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VD協奏曲第1話
1月下旬の冷たいビル風が吹く中、首に巻いたマフラーを抑えながら優輔 は、同僚と二人駅までの道を歩いていた。
「今日は残業しないって言っておいたのに、遅くなっちゃったわねぇ、もぅイヤになっちゃう」
隣を歩く北町泉 が口を尖らせ文句を言う。
「まぁ、でもまだ19時ですし……」
「そうだけどぉ……はぁ、材料の買い出ししておいて良かったわ、ご飯はどうする?うちでいい?」
「何か食べて行ってもいいんですが……時間も時間ですし、デリバリーで……作りながら食べませんか?」
「そうねぇ、そうしましょうか」
うふふ、ピザでも取ろうかしら久しぶり、とさっきまでの機嫌の悪さはどこへ行ったのか、一転しての上機嫌の様子だ。
その横顔を見ながら優輔は胸を撫で下ろす。あまり機嫌の悪い同僚と一緒にいるのは居心地が悪いし、上司の愚痴、上司というか社長である優輔の先輩の愚痴を延々聞かされるのは居たたまれない。
一緒になって言い合いたいが、素面でそんな事は出来ない。北町は先輩とは同級生、というか友達なので本人を目の前にしても好き勝手言えるが、後輩である優輔はそこまで言える立場でもない。
「あ、電車間に合いそう、急ぎましょ」
腕時計に視線を落とした泉は、優輔の返事も待たずに駅へと走り出してしまった。
「え、あ、はい!」
数歩遅れてその後姿を追う。
優輔の数歩先、後ろ姿だけではもしかしたら間違うかもしれない。あと、遠目であればるいは。
北町泉は180センチを超える優輔と並んでも左程大差のない身長の持ち主だった。
艶やかな、腰まで届く黒髪のロングヘア―を揺らしながらハイヒールで颯爽と歩く姿は、出来るOLに見えなくもない。遠目から見れば。
だが実際近くで見れば、確かに整ってキレイな顔をしているが骨格を見てしまえば男性のそれだ。化粧をしているので、顔立ちは女性に見えなくもない……確かにキレイではあるのだが。
優輔は泉の性別は考えないようにしていた。たまに隣に向け不躾な視線が飛んで来る事もあるが、本人が全く気にしていないので優輔も気にしない事にしている。
「ちゃんと計量出来たぁ~?」
隠しきれない低音ヴォイスと共に、泉が手元を覗き込む。大き目のガラスボウルの中にはスケールで計った薄力粉が入っている。
「はい」
「じゃあ、卵、卵白と卵黄に分けて」
「わける???」
「そうよー、やった事ないの?」
「……ないですね……」
仕方ないわね、という視線で見られてしまったが、普通の成人男性は分けられて然るべきか?
「じゃあふるいに掛けておいて」
これ、と言ってテーブルの上に置いたのはステンレス製の細かい網が付いている粉ふるいだ。
卵は泉がやってくれるのだろう、隣で見ていれば半分に割った卵の殻に卵黄を残し、ボウルに卵白を落としていた。
ただ材料を混ぜればいいと思っていた優輔は、やる事が色々あるなと思いながら教わった手順をこなしていく。
これから作るのはガトーショコラだ。これまでも数度、泉には仕事帰りに菓子作りを教えて貰っていた。
同棲相手であり恋人でもある寛也 は元々レストランの厨房で働いていた料理人だ。お菓子もたまに作るので、聞けばガトーショコラの作り方を教えてくれるかもしれない。
でもこれはサプライズなので、教わる訳にはいかなかった。
作ろうと思ったのは偶然。泉が職場にパウンドケーキを焼いて持ってきたのを見て、思い付いた。聞けば素人でも作れるという、それならばと思い今に至るのだ。
出来たら全部自分で作りたいと言った優輔に、泉は色々教えてくれた。優輔が菓子作り以前に料理を作った事がほとんどないと知ると、簡単な菓子作りから教え始めた。
クッキーに始まりパウンドケーキやスコーン。今日は本番前に手順を教えるとガトーショコラを作る事になった。
有難いのだが、こんなにも菓子作りを教わる事になるとは予想外だった。
帰りが遅くなる事も多く、夕飯も寛也に断る事が増えた。仕事が忙しいと言っているのを寛也は信じている筈だ。帰りは彼の方が遅いので、帰宅時間はそれ程心配しなくてもいいのは助かっていた。
寛也は喜んでくれるだろうか……喜んでくれるといいな。そんな事を考えながら、優輔は湯煎で溶かしているチョコレートを掻き混ぜた。
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