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8月19日(水)_01
8月19日(水)
「北斗…走ってくるね…まだ寝ていた方が良いよ…昨日遅かっただろ?」
まもちゃんの低くて優しい声が聞こえる…
あぁ…好きだよ。
まもちゃん…
頭の中で、昨日覚えた曲を再生させる。
途切れることなく繋がって…最後まで完全に再現させる…
「弾いてみよう…」
俺は体を起こして、バイオリンと弓を手に持って、構えて、もう一度頭の中で音楽を再生させる。
楽譜は暗譜した。
後は自分の音を体に叩き込む。
弾き始めと、途中の抑揚が気に入らなくて、何度も繰り返す。
こうじゃない…違う…こうじゃない!
色々な方法で、納得するまで弾きならす。
全然うまく弾けなくて、不安になって…涙が落ちる。
まもちゃんがドアを開けて帰ってくる。
俺は泣きながらバイオリンを弾いている。
「北斗…おはよう。」
彼がそう言って俺の目の前に立つ。
俺は泣きながら、彼の体に顔を沈める…
「どうしたの…北斗…」
彼の優しい声が…心地よくて、甘える。
「まもちゃん…弾けない…全然うまく弾けない…もう嫌だ…嫌だ…」
シクシク泣いて彼に甘える…
「北斗…ちょっと休憩したら?」
「ダメだ…もっと弾かないと…こんな演奏では、直生と伊織の隣に立てない…見限られる…しょぼい北斗は見限られる…」
そう言って泣き崩れる…
怖い…その程度なんだ。なんて思われたくない…
俺は立ち上がって、泣きながら弾く。
自分の思う様に弾けるまで、ひたすら同じところを何度も、何度も、弾く…
「うわぁああん!違う!違う!何で!何で!そう弾いた!馬鹿野郎!」
弓を投げたくなる!
自分の腕をへし折ってやりたくなる!
そんな俺の様子をまもちゃんがずっと見てる…
ビックリするほど、つまらないだろ…?
凄い演奏の裏側は…こんな地味で惨めな練習なんだ…
才能なんて…無い。
俺には無いんだ。
だから、こうやって泣きながら弾くんだ…
「北斗…もう良い。もう良いよ…」
頭に来て弓を持つ自分の腕を叩いていると、まもちゃんに止められて項垂れる。
「あと、あと、もう少しなんだ…酷いだろ?みっともないだろ?でも、俺には才能なんてないから…こうでもしないと、ダメなんだ…。がっかりした?まもちゃん…俺にがっかりした?ふふ、ごめんね…しょぼい北斗で…ごめんね…」
俺はそう言ってまた泣きじゃくる。
まもちゃんが俺を抱きしめて一緒にしくしくと泣く。
どうしてまもちゃんが泣くんだよ。
あぁ…俺がみっともなく泣くからだ…
昔、理久に言われた…
泣いても、怒っても、ダメだって。
ただ、ひたすら、練習するだけだって…
出来ない自分を認めて…癇癪を起さないで…ゆっくり上手になって行くんだって…
理久…
新しい曲を習う時、上手く弾けない自分にしょっちゅう癇癪を起した。
理久はそんな俺を宥めて、落ち着かせて、決して見放さなかった…
人の話なんて聞きやしない…我儘な俺をいつも…傍で…見守ってくれた。
何も変わっていない自分にわらけて来る…
俺は…小学校4年生から…何も変わっていない。
すぐに上手に弾けると思ってるの?
違うだろ?
練習するから、上手になるんだ…
才能や、センスなんて、フワフワした物の上に成り立つ様なものじゃない。
それは、そこに確実に存在する、ひたむきな努力だけが…
自分の演奏の、自分の、礎になるんだ。
俺は体を起こして、バイオリンを首に挟んで弓を構える。
もう一度最初から…
「北斗…前、お前が言った通りだね。血と汗と涙の結果なんだね…」
そう言ってまもちゃんが俺を見るから、俺は言った…
「…みんな、そうだ…まもちゃんだって…そうだろ?」
そう言って初めから弾き直す。
思う様に、自分の音が出るまで。ひたすら弾く。
妥協するな…。極めるって事は、妥協しない事だ…
妥協したら、すぐに負ける。
すぐに…しょぼい北斗に成り下がる。
何回弾いたのか分からないくらい弾いた後…やっとうまく出来て、首からバイオリンを離して笑う。
「あぁ…やっと、やっと出来たぁ…!」
そのまま、まもちゃんに抱きついて嬉しくて泣く。
「まもちゃん…やっとうまく弾けたぁ…これがしたかったんだ…俺はこう弾きたかったんだ…嬉しい…!」
まもちゃんは俺の体を強く抱いて、キスしてくれた…
ヘトヘトになっても、まもちゃんに抱きついて、彼の顔を撫でて、笑ってキスした。
あと、これが何回続くのか…まもちゃんには試練だ…
「あらぁ!北斗ちゃん!目の下赤くなってる…どうしたの?」
後藤さんはまもちゃんのお店の皆勤賞でも狙っているの?
今日ももれなくやってきて、俺のコンディションをチェックしてくれる。
「昨日、あんまり寝れてないんだ…」
俺がそう言うと、まもちゃんの方を見て言った。
「絶倫なの?」
何?絶倫ってなんだろう…
「ん、よく分かんない。後藤さん、何にする?」
俺は後藤さんの注文を受けて、まもちゃんにお伝えする。
「まもちゃん、オムライス一つ。あと、絶倫って何?」
俺が聞くと、まもちゃんは後藤さんの方を見て、嫌な顔をして言った。
「そんな事、北斗は覚えなくて良いよ。それより、大丈夫?寝てても良いんだよ?」
ずっとそう聞いて来る。大丈夫?って。
「大丈夫だよ。俺は若いから。」
俺もずっと、こう答えてる。
心配しすぎて倒れてしまいそうな顔の彼は、俺の練習の様子がショックだったみたいだ。
そうだよね…
星ちゃんなんか、俺がああなると傍に来なくなるもん。
ウケるよね。
お客さんが続々入店するから、あっという間に忙しくなって、時間があっという間に過ぎていった…
ランチのラッシュも終わって人が退けた頃。
俺は、まもちゃんとおしゃべりをしていた。
「まもちゃん?俺って偉いだろ?ちょっと働いただけなのに、もうミスが少なくなってるよ?覚えが早いんだよ?偉い?ねぇ、偉い?」
厨房に居るまもちゃんにカウンター越しに話しかける。
彼は俺の方に来て、笑うと言った。
「北斗が一番偉いよ。頑張り屋さんで、努力家で、可愛くて、セクシーだ。」
そうだろ?ふふん!
