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8月13日(木) 花火大会_01

8月13日 花火大会 「北斗、おはよう…」 目を覚ますと、目の前の星ちゃんが、俺を見て笑った。 彼の笑顔を見て、俺も笑って返す。 「今日は、何の日だっけ?」 可愛く聞いて来るから、俺は可愛く答えることにした。 「ウフフ…花火大会だお!」 「ちゃんと覚えてたね」 当たり前だ。 昨日、言われたんだから… 星ちゃんは体を起こして、ベッドから出ると、俺に方に来て手を伸ばした。 だから、俺は星ちゃんの手を掴んで起こしてもらう。 「うわ~!よく寝た!」 そう言って、俺はベッドから降りた。 昨日帰って来てから俺は死んだように寝続けた。 体中が痛くて起きれなかったのと、起きて何かを考え始める事が怖かったんだ。 だから、途中目を覚ましても無理やりに寝た。 もう嫌だった。 何もかも、嫌だったんだ。 でも、沢山寝たせいか、今日は気分が大分ましになっていた。 そのままトイレに行って、洗面所で歯を磨く。 嗅ぎ慣れない自分の匂いに驚いて、腕の匂いを嗅ぐ。 バラの様な良い匂いがして、首を傾げる。 頭を振ると、やっぱり甘い匂いがする。 自分の匂いに酔ってしまいそうだ… 「北斗、良い匂いする…」 歩がそう言って、鼻を鳴らしながら俺にくっつく。 「何だろう…俺も分からない…」 二人で不思議がっていると、通りすがりの星ちゃんが言った。 「北斗、出かける前にシャワー浴びてね。昨日お風呂入ってないから。」 俺はお利口に良い返事をして答えた。 歩が顔を洗う中、俺は服を脱いで浴室に入る。 「北斗?」 歩に呼び止められる。 「何?」 振り返って聞くと、歩は悩むように言い淀んで、洗面所の扉を閉めた。 何かが始まるの? 俺はもうお腹いっぱいだよ… 俺がそう思ったら、歩は俺の手を引っ張って鏡の前に立たせた。 体中に小さな痣が出来ていた… 「後ろも…」 そう言って、背中を見せられて恐怖する。 背中の方が沢山付いていて怖い… 「俺…病気になったのかな…」 怖がる俺に、歩が言った。 「これはキスマークだよ…誰がこんなに付けたのか…覚えはないの?」 「キスマークって何?」 俺が間抜け面で聞くと、歩が言った。 「こうやって、腕を吸ってみて?」 歩が自分の腕をチュウチュウ吸い始める。 俺はそれがおかしくて、笑って見てる。 「北斗もしてみて?」 促されて、乗り気じゃないけど真似してやってみた。 「見てみて?」 吸った後を見ると、あの痣と同じように赤く痣が残った… 「あ…」 思い出した… 昨日…変態ロココとした時…しつこく体を舐められていたんだ… 「北斗、僕は何も言わない…もし、何かあったら…すぐに教えて…」 思い出した様子の俺にそう言うと、多くを聞かずに歩は洗面所を出て行った。 「ヒデェ…」 鏡に映る自分は…まるで病気の子だ… 体の匂いも、あそこでシャワーを浴びたからだ… 俺は浴室に入って、シャワーを浴びた。 いつもの石鹸で、ごしごし、綺麗に洗った。 いつものシャンプーで髪の毛も洗って、顔も洗った。 「匂い…取れるかな…」 心配だった…だって、すごく甘い匂いが纏わりついていたから… ドライヤーで髪を乾かして、下着を履く。 用意した服ではキスマークが見えてしまうので、俺はダメージの入った黒パンと大きめのTシャツを着た… 暑いのに… 最悪だ… 「北斗、暑そう…」 長ズボンの俺を見て、博が言った。 「虫に刺されたくないの!」 俺はそう言って、麦わら帽子を顔が見えるように斜めに被った。 星ちゃんと手を繋いで、別荘を出る。 手には理久のバイオリン。 「コテージって、テントみたいなやつかな~?」 俺がワクワクしながら聞くと、星ちゃんは笑って言った。 「大体、ログハウスみたいな作りのやつだよ。簡単なベッドがあるような…」 ふぅん… 俺はキャンプに行ったことが無かったから、少しテントってやつに憧れがあった。 でも、今回は違うみたいだな… 少し残念に思って、星ちゃんと繋ぐ手を見た。 「バス停まで競争する?」 俺が星ちゃんに聞くと、歩が言った。 「今日は叔父さんの車と、後、父さんの車で分乗していくよ?」 そうなんだ… 星ちゃんとつなぐ手を離そうか迷う… 彼は、俺とまもちゃんを取り持とうとしている様に見えるから…きっとまもちゃんの車に乗って行きそうで…悩む。 「あ、来た、来た~!」 歩がそう言って、道路の向こうに手を振った。 俺達の目の前に2台、車が停まった。 「あ、北斗!」 俺は、星ちゃんと手を離して、歩のお父さんの車の方へと向かった。 その時、風が強く吹いて、俺の麦わら帽子が遠くへ飛ばされた。 「あ~れ~!」 俺はそう言って、麦わら帽子を取りに行く。 どうしていつも飛ばされるんだろう…紐を付けたいよ! 急いで戻ってくると、もう、みんな座席に座り終えたみたいに、澄まして座っている。 「俺、乗れないじゃん!」 一人、外で文句を言ってると、まもちゃんが窓を開けて言った。 「北斗、ここ。」 嫌だ。 俺は助手席を指差すまもちゃんを無視して、歩のお父さんの車の前でごねる。 「歩のお父さんが好きなんだ!こっちに乗りたいんだ!」 歩のお父さんの車に乗って、知らん顔をする奴らに訴える。 車内の星ちゃんと、春ちゃんと、歩が俺を白い目で見ている。 痺れを切らしたのか、まもちゃんが運転席から降りて来た。 「すぐ着くから…」 そう言って俺の体に触れるから、俺は怒って手で払った。 「触んな!」 睨んで、拒絶する。 俺を拒絶したのは…あんたじゃないか…! 「北斗、早く乗れ!迷惑だぞ!」 春ちゃんがそう言って俺に怒鳴る。 仕方ないから、俺はまもちゃんの車の、後部座席に座っている博を引きずり出して、そこに乗った。 博は怒っていたけど、俺はそれを無視した。 「あはは、お前、ヘッドホン持ってきてないじゃん!ば~か!」 