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第68話 仲良し

「あ、橋本さん!」 「あら、おはようございます。最上君」 「あ、おはようございます」  先に出社していた俺は、フロアにやってきた橋本さんを見かけて急いで声をかけた。まだ人もまばらだから、渡すのなら今がちょうどいいと早急に声をかけてしまったから、挨拶のタイミングを忘れてた。慌てて俺も挨拶をすると、橋本さんが「ふふふ」と笑いながら着ていたダウンコートを脱技、真っ赤になった手を寒そうに擦り合わせている。今日は一段と冷えているから、自転車通勤の人には応えるだろう。 「あの、これを……」 「? あら」  二人で考えたプレゼント。 「いつも色々いただいてるお礼なんです。クリスマスもすぐ近いし。その、樋野と二人で……」  彼女は毎朝、自転車通勤だから、何か防寒グッズがいいって話してて。マフラーもストールも、スヌードもいいけれど。 「手袋なんです」 「まあ。開けてもいい?」 「どうぞ」  彼女はパッケージを開けると嬉しそうに声を上げてくれた。皮の、けれど女性らしくほっそりと見えるから、いいと思ったんだ。 「いつも自転車で寒いだろうからと思って」 「まぁ、とっても素敵。ありがとう。大事に使わせていただくわね。いつもいつもありがたいわ」 「いえ、こちらこそ、いつも本当にありがたいです」  季節ごとにたくさんの野菜をくれるから本当にありがたいんだ。それに、その橋本さんのおかげで、その、樋野と近しくなれたっていうのもあるし。 「あら……樋野君は?」 「あ、いますよ。今日は館内清掃当番の日なので」 「あらあら、じゃあ、後でお礼を言っておかなくちゃ。本当にありがとうね」 「いえ」 「樋野君が入ってから、なんだか最上君が楽しそうで、ほんとに嬉しいわ。いつも一緒にいて、仲良しでとても良いと思うの」 「……いえ!」  慌てた。 「職場の先輩後輩ですからっ」  慌てて、「仲良し」なのはそういうことじゃないからって。 「ぜひ、あの、使ってください」  それはもう癖のようなもの。今に始まったことではなくて、条件反射みたいなものなんだ。バレてしまうかもと咄嗟に身構えてしまう。  橋本さんに会釈をしてその場を離れると、誰もいないのを確認して、一つ、深く溜め息をこぼした。  ああ言われたのが正嗣ならもっと上手に受け答えができるんだろう。親しい人には自分のことを打ち明けていると言っていたから、きっとその、俺たちみたいな同性愛者に対して理解のある人を見抜いて、それで、受け入れてくれそうな人にだけ上手に伝えるんだろう。俺にはまだそんな上手なことは言えそうになくてさ。 「……」  少し気持ちが沈んだ。ほんの少しだけ、何か、罪悪感に似たようなものが胸のところに滲んだ。  橋本さんに誤魔化したこと、正嗣をただの後輩と呼んだこと、自分を正嗣にとってのただの先輩だと言ったこと。それに少しだけ胸のところが痛くなった。  こんなの初めてだ。  今までは――。 「あれ? どうしたんです? こんなところで」 「あ、まさっ、樋野」 「今、誰もいないですよ。ね、知ってました? この先のところに誰も使ってなさそうな資料室があったんです。俺、新人研修の時に館内を案内してもらったけど、あそこ知らなかった。あれは逢引きにもってこいの場所で」  樋野なら、さっきの場面でどう橋本さんに言うのだろう。 「橋本さんに今会った」 「あ、マジですか? プレゼント」 「渡した。喜んでくれてた。ありがとうって、たぶん後で樋野のところにも来ると思う」 「はーい」 「樋野」 「?」  咄嗟に嘘をつくのが癖になっている。今だって、胸がざわつくんだ。樋野のところにも来ると思う。その時、樋野にも俺たちのことを仲が良いと話すかもしれない。そしたらどうする? どうしたらいい? どうしようか? なんて、相談したくなる自分がいるんだ。 「仲良しねって言われた」 「橋本さんに?」 「あぁ、それで、俺は職場の先輩後輩って」  俺はそうやって身構えて、嘘で隠すようにしてしか過ごしてこなかったから。けれど、正嗣は。 「お前ならもっと上手に受け答えできるんだろうなって思った。友人に話したって言ってただろ? だから、そういうのわかってくれそうな人をちゃんと見極めて、それで、自分のことを上手に」 「俺はそんなに器用じゃないですよ」 「え?」  受け入れてくれなかった人もいましたよって笑った。そして、まぁ、そういうこともあるでしょ。好き嫌いはどうしたってあるんだからって。人をちゃんと見極めるなんてこと、自分にはできないですからって。 「全員に好かれるのも、全員に受け入れてもらえるのも、ないと思います」 「……そんな」 「だから、言わなきゃいけない、自分のことを打ち明けなくちゃいけないなんてことないです。荘司のしたいようにしたらいいんです」 「……」  正嗣は笑った。 「無理なんてしなくていいんですよ」  そして、そう言って、俺の頭をポンって撫でた。優しく大きな手で。 「ほら、行きましょう。朝の会が始まる」 「……」 「あ、そうだ。橋本さん、喜んでくれてましたか?」  あったかい手で。 「あぁ、喜んでた」 「それはよかった」  そんな君をとても、とても、愛しいと思った。

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