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8月21日(金) 高原_01

8月21日(金) 「北斗…走りに行ってくるね。どこにも行かないでね。」 俺の髪にキスして、いつもの様にまもちゃんが走りに行った… じゃあ…今は4:30か… 俺はむくりと起き上がると、バイオリンをケースから取り出して、首に挟んだ。 弓を構えて、頭の中で音楽を再生させて練習を始める。 仕上がって来てる… 練習って凄い…初めは途方もない課題に絶望するのに、毎日続けていく事で、着実に進んでいく…絶対裏切らない… 手ごたえを感じて満足する。 満足しても気は緩めない。何回も何回も繰り返して、同じ曲を弾く… 気が済むと、次の曲を弾く。 それも何回も…繰り返す。 自分の体が覚えて、自然と動けるようになって…俺はやっと安心するんだ… やっとゼロに立った。 「北斗…おはよう…」 外からまもちゃんが戻って来て、俺の頬にキスするとシャワーを浴びに行った。 俺は次の曲を弾く。 癖が強く出てしまったところは、楽譜を見て修正する。 そして何回も同じ曲を弾く… 最後の曲も同じ。 何回も何回も弾いて、弾いて、弾きまくる。 「だいぶ、板に付いて来たね。こうやって一曲ずつ仕上げていくの?頭の下がる作業だね…華やかな表舞台の裏は…過酷なんだな。」 まもちゃんが、ベッドに座りながら、歯磨きをしてそう言う… 「それは何でも同じだよ…そうだろ?」 俺はそう言って、バイオリンを乾拭きする。 オジジの松脂は結構、粉が飛ぶ… 俺のかわいこちゃんにいちいち付くんだ… 「洗濯物、乾いたかな~。見に行ってくる~。」 まもちゃんの部屋は独特な作りをしている。 玄関を入るといきなり寝室だ。 そこにお風呂がくっ付いていて、両脇に窓の付いた廊下がある。 そこを進むとトイレが付いていて、もっと奥に行くと、ベランダに出る。 大きなウッドデッキのベランダだ。 仕事と寝るだけの独身貴族の部屋って感じ… 俺は廊下のどんつきに行ってベランダに行く窓を開ける。 強い風が入ってきて、目を覆う事態を目撃する! 「あ~~~!」 俺が叫ぶとまもちゃんが走ってくる。 「どしたの?北斗!」 「飛ばされてる!俺の洗濯物が飛ばされてる!!」 湖からの風は意外とこの場所にあたりが強いらしい… 歩の別荘ではこんな事無かったのに… 「酷い~!汚れちゃってる!うわぁ~ん!まもちゃんが、しっかり留めないから、いけないんだぞ!うわぁ~ん!」 下着類はセーフだったけど、Tシャツ類がほぼ全滅した… 洗い直しだ… 「俺の着る服がない…」 絶望にウッドデッキに突っ伏してシクシク泣く… やたら風ばかり体に当たって…苛つく… 借りた猫の長袖のTシャツを捲り上げて、背中を出させる…風め…!! 「おい!風!なんて事するんだよ!お前!この野郎!」 風に向かってブチ切れる俺を無視して、まもちゃんが洗濯物を取り込んでいく。 「ほら、北斗…このTシャツは無事だったよ?」 「それはやなの、それは星ちゃんと二人の時しか着ないの…ダサいから…」 俺は背中を出して突っ伏したまま、顔だけまもちゃんに向けて言った… 「ブフッ!」 笑った…今、笑った…! 「まもちゃん!」 「笑ってない…笑ってない…ほら、もうこっちにおいで、一緒に着る物、探そう?」 俺はトボトボまもちゃんの所に行って、彼の体に項垂れる。 俺の体と洗濯物を持ったまもちゃんが、部屋に入って窓を閉める。 「風の馬鹿野郎…」 俺がぼそりと言って、まもちゃんが言う。 「北斗が着れる服、あるかもしれないよ?探してみよう?」 無いよ…まもちゃんのサイズの服なんて…ブカブカだ… 洋服ダンスを一緒に漁る。 「北斗~、これは?」 「何それ…ヤダ」 「じゃあ、これは?」 「やだ!」 俺はまもちゃんを全否定した。 彼のお腹に顔を埋めて、暴れて言った。 「ヤダヤダヤダヤダ!!」 「ブフッ!それじゃあ、北斗は上半身裸の“神様スタイル”で行くしかないよ…」 まもちゃんはそう言って、俺の髪の毛をセンター分けにして言った。 