後部座席に座る渉が、そう言うから俺は言ってやった。 「忘れたんじゃない!持ってこなかったんだ!自分の意志で持ってこなかったんだ!」 そうだ。 俺は彼のヘッドホンを付けるのを止めた。 未練がましく着けるのを、止めた… 終わったんだから…もう、要らない。 運転席にまもちゃんが乗り込んで、車が出る。 俺は窓を開けて外を見る。 嫌だ…嫌だ…早く降りたい…大嫌いだ… あんたなんて大嫌いだ… 顔も見たくない。 大嫌いなんだ…!! 「北斗がすみません。こいつ、馬鹿なんです。」 博がまもちゃんに謝っている。 こんなの、聞きたくない… 首元に手を回して気付く。 俺はヘッドホンを持ってきていない… 外をひたすら見て、気持ちを落ち着かせる… だって、さっき、まもちゃんが言ってた…すぐ着くって… 車に乗ってどのくらいたったのかな… まだ着かないのかな… 「やっぱり、俺は線香花火が一番好きだな~だって。儚いじゃん?」 「そうだよな~、儚いよ~。」 静かな車内…渉と博がどうでも良い話でイチャイチャしてる… 「ん、うるさい!黙って!」 俺は怒って渉の肩を靴のまま蹴飛ばした。 「なんだ!北斗!この野郎!」 俺の髪の毛をむんずと掴んで、引っ張り寄せて、渉が怒りだす。 俺はムカついてるんだ!目を逸らさないで睨みつけてやる! 俺の態度がむかつくのか、髪をつかんだ渉の手がどんどんキツく髪を締め上げてくる。 「やめなさい。」 まもちゃんがそう言うと、渉が俺の髪から手を離した。 だから俺は渉の顎に思い切り頭突きをしてやった。 「~~~っっ!」 痛がってうずくまる渉の頭に言ってやった。 「うるさいんだよ!ば~か!」 その時、車が路肩に停まった。 着いたのかな?何もないけど? まもちゃんが運転席から降りて、車の後ろを回る。 そのまま後部座席のドアを開けて、俺の腕を引っ張って車の外に出す。 「やめて!触んないで!」 俺はそう言ってまもちゃんの腕を殴った。 助手席のドアを開けて、博に後ろに行くように言う。 俺を助手席に乗せ直して、言った。 「大人しくしてなさい!じゃないと置いてくぞ!」 俺は、頭に来て言い返した! 「置いて行けばいいじゃないか!平気だろ?そんな事、あんたは、平気で出来るだろ!」 彼の体を足で思いきり蹴飛ばして、後ろにつんのめるのを確認して、俺は車外に飛び出した。 「お前なんて、大嫌いだ!」 そう言って一本道の進行方向を1人、歩き始める。 どうせ放っておくんだ。 俺の事なんてどうでも良いんだ。 なんだ、偉そうに! ふざけんな! ふざけんな!! 「北斗、待って、戻って、北斗!」 追いかけてきたまもちゃんが、そう言って、俺の手を掴んで振り返らせるから、俺は振り返る勢い、そのままに彼の頬を思いっきり引っ叩いた! 彼の顔が派手に揺れて、スローモーションに見える。 ざまぁみろ!! その時、まもちゃんの車を追い越す黒い車に見覚えがあって、俺はその車を走って追いかけた。 気付くかな? 気付いてよ 黒い車が路肩に停まってハザードランプを灯す。 気付いたんだ! 俺は止まった黒い車に駆け寄った。 「北斗!」 俺を呼ぶまもちゃんの声が後ろで聞こえる。 お前なんて、大嫌いだ…! 「ねぇ、乗せて!」 開けた窓から俺を見て微笑む、直生と伊織。 俺はセロ弾きに拾われた。 「どうせ、行く所は同じだろ…」 バイオリンはまもちゃんの車に忘れた…でも良い。 どうせ、俺のじゃないから… 「北斗が誰かと、喧嘩したんだ…」 そう言って伊織が、俺の首に指を這わしてクスクス笑う。 後部座席にチェロを2つ乗せた車は、2人乗り仕様になっていた。 俺は迫るまもちゃんから逃げるのに必死で、助手席の伊織の上に座った。 そして、そのまま車を出してもらった… 唖然とした顔で見送る彼の顔が、目から離れない… 彼を引っ叩いた手を見る。 痛い… まもちゃん… 大嫌いだ… 大嫌いだ… 「北斗は何でそんなに、イライラしているんだ。」 俺に何度も手を叩かれて、伊織が悲しそうに言う。 お前が俺のモノを触り始めるからだろうが…! 「ヘッドホンが欲しいの…」 真後ろの伊織にそう言うと、彼は後部座席にある荷物をゴソゴソとし始めた。 俺は腰を浮かせて一旦彼の足の間から退いて、その様子を振り返って見る。 彼の大きな体が、意外と柔らかく捩れていくのを見た。 「おまわりさんに見つかったら、逮捕される。」 俺が助手席で危ない事をしているから、直生がそう言って笑う。 こんな田舎道に、警察なんていないよ… 伊織が取り出したヘッドホンを貸してもらう。 コード付きだ… 耳に付けて、携帯電話に繋げる。 適当な音楽を再生して、深呼吸して落ち着く。 …俺が苛ついてるのはヘッドホンのせいじゃないだろ。 伊織の体にもたれてもう一度ゆっくりと深呼吸する… 「音楽が聞こえないと、ダメなんだ…」 そう言って、そう言い聞かせて、彼の体に自分を沈める。 「北斗が、大虎から小猫ちゃんになった。」 そう言って、伊織は俺の髪を大きな手のひらで撫でた。 とっさに再生したシシリエンヌ。 何で…これなのかな… でも、バイオリンの音が…綺麗で、うっとりする。 「いつも付けてるやつはどうした?」 直生が聞いて来るから、言った… 「あれは、もう要らないんだ…壊れたから…」 俺がそう言うと、直生が前を見ながら言った。 「お前は何で招かれた?」 そうだよな…不思議だよな…。 俺は彼らに教えてあげた。 「その家の親戚の子と、友達なんだ。だから呼ばれた。一曲弾けと言われてる。でも、あの家のさっちゃんって女が大嫌いなんだ。俺はビンタされた。しかも、バイオリンの管理が最悪だ。今日もどうせ居るに決まってる。自分では何も出来ない癖に、金持ちってだけで人を見下して、大嫌いだ。」 俺がそう言うと、伊織が大笑いして体を揺らす。 「北斗はなかなか…男気のある、小猫ちゃんだ。」 「お前たちはどうして呼ばれたの?パトロンってやつがいるの?」 俺は直生に聞いた。 