お店のドアが開いた音がして、俺は急いで入り口に向かう。
そのお客さんの顔を見て、俺は笑って驚いた。
「あ~!来てくれたの?ふふ!」
そこには直生と伊織が立っていて、俺を見つけると彼らもにっこりと笑った。
「なんだ。北斗、労働しているのか?お前はバイオリニストだろう!」
「俺は慎ましいバイオリニストなんだよ…!んふふ!」
俺の笑い声を聴いて、まもちゃんが厨房から出て来る。
「あ…」
対面してお互い見つめ合うから…危険な恋が始まりそうになる…
「こっちにどうぞ~。ほら、早く!来て!」
俺は直生と伊織の体を押して、テーブルに着かせた。
伊織が俺の腕を掴んで、自分に引き寄せて尋ねてくる。
「どうして目元がそんなに赤いんだ…可哀そうに…泣かされたのか…」
俺の両頬に両手を添えて、顔を近づけて尋ねてくるから、俺は言った。
「暗譜が出来なくて泣いただけだ…」
伏し目がちにそう言うと、直生が言った。
「暗譜なんてしなくて良い。自分の所だけ弾けば良い。」
俺は伊織の目を見つめながら言った。
「ダメなんだ…俺は全部知ってないと、自分の役割が分からないから…ダメなんだ。」
不思議だ…このままキスしたくなるのは、何でだろう…
疲れてるのかな…?
引き込まれそうな伊織の目に、うっとりする。
「俺が注文を受けようか?お客さん、北斗にあまりベタベタしないで?」
そう言って、まもちゃんが俺を自分の後ろに引っ張っる。
「北斗、俺の方が大きいぞ?」
伊織がそう言って、顎を引いてまもちゃんを見下ろす…
いや、どっこいだよ?
彼の前髪の奥の目が闘争心に溢れている…!
空気がおかしいよ?
「北斗、まもちゃんが注文を聞くから…向こうに行ってなさい。」
「そんな年で自分の事を名前で呼ぶなんて…変態だ!北斗、こいつ変態だぞ?」
伊織のアグレッシブさに驚く。
お前は物静かでケルト神みたいな男じゃないのか?
「変態じゃない!北斗が俺をそう呼ぶからそう言ったんだ!」
声を荒げて、まもちゃんもムキになる。
とりあえず、俺は伊織の体を椅子に戻した。
そして隣に座って聞いた。
昨日の楽譜で、どうしても気になる所があったんだ…
「あの曲、途中転調するところ…どんなふうに弾くの?」
俺が聞くと、直生も伊織も、顔を見合わせて首を傾げる。
「ん?あの曲だよ?モーツァルトのフィガロの結婚…」
俺が聞くと、二人が言った。
「そんな楽譜、貰ってないぞ。」
は?
固まる俺に直生が聞いて来る。
「北斗、渡された楽譜を全て見せろ…」
俺は固まって動けない…
楽譜にはチェロのパートも書いてあった…直生と伊織が貰って無い事は無いだろう…オケ規模の構成とはいえ、それぞれ楽器は多くても3~4人の規模。どういう事だ…何で俺だけ、この楽譜を持ってるの…彼らに渡し損ねていたとか…
まさか…
…じゃあ
直生が反応の無い俺に代わって、まもちゃんに向かって言う。
「おい、まもちゃん!北斗の楽譜を全て持ってこい。」
「ん?なんだ!俺の事を名前で呼ぶな。」
まもちゃんは少しムッとしてそう言った…
俺はあまりのショックに愕然として…何も考えられなかった。
「嵌められた…」
そう呟いて、両手で顔を覆うと、深いため息をついて項垂れた…
俺だけ
違う楽譜を掴まされていた様だ…
俺の様子に、まもちゃんは急いで楽譜の束を二階から持ってきた。
「これも…これも、これも無いな…」
次々と弾かれる楽譜を呆然と見る…半分以上の必要のない楽譜…
残った楽譜の薄さに笑える…
チェロと、バイオリン…愛のあいさつ…
結婚行進曲2つ…
環境音楽…パラディスのシシリエンヌ…
この4つ。
この4つだけで良かったんだ…
弾かれた譜面に書かれた俺の文字を見て、直生が言った。
「北斗、お前…こんなに一気に譜読みしたのか?驚異的だな…しかもとても丁寧だ…さすがだな…惚れ惚れするぞ…」
しかし、どれも水の泡だ…
だって演奏予定の無い楽譜を…馬鹿みたいに譜読みしていたんだからな…
まもちゃんは少し早めにお店を閉めた。
どうせこの時間はお客さんが来ない…
俺の隣に座って、ずっと背中を撫でてくれている。
俺はまもちゃんの体にもたれて、彼の体の温かさを感じてぼーっとしている…
「つまり、これはどういう事なの?」
まもちゃんが直生に聞いた。
直生はため息をついて、弾かれた楽譜を束ねると言った。
「北斗に演奏しない楽譜を渡したって事だ。しかも、どれも難しいものばかり…」
「質の悪い、嫌がらせだな…」
伊織がそう言って俺の頭を撫でて、続けて言った。
「北斗…またあの女に、やられたな…」
「また?またって?ちょっと、どういう事?北斗、他に何をされたの?」
まもちゃんは興奮して声が裏返った…
俺は放心してる…まだ立ち直れないんだ…
「知らないのか?おめでたいやつだ。北斗、やっぱりこんな男、やめておけ!」
直生がそう言って、俺の手を掴む。
そのまま俺を引っ張って連れて外に向かう。
体がよろけて、足がもつれる…
「直生…待ってよ…待って…」
声の震える俺を抱きあげて、直生が言った。
「こんな奴の傍に居るな。お前が大切だ…こんな奴の傍に居るな!」
「そうだ!そうだ!」
伊織もそう言って、俺を車に乗せると、後部座席から抑え込む。
連れ去り事件だ!
