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8月10日(月)
8月10日(月)
「全然熱が下がらない…」
「どうする?病院に行った方が良いよね…」
「あれから起きないんだ…」
起きてる…起きてるけど、体が動かないんだ…
やっぱり、俺、呪われたのかな…
あんな劇物に触れてしまったから…呪われたんだ…
なんだか、喉の奥がヒリヒリと痛む。
「叔父さんに来てもらおう…」
歩…ダメだよ。
俺は、まもちゃんに会ったらダメなんだ…
だから、止めて…
気力を奮い立たせて、体を起こして、歩に言う。
「あ…ゆむ…だいじょうぶ…」
高熱のせいで、体中を襲う寒気に、ブルブルと震える。
「ダメだ…焦点が合ってない。病院に連れて行ってもらおう…」
星ちゃん…
馬鹿野郎…
俺は前のめりに突っ伏すとそのまま意識を失った。
「いつから?」
「昨日の夕方から熱が出て、ずっと高いままです…。雨の中、外を歩き回っていて…体中濡れて…温めたんですけど、やっぱり熱が出ちゃって…」
「…なんで、そんな事…」
「釣りに行った俺を探しに…」
まもちゃんの声がして、重い瞼を頑張って少し開ける。
俺を見降ろして…そんなに怖い顔をして…ダメじゃないか…
俺は震える手を伸ばして、まもちゃんの頬を撫でた。
俺の手が触れると、悲しそうな顔になって、俺を見つめる目が泣いてる様に見えるよ…
「北斗、気付いたの?」
星ちゃんの声がして、とても心配した声色に申し訳なくなる。
ずっと気付いてるんだよ?ただ体が動かなかったんだ…
「ま…もちゃ…だめ…だ」
そう言って頬を撫でた手で、彼の鼻の穴に指を入れて、笑った。
まもちゃんは俺を見て、目を歪ませると、体を落として、俺を抱きかかえた。
あぁ…このまま連れ去ってくれるのかな…
それが無理なら…このままこの人の腕の中で、死んでしまいたいな…
クタッと力が抜けて、頭から冷たい何かが流れていく。
意識が遠くなっていく。
どうかこのまま死んでしまえますように…
大好きな人に抱かれて
死んでしまえますように…
目が覚めると、あんなに重かった瞼が簡単に開いた。
やたらと白い天井に、自分が入院したと気付いた。
右に視線を移すと、大きな窓。
外は快晴…雲一つない空が、俺の事など関係なく、自由を味わってる。
左に視線を移すと、まもちゃん…
俺と目が合って、何も言わないで、ただそこに居るから、俺も何も言わないで、彼を見つめた。
手をそっと伸ばすと、彼はその手を掴んで、優しく撫でた。
そのまま涙が落ちない様に上を向く。
そして、窓の外に視線を移して、俺の手をやさしく撫でる、彼の指を感じた…
何だ…死ねなかったんだ…残念だ…
ガララッと引き戸が開く音がして、まもちゃんは俺の手をそっとベッドの中にしまった。
俺は彼の手が離れてしまったことが悲しくて、堪えていた涙が落ちた。
「北斗…解熱剤で熱を下げて、抗生剤の点滴しているよ。お母さんに保険証のコピーを送ってもらったから、こっちのことは心配しないでね。少し頑張りすぎたんだ。ゆっくり休んでね。」
星ちゃんが俺にそう言って、流れた涙を優しく拭ってくれる。
「じゃあ、俺は店があるから…」
まもちゃん…行かないでよ…
「まもちゃん…」
窓の外を見ながら、彼の名前を呼んだ。
喉が痛くて、自分の声じゃないみたいに、掠れた声が出て驚いた…
「北斗…ゆっくり休んで、早く良くなるんだよ。」
まもちゃんはそう素敵な声で言うと、俺の傍から居なくなった…
心が引き裂かれるように痛い…
「うっうう…うっ、うう…」
零れる涙もそのままに、声を堪えながらむせび泣く…