「パトロンなんていない。媚びは売らない。報酬が発生するから行くだけで、しがらみもない。演奏が曇るから、そんなもの作らない。自由に演奏して、やりたいようにやる。」 直生はそう言うと俺を見て言った。 「お前はどっち側の人間になるのかな…北斗。」 その目が少し笑っている様に見えて、俺は笑ってこう言った。 「そんな事…俺は知らないよ。どうでも良い。」 俺の答えに2人が同じ様に笑って、同じように俺の頭を撫でた。 そのまま伊織が俺の唇にキスする。 俺はそれを受けて、舌を彼に絡ませてキスする。 「北斗は可愛いね…」 耳の鼓膜が揺れて、嫌な事は聴かなくて、自分の世界に閉じこもって… ヘッドホンを付けて…何も考えなくて良い様に、1人になりたい… そこに快感が加わるなら、尚良い… だって、それが、馬鹿な俺の単純な欲求なんだ。 反射みたいに…考えなくても欲しがって、反応する物なんだ。 伊織の手が、俺のズボンの中に入ってくる。 俺は体を反らせながら、後ろの伊織に頭をもたれさせる。 彼の手が俺のモノを握って、緩く扱く。 「んん…はぁはぁ…あぁ、あっ、あっ…」 すぐに気持ち良くなって、彼の胸に頬を擦り寄せて、甘えながら喘ぐ。 「北斗は今日何を弾くの?」 喘ぐ俺の足を撫でながら直生が聞いて来る。 気持ちいい… トロけそうだ… そして…嫌なことを忘れるように、頭を真っ白にして… ただ襲ってくる快感だけを、感じて、喘いで、快楽に浸るんだ。 「俺たちはまだ決めていない…」 「北斗、可愛い。ん、大好き。」 俺の頬にキスして、顔を擦り付けて、伊織は俺のモノを扱く力を強くする。 「もうすぐ着いちゃうから…その前にお前のイク顔が見たい。」 俺のモノは強く扱かれて、すぐに限界を迎える。 「はぁはぁ…だめぇ…!イッちゃう…伊織、イッちゃう…!」 俺の口にキスすると、うっとりと目を見開いて、俺の顔を覗いて来る。 車を路肩に停めて、直生まで俺のイキ顔を見ようと、まじまじと覗いて来る。 やっぱり変態ロココだ… 「んっ、んっんん!…ふぁっ…ん、はぁはぁ…」 俺がイクと、満足した様にキスして、ズボンを直す。 車が路肩から抜けて、車線に戻って走り出す。 目の前にまもちゃんの車が見えた。 「路肩に停まってるうちに、追い越されたな。北斗のイキ顔、見られたな。」 直生がそう言うから、俺はそれを無視した。 伊織は手に付いた俺の精液を拭いて、舌で舐めて綺麗にしている。 「北斗、可愛い…」 そう言って俺をギュッと抱きしめる伊織の腕を撫でる。 「理久の前では、触らないで…」 怒られるから… 「努力してみよう。」 全く…変なやつ そう言った直生の方を見て、伊織の腕の中で、彼の美しい横顔を眺める。 「どうして、理久はお前たちが嫌いなの?」 俺は直生に聞いた。 「さあね…なぜかな…」 何か理由があると思った。 それ以上言わない彼を見て、そう思った。 警戒して、心許さないで、付き合えば上手くいくのかな… 機嫌次第で…殺される…ライオンの檻に入っている様な物なのかな… そんな風に思えないよ… まるで前の理久と同じ、“自由”を彼らに感じるよ… 安全運転のまもちゃんの車に追いついて、追い越した。 「北斗、手を振って。」 伊織がそう煽るから、俺はそれを無視して、前だけ向いていた。 道路の左側にキャンプ場とコテージが並んでいる施設が見える。 「あぁ、俺、今日ここに泊まるんだ。」 俺がそう言って窓の外に指を出す。 それを伊織が見て、言った。 「ゴキブリが出そうだな…」 余計な事言うんじゃないよ… 「俺は平気だけど、直生はゴキブリが怖いんだ。」 伊織がそう言って、俺に笑う。 俺はそれを聞いて、少し笑うと、テントの張ってある芝生の上を見る。 「あ~、テントだ~!良いなぁ~!」 「北斗、後ろの車が停まったぞ。」 直生がそう言うから、俺は後ろを振り返った。 伊織の大きな肩に手を乗せて後ろを振り返ると、こちらに教える様にウインカーを出して、キャンプ場に入って行く。 「なぁんだよ…もう…」 俺はそう言ってヘッドホンを首に下げてコードをまとめ始める。 「降りるの?」 伊織が聞いて来るから、彼の顔をちらっと見ながらコードを何重にも輪にしてまとめる。 「これで結わえ。」 そう言って、直生が皮の紐を差し出すから、俺はそれを伊織に渡して、結んでもらった。 「またね~」 そう言って二人にキスすると、俺は彼らの車から降りて、麦わら帽子を被った。 そして、通り過ぎてしまったキャンプ場に、走って向かった。 こんな所、星ちゃんに見つかったら、怒られる~! まもちゃんを叩いた事…知られたら…怒られる~! 焦る気持ちを人よりも遅い脚に乗せて、頑張って走った。 息を切らせてキャンプ場の入り口に着くと、星ちゃんが俺を見ている。 遅かったか… 仁王立ちして…腕組して…顔が…怒っている。 俺は諦めて、彼の傍にトボトボと歩いて近づいた。 「北斗!聞いたよ!お前、何してんだよ!」 後、2メートルくらいの所で、星ちゃんが怒って俺を怒鳴りつけた。 「だって…俺は歩のお父さんの車が良かったんだ…」 そう言って、俺は下を向きながら、星ちゃんの隣に立った。 「お前がいつまでたっても乗らないからだろ?」 「違う!帽子が飛んだから、拾いに行っていたんだ!」 俺がいくら言っても、星ちゃんは怒ったままで、眉間にしわが寄っている。 「あの人たちと…随分、仲良しなんだね…」 星ちゃんはそう言って、直生と伊織の話にシフトする。 俺は、とぼけた顔をしながら言った。 「ん~、変態ロココ?」 星ちゃんはこのフレーズに弱い。 猫足と変態ロココ…このフレーズを聞くと必ず笑う… 「車の中は猫足じゃなかったよ?」 俺がそう言うと、ほら、もう笑いかけてる… 「ハンドルも、猫足じゃなかった!」 だから、重ねて言ってやる。 「ブホッ!北斗!俺は聞いてるんだよ?何であの車に乗っていたの?」 「…気になったんだ。」 「なにが?」 