12 / 55

8月10日(月)

8月10日(月) 「全然熱が下がらない…」 「どうする?病院に行った方が良いよね…」 「あれから起きないんだ…」 起きてる…起きてるけど、体が動かないんだ… やっぱり、俺、呪われたのかな… あんな劇物に触れてしまったから…呪われたんだ… なんだか、喉の奥がヒリヒリと痛む。 「叔父さんに来てもらおう…」 歩…ダメだよ。 俺は、まもちゃんに会ったらダメなんだ… だから、止めて… 気力を奮い立たせて、体を起こして、歩に言う。 「あ…ゆむ…だいじょうぶ…」 高熱のせいで、体中を襲う寒気に、ブルブルと震える。 「ダメだ…焦点が合ってない。病院に連れて行ってもらおう…」 星ちゃん… 馬鹿野郎… 俺は前のめりに突っ伏すとそのまま意識を失った。 「いつから?」 「昨日の夕方から熱が出て、ずっと高いままです…。雨の中、外を歩き回っていて…体中濡れて…温めたんですけど、やっぱり熱が出ちゃって…」 「…なんで、そんな事…」 「釣りに行った俺を探しに…」 まもちゃんの声がして、重い瞼を頑張って少し開ける。 俺を見降ろして…そんなに怖い顔をして…ダメじゃないか… 俺は震える手を伸ばして、まもちゃんの頬を撫でた。 俺の手が触れると、悲しそうな顔になって、俺を見つめる目が泣いてる様に見えるよ… 「北斗、気付いたの?」 星ちゃんの声がして、とても心配した声色に申し訳なくなる。 ずっと気付いてるんだよ?ただ体が動かなかったんだ… 「ま…もちゃ…だめ…だ」 そう言って頬を撫でた手で、彼の鼻の穴に指を入れて、笑った。 まもちゃんは俺を見て、目を歪ませると、体を落として、俺を抱きかかえた。 あぁ…このまま連れ去ってくれるのかな… それが無理なら…このままこの人の腕の中で、死んでしまいたいな… クタッと力が抜けて、頭から冷たい何かが流れていく。 意識が遠くなっていく。 どうかこのまま死んでしまえますように… 大好きな人に抱かれて 死んでしまえますように… 目が覚めると、あんなに重かった瞼が簡単に開いた。 やたらと白い天井に、自分が入院したと気付いた。 右に視線を移すと、大きな窓。 外は快晴…雲一つない空が、俺の事など関係なく、自由を味わってる。 左に視線を移すと、まもちゃん… 俺と目が合って、何も言わないで、ただそこに居るから、俺も何も言わないで、彼を見つめた。 手をそっと伸ばすと、彼はその手を掴んで、優しく撫でた。 そのまま涙が落ちない様に上を向く。 そして、窓の外に視線を移して、俺の手をやさしく撫でる、彼の指を感じた… 何だ…死ねなかったんだ…残念だ… ガララッと引き戸が開く音がして、まもちゃんは俺の手をそっとベッドの中にしまった。 俺は彼の手が離れてしまったことが悲しくて、堪えていた涙が落ちた。 「北斗…解熱剤で熱を下げて、抗生剤の点滴しているよ。お母さんに保険証のコピーを送ってもらったから、こっちのことは心配しないでね。少し頑張りすぎたんだ。ゆっくり休んでね。」 星ちゃんが俺にそう言って、流れた涙を優しく拭ってくれる。 「じゃあ、俺は店があるから…」 まもちゃん…行かないでよ… 「まもちゃん…」 窓の外を見ながら、彼の名前を呼んだ。 喉が痛くて、自分の声じゃないみたいに、掠れた声が出て驚いた… 「北斗…ゆっくり休んで、早く良くなるんだよ。」 まもちゃんはそう素敵な声で言うと、俺の傍から居なくなった… 心が引き裂かれるように痛い… 「うっうう…うっ、うう…」 零れる涙もそのままに、声を堪えながらむせび泣く… そんな俺を見て、星ちゃんは何かを察した様に、俺の髪の毛を撫でてくれる。 