「私は…神だ…」 俺は怒って、俺の髪の毛を留めるまもちゃんの腕をペシッと叩いた。 一面に出したまもちゃんの服の中で…唯一中学生が着れそうな色を見つけて手に取る。 まもちゃんのくすんだピンクのシャツを着ることにした。 だって、Tシャツ類は大きすぎて無理で…シャツに関しては、黒系が多いんだ。 「これだったら、今流行りのオーバーサイズって事で誤魔化せそうだ!」 歩がよくしてるような格好だ… 「ほら、まもちゃん、どう?どう?」 俺は黒いジーンズに、くすんだピンクのシャツを着て、前だけ少しズボンの中に入れて、ヘッドホンを首に付けて見せた。 「うん。可愛いじゃん。」 そう言う彼は、ピンクのシャツの襟を直して、嬉しそうに笑ってる。 「若く見える?爺に見えない?」 俺は結構…酷い事を言ってる… 「グフッ!だ、だ、大丈夫だよ…。俺が着るともっとイケメンだけど、北斗が着ると、可愛いよ?ん~チュッチュッチュッ!」 まもちゃんは俺を抱きしめて、頬に連続チュウをする。 とりあえず、着る服が出来てよかった… 俺はまた洗濯物を回して、散らかした服を綺麗に畳んで片付けた。 「北斗…お坊ちゃんに見える…可愛いね…写真撮っても良い?」 「え、やだ。恥ずかしいもん…」 俺がそう言ってムスくれると、そのムスくれた顔を撮って、まもちゃんは喜んだ。 「北斗だって、すぐわかる表情だ。ここを、こうして…あ、可愛い…」 俺の髪を耳に掛けさせて、まもちゃんが悶絶してる… 俺の周りの大人は…もしかしたら、みんな変態なのかもしれない… 「まもちゃん…お腹空いた…」 時刻は8:30 まもちゃんと一緒に下のお店に行って、厨房に入る。 「目玉焼きを作ろうか?」 まもちゃんがそう言うから、俺は彼の腰にくっついて、その様子を見る。 大きなハムがフライパンで焼かれている… 美味しそう… そのあと、少し横に卵を割って入れて、綺麗に落ちた卵がフライパンに色どりを付けた。 「まもちゃん?俺、可愛い?」 俺が尋ねると、まもちゃんは嬉しそうに俺の方を向いて言った。 「すんごく可愛い…食べちゃいたい…」 そうか…良かった。 「じゃあ、チュウしてよ…まもちゃん、俺にチュウして~?」 彼の肩に手を置いて、まもちゃんに甘える。 まもちゃんは嬉しそうに顔を赤くすると、俺に熱烈なキスをくれる… 舌の動きがいつもよりエッチで、クラッとする… 「あぁ…北斗、可愛い…こんな格好で外に行ったら…変態に狙われちゃう…!」 まもちゃん以外の変態…? 直生と伊織ぐらいしか思いつかないよ… 「まもちゃん、ご飯食べさせて?」 俺はそう言って、まもちゃんに甘えて、あ~んしてもらう。 「北斗ちゃん、ハムでちゅよ~。」 「んふふ、ハム大ちゅき~!」 人には見せられない…二人だけの世界だ。 一口、口に入れる度にまもちゃんが俺にチュッとキスする。 「目玉焼きも食べたい。一口で食べたい!」 俺は無茶を言って、まもちゃんを困らせる。 「え、これ…どうやったら一口で…え…こんな感じ?」 差し出された目玉焼きを、俺は口いっぱいに入れる。 上手く口の中に入って、思いきり噛むと、口の端から半熟の黄身が溢れて落ちる。 「ん~、んん!」 黄身が垂れて口の端を伝っていく。 それをまもちゃんがねっとりと舌で舐める。 「あぁ…北斗、ダメだ…可愛い。ちょっと触らせて…ね?ちょっと…」 「あ、時間だ!」 俺は興奮するまもちゃんにキスして、リュックを持つと、麦わら帽子を被ってお店の外に向かう。 まだ、誰も来ていない道路の端に立って、歩たちの乗った車が来るのを待つ。 「まだ来ないね…」 そう言って、俺を後ろから抱きしめると、まもちゃんは俺の麦わら帽子のつばを上げて、首にハフハフする… 「可愛い…んふ、可愛い…」 どんどんエスカレートしてくるまもちゃんのハフハフは…ついにキスマークが付きそうなくらいの吸い付きを見せる。 「ん…まもちゃん…やだ、それはやりすぎだよ…」 「何で…?気持ちよくなっちゃうの?