19 / 55

8月15日(土)_01 お祭り

8月15日(土) お祭り 「北斗?北斗?起きて…」 星ちゃんの声が聞こえる…俺はまだ眠いよ… すっかりこの生活にも慣れてしまたのか… 緊張感の無くなった俺は、朝、起きるのが億劫になってきた。 「起きて、ほら…」 俺を揺すって起こす星ちゃんに抵抗する様に、体を固くする。 「起きてもする事なんて無いじゃないか…お祭りまで寝てる…」 俺はそう言って布団の中に潜り込む。 「もう…」 そうなんだ…もう…なんだ、俺なんて、もう…なんだよ。 起きても良い事なんて無い… いちゃつく奴らを見ながら、過ごすくらいなら夢の中にいたい… お腹は空かないし…誰も俺を傷つけない。 うとうと微睡む目に、シーツのしわが山のように見えて、指先でなぞって…潰して笑った。 しばらく寝ていると、星ちゃんが慌てた様子で俺を起こしに来た。 「北斗!外に、変態ロココが来てるよ?」 それを聞いて、俺は飛び起きてベランダに向かう。 そのまま手すりを掴んで下を覗く。 「北斗はお寝坊だ」 そう言って俺を見上げる、直生と伊織… 手にはギターを持っている。 俺は嬉しくなって階段を降りていく。 「髪の毛が酷いな…」 伊織がそう言って、俺の髪の毛を手櫛で解かす。 「このギターどうしたの?」 俺が指を差して言うと、直生が言う。 「まずは、おはようと言うんだ。」 俺はそれを無視して、彼からギターを奪う。 クラシックギターだ… 弦を撫でると、柔らかい音が響く… 「弾いてみて?」 俺はそう言って直生にギターを返すと、置いてある椅子に座って彼が弾くのを待った。 「これは俺のじゃない。だから弾かない。」 そう言ってネックの部分を持って、俺を見下ろす。 「じゃあ誰のだって言うんだ!」 演奏が聴けると思ったのに、肩透かしを食ったみたいで腹が立つ。 「直生の好きな人のだ。」 伊織がそう言って、クスクス笑う。 俺は意外だった… 変態ロココにも、恋心があるなんて…思わなかったから。 「誰なの?」 俺は興味津々で聞いた。 兄弟で共有するのは、俺みたいな愛玩道具だけなんだ… 好きな人は、やっぱり特別なんだ。 特別… なぜか、心がズキンと痛くなる。 「もうすぐ来る…」 そう言って直生はソワソワし始める… その様子に、少しだけ、苛ついた。 「ここは、待ち合わせ場所じゃない。歩の家の別荘だ。待ち合わせならハチ公前にしろ。じゃあな!」 俺はそう言って、階段を上ろうとした。 「来た。」 伊織がそう言うから、俺は少しの好奇心で視線を上げて周りを見渡した。 線の細い、色白の綺麗な男の人がこっちに歩いて来る… そよ風に髪の毛が流れて、顔を撫でる様に黒髪がそよぐ。 美しくて、儚げな人… 階段の途中に佇む俺を見上げて、少しだけ微笑むと直生に視線を移してギターを受け取った。 弦を指で鳴らして、音を聴いているみたいに耳を澄ましている。 直生はその人の顔をじっと見て、だらしなく口元を緩めている。 …あんな顔するんだ。 特別な人の前だと…あんな表情になるんだな。 その人は、“特別”という文字が良く似合う、儚い印象の人だった… 「何か弾いてよ…」 俺は階段から降りると、そう言って彼を見た。 彼は俺の方を見て微笑むと言った。 「可愛いね。弾いてほしいの?じゃあ特別に、弾いてあげるよ。」 そう言って、近くの椅子に腰かけると、ギターを抱えてチューニングし始めた。 俺はその人の前に行って、しゃがんでギターの穴を見つめる。 弦を押さえる細い指先は、ギター弾きの様に硬くなってる様に見えるけど、意外な個所にタコが出来て見えるのが気になる…。 彼の所作を食い入るように見入る俺の隣に、伊織が座って、俺を見つめる。 「伊織はこの子が好きなんだね。」 その人はそう言うと、俺の方を見て言った。 「この大人たちは悪いやつだから、気を付けるんだよ?」 俺は彼を見上げて微笑むと言った。 「何を弾く?」 彼は驚いた顔をした後、にっこり笑って俺の頬を指で撫でた。 そのまま手を弦に持って行って、指先で爪弾いていく。 「わぁ、華麗なるエチュード…」 俺はそう言うと、地面に座り込んで彼の演奏に聴き入った。 指先の動きを見ているだけで、美しくて… 爪弾いたかと思うと、指の甲で撫でるように弦を動かして音を出していく様に美しいダンスを見ている様な気にさえなってくる。 ポロンポロンとなるナイロン弦の音が丸くて可愛い… 「美しい音色だね…」 そう言って彼を見上げると、俺の方を見て微笑む。 「次はエストレリータを弾いて?」 曲の途中で俺がそう言ってリクエストすると、直生と伊織が彼に向かって言う。 「止まらないんだ…聞かなくていい。」 直生は俺の肩に手を置きながら、彼の華麗なるエチュードを聴いている。 たまに、左手の指が動くのは、頭の中で彼と合奏をしているからなんだろう… だったらチェロを持ってこればよかったのに… 演奏が終わって、俺はため息を漏らした。 「なんて美しい音色なんだろう…もっと聴いていたい。」 そう言って再度、彼にお願いする。 「エストレリータが…聴きたい…」 俺の目を見て笑うと、彼は再び指を弦にあてて、リクエストに応えてくれた。 爪弾かれる音色が…あっという間に俺を夏の夕陽の海へと連れてってくれる。 左手で、弦を滑らせると、ナイロンの弦が擦れて、音を出す。 それさえも、メロディーの様に聞こえて、俺はすっかりギターの柔らかい音色と彼の柔らかい雰囲気に夢中になった…。 美しいエストレリータが終わってしまった… 「綺麗だね…次は…」 俺がそう言って立ち上がると、直生が俺の後ろに立って、俺の口を大きな手でふさぐ。 「うふふ、ごめんね。もう戻らないといけないんだ…また会えたら、その時に弾いてあげるね。ギターの調整、ありがとう。すっかり具合が良くなったみたいだ。」 そう言って立ち上がると、彼は俺の後ろの直生に微笑む。 その表情は、どことなく哀しげで、俺は直生の手を口から外して、退散した。 だって、明らかに俺はお邪魔だったから… 伊織が俺の事を捕まえて、背中から抱きしめる。 