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ヤキモチの仕方編 1 あぁん、は言ってない。

 最近、悩んでいることがある。 「あ、マジで? ありがとー」 「ううん。全然、っていうか樋野君、けっこう意外だった」 「そ?」 「うん。まさかそんなに好反応してもらえると思ってなくて」 「えぇ? なんで」 「いや、だって」  こういうの、よくないって思うけれど。 「樋野」 「! あ、はい! なんでしょう」  ほら、またやってしまった。 「悪いんだが、書類の封入作業、一緒にやってもらっても構わないか?」 「! もちろんです!」  正嗣にもしも耳が、犬のような耳があるのなら、ぴょんって跳ねて、ピンと立ちそうなくらい、嬉しそうに自席から立ち上がったのを見て、少し、いや、かなり、ホッとしたり、嬉しくなったり、とにかく、心中忙しかった。  毎年恒例の学童や保育園の入園、入所許可の封入作業をしなければいけなかった。毎年やっていることで、なおかつ毎年一人でやっていた。  だから一人で十分こなせる仕事だし、そもそも封入作業に二人もの職員で従事することなんてないのに。つい、あの時遮ってしまったんだ。  きっと、自分の恋愛経験の乏しさが問題……なんだろうな。  初恋、だから。  見てると苛立ってしまう。 「なんか、本当にあったお話をコミカライズしたらしくて。ノンフィクションなんだそうです」  正嗣が女性職員と親しげに話してるだけで、なんて。 「って言っても、実はその主人公がなんとなぁく、荘司に似てるから読んでみたかっただけなんですけど。ほくろが同じ場所にあって、ちょっと色っぽくて……えへへ」  正嗣はそもそも人付き合いがとても上手なのだから、当たり前のことなのに。むしろ、正嗣が人付き合い上手じゃなかったら、俺たちはこうはなれなかったのに。感謝こそすれど、そのことに対して苛立つなんてもってのほかだろう? 「荘司?」 「!」  気がつくと、正嗣がすぐそこ、ほんの数センチのところまで顔を寄せて、心配そうにこちらを覗き込んでいた。 「す、すまない! えっと……」 「んもぉ、ちゃんと聞いてくださいよぉ。漫画って荘司は読んだりするのかなって、聞いてるのに、うー、とか、ほー、とか、あぁん、とか、生返事ばかり」 「……ぇ?」 「んもぉ、それで、その漫画が実話で、主人公の男性が荘司に似てるって、休憩中に話題になって見せてもらったんです。で、そしたら、荘司にちょっと雰囲気が似てるから読んでみたくて。それで貸してくれるっていうので」 「……」 「漫画、借りたから荘司も読みますかって訊いたのに」  漫画。 「さっき借りたんです。職場で渡してるの見つけて怒ってるのかと」 「……」 「だから! さっきも言いましたけど! あれは彼女、午後休み取ってて。だから今のうちに渡しとくねって言われたんです! けど職場で漫画の受け渡しは確かにちょっとダメです! 反省します!」  漫画、借りて。 「荘司?」  なんだ。ただ、漫画を。  なんだ。この前の休憩明けで戻ってきた二人が楽しそうだったのはその漫画のことで盛り上がってただけなのか。  なんだ。 「……なんで笑ってるんです」 「いや、いいんだ」  なんだ。そうだったのか。 「……もう、怒ってないですか?」 「怒ってない。すまない」  苛立ってしまったんだ。  心がぎゅうぎゅうに狭いんだ。  周囲と親しくなることはとてもいいことだし、正嗣のそういうところも好きなわけだし。そんな正嗣だったから、俺はここまで君に心を許せたんだと思うし。ほら、この人懐っこさがなかったら、俺は今でもきっと頑なに自分の殻に閉じこもって、自分一人でこれからも生きていくんだと決めて、ぽつんとここで山のようにある封入作業をやっていたはずだ。 「謝るのは俺でしょ? すみません、以後、気をつけます」  一人でぽつんって。 「…………こら」 「えへへ」  封入作業の手が止まった。  君が首を傾げて、俺にキスをしたから。 「ここは職場だぞ」  そっと触れて、そっと離れて。小さな会議室で、今、書類の封入作業中なのに、就労時間内なのに、キスをして手が止まってしまった。 「すみません」  ちっとも反省してなさそうな笑顔でそう言った正嗣の。 「手伝って、くれて……ありがとう」  その長い指先をキュッと握った。  キスは、してはいけないけれど、このくらいならって。  触りたかったから。  俺のって、ちょっと主張してみたかった。だから君に、ちょっとだけ触った。 「正嗣……」  ゴン! 「ちょっ!」  名前を呼ばれる、と思ったら、急に、その場で正嗣が机に向かって頭突きをした。小さな、俺たち二人しかいない会議室に響き渡る、その衝撃音と、その衝撃に、封入前の書類が一枚はらりと一瞬はためいたくらい。ものすごい勢いの頭突き。 「! んな! だ、大丈夫か? 平気」 「ん、もぉぉぉぉぉ……」  牛、みたいだぞ。 「なんで、そんな可愛いんですか」  そして、顔を上げた君は美味しそうな真っ赤なトマトみたいだ。 「可愛くはない。それと……正嗣」 「?」 「俺は確かに上の空で正嗣の話を聞いていたし。もしかしたら相槌に、うー、とか、ほー、とかは言ったかもしれないが」 「はい」 「あぁん、は言ってない」  楽しそうに笑ってくれるその顔はとても魅力的で、こっちこそ、今すぐにでもキスがしたくてたまらなくなった。

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