苦しい…死んでしまいたい…もう嫌だ… こんなに苦しいなら、人魚姫みたいに泡になって消えてなくなりたい… 涙が治まる頃、星ちゃんの俺の髪を撫でる手の動きを感じながら、またゆっくりと瞼を落として眠った… 「北斗君。起きられる?」 看護師のお姉さんに起こされて、夕飯を食べる。 部屋には誰も居なくて、ベッドの上にまもちゃんのヘッドホンが置いてあった。 俺はそれを手に取るとギュッと胸に抱いて、また涙を落とした。 諦めろ…と言った理久の声が頭をこだまして、心に落ちていく。 分かってる…分かってる… どうせ、すぐに俺は東京に戻るんだ… そうしたら、二学期が始まって…テストがあって… あ、俺はコンクールに出るために海外へ行くんだった。 だから、テストを免除されてたんだ…忘れていた。 そうか、勉強しなくても良いのか… 「北斗、ご飯食べた?」 星ちゃんの声がして、頭を上げる。 「ん…たべた…」 俺はそう掠れた声で言って笑うと、持っていたヘッドホンを首にかけた。 そのヘッドホンを見て、神妙な顔をして星ちゃんが言った。 「まもちゃんさん、すごい心配していたよ…」 そう…でも、もうどうにもならないんだ… 彼はさっちゃんと婚約していた。 そして、俺一人…メソメソ傷ついて…絶望してるんだ。 「入院して、元気でたよ…」 俺は笑って星ちゃんに言うと、震えていない手のひらを上に上げて見せた。 そして手のひらをヒラヒラ動かして言う。 「美声と引き換えに、呪いに勝ったんだ!」 俺がそんな風にふざけても、星ちゃんは少し悲しそうな顔をしている。 視線を星ちゃんから自分の腕に移した。 手に刺されていた点滴が外れているのを見て、星ちゃんに尋ねる。 「星ちゃん?俺、明日には退院出来るかなぁ?」 星ちゃんは俺のベッドに座ると、俺を見て、真剣な顔をして聞いて来た。。 「北斗。まもちゃんさんと、どういう関係なの?」 「…どうって、まもちゃんは歩の叔父さんだよ?」 「俺はお前の友達だろ?聞かせて…1人で悩まないで…」 「…何だよ。それ…まるで…俺が隠し事してるみたいに…」 「違うの?俺にはそう見える。そして、とても悩んで…苦しんで見える。」 「苦しんでない…悩んでない…何でもない。」 「…北斗。…忘れないで。俺は、お前がどうなっても傍に居るからね…?」 そう言って俺の頬にキスすると、星ちゃんは、明日また来る。と言って、俺の病室から出て行った… 星ちゃん… 目の前で泣いたりするから…星ちゃんは俺の隠し事に気付いてしまったみたいだ… 知らぬ存ぜぬで隠し通せるか… いや、隠し通したい。 俺達はあっという間に東京に戻る… それまで辛いかもしれないけど…東京に戻ったら、また、レッスンで忙しくなるんだ…そして、この事も…まもちゃんの事も…忘れるに違いない… そうだ…きっと忘れていくに違いない… だから、今は1人、堪えよう。 それが一番賢明だと判断した。 彼のヘッドホンを耳にかけて、音楽を再生する。 一緒に過ごした時間は短いのに…なぜ、こんなに執着してしまうんだろう… 何もかも忘れられなくて…忘れたくなくて…しがみ付いてしまう。 他の男とセックスすれば忘れるのかな。 そうかもしれない… 初体験が俺には気持ちよすぎたんだ…だから、あんなに夢中になって行ったんだ… だから、他の男と寝てみればいいんだ… 活路が見えた… そうしよう…退院したら…そうしてみよう… バイオリンを弾いた後も、同じ様に思っていたら、そうしてみよう。

ともだちにシェアしよう!