目の前で、直生が彼を抱きしめている光景を見る。 何故か、心がズキンとして…痛いのに、目が逸らせない。 抱きしめ合う二人の悲しそうな表情が、目に焼き付く。 特別な人なら…もっと嬉しいものなんじゃないの? もっと…楽しい顔で抱きしめるんじゃないの…? それはまるで…今生の別れみたいな表情で、俺は目を離すことが出来なかった… 「…またね」 そう言って彼は直生から離れると、俺に視線をあてた。 「可愛い子。どうぞよろしくね。」 そう言って、最後に伊織に微笑むと、彼は来た道を戻って行く。 訳アリなんだ… 馬鹿な俺でも分かった。 直生はあの人と、訳アリの恋をしているんだ… 悲しそうな目で、彼の背中を追いかけて、肩を落とす直生を見た… あの人がこんな風になってしまうんだ… かける言葉が見つからなくて、フルチンブラザーズなんて呼んで笑ったことを少し後悔した… 愛玩道具と遊ぶようにセックスはするけど、特別な人は…特別なんだ。 人を愛して…何かの理由で、苦しんでいるんだ… 「瑠唯(るい)は病気なんだ。もう長くは無い。」 伊織がそう言って俺の髪にキスする。 その言葉を聞いて、呆然とする俺を抱きしめる伊織の腕を掴む。 それは…可哀想だね… だからあんなに哀しい顔をしたのか。 瑠唯さんは直生の好きな人。 彼は病気で療養していた。 病状が思わしくなくて、今はホスピスで、治療じゃない…緩和ケアを受けているそうだ… 「ずっと傍に居ればいいのに…」 背中を丸める直生の背中を撫でて言った。 「ずっと…傍に居ればいいのに…」 そう言って彼の事を抱きしめる。 可哀想だ…こんなの、可哀想だ… 「家族が反対してるから、直生は会いに行けないんだよ。」 伊織がそう言って俺のぼさぼさの頭を撫でる。 直生の顔を見上げると、悲しそうにポロポロ涙を流していた。 彼の感情の見えない瞳が、ウルウルと潤んで、涙を落とす様子を見て… 俺は咄嗟に言ってしまった。 「俺に任せろ…」 待ってろ。と言い残して、別荘に戻った。 そして綺麗な服に着替えると、歯磨きをして髪の毛を全て濡らした。 顔を洗って、ドライヤーをあてて髪の毛を綺麗にする。 「北斗、どこ行くの?今日はお祭りだよ?」 星ちゃんに声を掛けられる。 「今、緊急事態なんだ!必ず帰ってくるから…ちょっと、行ってくる!」 俺は急いで靴を履くと、外に居る彼らと合流する。 「良いんだ…北斗、大丈夫だ。」 そう言って、俺の事を止めようとする直生の頭を叩く。 「ダメだ。絶対ダメだ。こんなの受け入れるな。」 俺はそう言って、彼らの車に向かう。 ホスピスに行って、彼の…瑠唯さんの家族に話を付けてやる…! 何故かそう凄く意気込んで、半分無理やりに彼らの車に乗って、ホスピスへ向かわせた。 俺は何とかしたくて仕方がなかったんだ…。 特別な人との別れが、特別じゃないなんて…嫌だった。 車を出して、しばらく進む。 説得するにあたって、俺は直生と瑠唯さんの話を詳しく聞いた。 どうして瑠唯さんの家族が、直生を拒否するのか彼らも検討が付かない様子だった。 だから、俺は理久から聞いた噂の真相を確かめた。 「…ステージの上で、エッチをしたの?」 俺は直生の顔を覗き込みながら、聞いてみた。 彼はこの噂を知らなかったみたいで、伊織と一緒に、驚いた顔で俺を見る。 「知らないようだから、俺が聞いた噂を教えてあげるよ。直生と伊織が若いバイオリニストに手を出しました。その子は今病院に居ます。理由は、お前たちがお客さんが入ったステージの上で、その子を襲い始めたから…病んでしまいましたとさ。以上。」 俺がそう言うと、直生は苦々しい顔をして言った。 「そんな事はしない…」 噂に背びれや尾びれが付いたのか? 酷い噂、流すやつもいるんだな。 羨望のまなざしの代償がこれか… 直生が前を見ながら、ぽつりぽつりと話し始める。 「瑠唯と…昔、一緒の楽団に居た事がある。ほんの2年の間だが伊織も、理久もそこにいた。」 理久は彼らの事を昔から知っていた事になる。 だったら、何であんな噂を俺に言ったんだろう…。 俺を彼らに近付けたくない理由は…? 「瑠唯は当時、確かにバイオリニストだった。理久とよく一緒に居た。俺は彼の美しさに惹かれて、あっという間に夢中になった…」 どんどん話が分からなくなる。同じバイオリニスト同士、共有する情報は多い筈だ。なのに、どうして…病気の事を知らないんだろう… 変な噂をどうして…間に受けた? そして、それをどうして俺に言ったの… 理久… 話さなくなった直生を見て、俺は気になっている疑問をぶつけた。 「お前たちは俺は共有するのに、彼の事は共有しないんだな。それは何故だ?」 念のため確認する。 だって、俺だって一応、自尊心はあるからな。 「北斗は…可愛い子猫ちゃんだ。癒しだ。」 直生は至極まともな顔をして、クズな発言をする。 良いさ、分かってたから。 でも、いざ言われると……結構傷つく。 俺は遊びだって、そう言う事だろ。 まもちゃんにも遊ばれて、こいつらにも遊ばれて。 俺って…何なんだろう… 軽いのかな…軽そうに見えるのかな。 自分の膝を見つめる。 膝に置いた手が小刻み震えてる。 あぁ、傷ついたのか…俺。 ホスピスに到着する。 今は自分の事より、こっちの方が重要だ… 「ちょっと待ってて!行ってくる!」 俺はそう言って彼らを車の中に残して、一人、ホスピスの中に入った。 柔らかい色調の壁紙に美しいパインの床板。 受付のお姉さんに声を掛ける。 「瑠唯さんのお見舞いに来たんです…」 可愛い感じに演技して、あどけない少年を演じる。 いや、俺はあどけない少年だよ。 ただ、軽く見える…遊びにはうってつけの少年だ。 「瑠唯さんは親族以外、面会謝絶なんです。ちょっと…聞いてみますね?」 ほら、俺のあどけなさが、彼女の判断を大きく変えたじゃないか。 俺は大人しくキョロキョロしながら待った。 「今、来るので、ちょっと待っててね?」 受付のお姉さんにそう言われて、俺は笑顔で会釈する。 