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ヤキモチの仕方編 3 恋の欠片

「あのっ、すみません」  受付カウンターのところから声が聞こえて返事をしつつ立ち上がった。  普通は、カウンターのところに機械があって、その機械から受付番号の書かれたレシートを入手しないといけない。そして、俺たち職員はその番号の数字の小さい順番から受付に呼び出して要件を聞く――のだけれど、突然そのカウンターのところから呼ばれた。 「はい」  読んだのは地元の高校生だ。この前、ちょうど俺がこの学校へ。 「あのっ、あのっ」  どうしたのだろうと首を傾げたら、女の子が二人「キャー」なんて騒いでる。 「どうかされましたか?」  これはもしかして深刻な案件なのかもしれない。そう思い、少し身構えたんだ。子育て推進課だから、子育て、に関する問い合わせであるわけで、そこに高校生が問い合わせるとして、その内容は――って。 「あの、すみません! ファンです!」 「……」  ファン? 換気扇? 「握手、は……無理ですよね」 「あの」  換気扇のファンで握手って? 「あの! お仕事頑張ってください!」  女子高生が二人、再びキャーって叫びながら、カウンターから離れて駆け出していった。 「…………なんなんだ?」 「まぁ、また来てたのね」 「? 橋本さん?」 「うふふ」  橋本さんは笑いながら、その場を離れて行ってしまった。 「……また…………って?」  けれど、そこで、新たに受付のところへ子ども連れの女性が現れて、受付番号の札を取ったので、すぐにそのカウンターへと対応するために向かった。  一月は結構忙しいんだ。学童、保育園、託児施設などへの入所が決まった後の問い合わせもあるし、そこに入れなかったという保護者からの相談もあったり。だから、とても忙しくて。 「それって……ファンじゃないですか」  ポカンとした顔をして、正嗣が食後のデザートにと橋本さんからいただいた蜜柑の最後の一粒を俺の口に放り込んでくれた。 「? あぁ、そうなんだ。でも、換気扇の類は持ってなくて。正嗣の蜜柑の方が甘かったな」 「え? そうですか? 荘司の方の皮がツヤツヤで甘そうだったのに。じゃなくて! どんだけ天然なんですか! それ、荘司のファンですってば!」 「ファン……」 「フアン」 「……まさか」  そんなわけないだろうって笑うと、嘘でしょって顔をされた。いや、そんな驚かれてもな。普通に女子高校生が、十近くも離れたただの市役所職員のファンにはならないだろう? 「はぁ……そっかぁ」 「そもそも、どうしてファン……」  確かにここ数日、よく頑張ってと女子高校生に応援されるけれど、それはもう十も離れた市役所職員が忙しそうに見えたから言ってくれてるんだと思っていた。 「それ、全部同じ高校の制服じゃなかったですか?」 「あ……あぁ、確かに。同じ高校の制服だ」  黄色のリボンにブラウンのジャケットが秋色っぽくて、夏や春の季節感に合ってないから、夏などは暑苦しそうで大変だなぁなんて思った程度だったけれど、言われて、よく思い出せば確かに同じ制服だった。 「その高校、この前、職業案内で荘司が説明がした高校ですよね」 「……あ、そうだな」  同じ制服の学校にちょうどこの間、訪問したなぁと思った。 「はぁ、もう、どうしてそう鈍感なんだろ。その時はアクリル板で仕切りあるからってマスク外したでしょ? その方が表情も伝わるからって」  外した、確かに。 「それで荘司を見て、ファンが増えちゃったんです」 「……な」 「なんだじゃないです。んもぉ」  そこで正嗣が大きく溜め息を零して、こたつテーブルの上に両手を伸ばして乗っかるように寝そべった。 「やっぱ、俺がいけばよかった。主任に食い下がるんだったぁ」  それこそ、やだ。 「もう荘司がマスク取った瞬間の女子高校生のテンションとか手に取るようにわかりますもん」  もしも俺ではなく正嗣が行っていたら。  女子高校生の前に正嗣が立って話していたら。  そんなのかっこいいってなるに決まってるじゃないか。少し年上で、かっこよくて、ハキハキしてて話しやすそうで……なんて。若い人の方が共感が得やすいだろうと主任が候補にあげた数名の中に正嗣の名前があったから、すぐに自分がやるって言ったんだ。仕事紹介なんて恥ずかしいけれど、やりますなんて柄にもなく言ってしまったんだ。 「はぁ、あ、しばらく続くかなぁ……あ、もう少しでバレンタインじゃん。荘司にチョコ持ってくる子いるだろうなぁ、義理ならまだいいとして、本気チョコとか……職員への個人的プレゼント禁止ですってデカデカと」  きっと正嗣はそんな女子高校生に迫られたって気にしないでいてくれるだろうけれど、それでも――。 「……正嗣」 「あ、でも、そうだ市役所的に禁止ですってデカデカと」 「あの、俺は、誰にどれだけ懇願されても、正嗣だけだ」 「……」  それでも、嫌だなと思ってしまう。 「その、女子高校生でも、どこぞの俳優でも、誰に好かれていても」  そんなふうに正嗣が誰かに取られやしないかと胸をざわつかせるのは心が狭いことで、好ましくないことだと……思っていた。  でも、今、正嗣が言ってくれたこととか、思ってくれたことは、俺のそれに似ている。胸をざわつかせたものに、とても似ている。 「関係ない」 「……」 「正嗣が、その……」  好きだ、と小さく呟いて、そっと顔を上げた。  目が合えば、人とのコミュニケーションが上手い正嗣に胸の内を知られたら呆れられるかもしれないと思ったんだ。けれど、チラリと顔を上げて、見つめたら。 「……ぁ」  切なげな眼差しが真っ直ぐ、俺にだけ向けられている。 「あ、あの、だから、そのっ」 「……」 「その……」  好き、が詰まった眼差し。 「正嗣も、嫌だなって思った、のか?」 「……」 「その、俺が女子高校生に迫られたら、嫌って」 「……」  その瞳が、じっと俺を見つめてる。問いかけるように、ただ、真っ直ぐに。 「俺は、嫌……だったんだ。その、正嗣が誰かに好かれたり。あ、いや、それはいいんだ。その正嗣が誰かに嫌われたら悲しい。でも、好かれていて、仲が良いとか、その、なんというか、ちょっと……とても了見の狭い感じで、その」 「それ」  ねぇ、って問いかけるようにじっと見つめられて、思わず、俯いた。テーブルの上に置いていた自分の手へと、その行き先をどうしたらいいのかわからなくなった視線を向けて。  その、テーブルの上でぎゅっと握り拳を作っていた自分の手に正嗣の手が重なる。 「それ、ヤキモチっていうんですよ?」 「……」 「荘司、は、俺にヤキモチやいてくれたの?」 「……あ」  これは独占欲。 「ぁ……ぅ、ん」  これは、甘くて仕方がない。 「荘司」 「……」 「俺、嬉しくて、たまらないんですけど」  恋の欠片。

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