「ま、まもちゃん!」
車の窓から見える彼は、酷く取り乱して自分の髪をガシガシ掻いて、連れ去られる俺を、ただ情けない顔で茫然と見ていた。
「ダメだ…戻らないと…まもちゃんが…!」
俺がそう言って暴れると、後部座席から俺を抑え込む伊織が言った。
「北斗、なぜあの男に言わなかった…お前の婚約者に嫌がらせを受けたと、なぜ言わなかった…助けてくれないのか?あの男は、助けてくれないのか?」
「違う!違う!そうじゃない!この話は複雑なんだ!」
俺は首を振ってそう言うと、伊織を振り返って言った。
「彼はさっちゃんを愛してなんて無い…でも、結婚するんだ…。それで、俺は彼の事が大好きなんだ…。だから、返して…彼の所に返してよ…」
「ダメだ。絶対返さない。そして、俺達は仕事を断る。お前も断れ。こんな質の悪い事をする相手と縁を作りたくない。」
俺の言葉なんて届いていないみたいに、そう一蹴すると、伊織はムスッとした表情のまま黙った。
何てことだ…ケルト神が怒った…
歩の別荘を通り過ぎて、信号で車が停まる。
…伊織が俺から目を離して、直生と話し始める…。
「俺の為なんだよね…分かってる。でも、俺は彼じゃないと嫌なんだ…ごめんね。」
そう言って車の助手席のドアを開けた。
そのまま抑え込まれた体ごと、捻る様に車の外に飛び降りる。
「北斗!」
伊織が慌てて俺を掴もうとするのを避けて、体から下に転げて落ちた。
対向車にクラクションを鳴らされて、慌てて歩道に向かう。
そこから来た道を反対に走っていく。
頭の中には、なぜかワーグナーの結婚行進曲が流れて、美しいバイオリンが響く。
まもちゃんが道路に立っているのが見えて、俺は走っていく。
「ま、まもちゃ…ん!」
そう叫んで、走っていく…
喉の奥が血の味がして、息が切れて、苦しいけど、止まらないで走る。
彼は俺に気付くと、顔を崩して泣きながらこちらに走ってくる。
その泣き顔がとても酷い顔で…彼のその表情を見たら、俺の胸から感情が込み上げて来て、止めることも出来無いで、号泣しながら彼に走って行った。
「まもちゃぁんっ!」
そう言って彼に飛びついて抱きつく。
嫌だ、絶対離れたくない!
「北斗…北斗!ごめんね…ごめんね…」
そう言って謝る彼に抱きしめられて、このまま死んでしまいたくなる…
息が上がって、しゃくり上げて、何も話せない俺に、まもちゃんが泣きながら言う…
「ごめんね…辛い思いをさせてたんだね…ごめん…ごめん…気付かなくて…ごめん…」
俺はまもちゃんの背中に手を回して、彼の中に入ってしまう程抱きしめた…
直生と伊織が車で戻ってくる。
俺達のいる遊歩道まで歩いてやってくると、直生が俺に言った…
「北斗…ケガしていないか…無茶だ。無茶して、そのうち死ぬぞ!」
分かってる…
でも、死んでも良いんだ…彼の為なら…死んでも良い。
俺がまもちゃんを抱きしめて、彼も俺を抱きしめる…
お互いを絞め殺すみたいに…苦しくなるくらいに…強く抱きしめる。
ウロボロスみたいだ…
「お前たちが…話を全然聞かないからだ…」
俺はそう言って、顔だけ動かして彼らを見た。
直生は髪が乱れて、伊織に至ってはチャームポイントの前髪がすべてサイドに流れて、可愛い目が丸見えになってしまっていた…
「ププ…」
まもちゃんの胸の中で笑うと、まもちゃんの顔を見上げて言った。
「良い事を思いついた…」
そう言って泣き顔の彼の唇にキスをすると、体を離して、仁王立ちする。
「お茶を出してあげるよ…。まもちゃん、行こう?」
そう言ってまもちゃんと、彼らと一緒にお店に戻る。
「俺はこの男は好かない!」
直生と伊織が言う。
「好き嫌いの問題じゃないんだよ…俺はまもちゃんが大好きなの…そこはもう放っておいてくれ…。問題はそこじゃない。そうだろ?」
俺はそう言って、変態ロココ改めケルト神に言う。
「この事実を言わないで、23日を迎えてみようじゃないか…?」
そうだ、やられたら、やり返す…!
俺は嫌がる二人を説得する。
「俺を苦しめて、赤っ恥をかかせたいんだ…だから、逆に赤っ恥かかせてやる!」
「どうやって?」
少しは興味が沸いたか?
直生と伊織は怪訝そうな顔をして俺の算段を聞きたがった。
「ここからは…秘密の話だ!」
俺はそう言って隣に座るまもちゃんを外すと、体を寄せて三人で小さい声で話した。
「北斗…俺のせいだ…俺のせいで、お前がひどい目に遭ってる。あんなに頑張って覚えたのに…あんなにボロボロになって、練習していたのに…。」
まもちゃんがそう言って、椅子に座って打ちひしがれている。
「そうだ!まもちゃんのせいだ!だから、今は何も見なかった事にして!」
俺は彼にそう言うと、ケルト神と輪になって、一緒に悪だくみをする。
ゴニョゴニョ…クスクス…ゴニョゴニョ…ププっ!