「…座席も…ロココ調なのか…」 俺がそう言うと、星ちゃんはとうとう吹き出して笑い始めた。 大笑いして、話しどころじゃなくなった星ちゃんを見て、俺は上手くやり過ごしたと確信した。 遠くから、渉と博が歩いて来る。まもちゃんは俺のバイオリンを持っている。 とても怒った顔をして… お前の機嫌は取らない。 お前なんて大事じゃないから… 「叔父さん…なんか、怒ってない?」 歩がそう言ってお父さんに聞いている。 俺は知らない顔して星ちゃんと変態ロココの話をする。 近付いて来るまもちゃんを感じながら、知らないふりをする。 体の横にガンッとバイオリンのケースがぶつかる。 「あ、いた!」 俺が驚いて見上げると、怒ったまもちゃんが、俺にバイオリンのケースを押し付けていた。 俺は彼の目を睨んで見ると、そのケースを奪う様に取った。 「道具を大事に出来ないのに、バイオリンが上手に弾けるの?」 まもちゃんは煽る様に俺にそう言うと、歩のお父さんの方に歩いて行く。 は? 「北斗、止めろ…」 そう言って俺を止める星ちゃんの声が聞こえるけど、俺は猛烈に頭に来ている!! ケースを星ちゃんに渡して、俺は走った! そのまま、まもちゃんの背中に突撃して、俺を抑えようとする彼の頭に頭突きした。 「お前みたいな奴が、偉そうに言うな!」 そう言って、よろけた彼のお腹を、前蹴りで蹴飛ばして転ばせる。 「北斗!」 春ちゃんが俺を羽交い絞めにするけど、俺はその手を噛んで、まもちゃんに馬乗りになる。 マウントを取って、俺を見上げる彼の顔を引っ叩く。 「お前なんて、大嫌いだ!大嫌いだ!」 泣きながらそう言って引っ叩く! 「北斗!いい加減にしろっ!」 星ちゃんの怒鳴り声が聞こえて、俺は彼によってまもちゃんから離されると地面に放られる。 俺は被害者なのに! あいつに悪戯された、被害者なのに! こんなに自暴自棄になるくらい、傷つけられてるのに!! 「北斗!」 星ちゃんが俺の顔を思いきり振りかぶって殴る。 しかもグーだ… 最悪だ! 衝撃が走って、鼻の奥からトロリと何かが垂れる感触がして、喉の奥が痛くなる。 「うわあああん!」 鼻血を出しながら泣いた。 痛くてじゃない…悔しくて泣いた…!! 落ちた麦わら帽子を、歩が拾って、俺の頭に乗せる。 しゃがんで俺の鼻血をティッシュで拭いてくれる。 「北斗、どうしたんだよ…ヘッドホンだって…持ってるだろ?」 持ってる…でも、これにはコードが付いてて…邪魔なんだ。 まもちゃんのが良かった! あれを、持ってこればよかった。 まもちゃんが良いんじゃない…コードレスのヘッドホンが良かっただけだ。 まもちゃんなんて大嫌いだ!! 星ちゃんは俺を置いてまもちゃんに謝りに行ってる。 あいつが煽ったのに… 俺は目の前の歩から視線を逸らして、コンクリートの間から青々と茂る雑草を見つめた。 春ちゃんが怒った顔をして仁王立ちする。 俺はそれを無視する。 星ちゃんが怒った顔で俺を睨む。 俺はそれも無視する。 渉と博はイチャイチャしてる。 歩はまもちゃんにけがの具合を聞いてる。 ケガなんてする訳ない。 俺が、引っ叩いたくらいで…ケガなんてする訳ない。 俺は鼻の中が切れた… 血が出たんだ… 「とりあえず、チェックインはしたから~、ここから歩いて行こう~」 歩のお父さんだけ、とぼけた顔してそう言って、俺達の前に立って先導する。 俺は、唯一敵意を俺に向けない歩のお父さんの後ろに付いて、一緒に行く。 鼻の中に詰められたティッシュをそのままに、歩いて行く。 大体まもちゃんがいけないんだ。 俺は何もしてない… なのに、先にいやらしい事をしたのはまもちゃんだ。 それなのに… それなのに… ポロリと、涙が落ちるから、顔を下げて歩く。 歩のお父さんの踵を見ながら、顔を下げて、歩いていく。 手に持つバイオリンのケースだけ…酷く、重く、感じた。 「ここ~、着いたよ~」 少し歩くと歩のお父さんがそう言った。 顔を上げると、貫禄のあるお屋敷が目の前に立っていた。 美しく伸びた松の木が腰をくねらせて、絶妙なバランスで立っている。 盆栽を大きくした感じの手入れに、この松への愛を感じた。 「北斗、お利口にしてね~?」 歩のお父さんは、麦わら帽子に手をポンと置くと、後ろを見て手招いている。 お屋敷の玄関で、今か今かと、こちらを覗く子供と目が合う。 タンクトップに短パン姿の子供…良いね、夏だ。 俺が胸元でちょっと手を振ると、向こうも手を振って返した。 彼とは友達になれそうだ… 玄関を上がり、奥へ案内される。 長い縁側が伸びて、松や、手入れのされた草木が彩る中庭が、ドドンと目の前に広がる大豪邸。最高のロケーションだ。 家の奥さんに案内されて、お座敷に通される。 俺はさっそく縁側に座って足をブラブラと揺らした。 「お兄ちゃん、でっかい鼻くそ付いてるよ?」 ショックだった… 俺の鼻に詰まったティッシュを指で押して、その子は言う。 「鼻くそ~!」 だから俺は慌てて言った。 「違う、これは鼻血が出たから入れてもらったの。鼻くそじゃないの!」 俺がそう言うと、その子は俺のティッシュを掴んでポンと外した。 先に血が付いているティッシュを、マジマジと見て言った。 「何で血が付いてるの?」 俺は面倒くさくなって、そのまま体を倒して横になった。 俺の体の上に乗って、その子が揺すってくる。 「お兄ちゃん、鼻血はどうして出たの?」 だから、俺は星ちゃんを指さして言った。 「あの人が、俺をグーで殴ったの。」 星ちゃんがこっちを見てにらみを利かす。 「どうしてグーで殴られたの?」 「…知らな~い。」 「そのお兄ちゃんが、とてつもない馬鹿だからだよ!!」 春ちゃんがそう言って俺の背中を蹴飛ばす。 信じられない。暴力沙汰だ! 「お兄ちゃん…可哀そう…意地悪されてるの?元ちゃんが守ってあげる。」 優しいね。 「…北斗」 縁側を歩く変態ロココに出くわす。 やっぱりここに招待されていたのか… 俺と元ちゃんの隣に大きな2人が座る。 