北斗…北斗…ん、大好き…」 俺の腰を触る手つきもどんどんいやらしくなってくる… 「あ、来た~!」 やっと、向こうにマイクロバスが見えた。 悪い大人のまもちゃんは、いつまでも俺から離れない。 ギリギリ目視出来そうな距離になると、スーッと離れるんだ。 こいつは本当に悪いやつだ。 「じゃあ、行ってくるね?」 俺はそう言ってまもちゃんを見る。 目の前に星ちゃん達の乗ったマイクロバスが付く。 まもちゃんはバスの運転手と知り合いの様だ。 適当に挨拶して、歩たちに挨拶して、やっと俺を見た。 「気を付けてね。星ちゃんから離れないでね。」 なんだ、それ。 「ん、分かった~!」 俺はそう言ってマイクロバスに乗って、運転手に挨拶して、星ちゃんの隣の窓際の席に座る。 急いで窓を開けて、彼を見降ろして、手を振る。 「行ってきます。」 麦わら帽子を押さえて、そう言う俺の前髪が、風でなびく。 まもちゃんはバスが走り出した頃、やっと悲しそうな顔をした。 「星ちゃん…この前ごめんね。理久…大丈夫だった?」 隣の星ちゃんに聞くと、星ちゃんは俺を見つめて言った。 「あれで良かったんだよ。俺も、行かせたく無かったもん…」 そう言って、俺の手をギュッと握ってくれた。 俺もその手を握り返して、彼の体にもたれて甘えた。 いつもの指定席だ。 「星ちゃん、お茶碗作るの?俺にも作って!」 俺がそう言うと、星ちゃんは言った。 「自分のお茶碗は、自分で作るんだよ?」 え~、面倒くさいじゃないの… 「北斗のその服…見た事無いね。」 前の席の歩が、後ろを振り返ってそう話すから、教えてあげた。 「洗濯物が間に合わなくて…貸して貰ったやつなんだ…だから、色がさ、爺みたいで…ちょっとくすんでんだよ。」 俺がそう言うと、星ちゃんが、失礼だっ!て怒って、歩が笑った。 博と渉は今日もイチャイチャしてる… 今は、高原に着いてからの過ごし方について、語り合ってる様子だ… 「やっぱり、アイスは食べたいよね~。」 渉はそう言って博の顎を触ってる…髭の剃り残しでもあるのかな… 「アイスはやっぱりバニラだよね?」 博はそんな渉にうっとりして、髭の剃り残しを撫でてもらってる… フンだ! 俺が二人に焼きもちを焼いて顔を逸らすと、春ちゃんと目が合った。 春ちゃんは…ムスッとして俺を見ると、少し顔を赤くする。 みんなと一緒に行くのが楽しみだった! 「ねぇ、星ちゃん、向こうで何食べようか?」 俺がそう聞くと、星ちゃんは呆れた顔をして言う。 「また、食べる事ばっかり考えて…そのうち、太り始めるからね!」 マジか… 俺はその言葉に呆然とした。 「突然来るって言うよね…食べても太らない人の奇跡が終わる瞬間…」 博がそう言って俺をディスる… 「あ、でも、北斗…なんか、良いもの食べてるせいか…頬っぺたが大きくなった気がするよ?」 渉も漏れなく、俺をディスる。 俺は慌てて星ちゃんに聞いた。 「星ちゃん、俺、太ったかな?」 星ちゃんは俺を見て、頬を触って、顎を触って、確認してから言った。 「変わんないよ…」 そうだよね~。 俺は星ちゃんにもたれて、彼の腕にスリスリした。 やっぱり星ちゃんは最高だ。 「着いた~着いた~!」 春ちゃんの声が聞こえて、目が覚める… 眠ってしまっていたみたいだ… 隣の星ちゃんを見ると、彼も眠ってる。 可愛い顔… 俺は星ちゃんの寝顔に言った。 「星ちゃん。星ちゃん。着いたよ?」 唇を触りながら俺がそう言うと、星ちゃんの口元がニコッと笑って、目がゆっくりと開いて俺を見た。 その顔に少しドキッとして、見とれて固まる。 あれ、星ちゃんって…こんな顔したっけ… 「北斗…おはよ。」 俺にそう言って、両手を伸ばして伸びをすると、星ちゃんはリュックの中に読みかけの本をしまった。 「星ちゃん、今日も一緒に居て?」 俺がそう言って彼を予約すると、星ちゃんは良いよ。と、答えてくれた。 「ねぇ、やっぱりさ、教会とか行っちゃったりするの?」 俺は博と渉をちゃかして言った。 「最低だな。北斗は、相変わらず最低だ!」 