なんて話せばいい… なんて話せば分かってもらえる… 「あ、さっきの…」 俺に会いに来たのは、彼の家族ではなく、彼自身だった… 「どうしたの?わざわざ、来たの?」 驚いた様子の彼に、俺は言った。 「ご家族に…直生の事を反対しているご家族に…お話があります…」 出過ぎた真似だとは分かっていた… でも、こんな事… 受け入れる必要なんて、無いだろ。 聞き分けの良い大人がそれを受け入れるのなら、聞き分けの悪い子供が何とかしてやりたいって…そう思ったんだ。 「直生に聞いたの?」 彼は窓側の椅子に移動しながら俺の手を繋いだ。 俺は彼を見て言った。 「いや、伊織に聞いた。直生は何も言わないで、シクシクするだけだから…。」 そう言って、笑うと椅子に腰かけながら彼に聞いた。 「ご家族は?」 俺の問いに彼は顔を伏せて言う。 「家族は…父が一人、兄が一人、姉が一人…みんな直生の事なんて知らない…」 俺は隣に座る彼に繋がれた自分の手を見つめる。 バイオリニストの手… そっと、自分の指で、彼の左の指先の硬さを撫でる。 弦を抑える指は自然と皮がむけて、硬くなっていく…だから右手よりも左手の指先が硬いんだ…。右の人差し指の横にも、タコができやすい… それらを撫でて、確認する… 彼は驚いた顔をして俺を見る。 「俺の大好きな人が…バイオリニストの奥さんを亡くした…。彼は奥さんを看取ったけど、悲しすぎてちょっと…おかしくなったみたいだ…。直生は、もっと悲しむことになるのかな…」 そう言ってあふれる涙を堪えて彼を見つめる。 「大事な人と一緒に居れるなら…居た方が良いよ…?」 「嫌なんだ…苦しんでる所を見られたくないんだ。病状は良くない。死を待つだけだ。日に日に弱っていく姿を…君なら見せたい?」 彼は俺の左手の指先に目を落として、そっと撫でながらそう言った。 「きっと、今以上に実感して、絶望してしまうに違いない…」 そう呟く瑠唯さんの声に、直生を思いやる気持ちを感じて、何も言えなくなる。 そうか…互いを思い合って…結果、離れているんだ… これが…大人のする選択なんだ。 大人のする選択はあまりにも悲しすぎて…俺には分らないよ。 「会いたくないのは…家族じゃなくて、瑠唯さん。そして、それは直生の事を思っての選択。でも、残される直生は、それを知らない…。」 俺はそう言って、彼の目を覗いて笑いながら聞いた。 「バイオリンの好きな曲は?」 「…意外と、亜麻色の髪の乙女が好きだって…最近気付いた。」 瑠唯さんはそう答えて笑う。 俺も一緒に笑って言う。 「意外で言うなら、俺はシシリエンヌが最近好きだと気付いた。」 そう言うと、彼はまるでバイオリンを弾くように左手を動かして見せる。 「うん…綺麗なメロディだね。」 瑠唯さんはそう言うと、まるでバイオリンを下ろす様に手を動かした。 「そうなんだ…美しいんだ…」 そう言って、俺は彼の隣から立ち上がる。 そして、彼を見降ろして尋ねた。 「また、来ても良い?」 彼は少し驚いた顔をしたけど、俺のしつこいごねは…こんなものでは終わらないよ… 「良いよ。」 そう呟いて、瑠唯さんは少し微笑んだ。 寂しいよ…こんな所に…1人でいるのは。 寂しいに決まっているんだ。 「じゃあ、またね。」 俺はそう言って、彼と別れる。 俺に手を振って、笑う彼の笑顔を、直生に届けられたら良いのに… 車に戻って、助手席に乗り込む。 「どうだった?」 後部座席に座る伊織が、身を乗り出して俺に聞いて来た。 俺は彼を一瞥して、運転席に座る直生に言った。 「家族は関係ないんだ…。瑠唯さんは自分が弱って行く所を見たら、お前が傷つくと思って、お前を思って、そうしていたんだ。…だから、また俺が会いに行く。お前の代わりに。彼の気が変わる様に。会いに行く。」 そう言って、直生の背中を撫でる。 「だから、もう少しだけ待ってくれ。」 俺の言葉に、直生は項垂れて涙を落とす。 「北斗…瑠唯の…望むようにしてやりたい。もし、彼が俺を望んでいないのなら…俺は…無理に会いに行く事を望まないんだ…!」 悲しいよ… 「好きな人が傍に居るのに、誰が1人で居たいと思うの?あんなに哀しそうな目をして、お前を見ていたのに、会いたくないと?望んでいないと思うの?良いから、もうちょっと待ってくれよ…」 悲しい… 死を間際に控えてる人に…ガキの俺が何を言ったって…ただの戯言に聞こえるんだろうな… 「北斗、瑠唯と仲良くなったのか。」 帰りの車の中で直生がそう聞いて来るから、俺は頷いて教えてあげた。 「亜麻色の髪の乙女が最近好きだと気付いたって…そう言っていた。」 俺がそう言うと、彼は嬉しそうに笑って泣いた。 後部座席から、伊織が俺の髪を撫でながら尋ねてくる。 「北斗はどうして、そこまでするんだ。」 俺もよく分からない… でも…多分 馬鹿な俺は、またその気になったのかもしれない。 相手にとったら、ただの遊びを。 特別じゃないくせに…勝手に…特別だと、感じてしまったのかもしれない。 愛されてるなんて…思ってしまったのかもしれない… 自戒の気持ちで、伊織の目を見て言った。 「多分…直生と伊織の事が大好きだからだよ。」 そう言って、相手の負担にならない様に付け足す。 「演奏する人として…尊敬しているからね。今の所トップ3だ。」 そう言っておどけて笑った。 馬鹿だな… 俺って抱かれる男、みんな好きになっちゃうのかな。 それとも、大人になれば傷つかないで…割り切れる様になるのかな。 車から降りる時、直生が俺に言った。 「北斗は、美しくて、強くて、優しい、愛しているよ…」 取って付けた様な愛の言葉に、傷心する俺を、思いやる不器用な心遣いを感じて、逆に傷を抉られて、笑える。 伊織は後部座席から降りて、俺をギュッと抱きしめると、優しくキスした。 「北斗、大好きだ。」 そう言った前髪から覗く彼の目を見て、俺は笑って言った。 「ふふ…そうか…」 伊織が助手席に座り直すと、彼らの車は去って行った。 俺は別荘には戻らずにフラフラと、湖を見ながら歩く。 