいくつか設置してあって、そこで砂を払っていくことができる。そうすることで街中に砂の侵入を最小限に抑えられるし、海水浴客もレジャーを楽しみやすくなるから一石二鳥なんだろう。なんて、その水道の順番待ちの間で、市役所勤めのせいか、市としての取り組みを色々眺めてしまった。
宿に戻ってきたのは四時頃だった。
その頃にはすでにチェックインできるように準備が整っていて、部屋にもすぐに入れたんだ。
「疲れました?」
部屋のど真ん中にはお膳があって、その側にうつ伏せで大の字になり寝転がっていた。そこへ部屋探索を終えた正嗣が戻ってきた。部屋の中のことなら、もう事前の旅行での宿選びにあたり詳細を把握してある。トイレバスあり。十畳の和室に、隣にも部屋があって、そちらにはベッドが置かれていた。畳じゃないんだなぁと思ったけれど、その方が旅館としては布団を敷く手間等がかからないのかもしれない。それから目玉の、そしてこのおかげで宿泊料金の跳ね上がった、露天風呂。
「んー……」
「そんなダイナミックに寝転がってる荘司初めて見た」
「……まだ海に浮かんでみたいな感じがする」
ふわふわぷかぷか。
「一日中海の中にいましたもんね」
「……あぁ。露天風呂どうだった?」
写真で見ると、新緑の隙間から爽やかな日差しが降り注いでいて、岩場のある、屋根付きの露天風呂は結構大きそうに思えたけれど。まぁ、そこから眺める海岸との一体感、というのはプロの写真家の技術なのではないだろうかと。
「結構……」
「小さかった?」
「えぇ」
やっぱりな。もう二回目なんだ。写真マジックに驚愕させられてばかりはいられないんだ。
「そのまま寝ます? 露天風呂、すぐに入れますよ?」
「んー」
「寝ます?」
「いや、畳が久しぶりでな」
実家は古い一軒家だったけれど、自室だけは畳じゃなかったな。あとは全部和室だった。それが古臭くて好きじゃなかったっけ。フローリングって憧れだったんだ。
「実家には……しばらく帰ってないから」
「そうなんですか?」
「あぁ、一年は帰ってない、かな。去年の暮れも帰ってないから」
「顔見せてくれって言われないんですか?」
「……言われる、かな」
「一人っ子、なんですっけ?」
一応な、と答えると、不思議そうに首を傾げてる。従兄弟が大勢いるっていうのは前に話したけれど、その従兄弟たちはほぼ家族ぐるみの付き合いだから、一人っ子なのだけれど、従兄弟がしょっちゅう来ていて、ほぼ家族同然の兄弟みたいなもの。だからか、あまり一人になることがなかったという意味での一応の一人っ子、なんだ。
そう説明をすると「なるほど」と言って笑ってる。
「俺は妹が一人います」
「そうなのか? へぇ、なんだか意外だ」
「そうですか?」
もっとたくさん兄弟姉妹がいそうだなと思ってた。なんとなくだけれど。ほら面倒見もいいし、人見知りしないだろう? だからたくさん家族がいるんだろうなって。
「その概念で言ったら、荘司もじゃないですか。家族ぐるみの従兄弟が」
「あれは! 違うんだ。遠慮のない他所様っていうのは圧迫感があるんだよ。むしろグイグイされるから引いてくっていうか」
起き上がって、従兄弟たちがどれだけグイグイしてるのかを話してあげた。本当にすごいんだ。各家庭、みたいな境界線はほとんどなくて、それが本当の家族ならそもそもないはずの境界線だから気にならないけれど。そうじゃないはずなのに境界線をぶち破られるとなるとちょっと違ってくるんだよ。
「うちはシングルマザーなんです。妹とは一つしか違わないんですけど、父は、俺が父の顔を覚えてないくらいにまだ小さかった頃に亡くなって。そこからずっと母が一人で」
「そうなのか」
「えぇ」
「妹は今、専門卒業して、フラワーアレンジの仕事をしてます」
「すごいな」
「すごいですよ。自立してて。俺よりも社会人としては先輩です」
もうすでに実家を出て、都内のホテルで働いているんだそうだ。ブライダルフラワーリスト、なのだそうだ。昔、専門に通っていた時は、よく花を持ち帰ってきて、お母様を喜ばせていた。
素敵な家族だなと思った。
聞いていると、正嗣の人となりがよくわかる、優しく大らかで、人が自然と集まるそんな正嗣の素になった場所だと思った。
「そのくせ、結構花粉症なんですよ。笑うでしょ? ティッシュは必需品なんですよ」
そして。
「だからいっつも鼻の下にクリーム塗ってて、自宅だと人目を気にしないから、めっちゃ鼻の下にべっとりクリーム塗りながら話しかけてくるから可笑しくて」
そして、何より、初めてだったんだ。
正嗣が家族の話をしてくれたのが。それがとても嬉しくて、嬉しくて、俺はずっと少し微笑みながら、彼が話してくれるご家族の話を聞いていた。
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