博がそう言って怒るけど、渉は、まんざらでも無い顔して言う。 「良いだろ、最近は同性婚なんて…珍しくも無いよ?」 おめでとうございます。夫婦の誕生です。 ディスりカップルから、ディスり夫婦の誕生です。 マイクロバスが教会の前で停まって、みんなお礼を言って車を降りた。 「ねぇ、君。バイオリンの子だよね?」 バスの運転手さんに声を掛けられて足を止めると、星ちゃんも俺と一緒に止まって、バスの運転手さんを見た。 「なんで、護さんの所に居たの?」 俺にそう聞いて来る運転手さんは、何が知りたいのかな… こちらを覗いて見る運転手の顔を見ながら、固まってしまう… 「喧嘩して…、あの、バスに乗る直前に、喧嘩して…逃げた北斗を、捕まえてもらったんです。」 星ちゃんがそう言って、俺の頭を叩く。 「全く、迷惑かけて!ごめんなさい。」 星ちゃんはそう言うと、俺の手を掴んでバスを降りた。 頭の中が白くなっていく… 「星ちゃん…」 俺がぼんやりと彼の手を掴んでそう呟くと、星ちゃんが言った。 「良いから、笑ってて。後で話そう。」 顔に嘘の笑顔を張り付けて、星ちゃんが言った。 マイクロバスの運転手が、俺の事を見ながら、誰かに電話を掛けている。 「星ちゃん…」 運転手の目つきが鋭くて、俺はビビッていた… 「大丈夫…笑ってて…陰に移動しよう…」 星ちゃんはそう言うと、みんなに向かって言った。 「北斗が急にトイレって言うから、一緒に付いてくよ。合流時間は?」 歩がこっちを見て言った。 「夕方の6:00!ここで待ち合わせだよ~!」 俺はそのまま星ちゃんに手を繋がれて、運転手の死角に入る。 「何あれ…何であんな事聞くの?ありえない…北斗。これは…危険な予感がするよ?」 星ちゃんは心外にも楽しそうにそう言うと、俺の目を見た。 「良い?絶対まもちゃんさんの家に住んでるなんて…言ったらダメだよ?」 俺は彼の真剣ながらも、楽しそうな目を見て、コクリと深く頷いた。 「歩の親戚は…教会の関係者だから…。この教会周辺は特に気を付けよう…」 まもちゃんはマップを開くと、教会の周りを赤いペンで丸く囲んだ。 「北斗、まもちゃんさんの連絡先知ってる?喧嘩して捕まえてたって…口裏合わせ出来るように…メールでも、電話でもしておいて…?」 マジかよ…初めて送るメッセージがそんなのなんて…嫌だ。 俺は星ちゃんと一緒に写真を撮ると、まもちゃんに送った… 「これの次に送るから…」 そう言って、俺がメールを打ってると、まもちゃんから速攻返事が来た… 「うわ、はやっ!」 星ちゃんが軽く引いてそう言った… “北斗ちゃん可愛い…ハート” メッセージを開いて、すぐに閉じた…。 「北斗ちゃんって…」 乾いた笑いをしながら星ちゃんが言う… さすが、活字慣れしてんだね…瞬間閉じたのに…見えたんだ… 「えっと…マイクロバスの運転手…なんでまもちゃんといたんだと追及アリ…星ちゃんと喧嘩してまもちゃんが保護していた事になりケリ…どこぞに電話した模様…通信終わり…よろしくソウロウ…」 俺はそれをそのまま送信した。 「そんなんで、理解できるの?意味不明だよ?俺に貸して?」 そう言って星ちゃんが俺の携帯を取って、メッセージを打ち直す。 すると、すぐに返信が来た。 “了解奉る…候” 「は?これで伝わったの?ヤバイ…!何この人…」 星ちゃんはそう言って、信じらんない!って顔をして俺に携帯を戻した… そうなんだ…伝わってしまったんだ… 星ちゃんはマップを展開して、俺に見せて話す。 「俺が今日行きたいのは…ここと、ここと、ここと…あと、もう一か所あるんだけど…とりあえず、教会周辺から離れよう…」 俺はそれを見て頷いて答えた… 「北斗がバイオリンを弾くって何で知ってるんだろう…」 星ちゃんはずっとブツブツ言いながら、目的地まで向かう… 確かに、バイオリンも持っていない俺を、どうして分かったんだろう… 「あ、まもちゃんからだ…」 携帯に通信アリ! “当機状況を強制終了し乙を連れてそちらへ向かう_よろしくされたし” 「あ、さっちゃんがまもちゃんとここに来るみたいだ…」 俺はそう言って星ちゃんを見る。 