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第64話 ◯◯行ってきましたクッキーは三時のおやつにどうぞ

 役所勤めの普遍的ルール。  それは常にカレンダー通り。  カレンダーが祭日になっていれは仕事は休み。カレンダーが平日の黒文字で日にちを表示していれば、仕事。だから今年のお盆休みの時期に旅行に行く人はそういなかったんだろう。お盆前は花火大会が週末にあるから旅行には行けないし、それの前には夏祭りも予定に入っている。それよりも前だと……海に入るには少々寒い。けれど、今年は七月の特別大型連休で家族旅行や、友人恋人との旅行を済ませる人が大半だったのかもしれない。お盆よりもいくらか七月の方が旅行代金は安かったから。その七月に「旅行で◯◯に行ってきました」のクッキーをあっちこっちからいただいたから。 「あ、橋本さん、これ、旅行のお土産です」  クッキーばかりではな……と思って、俺は魚介類のインスタント味噌汁六食セットにしたんだ。他の方には三食の。けれど橋本さんにはたくさんよくしていただいているから、倍の六食。 「あら? 最上君、あんまり日焼けしてないのね?」 「ぇ?」  そう、花火大会があったからその翌週、ちょうどお盆の真っ盛りでの旅行だった。そのまた翌週、つまりは今週末にしてしまうと今度はクラゲが心配だったから。八月後半の海はクラゲがすごいだろう。  結果、この混雑ピーク時期、お盆の旅行になった。  混んではいたけれど、でもとても楽しかった。 「海、旅行行ってきたんでしょ? 真っ黒になるかと思ったのに」 「ぇ……あの」  じゃあ、混まないだろう平日に有給で行けばいいのに。  けれどそうもいかないんだ。有給は権利としてちゃんと取れる。決して嫌な顔はされない。でも、子育て促進課、男性職員はたったの二人。その二人が全く同じ日に有給を取得したら、少し目立つだろう? だから有給は使わず、この盆に旅行にしたんだ。  でなければ、二人で旅行に行ったのでは、なんて思われてしまうかもしれないから。 「樋野君が言ってたわよ」 「!」  男同士なのにって。 「あ、あのっ、これはっ」 「少しねぇ、心配してたのよ」  男同士なのにと、思われてしまうって。 「最上君、女性ばかりの職場でつまらないでしょうにって」 「……ぇ」 「仕事をしに来るわけだけれど、それだけじゃねぇ……つまらないでしょう」 「……」 「ありがとうね。お味噌汁ですっけ? 楽しみだわぁ。インスタント楽ちんで大好きよ」  だから、バレないように、有給じゃなく、休日に海へ旅行に行ったんだ。 「そうだ。最上君」  ――お土産ありがとうね。  橋本さんが、とても嬉しそうにしていた。 「樋野!」  ここは職場の休憩所だから、樋野って呼ぶ。  一年中日陰で、苔やきのこがそのうち生えてきそうな、湿気混じりの場所で、しかもここはタバコも禁止の場所だからあまり人気がない。けれど、人気がないから、俺のメイン休憩所。  いつしか、正嗣もここでよく休憩をしているところを見かけていた。 「あ、最上さん。最上さんも今、休憩ですか?」 「いや……違うんだが」 「え、じゃあ」 「お前、橋本さんに旅行、二人で行くって言ったのか?」  職場の、同じ課の、たった二人の男性職員。なんだか変だろう? なんだか妙に親密だろう? なんだか――。 「……言いました。けど、ペラペラは話してないですよ。会話の流れでそういう話題になって、俺、行くんですよーって」  ――ずっと、少し心配してたのよ。最上君、旅行とか、あんまり行かないのかしらねぇって。あ、お土産持って来ないだけですってこともあるけどね。 「俺は、そう必死になって隠してる方が変に思われると思いますよ」  ――お節介焼きのおばちゃんだから許してね。 「男同士だって旅行行くでしょ。それが職場の人だろうが、学生時代からの知人だろうが。実際、海で男同士で海水浴してる人結構いたじゃないですか。最上さんは気にしすぎなんです。俺は、男同士の恋愛だって、別に」 「ありがとう」  ――初めてだわ。最上君から旅行のお土産いただいたの。嬉しいわぁ。仲良しがいると、楽しいわよね。 「……最上、さん?」 「橋本さん、俺のこと心配してくれてたらしいんだ」  旅行なんてほとんど行かない。たまに飲みに行くくらい。長期休暇なんて別になくていい。むしろ無くなって欲しい。そしたら実家に顔を見せなくていい大義名分ができる。そんな毎日だった。 「ありがと」 「……あの」  橋本さんがそんなふうに心配していてくれたなんて知らなかったんだ。きっと、正嗣がいなかったら、ずっと知らないままだっただろう。 「最上さん」 「?」  職場の、同じ課の、たった二人の男性職員。なんだか、仲良しそうで、楽しそうだ。 「今、絶対にマスク取らないでくださいね」 「? なんで? 何か」 「そんな頬赤くして、はにかみながらそんなこと言ったりして。今取ったら、確実に荘司って呼んで、思いっきりキスする自信がありますから」  なんだかとても毎日が楽しそうだ。 「? これ?」 「わー! だから取らないでってば!」 「っぷ、あははははは」  慌てふためく正嗣に笑って、俺は残りの旅行土産を職員に配ろうと建物の中へと戻っていった。  外は、まだまだ暑くて、夏真っ盛りの太陽が燦々と輝いていた。

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