惚れっぽいのかな…それとも…ビッチなのかな… どっちかと言うと、快感に弱い…ビッチなのかな…やだな。 キラキラと光る湖面を見ながら、手すりに両腕を組んで、顔をもたれさせながら目を瞑ると、湖からのそよ風を顔に受けて楽しむ。 お父さん、お母さん、僕はセックスの快感に身を滅ぼしそうです。 誰彼構わず性交しては、相手を本気で好きになる…そんな懐の深い男です。 そんな事を頭の中で言いながら、口元が緩む。 本当に…馬鹿なんだな…俺って。 「何してるの?」 聞いた事のある声に目を瞑ったまま笑う。 「ん~、考え事…」 俺がそう言うと、俺の体の真後ろに来て、両手で俺を挟むように手すりを掴んだ。 そっと、髪の匂いを嗅ぐように顔を寄せてくる。 そんな彼の体の熱を感じて、湖の風を受けながら、このまま死にたいな…と思った。 自分が分からない。 相手に何を求めているのか… どうして傷つくのか… 自分が分からないんだ。 もう考えたくなくて…死んでしまいたいよ。 長い間、そうして過ごして、重たい瞼を開く。 手すりを掴む彼の左手の甲に、火傷の跡を確認して、腕時計の時間を見る。 「お店は良いの?」 後ろの彼にそう尋ねる。 「お客さんが来ないから、閉めた。」 ははっ、気楽でいいな…。 そう答えると、彼は俺の体を手すりから起こして、ゆっくり後ろから抱きしめた。 ペグの事は聞かないよ…野暮だからね。 「まもちゃん…ネッシーなんていなかった。どこにもいなかった。」 湖を眺めながら俺がそう呟くと、まもちゃんは言った。 「いないって…どうやって知ったの?」 どうやって知った…?そんなの… 「見なくても分かる…そんな物はいないって…みんな知ってる…」 そう言って、彼の胸に頭をもたれさせる。 「みんなは…そう思うかもしれないけど、お前が居ると思うなら、それで良いじゃないか…」 そう言ってまもちゃんは俺の髪にキスをする。 「…それじゃ、嘘つきと同じじゃないか…」 そう言う自分の声が震えて聞こえた。 どうなっても良いと思って、直生と伊織に抱かれたんだ。 だから、好きな訳じゃない… でも好きだと思わないと…やってられなかったのかな。 セックスなんて…好きな人としか…しないものじゃないか。 なのに…簡単に抱かれて… 自分はまもちゃんの奥さんや、瑠唯さんの様に特別な存在になる事なく… 簡単に忘れられていくんだ… 北斗は…誰にも愛されない。 北斗は…誰の特別にもなれない。 「北斗?」 俺の様子にまもちゃんが心配そうに顔を覗いて来る。 俺は彼に顔を見られたくなくて、彼の腕をすり抜けるとダッシュで別荘まで走った。 「お爺ちゃんは追いつけないだろ~!」 そう言いながら、ダッシュで走った。 「星ちゃん!奇襲だ!」 別荘の前で本を読む星ちゃんに、大きな声で奇襲を知らせる。 「何言ってるんだよ~!」 そう言って呆れる星ちゃんを走って通り過ぎる。 別荘のベランダに向かう外階段を急いで登る。 ベランダで腹ばいになって、奇襲した相手を狙う様にスナイパーライフルを構える。 …フリをする。 目標、確認できません… 俺がダッシュで走ってから、時間にして50秒… あの後、あそこから歩いてここに向かうとしたら… そろそろ現れるはずだ…!! 「チームブラボー!ターゲット確認できません!」 「なに?!」 まだ来ないだと? 一人でぶつぶつ言いながら、まもちゃんをターゲットにサバゲーごっこする。 どんだけゆっくり歩くお爺ちゃんなんだ… 進行方向にスコープをあてて目標を探す。 「いない!消えただと!?」 俺はそう言って、通信主に連絡する。フリをする。 「ターゲット、ロスト!ターゲット、ロスト!」 我々は非常にまずい状況になってしまったようだ… 「アルファ、応答せよ」 最前線のアルファチームの応答がない…! やられたのか!? 俺は急いでベランダから室内に入る。 その時、角待ちされて俺は背後を取られてしまった。 首にニンジンをあてられて動けない。 「くっ、卑怯だぞ!」 「フハハ。走るのが遅いからいけないんだ。俺は、お前がベランダへの階段をヒィヒィ上るとき、既にここに侵入を果たしたのだ。」 「な、なんだと!?」 「なんて足の遅いやつなんだ!フハハ!」 そう言って、まもちゃんが俺の首をニンジンで切ろうとスライドさせるから、俺は彼の腕を押して、身を屈めてニンジンを避けた。 「ふん、なかなか、やるな…」 そう言ってニンジンを俺に向けるまもちゃんに言った。 「俺は…俺は…人類を救うんだ~~!」 そう言ってキッチンに走って向かうと、逃げ遅れた民間人を数名保護した。 俺は使命感に燃えて、冷蔵庫から大根と呼ばれるエクスカリバーを引き抜いて出した。 そして、俺を追いかけて来たまもちゃんと対峙する。 「これは…エクスカリバーなんだぁ!」 俺はそう言ってまもちゃんに大根で切りかかる。 チャンバラごっこを始める俺達を冷めた目で民間人が見る。 「一体いつ決着がつくの?」 そう言って、歩が俺から大根を奪う。 「あぁ!それはエクスカリバーなんだ…!」 まもちゃんの手から、ニンジンを受け取ると歩が言った。 「お昼ご飯、今から作るの。」 歩の声色に圧を感じて俺はごっこ遊びを止めた。 「うわ~い!何作るの?」 そう言って歩に抱きつく。 「どれ、作ろうか?そのために来たんだから。」 まもちゃんがそう言ってキッチンの中に立った。 俺は歩が置いたニンジンを手に取って彼を狙った。 「お前の負けだ!」 そう言って、彼の心臓を狙い撃ちした。 まもちゃんは、もう遊ばないみたいにリアクションが薄くなったから俺は星ちゃんの所に逃げた。 「星ちゃん!侵入者を殺したよ?」 階段を降りて、ソファに座る星ちゃんに抱きつく。 「さっきどこ行ってたの?」 星ちゃんが俺に聞く。 「変態ロココの好きな人が、入院してるホスピスに行って来た。」 俺はそう言って、星ちゃんの膝枕で寝転がる。 「何それ…?どうしてそうなったの?」 「星ちゃん…よく分からないよ…これから死ぬ時に、1人でなんていたくないよ…」 俺はそう言って、星ちゃんの腹の方に顔を向ける。 