「北斗、大変だ。鼻血が出てるぞ…」 横になる俺の鼻から、鼻血がタラリと垂れていく… 元ちゃんがティッシュを抜いたからだ… 伊織がティッシュを持ってきて、俺を座らせて鼻を抑える。 「栓して?」 俺がそう言うと首を横に振った。 「鼻に詰めても止血できない。こうやって抑えた方が止血できる。」 本当かよ… 向かい合うように座って、伊織に顔を持ち上げられて、鼻を抑えられる。 俺は彼の顔を見ながら、じっと固まって待っている。 「北斗、可愛いな…」 止めろ。 今は止めろ。 座敷に座ってこっちを見ている何名かの視線を感じて、俺は伊織に目配せした。 「なんだ。北斗…キスして欲しいのか?」 「違う。自分で出来る。」 俺はそう言って鼻を自分で押さえた。 伊織は俺の髪を撫でて、頭を抱いた。 「おじちゃんは、女の子なの?」 元ちゃんが直生を覗き込むようにして話しかけてる。 「違う…どこかへ行け。」 「やだ、元ちゃんはお兄ちゃんと遊ぶんだ。」 俺の体に抱き着いて、元ちゃんが直生に言う。 「夜になると…スカート穿くの?」 俺の頭を抱き寄せる伊織の肩が揺れる…笑ってんのか… 「も、も、もう嫌だ…」 そう言って直生が、元ちゃんの純粋な質問に堪え切れずに逃げて行く。 「おじちゃんは目が痛くないの?」 さぁ…元ちゃんの矛先が伊織に向かいました… 伊織は元ちゃんを無視して、俺の頭をなでなでしながら自分の胸に押し付ける。 「チリチリなのはなんで?髪がチリチリなのはなんで?ねぇ、なんで?なんで?」 そんな元ちゃんの素朴な疑問に耐えられない様子で、伊織は俺に言った。 「北斗…向こうへ行かないか?」 「やだよ。俺はここにいる。」 俺はそう言って断って、縁側に足を下ろして、庭を眺める。 伊織も元ちゃんに追い払われるようにして、俺の傍からいなくなった。 「お兄ちゃん、鼻血止まった?」 俺の顔を覗き込んで、元ちゃんが聞いてくる。 「止まった…」 ティッシュを離して、鼻をかむ。 そのまま仰向けに寝転がると、腹の上に元ちゃんが乗ってきた。 「元ちゃん、そのままそいつの顔、引っ叩いてやりな!」 星ちゃんがそう言って元ちゃんを煽る。 元ちゃんは名前を元気(げんき)くんと言う。だから元ちゃん。 彼も俺たち同様に、この家にご招待を受けているお客さんの一人のようだ。 まだ5歳なんだって。 俺とまもちゃんはもっと年が離れている。 俺はこんな小さい子に手を出そうなんて思わない。 …彼は変態だ。 「お兄ちゃん、それ何が入ってるの?」 元ちゃんはバイオリンのケースが気になっている様子だった。 「楽器だよ~」 俺はそう言って、お座敷に四つん這いで歩いていく。 俺の上に元ちゃんが乗って、お馬にされる。 「春ちゃん、お菓子取って?」 テーブルの上のお菓子をお願いすると、春ちゃんは俺に投げてよこす。 「…酷いな~、サルみたいだな。」 そう言って、座ると、春ちゃんの背中にもたれてお菓子を開ける。 「元ちゃん、それ、きら~い!」 あぁ、そうかい。 一口食べて、甘ったるい和菓子に、口の中の水分と味覚が、全部持っていかれる。 「春ちゃん、お茶ちょうだい?」 俺がそう言うと、春ちゃんはテーブルの上をキョロキョロした。 隣のまもちゃんが俺にお茶を入れて差し出す。 歩が…星ちゃんが…先程の光景を見たみんなが、俺とまもちゃんの一触即発に警戒して、ピンと空気が張り詰める。 …そこに座っていたんだ。 フン! 春ちゃんの隣に座っていたまもちゃんに驚いて、俺は退散する。 「お兄ちゃん、お茶どうぞ?」 元ちゃんが俺を掴んで、まもちゃんのいれたお茶を渡す。 小さな手で差し出されて、無視なんて出来ない。 俺はそれを受け取ると、少しだけ飲んだ。 俺は春ちゃんの所から離れて、その隣の歩の隣に移動した。 彼の肩のもたれて座り、星ちゃんの持ってるペットボトルを飲む。 「お兄ちゃん…遊ぼ?」 「遊ばない。だって、俺は疲れたんだ。」 そう言って、元ちゃんの体の向きを向こうに向ける。 でも、元ちゃんは俺の腕を掴んで引っ張ってくる。 俺はそれを無視して、テーブルに顔を乗せて突っ伏す。 「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」 俺の背中をバンバン叩いて、元ちゃんがごねる。 その様子に周りが笑い始める… 「北斗は、子供とおっさんに好かれるのかな…」 星ちゃんの言葉が意味深だね。 「この子の親はどこですか~?」 俺はそう言って、元ちゃんを連れて家の中を歩くことにした。 座敷には居なかった様だから、縁側を奥へ進んで向こうの客間に向かう。 それにしても、立派なお宅だ。 中庭には池が付いていて、白い鯉が優雅に泳いでいるのが縁側からも見て取れた。ずっと奥まで続く縁側に、ところどころの客間に通された客が談笑するのを眺めながら、俺は元ちゃんの保護者を探して歩いた。 日が当たって、艶々と光る磨かれた床板に、管理がなされていると感心する。 まるで、大きな老舗旅館か…寺だな。 「元ちゃんのおかあさ~ん…おとうさ~ん!」 元ちゃんの手を繋ぎながら、そう言って彼の両親を探す。 縁側に繋がった廊下を曲がって進むと、突然洋館の様な作りに変貌する。 和洋折衷…昔流行ったんだよな… 明治や大正時代、洋風な建物が多く建てられて、こうやって金持ちは、形ばかりの洋館に自宅を改造したんだ。お金があるから出来たのだろう。 小さなステンドグラスが、道路側の窓のみにはめられている様子に、見栄を感じる。 「あ、元気~!どこ行ってたの?」 そう言って、優しい雰囲気の女性が俺と元ちゃんのもとに歩いて来た。 「ままぁ~!」 元ちゃんはそう言って、その女の人に抱き着いて甘えた。 「ほら、お帰り~」 俺はそう言って、元ちゃんのお母さんに笑顔で会釈して挨拶した。 「お兄ちゃん、あとで、スイカ割りする?」 「する~」 また会う約束をして、元ちゃんと別れる。 