そんな俺を見て、星ちゃんは何かを察した様に、俺の髪の毛を撫でてくれる。
苦しい…死んでしまいたい…もう嫌だ…
こんなに苦しいなら、人魚姫みたいに泡になって消えてなくなりたい…
涙が治まる頃、星ちゃんの俺の髪を撫でる手の動きを感じながら、またゆっくりと瞼を落として眠った…
「北斗君。起きられる?」
看護師のお姉さんに起こされて、夕飯を食べる。
部屋には誰も居なくて、ベッドの上にまもちゃんのヘッドホンが置いてあった。
俺はそれを手に取るとギュッと胸に抱いて、また涙を落とした。
諦めろ…と言った理久の声が頭をこだまして、心に落ちていく。
分かってる…分かってる…
どうせ、すぐに俺は東京に戻るんだ…
そうしたら、二学期が始まって…テストがあって…
あ、俺はコンクールに出るために海外へ行くんだった。
だから、テストを免除されてたんだ…忘れていた。
そうか、勉強しなくても良いのか…
「北斗、ご飯食べた?」
星ちゃんの声がして、頭を上げる。
「ん…たべた…」
俺はそう掠れた声で言って笑うと、持っていたヘッドホンを首にかけた。
そのヘッドホンを見て、神妙な顔をして星ちゃんが言った。
「まもちゃんさん、すごい心配していたよ…」
そう…でも、もうどうにもならないんだ…
彼はさっちゃんと婚約していた。
そして、俺一人…メソメソ傷ついて…絶望してるんだ。
「入院して、元気でたよ…」
俺は笑って星ちゃんに言うと、震えていない手のひらを上に上げて見せた。
そして手のひらをヒラヒラ動かして言う。
「美声と引き換えに、呪いに勝ったんだ!」
俺がそんな風にふざけても、星ちゃんは少し悲しそうな顔をしている。
視線を星ちゃんから自分の腕に移した。
手に刺されていた点滴が外れているのを見て、星ちゃんに尋ねる。
「星ちゃん?俺、明日には退院出来るかなぁ?」
星ちゃんは俺のベッドに座ると、俺を見て、真剣な顔をして聞いて来た。。
「北斗。まもちゃんさんと、どういう関係なの?」
「…どうって、まもちゃんは歩の叔父さんだよ?」
「俺はお前の友達だろ?聞かせて…1人で悩まないで…」
「…何だよ。それ…まるで…俺が隠し事してるみたいに…」
「違うの?俺にはそう見える。そして、とても悩んで…苦しんで見える。」
「苦しんでない…悩んでない…何でもない。」
「…北斗。…忘れないで。俺は、お前がどうなっても傍に居るからね…?」
そう言って俺の頬にキスすると、星ちゃんは、明日また来る。と言って、俺の病室から出て行った…
星ちゃん…
目の前で泣いたりするから…星ちゃんは俺の隠し事に気付いてしまったみたいだ…
知らぬ存ぜぬで隠し通せるか…
いや、隠し通したい。
俺達はあっという間に東京に戻る…
それまで辛いかもしれないけど…東京に戻ったら、また、レッスンで忙しくなるんだ…そして、この事も…まもちゃんの事も…忘れるに違いない…
そうだ…きっと忘れていくに違いない…
だから、今は1人、堪えよう。
それが一番賢明だと判断した。
彼のヘッドホンを耳にかけて、音楽を再生する。
一緒に過ごした時間は短いのに…なぜ、こんなに執着してしまうんだろう…
何もかも忘れられなくて…忘れたくなくて…しがみ付いてしまう。
他の男とセックスすれば忘れるのかな。
そうかもしれない…
初体験が俺には気持ちよすぎたんだ…だから、あんなに夢中になって行ったんだ…
だから、他の男と寝てみればいいんだ…
活路が見えた…
そうしよう…退院したら…そうしてみよう…
バイオリンを弾いた後も、同じ様に思っていたら、そうしてみよう。
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