「変態ロココの…恋人?その人に会って来たの?」 俺の顔を覗き込む星ちゃんに、俺は顔を見上げて聞いた。 「そう。もうすぐ死んじゃうんだって…ねぇ、星ちゃん…俺がもしそうなったら、仕事を辞めてずっと一緒に居てよ…絶対1人になんてしないで、俺が弱って行くのを見てよ…」 涙が落ちて、彼のTシャツで拭う。 星ちゃんは俺の髪の毛を撫でて、優しい声で言った。 「俺がもし、そうなったら北斗は仕事を辞めて一緒に居てくれるの?」 「当たり前だ!」 俺はそう言って、泣いた。 そんな事考えたくないよ。星ちゃんが死ぬなんて、考えたくない。 「トイレの中まで付いて行きたい…星ちゃんがゲロ出しても一緒に居たい。ずっとずっと…死んじゃうまで一緒に居たい…うっうっ…うわぁん!」 彼の背中を抱いて、彼のTシャツを濡らして泣いた。 それをしないのを相手の為なんて思う事は、欺瞞だ。 自分の気持ちを欺いて、何が相手の為だ…ただ、自分が怖いだけじゃないか… 失うことが怖くて、目を逸らしているだけだ。 瑠唯さんは直生を失うことが怖くて、直生は瑠唯さんを失うことが怖い。 でも、死ぬことが避けられないんだとしたら…怖がって時間を無駄に使うより…泣きながら一緒に過ごした方が良い。 そうだろ… 「北斗はどうしてあげたいの?」 俺の頬を撫でて星ちゃんが聞いて来る。 「一緒に居る様に…してあげたい…」 「それが北斗の自己満足でも?相手が求めていなくても?そうしたいの?」 星ちゃんの瞳を見つめる。 真摯な瞳に彼の思慮深さを感じて、それでも尚言った。 「そうだ。俺は見てられない。相手がどう思おうと、俺が耐えられない。好きな人が死んじゃうのに、指をくわえて過ごしているなんて、耐えられない。だから、直生にも強要する。良い事じゃなくても、強要する。」 俺はそう言いきって、星ちゃんの腹に顔を埋めた。 彼は俺の髪の毛をずっと撫でて、俺が腹でフガフガ泣くのを許してくれた。 「北斗?寝たの?ほんと、すぐ寝るな…」 そう言って星ちゃんが俺を起こす。 「昼ご飯出来たって…ほら、起き上がって。」 そう言って俺の体を起こすと言った。 「俺も、お前と同じ立場なら、同じ事するよ。」 そう言って笑ってくれた。 それがすごく嬉しくて、俺は頷いて笑った。 「いただきます~」 まもちゃんの作ったご飯を食べる。 俺は水を汲んでみんなのテーブルに置いていく。 何でかって? じゃんけんで負けたからだ… 「お冷、早くしてもらっていいですか?」 博に嫌味に言われる。 お前の家の店なんてセルフサービスじゃないか! 「はい…すみません…」 俺はそう言って、彼のコップにナミナミの水を入れてやった。 「はい…はい…」 俺はそう言ってみんなの水をナミナミに入れてやった。 「北斗は最低だ」 それは満場一致の様だな。ふふん。 「今日のお祭り、何で行くの?」 まもちゃんが俺達の様子を見ながら尋ねる。 「バスで3個目だから、バスで行くつもり。」 そう言って歩が春ちゃんと確認し合ってる。 「そうだ、まもちゃんも浴衣を着てみたらいい!」 俺はそう言って、ご飯の途中だけど、浴衣の山から昨日見立てた浴衣を持って来た。 「浴衣、着た事ある?」 彼と向き合って、歩がしたように浴衣をはらりと広げて彼を見上げる。 「お祭りの時に着たことある位かな。」 まもちゃんは俺を見下ろしてそう言うと、にっこり微笑んだ。 「ふぅん、俺は昨日初めて着た。」 そう言って、Tシャツの上から浴衣を着せてあげる。 「ちょっと小さいね~」 後ろから歩がそう言う。 足元を見ると、確かにちんちくりんだ。 「右が前?左が前?」 歩に確認して、袷を整えて帯を締めてあげる。 「あ…」 「さすが北斗、見立てが良いんだよ。叔父さんすごくよく似合ってる。」 歩がそう言って褒めてくれた。 本当によく似合っていて、言葉を失った。 かっこよすぎるんだ… まもちゃんを見上げて、顔を赤くして固まる俺。 まもちゃんが微笑みながら俺を見つめ返してくる。 「あっ!北斗が叔父さんに惚れた!」 渉がそう言って笑うけど… 冗談にならない…!! 俺は慌ててまもちゃんの帯を掴むと、思いきり引っ張って彼を回した。 「あ~れ~!」 そう言って、クルクル回り始めるまもちゃん。 ノリが古いんだ、お爺さんだからな。 「ご無体な!」 そう言って俺にしなだれるから言った。 「ブスだからお前なんて要らない!チェンジだ!チェンジ!」 そう言って足で蹴飛ばしてやった。 「北斗…そんな事どこで覚えたの?いけないよ?」 そう言いながらまもちゃんは浴衣を脱ぐ。 いちいちかっこよくて、俺は帯を持ったまま、また固まってしまう。 浴衣だ…浴衣のせいだ… 脱いだ浴衣を歩が受け取って、綺麗に畳む。 俺はその傍で帯を畳んだ。 頬が熱くて、ジッと下を向いて、帯を畳んだ… 「北斗の見立て通りだったね。これは変態ロココもきっと素敵に見えるね。」 歩がそう言って俺に話しかけてくる。 俺はまもちゃんが手を通した浴衣を撫でて触る。 「そうだね…」 そう言って、立ち上がると、ご飯の続きを食べる。 「星ちゃん…たけのこ要らない…」 俺はそう言ってたけのこを星ちゃんに食べてもらう。 まだ胸がドキドキしている… こんな事、気付かれたくない! 「お、そろそろ戻ろうかな。じゃあ、気を付けて行くんだよ?」 そう言ってまもちゃんは居なくなった。 俺は静かに息を整えて、胸のドキドキを抑えた。 「ご飯食べたら、着替えて行こうぜ~」 「早くない?」 みんなの会話を聞きながら、ご飯を食べる。 スプーンを口に運びながら、あの時の彼の姿を思い出して、また胸がドキドキしてくる。 星ちゃんの言った、変態ロココと演奏すると、変態になるのかな…と言う名言を思い出して、おかしくなった。 だって、浴衣もある意味、コスプレだもん… 本当に変態化してるのかな…俺。 ご飯を食べ終わって、寝室のベッドの上でヘッドホンを付けながらせっせとバイオリンを磨く。 