元ちゃんと別れて、縁側へ戻る。どこからか、チェロの音が聴こえる。 これは…直生と伊織の演奏だ。 俺は彼らが弾くチェロを、目を閉じて耳を澄ませて聴く… 「ふふ…本当に、素敵だな…」 一音一音、体に響く…不思議なチェロだ… 耳を澄ませながら、彼らを探す。 あ…音が近くなってきた。こっちか… 離れの様に立つ建つ洋館。 無理やり屋敷に付けられた渡り廊下から行くようだ… 開きっぱなしの入り口から、彼らのチェロの音が漏れて聴こえる。 誘われる様に中に入ると、室内は小さなホールの様になっていて、何列か置かれた長椅子に、品よく適度な人数で腰掛けるお客さんが見えた。高い天井に音が良く響いて、ここはイベント用の場所として用意された所なんだと理解した。 チェロのデュオが奏でるサティ…洒落てる… 俺は他の人に混ざって、椅子に腰かけて、彼らの演奏を目を閉じて聴く… はぁ…本当に…うっとりするんだ… 「北斗…」 隣に誰か来て、聴き入ってる俺に声を掛けてくる。 俺は手を挙げて、それを制する。 だって、今、凄く良い所だから… 「北斗…後で、お前もここで弾くんだよ。お前の次に幸恵さんが弾いて、最後にあの2人が弾く予定だ。ねぇ、何を弾くか決まった?」 うるさいな…理久か… 俺は彼の声を無視して、耳に届くチェロの音だけに集中する。 「あっ…」 あまりの興奮に、つい声が漏れて、驚いて目を開ける。 「北斗、あんまり熱を上げないで、彼らは危ないから。」 そう言って理久が俺の頬を持って自分に向ける。 「すごく上手だ…」 おれはすっかりうっとりする。 「北斗…見てごらん?彼らの傍に居る女性や、男性を…」 そう言われて視線を移して見てみる。 みんなうっとりしてる。 そうだよ、分かるよ。だって、それは素晴らしいもの…。 「お前も、ああなっちゃうよ?」 「んふふ…それって、悪い事なの?」 俺がそう言うと理久は呆れて言った。 「お前もあの中に加わるの?やめろよ…絶対体を触らせるなよ?すぐ、誰でも、抱きたがるんだから…」 「それはお前だって同じじゃないか…」 俺はそう言って、演奏が終わった直生と伊織に拍手を送る。 「私生活はどうか知らないけど…演奏は一流だよ…憧れる。」 俺がそう言うと、理久が立ち上がって俺を見て叫ぶ。 「ダメだよ~!北斗~!」 声が大きいよ… 俺の肩を掴んで、ゆっさゆっさと揺すって顔を近づける。 「ダメ!絶対!ダメ!北斗が憧れるのは…俺だろ?」 何を言ってんだよ…ロリコンの癖に… 「…さっきの弦の弾き方を聴いた?あんな風に繊細なのに重く聴こえる音なんて…俺には弾けない…凄いんだ。本当に…うっとりするよ…」 そう言って彼らを見ると、直生と伊織も俺を見ていた。 胸がキュンとして、恋してるみたいだ…変態に。 「あ…」 俺はそう言って二人に手を振る。 その手を掴んで理久が連れだす。 「なんで?なんでなの?」 俺はそう言いながら理久に連れ出される。 縁側を歩きながら、理久と星ちゃん達の元に戻る。 「あいつらは変態だ!」 「知ってる…変態ロココだ。」 「昔、可愛いバイオリストが彼らに食われた。その後どうなったと思う?」 そう言って理久が俺に凄む。 「頭がおかしくなっちゃった。病院に入院してる。」 「何で?」 俺が聞くと、理久が言った。 「客の前で始めちゃったんだよ。セックスを…」 俺はそれを聞いて大笑いした。 「あはは、あははは!苦しい…苦しい!」 立っていられなくて、床に突っ伏して笑う。 それで頭がおかしくなっちゃったの?マジかよ… 「だから、理久は俺を近づけさせない様にしてるんだね。」 彼を見上げてそう言うと、彼はしゃがんでこう言った。 「それだけじゃない…彼らはパトロンを持たないから、型破りな事ばかりする。それに感化されると、お前にとって良くないからだ。」 俺にとって?違うだろ… 縁側を歩いて、星ちゃんたちのいる座敷まで戻ってきた。 「星ちゃん、理久が居たよ。後、向こうに洋館があったよ。」 俺は星ちゃんにそう言って話しかける。 理久はまもちゃんを見て丁寧に挨拶をしている。 あざといな…そのうち、お前を雇う側になるから媚びを売るのか… 「北斗…まもちゃんさんに謝れ。お前ここに来る前、まもちゃんさんが止めるのも聞かずに、あろうことか引っ叩いたそうだな。博に聞いたぞ?だからヘッドホンを持っていけって言ったのに…全く!」 星ちゃんはそう言うと渋い顔をして俺を見る。 またか… 俺は理久と話してる彼の肩あたりを見て、不満げな顔で言った。 「まもちゃん、ごめんね。」 理久との会話をやめて、俺を見てくるその目。 大嫌いだ。 お前なんて大嫌いだ… 理久も嫌いだ… 軽蔑するよ。 「俺、変態ロココ見てくる~!」 そう言ってまたあの洋館へ向かう。 「北斗!」 後ろで理久の声が聞こえたけど知らない。 お前はパトロンに媚びでも売ればいい…一生そうしてれば良い。 見損なったよ。 昔は大好きだったけど…今はまるで別人だ…俺の知ってる理久じゃない。 だから…知らない。 元ちゃんが脇から飛び出して俺の体にくっつく。 「元ちゃん、楽器聴きに行こう~?」 そう言って、お母さんに許可をもらうと、元ちゃんを抱っこしてあの洋館へ向かう。 後ろから理久の声がして、追いかけて来ていると分かった。 どうしてそこまでするのかね… これは、もう理久の意地なんじゃないかとさえ思えてくるよ。 パトロンを付けて窮屈に生きていく道を選んだ理久と、未だに自由でいる彼らへの嫉妬だ。 「お兄ちゃん、名前は?」 元ちゃんが俺の顔を両手で包んで聞いてくるから、俺は元気に答えてあげた。 「ほくと~」 「ほくと、大好き~!」 ギュっと抱きしめてくる元ちゃん…かわい! 俺は本当に、男にモテるな。 洋館に着いて、元ちゃんを下に降ろす。 休憩時間なの?それとも演奏の合間なの? 彼らはステージから降りて、お客さんと談笑していた。 まともに話せるの?…その事に少し驚いた。 