「それなら…まぁ悪くない。」
直生が納得した。
伊織は、まだ、まもちゃんを睨んでる。
「伊織。まもちゃんは…知らなかったんだ。」
俺は伊織の頬を撫でて、自分の方に向かせて言った。
「なぜ言わなかった?守ってくれないからだろう?だから、言わなかったんだろ?」
伊織は俺の言葉も聞かないで、まもちゃんに向けて責めるような言葉を浴びせる。
「違う…逆だ。そんな事言ったら、彼を苦しめるから…俺は言えなかった。なぜなら、彼は…今、雪の進軍の最中だからだ。」
俺がそう言うと、まもちゃんは前屈みになって、両手で顔を抑え、嗚咽を漏らして泣き始めた…
やっぱり…そうなんだ…
その様子を見て…俺は確信した。
彼は死ぬ覚悟で…この血族に特攻してるんだ。
「理由は知らない…でも、俺は彼を止めない。」
泣いてる彼の背中をさすって、俺は二人に言う。
「彼は目的があってそうしている。馬鹿じゃない。敬意を持て。」
オジジに結婚を反対されたって聞いてから、うすうす感じていた俺の中の違和感が、強くなったんだ…
この両家には何かがあったんだ…
こんなに泣くって事は…図星なんだろう…
ずっと一人で特攻してる。
理由は知らない…俺には話さないかもしれない。
巻き込みたくないから、話さないかもしれない…
ただ、彼が好きだから、俺は気付いてしまったんだ…
彼の持つ、そこはかとない違和感に。
「それでは、作戦内容はさっき言ったとおりである!解散!」
俺はそう言って、変態ロココ改め、ケルト神に敬礼した。
直生と伊織は俺に弱いんだ。
渋々敬礼すると、まもちゃんにひと言言って席を立った。
「北斗を悲しませるな。」
そして、店を出ると車に乗って帰って行った。
俺は彼らを店の窓から見送ると、振り返ってまもちゃんに言った。
「まもちゃん、ケルト神が帰った。悪い奴じゃないんだ、ただ…癖が強いんだ。」
俺はそう言って、泣いてるまもちゃんの膝に座る。
彼の顔を持ち上げてキスすると言った。
「顔が不細工だから。もう泣かないで!」
そう言って彼に抱きつく。
「北斗…何で気付いたの…」
彼に聞かれて返答に困った。
だって、俺だって何となく…そう感じただけで、確証なんて持っていなかったから…
“気付く”というよりも、重なった“違和感”だ。
「多分…俺がまもちゃんの事が大好きだから、違和感に気付いたんだ。…まもちゃんは…俺のバイオリンに嫌悪感を持っていたから…」
体をおこして、彼の目を見ながらそう言うと、彼は俺の目を見て動揺する。
「ペグも残したままにさっちゃんに譲るなんて…あなたが本当に奥さんを愛していたらしない事だよ。オジジも俺のバイオリンを触りたがらなかった。見たくないと断られた。多分あの家の人に何かされたんだ…まもちゃんはその復讐をするために、家族にも言わないで、一人で特攻を仕掛けているんだ。中から、誰かを狙って…」
そう言って彼の胸にもたれて甘える。
「まもちゃん。まもちゃん。俺と会ったから決意が揺らいだの?せっかくここまで来たのに…揺らいだの?俺を守るために台無しになったりしたら、俺はどう詫びていいか分からない。あなたはそれくらい自分を殺して生きて来た。だから、どうか…やりきってくれ…」
俺を強く抱きしめてまもちゃんがしくしく泣く。
きっとずっと1人で耐えて来たんだ…
親にも裏切り者扱いされて、勘当までされて…
それでも貫く、強い男なんだ。
だから、俺はこの人に惚れた。
「北斗…愛してるよ。」
俺を抱きしめてまもちゃんが言う。
だから俺は言った。
「んふふ、知ってるよ…」
これではっきりした。
俺がさっちゃんに妬く事は金輪際無いだろう。
大好きなまもちゃんは、俺の事を大好きなんだ…
どこに不安を感じる事があるだろう。
「雪~の進軍、氷を踏んで~」
俺は雪の進軍を歌ってあげた。
まもちゃんは笑うと俺と一緒に歌った。
可愛い人。
彼の携帯が鳴る。
「あ、さっちゃんからだ。そうだ、今日行かなきゃダメだったんだ…」
まもちゃんはそう言うと、俺を抱き上げて立ち上がった。
「行ってくる。」
俺にそう言って、熱いキスをすると、車に乗って出かけて行った。
俺は一人、彼の店で割りばしをやする。
「意外と良いじゃん…」
削っては形を確認して、指でつまんで、弾く様に動かしてみる。
みんなが馬鹿にした割りばしの弓は予想以上に良い出来となりそうだ!
あとは、毛を張る部分を…どうするかだよな。
念のため、そこにはやすりはかけてない…
まもちゃんが何とかしてくれると期待して…二階に向かう。
弓毛の束を綺麗にブラッシングする。
「そろそろ出番だから、きれいにしようね~。」
上質な弓毛に、自分のもこれにしたいと、少し思ってしまう…
そのままバイオリンを取り出して、23日に演奏する予定の曲を弾いて練習する。
これは変わらない。
練習は大切なんだ。
しばらくすると、外に車の音がして、まもちゃんが帰ってきた事が分かった。
「ま~もる~、ドォレスゥ、どぉれがいいぃ~?」
小さく、一人で、さっちゃんの声の真似をする…
そうして、またバイオリンを構えて、ひたすら練習する。
カンカンと階段を上る音がして、玄関が開く。
俺はまもちゃんを見ながら、バイオリンの練習を続ける。
手に美味しそうなものを持って、テーブルに置いた。
俺はバイオリンを首から離してそれが何か見に行った。
「良い匂いがするじゃん。」
俺がそう言うと、まもちゃんは笑って俺の髪にキスする。
「食べて良いよ。パン、買ってきた。これは、お店で使うやつだから、これ以外の、北斗が食べて?」
俺はバイオリンをケースにしまうと、パンを漁った。
フランスパン3本はお店で使うんだ。
「ん!トウモロコシのパン!好き~!」
マヨネーズの上にトウモロコシが乗ったパンを発見した。
これが大好きなんだ~!