彼はまもちゃんの暗号メールを読みながら笑う。 「北斗と気が合うわけだね…このノリで分かり合えるのは奇跡だ。」 そう言って笑うと、俺の肩を抱いて言った。 「この組み合わせは…奇跡に近いね。北斗。」 そう嬉しそうに笑って言った… 「着いた~!ここだよ?」 星ちゃんはそう言って喜んで、俺の腕をぐいぐい引っ張っていく。 「すみません、体験ろくろコースで、お茶碗二人、お願いします!」 ハキハキと受付のお姉さんに言って、料金を支払って、紙を受け取り、入場を許可される。 「北斗~、何作ろうか!」 お茶碗だろ? 周りのお客さん達は、一心不乱に粘土と格闘して、陶芸してる… あっちは手びねりなんだ… 「北斗!こっち、こっち!」 星ちゃんの弾む声に、俺は彼の方を向いて足早に向かう。 そこにはズラッと並んだろくろ… 今日は、まだお客さんは俺と星ちゃんだけみたいだ… 「お願いします!」 係のお兄さんにそう言って、星ちゃんが受付で受け取った紙を渡す。 「はい。じゃあろくろの前に座って待っててね…」 お兄さんは笑顔でそう言うと、裏に粘土を取りに行った。 「北斗…ワクワクするね…!」 星ちゃんはそう言って、捲らなくても良い半そでを、肩まで捲った… そうか…俺はあんまり…ワクワクしないよ? 乗り気じゃない俺のろくろに、ボトンと粘土が乗る。 「うひゃ…」 隣の星ちゃんのろくろにも同じように粘土が乗る。 「まず、粘土をこねて、柔らかくします。」 お兄さんが、工程の説明を始める… 俺は、まもちゃんからもらったメールが気になっていた… もう一回…見たいな…彼の打った文字を、もう一回見たいな… お兄さんのはじめの言葉と共に、粘土を触り始めたこの手では…携帯はいじれないや…また…あとで、こっそり…見てみよう… 「北斗、見て?ろくろが…回ってるよ?」 星ちゃんはどんどん先を行くんだ… 俺はまだ形を作ってる… 悪戦苦闘する俺の隣で、星ちゃんは既に手に水を付けてろくろを回してる… 「あぁ…星ちゃん…待ってよ、俺まだそこまで行ってないのにぃ…」 俺がやっとろくろを回す頃…星ちゃんはろくろから出来上がった茶碗を外してもらっていた…。 早すぎるだろ! しかも、上手だ… 「北斗は何を作るの?」 満足げな表情で、星ちゃんが俺のろくろを覗いて来る… 「…まだ、考えてない…」 回るろくろの上で、何となく粘土の上部から親指を入れていく… 凄い回転で回るろくろに目を回しそうだ… 何となく、お茶碗ぽくなって来たけど…ちょっと歪だ… 星ちゃんがお茶碗に模様をつけ始める。 俺はそれを見て言った。 「ねぇ…北斗って書いて?」 そのとたんに、俺のろくろの上の粘土が大暴れして吹っ飛んだ! 「あっ!飛んでった!」 俺がそう言うと、係のお兄さんが言う。 「よそ見するから…!ダメダメ。集中して?」 「…んん、は~い。」 俺は、また初めからやり直しだ… ろくろの上に粘土が乗って、何となく円柱にして、ろくろに固定する。 ろくろが回り始めて、手に水を付けて、優しく形を作っていく… そのまま親指でてっぺんに穴をあけていく… あ、これ…マグカップに出来そうだ… それっぽい形になってきた… 集中!集中! 俺は上手にろくろを回せた! 糸で土台から外してもらう。 「お兄ちゃん、これ、何にするの?湯飲み?」 「マグカップにする!」 俺は係のお兄さんにそう言うと、自分の湯飲みの様な物をまじまじと見る。 「星ちゃん、見て?結構プロっぽくない?」 星ちゃんは模様を付けるのに夢中になって、俺の話なんて聞こえていない… 「じゃあ、持ち手を作ろうか?」 係のお兄さんはそう言って、適量の粘土を俺に渡す。 俺はそれを持ち手っぽく成型して、土台のカップに付けた。 「あぁ!星ちゃん、見て見て?」 俺はそう言って手のひらにそれを乗せて星ちゃんに向ける。 彼はそれを見て、笑って言った。 「あ、北斗。上手じゃん…!」 そうなんだ… 我ながら、上手だと思ってる… 「じゃあ、この道具を使って、模様を描いていこうか?