俺は元ちゃんと手を繋ぎながら二人の元に行って、話した。 「さっきの凄い素敵だった~!」 俺がそう言うと、直生は嬉しそうに笑って、俺の頭を撫でた。 俺の事も、一緒に演奏したら、ステージの上で抱くのかな…ウケる。 14歳少年…演奏中に襲われる! とか…ニュースになるのかな。 「ほくと?ピアノして?」 ステージの下に置いてあるアップライトのピアノを見て、元ちゃんがねだった。 演奏も中断してるし、ホールの中の雰囲気も雑然としている。 まぁ、少しくらい…遊んでも良いか… 「いいよ~!」 俺はそう言って、ピアノに向かっていき、椅子を調整する。 「元ちゃん、何弾いてほしい?」 「きらきらぼし~」 可愛いな… 俺はピアノの蓋を開けて、きらきら星を弾き始める。 「わ~!」 隣に座って喜ぶ元ちゃんが可愛い。 俺も子供欲しいな… 「これは普通のきらきら星じゃないよ?スーパーきらきら星だよ?」 俺はそう言って、きらきら星変奏曲を弾き始める。 それを見ていた直生が、壇上のチェロに戻って、俺のピアノに合わせて演奏を始めた。 彼が俺のピアノに色を添えるだけで、曲の雰囲気がガラリと変わって、一気に洒落ていく… 凄い…惚れてしまいそうだ…!! 彼と目が合って、俺を見つめる目に、言葉なんて要らなくなった… 俺がこう弾けば…彼がそう合わせて…彼がそう弾けば…俺は、こう合わせた。 言葉じゃなく、音で会話するみたいに、自然に溢れるメロディが、どんどんと紡がれていくようだ。 ホールのお客さんも、特別な演奏が始まったのかと、椅子に腰かけて俺たちの合奏を聴き始める。 「ほくと、ギターの人もスーパーきらきら星してる?」 「ギターじゃない。チェロだ。でも、同じ弦楽器だね…」 俺は元ちゃんに笑いかけると、頭にキスをした。 洋館のホールに理久が戻って来て、合奏する俺達を見て、固まる。 俺のピアノを覗き込むようにして、伊織が俺をうっとりと見つめる。 「北斗…ピアノも上手だ…」 「伊織も!伊織もして!!」 俺は彼の顔を見上げて、はち切れんばかりの笑顔でそう言った。 だって、とても楽しくて…顔がだらしなくニヤけてしまうんだ…! 彼は俺の興奮具合に声を出して笑うと、自分のチェロに戻って、直生とは違う音を出して、俺のきらきら星変奏曲を飾ってくれる…! 「元ちゃん、これは…これは、とても豪華なきらきら星だよ!」 俺はそう言って隣の元ちゃんを笑って見る。 いまにも声を出して笑ってしまいそうなくらいに、楽しくて、興奮する。 元ちゃんは沢山の音が混じった音を、一生懸命…耳を澄ませて聴いていた。 そうだ、よく聴いて? 耳を澄ませて、誰がどの音を出しているのか…感じて、辿って行って! それは繊細に絡まって、織られた上等な生地のように、綿密な物なんだよ。 そして、それは普通こんな一発本番で出来る代物ではなくて、この出来上がった旋律は奇跡に近い。 …同じものは2度と生まれないんだ。 ここにいる人でなければこの演奏を聴くことは出来ない。 そうだ、生ものの様に、鮮度が命で…保存や、レトルトには出来ないんだよ。 だからこそ尊くて… だからこそ、唯一無二になるんだ! 曲を弾き終えると元ちゃんは、わ~!と感嘆の声を出して拍手する。 椅子に腰かけたお客も、そうでない人も、拍手して笑顔になって喜んでいる。 俺は椅子から降りると、壇上のチェロの二人へ深々とお辞儀した。 それは尊敬と、親愛のお辞儀… 素晴らしい奏者と合奏できた事の喜びと、この奇跡への感謝を込めて… 彼らも立ち上がって俺に向かってお辞儀をする。 それに俺は“どういたしまして”の意味を感じとって、笑った。 元ちゃんと手を繋いで近くの椅子に座る。 すかさず理久が俺の隣に来て、元ちゃんを見る。 「北斗?この子は?」 「これは元ちゃん。俺の隠し子なんだ。」 「つい最近、精通したのに?」 うるさいよ… 「北斗、何か弾いてくれ。」 ステージの上からチェロに跨ったままの伊織にリクエストされる。 「伊織さん、北斗に構わないで?」 理久はそう言って伊織をけん制するけど… 俺は椅子から立ち上がって、ピアノの方に向かった。 「北斗~!」 そう言ってごねる理久を無視して、俺は再びピアノの椅子に座って考える。 元ちゃんが傍に来て、俺の様子を見ている。 「元ちゃん、何が良いかな?」 彼に聞くと、元ちゃんは俺を見て言った。 「チョパン」 ウケる…!チョパン! 俺は笑いながら頷くと、ショパンのピアノ曲の中で一番好きな曲を弾いた。 俺のピアノに合わせて、チェロの重厚な低音が入ってくる。 その瞬間、背筋がゾクゾクと震えた。 さっきのきらきら星変奏曲は、彼らの加入により、全く別物に姿を変えて行った。 でも、この俺が弾いているワルツは、曲の雰囲気をそのままに、控えめに合わせて弾いて来るんだ…。 凄いな…こんな事出来るんだ…即興で、こんな事が出来るんだ… 彼らのチェロの音色が、俺の弾くワルツ第7番嬰ハ短調を、より完成度の高い音楽として高めて行ってくれる。そして、俺はその曲の美しさに、ピアノを弾きながら涙があふれてくる。 落ち着け、せっかく美しくなった物を、ここで止めてはいけない… 素晴らしい…! まるで同じところを目指しているかの様に、曲の緩急に乱れがない… 俺と同じ何かを共有しているの? そう思ってしまうくらいに、彼らのチェロは俺の演奏を邪魔しないで、繊細な表現を一緒に再現する。 怖いくらいだよ… このままだと、自分がステージに上って、彼らを襲ってしまいそうだ。 曲を弾き終えて、鍵盤から手を離して、一呼吸して… 直生と伊織を下から見上げて、泣きながら笑って拍手した。 彼らが俺を手招きするけど、俺はステージの上に上がったら、あんたらを襲いそうだから止めておくよ。 「元ちゃん、良かったね。素晴らしいものが聴けたよ?」 俺は元ちゃんにそう言いながらホールを後にする。 だって、これ以上彼らの演奏を聴いたら、本当に俺が射精しそうなんだ。 