俺の目の前に牛乳を入れたコップが置かれる。
「美味しい?」
俺はその声に頷いて答える。
コンビニのより、上品な味のトウモロコシのパン。
サイズも上品であっという間に食べ終わる。
「小さい!一つ一つが小さい!」
文句を言いながら、隣に座ったまもちゃんの背中にもたれる。
「どうして、小さく作るの?もっと大きいのが食べたいよ。」
そう言って、ウインナーの入ったパンを3口で食べる。
パンって何個でも食べれるから不思議だ。
「北斗は食いしん坊だから…」
まもちゃんはそう言って、コーヒーを俺の隣で飲み始める。
苦い匂いがしてきて、鼻に付く。
「これはアンパンなの?アンパンはもっと大きくないとダメだよ?」
そう言って隣のまもちゃんに見せて聞く。
「小さくない?」
まもちゃんは俺のアンパンを見ると、口を開けるから、俺は一口食べてから、彼の口の中に放って入れた。
2口のアンパンなんて…交換する前に死ぬだろ…
「小さくする事のメリットって何?」
俺はそう言って、まもちゃんの膝に寝転がる。
彼は足を少し動かして、俺の頭を支える。
「利益を上げるんだよ…小さくして、単価を上げて、上品なイメージで売るんだ。」
まもちゃんがコーヒーを飲みながらそう言う。
「ズッケ!」
俺はそう言って頭の上の落ちている楽譜を拾って、譜読みする。
「まもちゃん?夜のお店が開いたら、星ちゃんの所に行く~。」
俺がそう言うと、まもちゃんは俺を見降ろして、髪を撫でて聞いて来た。
「どうして?」
どうして?は?つまらないからだ!
「だって、一人でここに居ても、バイオリンは弾けないし…つまんないんだよ。」
俺はそう言って抗議する。
軟禁だ!
まもちゃんは俺の顔をじっと見つめて、俺の鼻の穴に指を入れる。
「フガッ!」
俺は彼の指をそのままに、まもちゃんの鼻の穴に指を入れ返した。
「グフッ!」
そういって体を仰け反らして笑うと、まもちゃんが言った。
「嫌だ~!北斗が離れるのが嫌だ~!」
俺は体を起こして、まもちゃんに向き合う様に跨って甘えた。
「まもちゃん…まもちゃん…ギュッて、してよ…」
まもちゃんの両手が、俺の腰と背中をギュッと抱きしめる。
あぁ…気持ちいいな…
「北斗…可愛いね…大好き。」
俺はまもちゃんの頬に顔をスリスリさせて言った。
「まもちゃんも可愛いよ…だから、大好きなんだ。」
まもちゃんは俺の顔を覗き込んで、うっとりとした顔で見つめると微笑んだ。
その顔が可愛くて…俺は首をすこし傾げて微笑み返した。
まもちゃんの唇が俺の唇に触れて…愛してるって言った。
だから俺は彼の唇をそっと舐めて広げた。
そのまま熱いキスを息を漏らしながらする。
向かい合って抱きしめ合いながら、熱いキスをする。
「まもちゃんは一人っ子だ…こんなに甘えん坊なのは、一人っ子だからだ!」
俺はそう言って、彼の前髪をかき上げながら顔を覗き込む。
「お兄ちゃんがいるもん。次男だもん。」
まもちゃんがそう言って気持ち良さそうに首を伸ばす。
お兄さんがいるんだ…
バイオリン工房に居るのかな…でも、そんな人いなかった。
まもちゃんみたいに、違う仕事に就いてるのかな…?
でも、職人の長男は順当に行けば跡を継いでバイオリン職人に…なるだろ?
「まもちゃん、もうすぐお店に行かないといけないね…」
そう言って彼のおでこにキスする。
まもちゃんは俺の服に手を入れて、背中を大きな手で撫でる。
「まもちゃんがいない間…寂しいんだ…だからお友達の所に行きたいの…」
そう言って、彼の首に顔を埋めて、優しく耳を舐める。
囁く声でまもちゃんの耳の中に音を贈る。
「行って良いでしょ…?」
その音に、彼は体を揺らして喜ぶ。
「ん~!良いよ?良いよ?良いけど…帰って来るよね?お泊りじゃないよね?」
そう言って俺の胸に顔を埋めて、首を振りながらハフハフし始める。
こしょぐったい…!
「んふふ!お泊りしないよ…。俺は今日もまもちゃんの隣で寝るの。ギュッてしてもらいながら寝るの~。」
俺はそう言ってハフハフするまもちゃんの頭を抑えて、自分の方に向ける。
惚けた顔がすごく可愛くて、堪らなくなって、彼の唇にキスをする。
人には絶対見せられない…こんな激甘にトロけた状態…
甘いのが好きな二人がくっつくと…こんなに激甘になるんだ。
まもちゃんの携帯のアラームが鳴る。
それでもイチャイチャしたまま抱き合う。
どちらともなく我に返るまで、イチャイチャして甘くとろける。
「まもちゃん、そろそろ行きなよ。」
俺は現実に戻ってそう言うと、彼の上から退いた。
「あ~~!北斗~~!」
悶絶をうつまもちゃんを上から見下ろす。
そろそろバイトのお姉さんが来る頃だ…
そう思ったらチャリンコの停まる音がして、まもちゃんは慌てて部屋を出て行った。
バイオリンをケースにしまって手に持つと、まもちゃんのパーカーを借りて外に出る。
玄関のカギを閉めて、階段を降りていく。
お店に入って、お姉さんにカギを渡す。
「どこ行くの?」
そう聞かれて、俺は答える。
「友達の所~」
「追い出されたんでしょ?許してもらったの~?」
俺はお姉さんに笑って手を振ると、答えないでお店から出た。
厨房から、まもちゃんが恨めしそうに見ていたから、早く行きたかったんだ…
歩の別荘まで、遊歩道を歩いて向かう。
左に湖が見えて、キラキラと湖面が光って見える。
ボートが何艇か浮かんでいて、夕釣りを楽しんでいる。
細い道を左に曲がると目の前に歩の別荘が見える。
外には…誰も居ないみたい…
俺はベランダへ上がる階段を上って、玄関からじゃなく、二階から侵入する。
そのまま寝室の方に歩いて行く。
「星ちゃん…居ないみたいだ…」
引き返して、一階に降りる。
ソファに星ちゃんの後姿を確認!