あまり強く持つと歪んじゃうから、気を付けて作業してください。」 係のお兄さんに言われて、俺はこのマグカップに模様を付ける。 「何の模様にしようかなぁ…」 俺の好きな模様ってなんだろう…?そもそも、あんまりマグカップって使わないんだよな…。適当にハートとか…お花とか描こうかな…でも、せっかく作ったしなぁ… 俺が考えあぐねていると、星ちゃんが言った。 「まもちゃんさんにあげなよ。」 そうか…まもちゃんに、あげればいいのか。 じゃあ… 「出来た~!」 出来たマグカップをお兄さんに渡して、出来上がりは一か月後だ。 「え~、すぐもらえないんだ…」 俺がそう言うと、係のお兄さんが言った。 「これから乾燥させて、素焼きして、釉薬を付けて本焼きするんだ。だから、色とか、指定があったら言っておいて。あと、取りに来れないなら住所を教えてもらえれば配送することも出来るからね。」 そうなんだ…結構手間がかかるんだな… 隣の星ちゃんは、細かく色の指定をお兄さんにしている。 俺は、自分のマグカップを見て言った。 「ここだけ…赤くしてくれたらいい。他は特に色は付けない…」 それは、小さなハートが一つだけ描いてあるマグカップ…ハートの中に、俺の名前をひらがなで書いた。 それの送り先の住所を彼のお店にして、ほくそ笑んだ… 俺が帰った後、これが届いたら…どう思うのかな… 楽しみだ。 「あ~!出来上がりが楽しみだね!北斗のはどう?上手くできた?」 「うん。できた~」 俺はそう言って星ちゃんの手を握った。 彼は俺に微笑んで手を握り返してくれる。 二人でニコニコ歩いていると、向こうから見た事のある人が近づいて来る。 俺は彼を知ってる。 さっきまで、一緒に極甘にイチャイチャして居たもん。 隣にさっちゃんを連れて、俺の前に来る。 その目は…悪い大人の目だ。 「あら、お猿さんみたいな歩のお友達じゃない。ごきげんよう。こんな所で会うとは思わなかったわ…。ところで、演奏の方はいかが?こんな所で遊んでいて…ちゃんと練習はされてます?」 白々しいよ…さっちゃん。 慌てて来たんだろ?俺にマウント取りに来たんだろ? 俺は得意げなさっちゃんを見ながら哀れな気持ちになった… 俺のまもちゃんと腕を組む姿に、妬かないと自信を思っていた気持ちが揺らぐ… 「こんにちは…練習ですか。自分の領分はきちんとこなしますよ。それでは…」 俺は言葉短めにそう言うと、まもちゃんの事を無視して通り過ぎた。 だって…ムカついたんだ… さっちゃんはムカつくけど、それなりに華奢で可愛い顔の女だ。 素敵なまもちゃんと腕を組んで歩くと…様になるんだ。 それはまるで完璧なカップルなんだ… 「ぴえん…」 俺がそう言うと星ちゃんが言った。 「あの人、さっき北斗に変なメール送ってきた人だよね?振り幅凄いな…めちゃくちゃかっこよくしてきたね。」 そうなんだ。 何でそんなに格好よく服を着こなして、格好良い髪形にしてきたの… 朝のぼさぼさ頭で良いじゃんか… まるで彼女に会う為に頑張ったみたいで、苛ついた。 しかも彼が来ていた服は、今朝俺が“お爺ちゃんみたい~”と言って馬鹿にした服だった…。 分かったよ… まもちゃんが着ると、そんなに格好よくなるんだね…フン! 「知らない…」 俺はそう言うと、星ちゃんの次に行きたいところに向かった。 「さっちゃんさんって…しつこくて…なんか、気持ち悪いね…」 そう言う星ちゃんは俺の方を見て続けて言った。 「あの運転手が掛けていた電話って…彼女に掛けていたのかな?だとしたら、凄い連携だよね…これが血族パワーなのかな…北斗は変な人に目を付けられたみたいだ…気を付けないとね…」 星ちゃんが俺の頭を麦わら帽子越しにポンポン叩く。 「うん…しつこくて…気持ち悪い…」 俺はそう言って、星ちゃんの手を握った… 彼の手は俺を元気づける様に力強く握り返してくれて、俺はそれを心強く感じた… 「北斗!次はここだ!」 星ちゃんがそう言って俺を連れて来たのはトンボ玉作り工房… 「熱いじゃん!