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黒猫の時間 第1話
オレの恋人はとても可愛い。
「ねぇ、ダメ?どうしてもダメ?」
潤んだ瞳で見つめられてオネダリなんてされたら、何でも聞き入れてしまいたくなるのだ。
たとえそれが無理難題、解決不可能な超難問だとしても、叶えてやりたくなってしまうのだ。
そう、それがたとえ可能な事であっても己のプライドを消滅させてしまうかもしれなくても、だ。
「優輔ぇ……」
オレの恋人は可愛い、何度でも言おう。
だから、それがたとえ……。
「……わ、わかった……ただし、着けるだけだぞ、ちょっと頭に乗せるだけな、それだけだぞ」
「うん、優輔だいすき」
恋人は無邪気な笑顔で抱きつき、手に持っていた猫耳付きカチューシャをオレの頭に乗せた……そりゃあもう、満面の笑みで……。
どうしてこんな珍事が起きてしまったかというと、寛也の客の何気無い一言が原因だったりする。
寛也は恋人の贔屓目で見なくてもとても整った顔をしている。身長は170センチ程なのでそれ程高身長という訳でもなく、体格も自分と比べれば小柄と言えるだろう。
だが、それは着痩せして見えるだけでスーツを脱げばその肉体は鍛えられ、機能美のようなしなやかな筋肉で覆われていた。
その体型を保つため、寛也はジム通いをし、その美貌を保つためにエステにも通う。見た目商売、というよりも見た目勝負なのだ、寛也のいるホストという世界は。
見た目もだが、本人の努力の甲斐もあり店では常にトップ3入りをする寛也の客は上客が多い、らしい。
その内の一人、銀座の宝石商の未亡人だったかが金曜の夜豪遊にきたそうだ。
不景気という三文字が跋扈して久しいが、世の中金を持っている人間は何時の世、どこにでもいるものだ。そういう人間がいるからこそ、ホストの懐も暖かくなる、というのは寛也の弁だ。
とにかくその金持ちの未亡人は一晩でサラリーマンの給料の何ヶ月分か、という金を店に落としていくらしい。
今日は店の従業員達も連れてきていたので、指名された寛也とヘルプについているホストと他にも3人その席にいて店の奥にあるVIP席は満席状態だった。
最初言い出したのは宝石店の従業員の女子だった。他愛のない会話の合間に挟まれたペット自慢、彼女の家の愛犬の写真を見せられ、それならばと隣に居たホストも実家の愛猫を見せ……そしてそれはその席に居た全員でのペット自慢大会となったのだ。
犬、猫、文鳥にハムスター、うさぎに熱帯魚、果ては爬虫類を飼っているという者もいた。
その中で一人、静に微笑んでいたのは寛也だ。
ペットブームでもあるまいに、皆自分で飼ったり、実家で飼ったりしているらしくペット写真もあるし、ペット談義もつきない。
だが、寛也は自分でペットを飼っている訳でも、実家でペットを飼っている訳でもなく、写真もなければ、思い出話もない。
お客が盛り上がっているのだから、そう思い寛也は相槌をうち、適当な嘘をつき、愛想を振りまいた。
だがその内心は穏やかではなかった。
「……僕だって、自慢出来るペットがいるのに……!」
全く持ってペットなんかいないし、ペットでもないのに、寛也は同棲中の恋人(まぁ、オレな訳だ)の写真を思いきって見せようか、などと終始考えていたそうだ……恐ろしい事に。
「さやかさん家のミルクちゃんよりも、知也の家のメレよりも、あゆみさん家のロンくんよりも、光の家のエースよりも!絶対に!絶対に僕の優輔の方が可愛いのに!!!」
二人の愛の巣、即ちこの部屋に帰ってくるなり寛也は思いつめた顔で詰め寄ってきた。明日は土曜日なので愛しい寛也の帰りを健気に待っていたのが、そもそも間違いだったようだ。さっさと寝てしまえば良かった。
寛也はどこで仕入れてきたのか、黒の猫耳の付いたカチューシャを取り出すと、お願いと言って迫ってきた。可愛い恋人の頼みをオレが断れる筈がないだろう?
たとえ、果てしなく似合わないというか、罰ゲーム以外の何物でもないその猫耳を付けたがっているとしても。
「ねぇ、絶対可愛いから」
「……いや、可愛くないぞ、寛也、ていうかそれどうしたんだ?」
「これ?猫耳デーの時のだよ」
さらりととんでもない事を言ってのけた寛也は腕を伸ばしオレに猫耳をつけようとしてくる。
その腕をかいくぐりながら「猫耳デー」てなんだ?などと思っていると、以心伝心、寛也が答えてくれた。
「土曜にイベントがあってね、先々週のイベントが猫耳デーたったんだ、結構好評だったよ?」
「寛也もつけたのか?」
「うん、そうだよ、これオレのだもん」
他人の物を優輔に付けさせる訳ないでしょ?と言われたが、それが猫耳なら寛也のであっても遠慮したかった。
だが、優輔の拒否など分かっていないのか、分かっていて無視しているのか、寛也は諦めようとしなかった。
「ねぇ、だめ?」
潤んだ瞳でオネダリされたら折れるしかないじゃないか……天然なのか、計算なのか結局は寛也の思い通りに自分は動いてしまうのだ。
仕方なく頷くと寛也はこの世の春、みたいな顔で猫耳をオレの頭に乗せてきた。
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