時間は14:00 18:00になったら出発するらしいので、それまでバイオリンを磨く。 ベッドに寝転がって、ピカピカのバイオリンを眺める。 「綺麗だな~。可愛い~。早く弾きたい~!」 そう言って抱きしめて、天井を見てうとうとし始める。 目を瞑って、音楽に耳を澄ませる。 耳の奥で流れるのは死の舞踏… この前の花火大会で弾いた死の舞踏…俺もこれくらいに搔き鳴らせば良かった… 理久がしていたけど、俺も一緒にやった方が良かったかな…それとも、あれくらいの方が良かったのかな…理久…理久。 理久は直生と伊織と同じ楽団に2年いた…瑠唯さんと同じバイオリンのパート…親しかったはずなのに…どうして… そもそも…特別な瑠唯さんには、俺の助けなんて要らないのかもしれない…だって、あんなに愛されて…羨ましいよ…。俺も死にそうになったら…誰かが愛してくれるのかな…それとも…。 いや、酷いな…俺って…こんな事考えて… 彼は亡くなってしまうというのに、最低だな。 頭の中がごちゃごちゃになって…途方に暮れて、もう考えたくない。 耳の奥で誰かの作ったワルツのメドレーが流れる… 「あぁ…素敵なつなぎ方をするんだ…」 そう呟いて、考えることを止めて鼓膜を震わせる耳に届く音に集中する。 弦の張っていない裸のバイオリンを首に挟む。 そして左手でバイオリンの指板を掴んで、見えない弓を構えて弦にあてる。 耳に届く音と、動きが一致する。 まるで自分が弾いている様に、シンクロさせて弾く。 初めて聞いた曲を、集中して聴いて音の流れを探る。 次はどうするの? そう考えながら相手の出方を見る。 そう弾くんだね…素敵じゃないか… そう感嘆しながら、次は自分も同じことが出来るように心に留める。 聞いた事のある曲を流して、エアバイオリンで伴奏を演奏することもある。 これが趣味と実益を兼ねた俺の時間の潰し方だ。 「北斗、そろそろ着替えて?」 星ちゃんに起こされて、体をむくりと起こす。 胸の上のバイオリンをフワフワのクッションの上に戻して浴衣に着替える。 「俺も浴衣着たら盛れるかな?」 星ちゃんに聞くと、彼は言った。 「北斗は何を着ても可愛いよ。」 え? 俺は星ちゃんの顔を見る。 「俺、可愛い?」 「可愛いよ。北斗は可愛い。」 どうしたの、星ちゃん…やけに素直だね… 「星ちゃん…ありがとう。」 確かに俺は可愛い要素が多いよね。 髪の毛はフワフワして可愛いし…頬っぺたはプニプニしてるし、唇だって可愛いよ?それに目だって、きゅるんとして可愛いし…うん、まぁ、そうだよね… 俺はそんな事を考えながら、星ちゃんの浴衣の帯を人差し指でなぞって、体をくねらせた。 「何?ほら、北斗も早く着て?」 「うん…」 俺は浴衣を合わせると、星ちゃんに帯を締めてもらった。 首にヘッドホンを掛けて、帯に携帯を挟んで、いつでも聴けるようにする。 「ヘッドホンは浴衣に意外と似合うね。」 そう言って歩がしゃがんで俺の帯を少し整えてくれる。 「北斗?叔父さんと…。叔父さんの事…好きになったの?」 俺の顔に顔を近づけて、誰にも聞こえないくらい小さい声で歩が聞いて来る。 俺は歩の真ん丸な目を見て固まる。 こんなに可愛らしい目なのに…眼光が鋭くて、逃げれない。 「す、す、好きにならない…」 俺は彼の真ん丸の目にそう言って答えた。 歩は俺の体に抱きつくと、優しく頭を抱えるようにして撫でた。 「叔父さんは北斗が好きみたいに見える…」 歩の小さい声が俺の中に大きく聴こえる。 「まるで、お前と一緒に居たいみたいだ。」 「歩…まもちゃんは男の人だ…それに、さっちゃんと結婚するんだ…だから…」 「僕も男だよ…でも、春ちゃんが大好きだ。それに…叔父さんがさっちゃんと一緒になるのは…好きだらからじゃないだろ?」 歩の声が俺の体に響いて鼓膜を震わせる。 抱きしめられた体にヘッドホンが食い込んで、痛くなる。 「結婚は好きな人とするものだし…まもちゃんもそうだ…」 俺はそう言って、歩の体を離そうと両手で少し押した。 「もう2週間しかない…思いを伝えたとしても、僕は北斗を非難しない。」 そう言って、また俺の目に彼の真ん丸の目が映る。 「叔父さんは北斗が好きだ。」 歩はそう言って、俺の目を見て頷くと、体から離れて行った。 そんな訳ない…そんな訳ない… 馬鹿な俺がまた勘違いをする。 それは絶対に避けたいんだ! また馬鹿みたいに、俺は、また… 帯に挟んだ携帯を手に取って、音楽を大音量で流す。 そんな訳ない! まもちゃんが俺を好きなんて無い…!! 絶対にない!! だから、勘違いするな! お前は誰の特別にもなれないんだから… 交響曲第9番第4楽章…これを大音量で耳の中に送る。 何も考えない様に…ひたすら旋律を追いかけて、楽器の音色を聞く。 目の前に星ちゃんが来て、俺に手を伸ばす。 俺は彼の手を握って、引かれる方向に進む。 俺の顔を見て星ちゃんが何か話しかけてくる。 俺は楽器の旋律を追いかけながら、星ちゃんの顔を見上げる。 俺の顔を見て、星ちゃんが諦めた様に俺の靴を履かせてくれる。 俺はただ耳に届く旋律だけを追いかけていく。 玄関を出ると外はもう暗く色を落として映る。 突然瑠唯さんの事が頭の中に浮かんできて、第9の主題と一緒に俺の頭をめぐる。 俺は目移りしないで、彼を捨てて、旋律だけを追いかけていく。 ティンパニーが響く… 繋いだ手を頼りに、星ちゃんの浴衣の袖を見ながら、頭の中にオペラ歌手の歌声を響かせる。 そのまま曲の旋律を追いかけて頭の中を音楽で満たす。 他は要らない。 車内を明るく照らしたバスが来て、みんなと乗り込む。 車内には俺たちのように浴衣を着た人がたくさん乗っていて、俺は星ちゃんに守られながら奥の方に手すりを掴んで立った。 星ちゃんの体が混雑した車内で俺を守る様に、背中にピッタリくっつく… 「あ…始まる…」 俺の好きな所だ… 目を瞑ってリズムを感じて…体に落とし込む。 オペラ歌手の歌声と、ピッコロの音が一緒に旋律を進めていく。 俺はそれに感嘆しながら遅れない様に曲の旋律を追いかける。 