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第71話 重たい想い
基本的に相談を知人にしたことがない。中でも恋愛事の相談は一度もしたことがなかった。親しくなる人間は大概恋愛事には疎いというかあまり興味がなさそうな相手を選んでいたんだ。俺が恋愛事に疎遠でも気にしないような人ばかり。そういうことに積極的な友人といると色々と疲れるから。だから、今度はいざ相談したいとなった時に困ってしまったんだ。
「まさか、本当に連絡してくるとは思ってなかったです」
「す、すみません!」
前に名刺をいただいた。同性愛ということもあって相談できる相手がいなかったら、何んでも遠慮なく相談してくれていいと言ってもらえたのを真に受けてしまった。多分、社交辞令だったのかもしれない。
「いや……良いんですけど、あとで殺されそうだなって」
「こっ!」
なんて物騒なと青ざめたら、笑っていた。
「店、適当でいいですか? 樋野が気に入ってるイタリアンの店があるんでそこにしましょうか」
「! は、はい! ぜひ!」
大きく頷くとまた八代君が笑っていた。
「……どうしたら良いのだろうと……思いまして」
「……はぁ」
「あ、あの、八代君」
今日は、正嗣が遅番だから、ちょうどいいと思ったんだ。
「つまり、どんどん一緒にいたくなって困っていると……」
「はい。こういうのをきっと恋は盲目というのだと思うんですが皆さんはどうやって落ち着かせているのかなと」
「……はぁ」
「思いまして……って、あの、八代君?」
いきなりがっくりと項垂れてしまった。慌てて声をかけると、肩を震わせて。
「あの、大丈夫ですか? 急に呼び出して」
「っぷ、あはははは」
笑われてしまった。項垂れたと思った彼はパッと顔を上げて、一瞬大きな声で笑ってから、ほかの客に申し訳なさそうに背中を丸めて、でもまだ笑っている。
「いや、すみません。全然いいと思いますよ、落ち着かなくて」
「え、でも」
「俺はてっきりあいつが重たいのかと思ったんで」
「え? 重たい? っていうのは」
身体が、ということでは……ない、よな。なら、何が重たいんだろう。
「いや、あいつ、本当に貴方のことが好きだから、色々うるさくしてるんだろうなって。いやいやそんなに想われてもってことかと」
「そんなことはっ」
八代君は、あぁ、今日一番に笑ったと、満足そうに息を整えて、烏龍茶を一口飲んだ。今日は車だからとアルコールは控えている。それならと俺もお茶にしようかと思ったら、ビールを頼まれてしまった。
「いいんじゃないですか?」
「え……」
「そのままで」
けれど、それじゃあ。
「我慢なんてすることないですよ」
「……」
「だって、あいつも貴方のこと大好きなんだから」
そう言って、今度は穏やかに笑い。
「だから、後でもしかしたら俺は殺されるかもしれませんけど」
「ひゃっ!」
「あははは」
また物騒なことを呟いたかと思ったら、また笑っていた。
このままでいいんだろうか。だって、本当にとても好きなんだ。それこそずっと一緒にいたいと思ってしまうくらいに。ずっとっていうのはつまり、本当にずっとなんだ。それを我慢しなくていいのだろうか。
「車で送りますよ」
「えっ! いえ、そんな悪いですから!」
「大丈夫っていうかここで一人で帰したら後で俺が殺されるんです。それにここ界隈の近くなんで」
「界隈……あ!」
確かにゲイバーなどが多く並ぶ場所の近くだった。なるほど、それで行きつけの美味い店を紹介してくれたのか。そういうのもとても嬉しかったりする。俺の知らない正嗣のことを知れるのもとても楽しくて、嬉しくて。
「ちょっと待ってて、そろそろ樋野は仕事終わります? そしたら、電話を一本入れておきますから」
八代君はジャケットの内ポケットからスマホを出すと電話をかけていた。俺はその間にと近くのコンビニでお茶を買おうと思ったんだ。ただ車に乗せてもらうのは申し訳ないから、ガソリン代とそれからお茶を渡そうと。
電話をしている間にと思って、待たせるのも申し訳ないし、俺にとっても時間がもったないからと急いでいた。会計を済ませて、ペットボトルのお茶を持ちながら、パスケースをポケットにしまおうとして、すれ違いざま人とぶつかった。
「わ! すみません」
その拍子にポトリとパスケースが落ちてしまった。
謝りながら、それを拾おうとしたら、ぶつかった相手が拾ってくれて。そこに八代君がやってきた。
「行きましょう」
「あ、はい。すみません。ありがとうございます」
定時で上がって急いでたから、職員証を持って帰ってきてしまったんだった。胸ポケットに入れたままで慌ててた。
「行きますよ」
「あ、はい!」
それをまた胸ポケットにしまって、八代君に駆け寄った。
「失敗したかな」
「え? 今なんて」
「いえ、なんでもないです」
「あ、正嗣が何か言っていました?」
「電話越しにめちゃくちゃ心配してソワソワしてました。なので、ちゃんと車で送るよって伝えましたから」
心配、をさせてしまっているみたいだ。正嗣は過保護だから。
「あ、ありがとうございます。あの、これお茶を、どうぞ」
「すみません。気を使わせてしまって。いただきます。さ、車へ」
でもそれがとても嬉しいし、今、俺が早く会いたいから急いで車に乗り込む事にした。
田舎者ではあるけれど。確かにすぐに迷子になったりはするけれど、でも、心配のしすぎだ。これでも正嗣よりも六年長く社会人をやっているんだぞ。
「聞いてますか? 荘司、貴方は本当に、あんな輩の車に乗ったりして」
「輩じゃないだろ。八代君だ」
「一緒です」
いやいや違うだろう。ヤカラとヤシロじゃ、最初の「や」しか合ってない。
「でも電車で一人で帰ってくるよりかは」
「マシです」
「じゃあ、いいじゃないか」
「でもだめです! 八代はですねぇ」
なるほど、多分こういうのを心配してくれていたんだろう。
「あいつは男女問わずにですね」
気持ちが重たい、ってやつなんだろう。
「って、何笑ってるんですか! 今っ」
「うん。ごめん。でも、そっちの心配は無用だ」
「はい?」
「そう、正嗣が八代君に伝えてくれ」
「はいぃ? なんなんですか?」
「なんでもない」
この重たさはとても心地が良かったから。だから心配することなんてないですよと、伝えて欲しい。
「いや、なんでもなくないでしょ。なんなんですか」
「だからなんでもないったら」
ちっとも重くないし、むしろ嬉しいことだった。
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