相変わらず、本の虫だ。
ゆっくり静かに近づいて、真後ろまで来る。
そのまま手を彼の肩にポンと置く。
「ふぉっ!」
そんな可愛い声で驚くから、吹き出しそうになるのを我慢しながら、俺の精一杯の低い声で言った。
「ここに…可愛い男の子がいるって聞いたんだけど…どこかなぁ~?」
星ちゃんの肩が細かく揺れている…震えているの?
怖かったかな…?
俺は星ちゃんの方に顔を覗き込ませて言った。
「星ちゃん、北斗だよ?」
星ちゃんは、震えていたんじゃない…笑っていたみたいだ。
「もう帰ってきたの?追い出されたの?」
そう言って俺を抱きしめるから、嬉しくなって星ちゃんに甘える。
彼の膝に寝転がって、ごろにゃんして言う。
「違うよ。暇なんだ。この時間がとてつもなく暇なんだ。みんなは何処に行ったの?」
静かすぎる別荘に、星ちゃん一人が残ってるなんて…!
酷いよ!
「お買い物に行ったんだよ。そうだ、北斗、鱒が余ってるから、食べていきなよ!」
え…
「うん…食べる~」
俺はとりあえずそう言って、星ちゃんのお腹に顔を付けてスンスン鼻を鳴らした。
「星ちゃん…俺がいないと寂しいでしょ?」
星ちゃんの匂いを嗅ぎながら、俺がそう言うと、星ちゃんは言った。
「寂しいよ…北斗がいないと寂しい…」
「星ちゃん!それって、俺の事が好きって事だよ?」
俺は体を起こして星ちゃんに言った。
とうとう、その気になったんだね!
「仕方ないよ…星ちゃんなら、仕方がないよ…俺はこの時を待っていたんだ…」
俺はそう言って、パーカーとTシャツを脱いだ。
「北斗!ブフッ!何勘違いしてんだよ!違う!」
そう言って、俺のTシャツを拾うと、綺麗に裏表返して俺に付き返した。
「何が違うの?何が違うの?そう言う事だよ。星ちゃん!」
俺は力の限り星ちゃんに甘える。
結局、俺は脱いだTシャツを体の上に掛けられながら、ソファで寝た。
星ちゃんは俺を見て、笑いながら、本を読んでる。
「ただいま~!あっ!北斗だ!北斗が脱いでる!」
渉がそう言って、俺のTシャツを遠くに飛ばした。
「軟弱な体だな!」
博がそう言って、俺の胸板を思いっきり引っ叩いた。
「いた~い!」
俺はそう言って、星ちゃんの所に逃げる。
「虐める!俺の事、虐める!」
そう言って星ちゃんのTシャツの中に潜る。
彼の匂いがいっぱいしてクラクラする…
「北斗!北斗!やめてって!」
星ちゃんがそう言って、倒れこんで行くから、俺は良いんだと思って、星ちゃんの乳首を舐めた。
バシン!
と思いきり頭を引っ叩かれて、Tシャツの下から大人しく出た。
「北斗!やりすぎだぞ!」
「はい…」
星ちゃんが本当は怖いのを知ってから、俺は素直に言う事を聞くようになった…
未だにビビってるんだ。
「北斗、ご飯食べていく?」
歩に聞かれて俺は歓喜する。
「やった~!」
春ちゃんが俺の体をいやらしい目で見てくるから、俺はTシャツを拾いに行った。
「北斗はいつまで、あそこにいるんだっけ…?」
春ちゃんがそう聞きながら俺の肩を撫でる。
「31日までだよ?」
俺はそう言って、Tシャツを上から来た。
そのまま星ちゃんの膝にうつ伏せになって寝転がる。
「東京に帰ったら、何処の国に行くんだっけ?」
星ちゃんが俺の背中を撫でながら、聞いて来る…
「アメリカ~」
ソファのつなぎ目を見ながら、ぼんやりと答える。
「お前は忙しいね…北斗。」
そう言って、星ちゃんが俺の背中を沢山撫でてくれる…
その手があったかくて、優しくて、愛されてる気分になってくる…。
まるで、星ちゃんの猫になった気分で、俺はその手を心地よく感じた。
「ま~もる~?」
俺は星ちゃん達にもさっちゃんの声真似を聞かせた。
「ま~もる~ちぃがっう~ま~もる~?」
俺の声真似は凄いな…
星ちゃんは腹を抱えて笑って、歩は…もう突っ伏して笑っている。
彼女の声を聞いた事のある人なら分かる。
あのネチョッとした鼻にかかった声。
俺はそれを真似ることに成功したんだ。
ちょっと、ま~もる~↑って語尾を上げていく感じで言うのがポイントだ。
「これ、今度、本人の前でやってみようかな…」
俺がふざけてそう言うと、歩が言った。
「ダメダメ!本当に、あそこは怖いから!」
その慌てた様子に星ちゃんが少し驚いて聞いた。
「何がそんなに怖いの?お金持ちだけど…人まで殺さないだろ?」
そうだ、そうだ!ただの意地悪なさっちゃんだぞ?