あっという間に、嵐のように過ぎていく旋律から離れて行かない様に、必死に追いかける。精神を統一して、それだけを求めて、音の最初から離れない様に集中する。 第9の合唱が始まる。 手すりに掴まる手に力が入る。 バスが揺れて、停留場をまわって停まる。 人がどんどん乗って来るけど、もうこのバスには乗れなさそうだ… バスを諦めて道に立つ人と車内から目が合う。 星ちゃんは俺の後ろで春ちゃんと話す。 彼の胸が震えて俺の背中を震わせる。 彼の温かさをぼんやりと感じていると、旋律を見失った… 俺の集中力なんて…こんなものか… 終わりのお知らせのフレーズが流れて、曲が終わる事を知る。 始まれがあれば終わりが来るんだ… どれだけ頑張っても…終わる。 歩から言われた心を揺さぶる言葉の効果は…もうない。 俺の心のさざ波も…静まった。 手元の携帯で、音楽を停止させる。 バスが停まる。 乗客がぞろぞろと降りていく。 俺の背中の星ちゃんも俺の事を守ることを止めて、手を引く。 俺は彼の手に引かれてバスを降りる。 屋台が並ぶ参道が目の前に現れて、俺はヘッドホンを首に下げた。 「わ~、凄い~!」 そう言って隣の星ちゃんに言う。 「何食べる?」 「もう、すぐ食べる事の話ばっかりしないで!」 軽く怒られて、みんなで集まる。 「今18:30だから、20:30まで自由行動して、ここにまた集合しようぜ?」 春ちゃんがそう言って、みんなが頷く。 俺は愕然とする。 うっかりして、星ちゃんを予約し忘れた。 「星ちゃん、星ちゃん、俺と一緒に居て?」 俺が言うと、星ちゃんは俺の方を見て頷いて答えた。 良かった…そうか、渉と博がカップルになったことで、こういう時、星ちゃんが呼ばれる確率が下がったのかな? 良かった。 仕切り直して、星ちゃんと二人、浴衣姿で歩く。 屋台の並ぶ景色に、俺の見立てた浴衣を着た星ちゃんが良く映える。 道路は歩行者天国になっていて、小さい子が走り回る。 「あ、可愛い。元ちゃんみたいだ。」 俺がそう言って笑うと、星ちゃんも笑った。 金魚すくいは出来ない。生き物だからね。 「星ちゃん、射的をしよう?」 俺はそう言って星ちゃんの手を握ると、人だかりのできた射的の屋台に行った。 「あ~、おしい、お兄さん。また来てね。」 店主がそう言って持ち球の無くなった人を追い払う。 俺は店主に言った。 「おじさん、射的1回~」 「お?お兄ちゃんがやるの?良いよ。いっかい500円だよ?」 「も~、たっかいな~!」 俺はジャブをかます。 店主は少し顔を歪ませる。 お祭りの屋台って基本的にどれも高いよね。 だから俺は料金分のサービスを求める。 意地悪じゃない。等価交換してるんだ。 「…じゃあ、5発。どうぞ?」 俺は受け取った銃の先に指で丸めた弾を詰める。 「星ちゃん、何が欲しい?」 俺が聞くと星ちゃんが言った。 「あの、キャラメルの箱は?」 「星ちゃん?取りやすいものじゃない、欲しいものを狙うんだ。」 俺は銃を構えて星ちゃんにそう注意した。 取りやすいものを5個持っても、欲しいもの1個には叶わないじゃないか。 「ふふ、じゃあ、あの、可愛い人形…」 星ちゃんの指が差す方向に、可愛い物なんて無い… あるのは昭和感が漂う、気持ちの悪いうさぎの、ソフトビニール人形だ… 「分かった~」 俺はその人形に銃口を向けて、試しに一発撃ってみる。 「あ~、残念だね。」 店主がそう言って笑う。 届きもしないじゃないか! 「おじさん、これ全然飛ばないね~。後ろのと交換してよ。」 俺はそう言って銃の交換を求めた。 さぁ、俺は面倒な客だよ?頑張って! 渋々奥にある銃を俺に寄越すと、おじさんは明らかに不満な表情になる。 「じゃあもう一回やってみるね~」 俺はさっきと同様に弾を指で丸めて銃の先に詰めた。 銃口をソフビ人形に向けて、引き金を引く。 明らかにさっきよりも飛ぶ弾に他の客が店主を見る。 俺は知らないよ。何も悪い事してないもん。 「星ちゃん、テープで止められてなかったらこれ、取れるぞ~!」 俺はそう大きな声で言ってけん制する。 そして視線を下に向けて、猶予を与える。 銃の先に鉄砲の弾を詰めて、店主が弄ったソフビ人形を狙う。 放物線の描き方から仰角を計算し、俺は引き金を引いた。 見事ソフビ人形に当たって、グラッと揺れる。 他の客が俺のソフビ人形の行く末を見守る。 揺れ方から、固定は外された様子だ。 「星ちゃん。俺が取ってあげるね。」 俺はそう言ってもう一度弾を込めて、ソフビ人形を狙う。 頭に当てたいところだ… 引き金を引くと、またもや命中! ソフビ人形は頭に衝撃を受けて後ろにコロンと落ちた。 その様子を見ていた他の客が一緒に喜んでくれる。 「凄いね。落としたね。俺ももう一回やってみるわ~」 そう言って他のお客が追加の弾を注文する。 商売とはこうやって成り立つんだな。 俺は落とした気持ちの悪い人形を星ちゃんに渡した。 「わぁ。北斗、ありがとう。大事にするね。」 星ちゃん…これを可愛いって言うなら、俺は不安になってくるよ… 来る前、俺の事も可愛いって言ったよね… だから、君のその基準が…少し普通よりもズレてるのかなって… そうなるとさ、俺ってその人形と同じくらい不気味なのかと…不安になるんだよね。 「北斗、型抜きしよう?」 あぁ…俺はこれは苦手だよ。 「いいよ~」 そう言って星ちゃんの隣に座る。 星ちゃんは精密作業が得意だから良いんだ。 俺は飛行機の型にした。 星ちゃんはなんか変な先の爆発した塔みたいな型にした。 画鋲を摘まむのだけでもうしんどい。 「星ちゃん…俺直ぐに終わりそうだよ…」 そう言いながら画鋲を型に差す。怖い~! 「うふふ、すご~い。ヒロ君上手だね?」 隣でカップルがいちゃついてる…だから俺も星ちゃんにいちゃついた。 「星ちゃ~ん、上手だよ~、ん~。素敵だ~!」 「北斗、自分のやって?」 塩対応されて自分の型に画びょうを刺す。 ボリッと音を立てて崩れた… 「右翼、左翼、共に損傷。本機はこれより墜落します。」 そう言って俺は型をバラバラに手で解した。 