「理久、素晴らしいね。やっぱり彼らは一流だ。」 俺は金魚のフンの様に付いて来る理久にそう言うと、感嘆して笑った。 「その、ステージで襲われた人は、彼らを興奮させられたんだ。それって凄い事だよ。理久も言っていたろ?俺の演奏を聴いて極まったって…同じだ。同じだよ。」 そう言って、呆気にとられた理久と別れる。 なんて素晴らしい体験をしたんだろう… 俺は上機嫌で、縁側を元ちゃんと踊りながら歩いた。 「ほくと!スイカ割りしよう!」 中庭で盛り上がる大人を見て、元ちゃんが言った。 目隠しされた、まもちゃんがスイカを探しているようだ… ワイのワイのと…良い年した大人が、楽しそうにそれを見て笑ってる。 「まもる~、右~右だよ~!」 さっちゃんがぶりっ子の声を出してまもちゃんを誘導している… 「元ちゃん…あれは大人がいちゃつく為に用意されたスイカみたいだ…残念だけど、俺達、純粋な子供の遊べるものじゃないみたいだよ…」 俺がそう言うと、元ちゃんが怒った。 「嫌だ!元気、スイカ割りするって決めてたもん!」 元ちゃんは縁側に仁王立ちして、ふざけた遊びをする大人達を睨みつけた。 「じゃあ、他の物を割って遊ぼうよ。手始めに、あのおじさんの頭を割ってみよう?」 俺はそう言って、半笑いでスイカを探すまもちゃんを指さした。 「んふふ。」 元ちゃんが笑うから、俺もおかしくなって笑う。 一緒に縁側に座って、アホのおじさんが半笑いでスイカを探しているのを見て笑った。 「北斗~!ちょっと、こっちに来て~!」 向こうの縁側から、俺に手を振る星ちゃんに呼ばれる。 「ん~!」 星ちゃんに届くように少し大きな声で返事する。 「まもる~、そっちじゃない!こっち!」 さっちゃん…うるさいよ… 確かにまもちゃんはお年寄りだ。 大きな声じゃないと聞こえないんだろう。 それにしても、キミの耳をつんざく声は何とかならないかね? 俺はそんな事を思いながら、アホのおじさんのいる中庭に視線を戻した。 目の前にまもちゃんが居て、さっきよりも半笑いの口元が笑っているように見えた。 「ここかな?」 そう言って、竹刀をトンと落とす。 俺のすぐ近く、縁側の縁に落ちた竹刀を見て、俺は言った。 「ま~もる~、みぎにぃ~3歩~!そのあとぉ、まわれ、みぎぃしてぇ4歩~!」 さっちゃんのぶりっこした声を真似て、池の方に誘導してやった。 「ブフッ!」 まもちゃんが吹き出して笑う。 変な笑い声、出すんじゃないよ… そのまま半笑いの姿で、池に落ちてしまえ! バシン! 俺がそう思った瞬間、俺の頭にまもちゃんの竹刀が当たった。 「あ~!ほくと、割れちゃう!」 元ちゃんがそう言ってオイオイと泣く。 まもちゃんが目隠しを外して、この状況を見て、にやりと笑う。 こいつ…わざと俺を狙ったんだ…!! 俺は竹刀を取り上げると、裸足で庭に降りて、逃げるまもちゃんの頭を連打する。 「子供が傍に居たんだぞ!危ないだろ!」 そう言って竹刀を投げると、引き返した。 元ちゃんが俺の雄姿を見て泣くのを止めた。 「北斗、子供の前でやめろよ…」 元ちゃんの後ろで、春ちゃんがそう言って俺を冷めた目で見る。 「元ちゃん、やられたらやり返すんだ。分かった?」 「うん!」 俺は正しい事を教えた。 やられっぱなしなんて絶対だめだ! 「さっちゃんが北斗を嫌いな理由が分かった…」 春ちゃんの隣で歩がそう呟いて、俺に言う。 「叔父さんが、北斗を好きだからだ…」 春ちゃんが固まって俺を見る。 俺は鼻で笑って歩に教えてあげた。 「それは100パーセントないね。」 じゃなかったら竹刀なんて頭に落とさないし 縋った俺を、ほったらかしになんてしない… 元ちゃんの手を繋いでお母さんの所まで連れて行く。 「ほくと、またね~!」 手を振って可愛い隠し子とお別れする。 あんな竹刀じゃスイカは割れない。 もっとバットとかじゃないと… 金持ちは、スイカ割り舐めてんな… 「星ちゃん、戻ったよ!」 俺は星ちゃんにそう言うと、彼の体に覆い被さって甘えた。 もう怒ってないみたい。 良かった。 「星ちゃん、花火楽しみだね?俺ね、元ちゃんと仲良くなったよ?」 「精神年齢が近いのかな?」 星ちゃんがそう言って笑う。 俺は足を踏ん張って漕ぐようにして、星ちゃんの背中を前後に揺らした。 「なぁに?何か用なの?」 俺がそう聞くと、星ちゃんが言った。 「北斗、本当に…言い辛いんだけど…演奏してってお願いしたじゃない?あれ、伴奏の間違いだった…」 「ん~、別にいいよ。誰の伴奏?」 俺はそう言って、星ちゃんの体を揺らす。 なかなか話さない星ちゃんに、少しだけ…嫌な予感がしてくる。 「…だったら、俺にも一曲弾かせてよ。」 彼の答えを聞かないで、俺はそう言った。 「交渉してみる…」 「誰と?」 「理久…」 ふぅん… 俺は星ちゃんの背中から退くと、理久を探しに行く。 洋館のホール、ステージの上に彼は居た。 目張りでもしているのか、しゃがんで位置確認をしている。 「あ、北斗…来ると思ったよ。星ちゃんから聞いた?」 歩み寄る俺に気付いて、顔を上げると、理久は不自然に笑う。 「いいよ。伴奏する。でも条件がある。俺にも初めの話通り、一曲弾かせてよ?」 「…それは、ダメだよ…」 即座に拒否する理久に俺は詰め寄って聞く。 「どうして~?」 しゃがんで彼の顔を正面から見ると、理久は俺から視線を外して言う。 「…分かるだろ?」 分からないよ… 俺の出番は無くされて、さっちゃんの伴奏だけを演奏するの? それは…とても、屈辱的だな… 「俺もお前の生徒だったのに…酷いよ。」 俺は理久に言う。 「仕方がないだろ…頼むよ。」 そう言って理久は、目張りを剝がしたり…張ったりする。 「俺の事はどうでも良いんだね…理久。悲しいよ。」 俺はそう言って立ち上がると、ホールを後にした。

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