俺は星ちゃんの背中に乗って、歩を見つめた。
彼は神妙な顔をして、前屈みになると、所謂“ここだけの話モード”になって、小さな声で話し始めた。
「お父さんが言ってた。昔、あの家に出入りしていたバイオリン職人の話なんだけど。まだ小さかったさっちゃんのバイオリンの扱いがあまりにも酷かったらしくて、注意したんだって。そしたら、さっちゃんが大騒ぎして、おじい様が怒ってしまって、そのバイオリン職人に、酷い事をしたんだって……その後、その人は自殺しちゃったらしくてさ…酷い話だよ…。」
え?
俺は絶句した…
「え?酷い事って何?」
星ちゃんが歩に聞く…
「両手を潰したって聞いた…」
歩はそう言って、手のひらを出した…
「職人さんは、それで失意になって自殺したの?」
俺は星ちゃんの背中からズリズリとずり落ちると、感情を切り離す努力をした。
まもちゃんの事だ…
これは…多分、まもちゃんの家の事だ…
ここで、俺が取り乱したりしたら、彼が…
まもちゃんが、そのバイオリン職人の縁者だと、バレてしまう…
悟られない様に、気付かれない様に…俺は必死に感情を抑えた。
「北斗?どうしたの?」
星ちゃんが背中の俺に聞いて来る。
俺は星ちゃんにすら気付かれない様に、取り繕った。
「眠い~。星ちゃんとソファに挟まれると、きもちいから、ここにいる~。」
「んふふ。本当に寝るなよ?」
そう言うと星ちゃんは、その話を続けて聞いた。
「街にあったバイオリン工房も、おじい様が圧力をかけて潰したんだ…それで、そこの奥さんが自殺した…。その後を追う様に…息子の職人さんが自殺したんだ。今は、残されたご主人が、森の奥に工房を構えて、バイオリンを作ってるらしい…」
星ちゃんは、後ろから伸びる俺の腕を撫でながら話を聞いている…
俺は星ちゃんの背中で、一生懸命感情を切り離す努力をしている…
でも、オジジの顔が目に浮かんで…胸が苦しくなる…
喉の奥が痛い…
叫びたいくらいに感情が込み上げる。
それを堪えるから…喉の奥が疼いて痛い…
「どうしてそこまでやるのか…理解できないよ。北斗もさっちゃんの道具の扱いを注意していたよ。気に入らなかったら、北斗の事も…手を潰したりするの?」
星ちゃんの声から憤りを感じる…そうだね。
これは…あまりにもひどい話だ…
「だから…北斗にはこれ以上さっちゃんを煽ってほしくないんだよ…ただでさえ、さっちゃんの好きな叔父さんは、北斗に夢中なんだから…」
俺でも、復讐することを選ぶかもしれない。
そのくらい、理不尽で…納得のいかない話だ。
「僕は嫌だよ。友達がそんな目に遭ったら…嫌だからね!」
歩のその声から、本当に心配してくれてるって分かった…
「ん…分かった~。」
俺はそう言って、星ちゃんの体を強く抱いた。
だから、みんなさっちゃんに何も言えないんだ…
俺はこの話…聞かなかった事にするよ。
まもちゃんから聞くまで…知らないふりをするよ。
何てことだろう…
職人の手を…お兄さんの手を潰されて…街にあった工房も潰されて…
まもちゃんの、お母さんと、お兄さんが自殺したんだ。
だから、オジジはこの俺のバイオリンが嫌だったんだ…
まもちゃんが作ったバイオリン…
どんなきっかけか…まもちゃんに恋した奥さんが、彼のバイオリンを買いたがった…
まもちゃんは言っていた…金持ちに高く売りさばいた…と。
そして、メンテナンスする度に、ペグに書かれた自分への愛の言葉を見て…固辞したと…。
そうなんだ…
もう、その時には始まっていたんだね…
俺は自分のバイオリンケースを見る。
そんな忌々しい歴史が刻まれたバイオリンを思って、涙が一筋垂れる…
お前は何も悪くないのにね…
可哀想だ…。
あんまりだ…!
「いっただきま~す!」
星ちゃんの焼いた淡白な鱒を食べる。
あぁ…味がしないよ…
俺は食卓塩をかけてビネガーを振って、鱒を食べる。
「ねぇねぇ、ナマズはどうやって食べたの?」
興味本位でみんなに聞いた。
どうせ美味しくないんだ。
「天ぷらにしたら美味しかった!」
博がそう言って興奮する。
え!ナマズっておいしいの?
「あれは、唐揚げもおいしかったね~。」
歩がうっとりと思い出して言った。
「なぁんだ!俺も食べたかった!」
俺はそう言って星ちゃんにお願いする。
「星ちゃん、またナマズ釣ってよ~。俺も食べたい~。天ぷらと唐揚げしたい~!」
「ダメだ!北斗は良いもの食わせてもらってるんだろ!」
春ちゃんが変な所でムキになった!
俺にあっかんべ~!しながらそう言うと、歩に怒られてる。馬鹿め!
「こんな小さいパンしかもらえないよ?」
俺はそう言って、人差し指と親指で輪っかを作って見せた。
みんなはそれを見て吹き出した。
「なんだそれ~。虐待されてんな!」
春ちゃんが喜んで俺に言う。
「もう戻ってきた方が良いんじゃないの?お腹いっぱいにならないだろ?」
俺がモジモジしてると、星ちゃんが言った。
「きっと、その小さいパンを何個も食べさせてるんだよ。」
どういうこと~?
