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第79話 これは愛なのだ。
プロポーズをされてしまったんだ――と何回胸の中で呟いただろう。もう百回くらいは言ってるかもしれない。
「あらぁ、今日はとってもご機嫌ね。最上君」
「あ、橋本さん。ご機嫌、そうに見えますか? 俺」
「マスクしててもわかるわよ。ニコニコしてる」
言いながら橋本さんが顔をくしゃりとさせて、自分の頬を指で突いて、そして日陰の休憩所、冷え切ったベンチへと腰を下ろした。こんなところ寒いだろうににっこりと笑って。
「花金だものねぇ。でも、若い子はそんな言葉知らないかしらね」
「いえ、知ってますよ。金曜だからですよね」
「あら、知ってるの? でも、花金の他にも理由があったりして。なんだか樋野君もすごくご機嫌なのよ」
「ぁ……えっと」
どうしようって思ったんだ。どう言い訳をして誤魔化そうかなって、そう思った。
「あの……」
「素敵じゃない? なんだか、最近の最上君とっても良い感じ」
―― いつもマスクしてるから、表情が分からなくて……その、話しかけにくいというか。
俺と樋野のこと、俺のこと、どう隠そうかなって。
――なんだか、最上さんって、イメージ違ってました。
一瞬そう思ったけれど。
―― でも、あの樋野さんと朝、来る時、が、印象違って。
「あ、あの……」
橋本さんに前にも訊かれたんだ。仲良しねって、正嗣と俺のこと。俺はその時やっぱり今までどおり職場の先輩後輩だからですって誤魔化した。ずっとそうしてきた。自分のことは誰にもちゃんと話したことなんてなかった。受け入れられないとわかっていたから。認めてはもらえないと思っていたから。
けれど、嬉しかったんだ。
正嗣が俺のことを好きな人なんだと誰かに説明してくれたのが。誤魔化さずにいてくれたことが嬉しかったんだ。
―― 好きな人のことを友だちって誤魔化したくない。ただそれだけです。
「あの……」
無理はしていない。緊張はしているけれど、無理はしてなくて、怖くは……少し怖いけれど、でも、誤魔化して息苦しいよりも、素直になりたい。
そう思ったんだ。
「う、嬉しいことがあったんです」
「まぁ、そうなの」
「今、えっと、その正嗣、と、えっと、樋野と明日クリスマスで、その」
「まぁ、クリスマスデート? 素敵ねぇ。若い人は楽しみよねぇ。私もクリスマスって嬉しくなっちゃうけれど」
「……」
びっくりしたんだ。
「あら、そんな驚いた顔するなんて」
「だ、だって」
「見てればわかるわよー。最上君マスクしてるけど、目が綺麗だからかしらね、わかっちゃうわよー」
橋本さんが笑ってくれて。変わらずに朗らかなままでいてくれて。
「素敵だと思うわ。応援したくなっちゃう」
「……」
「ね、ここも落ち着いてて良いけど、休憩所にもいらっしゃいな。あったかいし。そうそう、今日はね、私、お饅頭持ってきたのよ。あっためて食べましょう」
「あ、あの」
「ね?」
その時だった。廊下の窓が開いて、正嗣が「おーい」って手を振ってくれた。お饅頭あったまりましたよって。
「樋野君も休憩だったのよ。今日はあまり忙しくないから、一緒に休憩しちゃいなさいなって、私がね」
「……」
「さ、お饅頭お饅頭」
やっぱり日陰は冷えるわねぇって橋本さんが小走りで建物に戻っていくのを少し戸惑いながら追いかけたら。君が早くって急かして手招いてくれる。こっちだよって。こっちの方があったかいよって。
「ま、正嗣」
「?」
ねぇ、今さ、言ったんだ。
「あのっ」
俺と君のことを人に話してみたんだ。嘘をつきたくないと思った人に。俺たちのことを嘘も誤魔化しもなしで伝えた。ねぇ、そしたらさ、そしたら――。
「荘司」
「!」
「あんまし、そんな可愛い顔しないでください」