ガラス、熱いじゃん!」 嫌がる俺に星ちゃんが言った。 「じゃあ、北斗、ここで待ってて?俺はトンボ玉、作りたいんだ。」 この前、風鈴作ったじゃん… 「じゃあ、お散歩してる…終わったら連絡して…その後、何か食べようよ…」 俺が星ちゃんの両手を掴んで、もじもじして言うと、星ちゃんが言った。 「じゃあ、終わったら連絡するね。遠くに行かないで、良いね?」 俺は頷いて、答えた。 さっき、向こうに展望エリアがあったんだ… 高原って言うくらいなんだ…景色が良いに決まってる。 俺は一人、だだっ広い高原に置かれた、テーマパークの様な場所を散策しながら、展望エリアに向かう。 「北斗、1人なの?」 途中で博に会った。 彼の手には、美味しそうな、高原ソフトクリームが握られていた。 「アイスじゃないじゃん。」 俺はそれを見て彼に言った。 博は笑うと言った。 「ソフトクリーム、作ってる所見たら、こっちの方が食べたくなったんだ。」 ふぅん。浮気者め。 俺だったらアイスって決めたら、アイスを食べるのにな… 後ろから渉が来て、彼の手にもソフトクリームが握られていた… 「お前たちはアイスって言っていたじゃないか!なんでソフトクリームにしたの?」 食って掛かる俺に博が言う。 「馬鹿じゃん!食べたい方食べてるだけなのに、そんなの拘って、やっぱりお前は馬鹿じゃん!」 なんだよ! 俺は不貞腐れた。 そのまま二人と別れて、展望エリアに向かう。 まもちゃんも…俺の事が好きって言ったけど、さっちゃんを見ると、さっちゃんが好きになるのかな…いや、そんな訳無いよ。だって、彼には目的があるんだから… でも、なんだか妬けてしまうんだ。 余りにも…お似合いに見えて… 開けた展望エリアに着くと、風の強さに麦わら帽子が飛びそうになる。 俺はそれを抑えて、手すりの方まで向かう。 眼下に広がる景色に目をやって、遠くの方を見る。 あっちの方には…何があるのかな… 「北斗は…練習の事だけ考えていなさい。」 自分の母親の口癖を真似て自嘲気味に笑う… 「もっと…上手くなりなさい。」 父親の口癖を真似て、自分の手を見る。 お父さん…俺は十分に上手だよ… それが分からないのは、あんたが俺を見ていないからだ… 手すりに両腕を組んでもたれて、顔を横向きにして頭を置く。 後ろ足をユラユラと揺らして、遠くの景色をぼんやりと眺める。 目を瞑ると心地いい風が吹いて、俺の麦わら帽子を飛ばそうとするから、腕とほっぺの間に帽子を挟んだ。 ポケットに入れた携帯が鳴って、体を起こす。 「もしもし~、うん。今?展望エリアに居るよ?うん。わかった~。」 星ちゃんがトンボ玉を作り終わったみたいだ… ここまで来てくれるって言うから、俺はまた手すりにもたれて彼を待った。 こうしてると…まもちゃんが後ろに来てくれそうな気がするんだ… 温かくて大きな体で俺を包んでくれそうな…気がするんだ。 それで言うんだ… 低くて、良く響く声で… 北斗…どうしたのって… 涙が落ちて…自分が彼の傍に居れない事を悲しんでると知った。 「北斗!お待たせ!」 星ちゃんのはつらつとした声に、我に返って後ろを振り返る。 「見て?こんなに綺麗に作れたんだよ?」 星ちゃんの作ったトンボ玉は、緑と茶色の不思議な色のトンボ玉だった。 また配色がハイセンスなんだよ… 「んふふ、綺麗じゃん。」 俺はそう言って彼のトンボ玉を指でつまんで空にかざした。 キラキラしたトンボ玉の中でマーブル模様の緑と茶色が交差している… 趣のある…色をしている。 「よく見ると、本当に綺麗だ…」 俺がそう言うと、星ちゃんは満足げに言った。 「自分でもうまくできたと思ってる。これ、北斗にあげる。バイオリンケースに付けて?」 「本当に?良いの?嬉しい、ありがとう!」 俺はそう言って星ちゃんに抱きついて、手のひらのトンボ玉を見る。 「星ちゃん…さっき渉と博が、高原ソフトクリームを食べていたよ?」 俺はそう言って星ちゃんにアピールする。 「え、アイスって言ってなかった?」 「そうだろ?