俺は星ちゃんの方を驚いた顔で見る。
「結局、お腹は一杯になってるんだよ。」
なってないよ…いつも腹ペコだ…
ハンバーグも小さいし…パンも小さいし…唯一大きいのはまもちゃんだけだ…
「21日楽しみだね~。何時に出発するの?俺、ここに来るね?」
俺がそう言うと、歩が言った。
「高原の教会のオーナーが親戚だったから、小さなバスで迎えに来てくれることになったんだ。だから、おじさんの店の前に迎えに行くよ。時間は9:15くらいかな…」
お、9:15にまもちゃんの店の前。
頭の中にインプットする。
「わ、分かった~!」
俺はそう言って、味のしない鱒を全部食べる。
その後、春ちゃんの味噌汁を飲んで、しょっぱくてお茶を飲む。
塩分過多だ。
ご飯が終わると、星ちゃんはお風呂に入りに行った。
相変わらず、一番風呂で、長風呂なんだ。
俺がまもちゃん家の子になってから3日しか経っていないのに、随分みんなと離れた気がして、少し寂しかった。
時計を見ると9:00…お店が終わるのが、10:00
まだ大丈夫かな…
ソファで映画を見ている歩と春ちゃんの所にお邪魔する。
歩の膝に寝転がって、甘える。
柔らかい膝にスリスリして、エロ親父みたいに興奮する。
「歩の太ももって柔らかいね。フニフニする~」
そう言って柔らかい足を揉むと、ンフッ!て言って、身を捩るから、変な気分になるんだ。
「なぁに?なぁんで、ンフッ!ていうの?ねぇ、ねぇ、ンフッてエッチだよ?」
俺はそう言って歩の顔に顔を近づけて迫る。
「北斗、今、映画の良い所だから、大人しく出来ないなら向こうに行ってて!」
歩に怒られてしょんぼりする。
「なぁんだ!その映画何回も見たもん、その後、その人死ぬんだよ?」
俺はネタバレさせて、ブーイングを受けながら違う部屋に行く。
星ちゃんはまだお風呂から出てこない…長風呂!
俺はまもちゃんのパーカーを着て、バイオリンケースを抱えると、部屋の中を目的も無くうろついた。
渉と博が手を繋いでベランダに居る…
「ぅおっほん…」
俺は咳ばらいをしながらベランダに出る。
マナーだ。
まもちゃんと俺みたいに、人に見せられないくらい、激甘になっている可能性を考慮して、俺は咳ばらいをしながら彼らに近付いた。
「北斗~。お前、向こうで怒られてないか?我儘すぎて、怒られてるんだろ~?この前の車ん中みたいに、ボコボコにされてんだろ~?あはは、あははは!」
まぁ…少しトラブルはあった。
「怒られてないよ?まもちゃんは大人だからね?」
俺はそう言って、ベランダから黒くうねる湖を見て、背筋を震わせた。
「それにしても、歩の叔父さんも変わってるよな…。北斗なんかと一緒に暮らせるなんて…危篤だよ。」
歩と星ちゃん…春ちゃんだけが知ってる本当の理由…
渉と博は…俺の我儘でまもちゃんの家にお世話になってると思ってる…
倫理観の欠如を葛藤するのには、人数が少ない方が都合がいい。
「毎日おいしいもの、食べた~い!って言ったら連泊させてくれるなんて…優しいよな~。お前はやっぱり、おやじキラーなんだ…でも、おやじって言う程…歩の叔父さんは年じゃないよな~。」
博がそう言って笑う。
いや、まもちゃんはもうお爺さんだよ?
俺はベランダの椅子に寝転がって、二人の声を聴きながら天を見上げる。
キラキラの星が瞬いて見える…
あんなにムカつく二人のイチャイチャが…
今日は楽しそうに聞こえて、俺まで口元が緩む。
「さて、そろそろ戻ろうかな~」
俺はそう言って二人に別れを告げる。
そのままベランダの階段を降りて、暗い夜道を歩いて行く。
右側に黒い湖を見て、なるべく近づかない様に、遠ざけて歩いて、まもちゃんの店に戻る。
左側に彼の店が見えてきて、窓に佇む誰かのシルエットが見えた。
「あ…ふっ。本当に…心配しすぎなんだ…」
そのシルエットが彼の物と分かって、一言そう呟いて、笑う。
暗い道を帰ってくる俺を見つけたようで、店の入り口から、俺の方に歩いて来る。
ねぇ…まもちゃん、全て終わったらどうするの?
全て…終わったら、その後、どうするつもりなの?
期間限定で遊びに来た俺とこんな関係になって…楽しい思い出を作ってさ…
只の遊びのつもりだったの…?
どうせ、東京に帰るだろうって…そんな気持ちだったの?
そうしたら…本当に、好きになっちゃったの?
ほんと、馬鹿なんだ。
彼から話を聞くまでは…俺は知らないふりをする。
愛してるから…そうする。
もしかしたら、話してくれないかもしれない…
そうしたら俺は知らないふりを続けられるの…?
分からない。
ただ、今は何も知らないふりをしよう。
彼に付き合って…今を楽しもう…。
まるで、湖に映る偽物の月の様な彼。
掴んだと思ったら、全然実体のない彼。
本当の姿を、俺に見せてくれるの?
それとも…
「まもちゃん!ただいま~!」
俺はそう言って彼の方に歩いて行く。
「北斗、お帰り…」
そう言って両手を広げるから、俺はそのまま、まもちゃんに抱きついて、彼の胸に顔を埋めて、甘える。
ほんの少し、離れただけなのに、まもちゃんと随分離れた気がして寂しかった。
彼の匂いを嗅いで、彼に抱きしめられて、このまま死んでしまいたいって思った…
「まもちゃん?ナマズって美味しいみたいだよ。今度また星ちゃん釣ってくれるかな?」
俺を抱き寄せながらまもちゃんが言う。
「星ちゃんだったら、また釣ってくれるさ。お前の為に。」
あぁ…俺もそう思う…
「そっか。じゃあ、楽しみにして待ってよ~!」
俺はそう言って、鍵を受け取ると、まもちゃんと離れて二階に上がる。
玄関の鍵を開けて、電気を付けて、バイオリンを床に置いて、ベッドに横になる。
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