君が俺の鼻を摘んで、困ったように笑った。キスしたくなっちゃうからって、笑って、そして、その指先があったかかった。
「お饅頭、早く食べましょう」
「……あぁ」
あったかくて、唐突にまた思ったんだ。あぁ、俺は。
「正嗣!」
「?」
「こ、これからも宜しく」
こんな人にプロポーズをしてもらったんだぞって。
「もちろんです」
夜景がキラキラ輝いて、二人で傾ける上等なワイングラスの中が宝石みたいに輝いている。
「いや、本当に田舎なんだ。多分、正嗣はびっくりすると思う」
「あの、やっぱ、虫、すごいですか?」
「そこなのか? 気にするところ」
「最重要です。だって、あんなでかいのを素手で捕まえられるんでしょ? もうそれって、つまりは、それできないと生きていけない環境って……」
「そんな大袈裟な」
クリスマス、夜景の見える、そんなとてもとても素敵なレストランで田舎談義。正嗣はおっかなびっくりで、たまにしかめっ面になったりして。俺は虫は大丈夫なことに自慢気な顔をした。
プロポーズをするはずだった場所、プロポーズをしてもらうはずだった場所で、今、俺たちは忙しく実家への挨拶大作戦について考えてる。
「でも、夏はすごいぞ」
「マジですか?」
「口を開けて走るのは厳禁だ」
「な、なにそれ……」
「本当に」
「なにそれぇ……」
「実際に、口を開けて走って俺は」
「わー! いいです! 言わなくていいですって!」
多分……挨拶大作戦について考えてると、思う。
でも良いんだ。
「……あぁ。その前に、正月にでも電話してみる」
きっと最初は無理だろう。とりあえず、入口は険しいものになるだろう。
「一緒にいてくれるだろ?」
「もちろんです。あ、俺の実家は全然大丈夫なんで。あと、お節にお雑煮にすごい量食べさせられるんで、頑張りましょう」
「ぇ、俺も挨拶に行くのか? 年始の?」
「あたりまでしょ。パートナーどやぁって」
どやぁって……そんな。
「ゆっくり行きましょう」
電話先で親が騒然とするんだろう。うちの実家へ、挨拶に二人で行けるのがいつになるのかなんて検討もつかない。もしかしたらすごく長いことかかるだろうけど……でも、いいんだ。
「あぁ、ゆっくり」
二人でなら、大丈夫。
「あの、それで夏のご実家ってどんな感じ……」
「聞きたいか?」
君と一緒なら、大丈夫。
手をぎゅっと繋いで。
「い、いくぞ」
「はい。大丈夫ですよ。俺が一緒にいますから」
電話を握る手が汗ばんでしまうけれど、大丈夫。
「気長に行きましょー」
年末で忙しい中だったけれど、市民課の山内課長に相談したんだ。快く相談に乗ってくれた。同性のパートナーシップ申請について。うちの市役所はそれを導入していないから。
――本当に申し訳ないことだ。今、現時点でその申請を受理はできない。だがね、最上君、樋野君。私たちは。
山内課長は、頭を下げて、そして、俺たちが他の市役所のを真似て作った申請書を返した。「返却をしなければならないけれど、でも持っていて欲しい」と言ってくれた。この時代、とても大事なことだと、一緒にその制度の導入を進めていけるように市役所側から動いていこうって話してくれた。
「深呼吸して」
「……あぁ」
これから、そのパートナーシップを受け入れる準備が始まっていく。そして、その制度が整ったら、俺たちはもちろんパートナーだと認めてもらえるよう申請を出すつもりだ。
だから、話そう。
「いくぞ」
「はい」
ゆっくり気長に。
大丈夫。
二人だから。
あんなに怖がりで、あんなに臆病者だった俺がさ、こうして自分のことを隠さず、誤魔化さず、こういう人間なのだと言える強さを持てた。強くなれたんだ。
愛で。
「…………」
だから。
「…………も、もしもし、母さん?」
ゆっくり。
「あ、あの……話が、あるんだ」
これは愛なのだと、伝えよう。
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