星ちゃんの型抜きを隣で見る。 細かいな…指がとても綺麗だ… 浴衣の襟から見える彼の首筋に興奮してくる。 襟足の産毛に触りたくなる。 「はぁはぁ…星ちゃ~ん、襟足が綺麗だね~?」 俺がそう言うと、隣のカップルがシン…と静まる。 「ちょっとだけ…触っても…良い~?」 俺がそう言うと、彼氏の方は嫌そうな顔をして、彼女の方は目を輝かせた。 指を徐々に星ちゃんの首に近付ける。 そっと彼の肌に付けてツーッとなぞった。 そのあとゆっくり顔を近づける。 口を開けて舌を出して彼の首筋に舌をあてた。 「北斗!やめて!」 怒る星ちゃんの声も聞かないで、俺はそのまま舌をさっきの指みたいに下に這わせて下ろした。 カップルが立ち上がって帰って行く。 彼女はずっと俺の方を見てガッツポーズをしていた。 あの娘は、嗜んでんだな…と俺は直感的に思った。 「出来た~!!」 そう言って星ちゃんは店主に型抜きを見せる。 昔は報酬なんて言ってお金がもらえたけど、今は景品が選べるようだ。 「北斗、何が欲しい?」 「ん~、これ」 俺はそう言って、花火のうんこみたいに出る奴を指さした。 「んふふ、それ?」 「ん、これ!」 星ちゃんはそれを貰うと、俺にくれた。 「はい、どうぞ。」 可愛い笑顔にこっちまでほっぺが上がる。 「ありがとう!」 楽しいな。星ちゃんとお祭り、楽しいな。 そのあと、俺達はじゃがバターに手を出して、二人で座って食べた。 「北斗、垂れてる…」 俺の口の端からバターが垂れてくる。 星ちゃんが持ってるティッシュで拭いてくれた。 優しいな。 たこ焼きとお好み焼きも食べて、タピオカジュースも飲んだ。 俺は焼きトウモロコシを買って、星ちゃんと分けながら食べた。 「ん、歯に挟まるね~。」 そう言いながら待ち合わせ場所に戻る。 子供が鳥の形をした水笛を持っていて、俺はそれが欲しくなった。 「星ちゃん水笛欲しいよ~!」 「じゃあ、買ってから行こう。」 そう言って、俺と一緒に水笛の屋台に行く。 プラスチックの水笛が並ぶ中、可愛い陶器の水笛を見つける。 「何これ~可愛い~!!」 俺はすっかり夢中になった。コロンとした可愛い小鳥の水笛。 「おじさん、これいくら?」 「一つ1000円だよ?」 高い~! 「じゃあ、このつがいの鳥と、このつがいの鳥をちょうだい?」 俺はそれに4000円も使った。 「はい、まいど!」 俺は可愛い小鳥たちを手に入れた!! 「良かったね。」 星ちゃんがそう言って、二人で手を繋いで集合場所まで戻った。 「北斗、遅い!」 俺だけじゃない、星ちゃんも居るだろ? 「あっちで盆踊りしてるらしいから、行ってみようぜ?」 そう言って春ちゃんが先導してみんなで大移動する。 博はもう中学生なのに、手首に光るブレスレットを付けていた。 恥ずかしいやつめ! 渉も付けてるんだもん。笑っちゃうよね。 お揃いでつけちゃってさ… ピカピカ光って… 「星ちゃん。光るの良いな。俺も付けたい…」 隣の星ちゃんに話す。 「見つけたら買ったらいいよ~」 盆踊り会場に到着した。 俺は光るブレスレットを探した。 「お~!歩!こっちこっち!」 歩を呼ぶ声がして、みんなが振り返った。 光るブレスレット屋を見つけた俺だけ違う方を見ている… 「お父さん、来てたんだ~。あ、じゃあここ座っても良い?」 さすが金持ち…地主、名家…盆踊り会場に座る場所があるなんて、知らなかったよ。 歩のお父さんの周りに中学生が座る。 童顔の歩のお父さんは、ワンチャン老け顔の中学生に見えなくもない。 俺は光るブレスレットを買いに、一人で屋台に向かった。 「おじさん、これちょうだい!」 3本入りの光るブレスレットを買う。 これで星ちゃんと光ろう!! 俺はウキウキしながらみんなの元に戻ろうとした。 「何を買ったの?」 脇から声を掛けられる。 馴染みのある声に口元が緩む。 「これは光るんだ。知ってる?」 俺は彼の方を見ないで答える。 浴衣の裾が見えて、彼が浴衣を着ていると分かったから、また見とれたくなかった。 「知ってる。俺に付けて?」 なんて我儘なんだ! 彼は俺の背中に手を回して、人ごみの中、人にぶつからない様に守ってくれる。 彼に守られながら、立ち止まって袋を開けると、緑の棒をポキッと折って振った。 ぼんやり光始める棒を見て、つい彼の顔を見上げて笑う。 「これはあれだ…考えるな、感じろ!だ!」 俺がそう言うと、彼はにっこり笑って、俺の髪にキスした。 火傷のある左手を掴んで、彼の手首にぐるっと回して留めてあげる。 「はい、どうぞ?特別だよ?」 俺はそう言って彼の火傷の跡を撫でる。 「特別なの?」 そう耳元で呟かれて、体の芯が震える。 特別… 「…買った人よりも先に付けてあげたから…そう言ったんだ。」 俺はそう言って、彼から逃げる様に星ちゃん達の元へ戻った。 「あった~!」 そう言って、星ちゃんの足の間に座って棒を折る。 振ってぼんやり光るのを眺めて、星ちゃんのミサンガの付いた手首に巻いて留める。 星ちゃんは腕を上げてそれを眺めると、お礼を言った。 「北斗、ありがとう。」 良いって事よ。 俺は自分の分も付けて。歩に見せびらかした。 「子供っぽいね~。光るお友達~。」 なんだ、欲しいのか?羨ましいんだろ~? 「北斗、踊っておいで?」 歩のお父さんは俺には無茶ぶりするね… 「俺は盆踊りなんてしたこと無いよ?ポルカなら踊れる。」 「いいから、いいから、行っといで~!」 とぼけた顔して強引な歩のお父さんは、俺を盆踊りする人の中に入れる。 「星ちゃ~ん!」 助けを求める俺を見て、星ちゃんの顔が笑ってる… 俺はおばさんに掴まって、盆踊りの輪の中に強制連行された… 「こうやって、こうやって…掘って~掘って~また掘って~」 うん。分かんないよ。おばちゃん… 「やっていれば分かるようになるから、おばちゃん一緒に居てあげるから、ね?」 俺は渋々おばちゃんと一緒に炭坑節を踊る。 月は出てる。そんなに言わなくても、月は出てる。

ともだちにシェアしよう!