あの二人は、ソフトクリーム作ってるの見たら、こっちのほうが良くなっちゃった~とか言ってさ、ソフトクリームを食べてるんだよ?酷いよな。アイスって言ったのに…!」 俺はそう言って、星ちゃんの手を引く。 「こっちだよ?こっちで事件は起きたんだ…!」 俺はそう言って、星ちゃんの手をもっと引く。 「星ちゃん!このお店だよ!このお店のソフトクリームが、人の心を惑わすんだ!」 俺は彼らが買っていたアイスのお店の前に来て、そう星ちゃんに言った。 「ふふ、北斗も食べてみる?」 星ちゃんがちょっとニヤけた顔でそう言うから、俺の口元がニヤける。 「…うん、食べてみたい。」 俺は星ちゃんとソフトクリームを買って食べた。 2人で1つのソフトクリームをベンチに腰かけて食べる。 「すぐ溶けちゃう…暑いからだ…」 星ちゃんがそう言ってソフトクリームを舐める。 それが凄く…いやらしく見えて 俺は反対側からソフトクリームを舐める。 「星ちゃん?こうしてペロペロしていたら、間違って、星ちゃんの舌にペロペロしちゃうかもしれないね。もし、間違ってしちゃったら、怒る?」 俺は念の為、彼に確認した。 星ちゃんは俺を見て、渋い目をすると言った。 「間違っちゃったのを責めるわけないさ。本人が一番後悔しているからね。」 「そうだよね?」 俺はそれを聞いて安心した。 星ちゃんがペロッとするタイミングで、すごい勢いでソフトクリームを舐める。 「あ、いけね。間違っちゃった!」 彼の舌と触れて、俺はそう言ってテヘペロする。 星ちゃんの目はまだ笑ってる… 周りの観光客はドン引きしてるけど、俺はそれを何回もした。 星ちゃんの目もだんだん怒り始める… 「んふふ、また間違っちゃった~!」 俺はそう言って、残り少ないソフトクリームを挟んだ、星ちゃんに笑う。 「北斗の間違いって…何回も繰り返すんだね。」 星ちゃんの声が怒った。 「違うよ。気を付けようとすると、意識が行ってどんどんおかしくなるんだ。居るだろ?自転車でフラフラこっちに来ちゃう人。ぶつかるって時に、わざわざこっちに来ちゃう人。あれとよく似た心理なんだよ。」 俺はそう言って、星ちゃんにソフトクリームを差し出す。 「ほら、もう一回舐めて?」 彼は俺を睨みつつソフトクリームを舐める。 俺は彼のおでこに、麦わら帽子のつばが折れるくらい近づいて、一緒にソフトクリームを舐める。 潤んだ瞳で、星ちゃんの怒った目を見つめながら、ペロペロなめる。 「星ちゃん…ソフトクリーム美味しいね…」 堪らなくなって、彼の唇にキスする。 「北斗!」 怒られるけど、ソフトクリームを食べていた彼の唇が冷たくて…甘くて…堪らないんだ。 星ちゃんの唇に舌を添わせて、彼の唇を押し広げて、中に入る。 「あぁ…中も冷たいんだね…」 俺がそう言うと、星ちゃんが俺の頭を引っ叩いた。 衝撃で、麦わら帽子が近くの地面に落ちた。 「んふふ!久しぶりに星ちゃんに叩かれた~!」 俺はそう言って笑うと、地面に落ちた麦わら帽子を座ったまま拾おうと、体を捩った。 知ってる左手が見えて、俺の麦わら帽子を掴むと地面から持ち上げた。 「北斗…こんな所で、刺激が強すぎるよ?」 俺の頭に麦わら帽子を乗せて、まもちゃんがにっこり笑って言った。 後ろから俺の肩に両手を置くと、鎖骨を撫でながらモミモミしてくる。 俺は後ろに立つ彼のお腹にもたれて、彼の顔を見上げた。 「まもちゃん。刺激っていうのは主観が含まれるよ。この程度、俺と星ちゃんの間では、どうって事無いんだ。」 俺はそう言って笑うと、顔を星ちゃんに戻して甘ったるい声で言った。 「星ちゃん、ほらソフトクリーム、もう一回舐めて~?」 「みっともなくて、恥ずかしい子…護!行きましょう!」 さっちゃんが何かに怒って、まもちゃんの腕を掴む。 さっちゃんもいたんだ。影が薄すぎて、気が付かなかったよ…! 「さっちゃんも、まも~るとしてみればいいのに…。楽しいのに。ねぇ?星ちゃん?」 俺はそう言って彼女を煽った。 星ちゃんが怒った目で俺を睨むけど、後ろのまもちゃんはブフッ!て笑った… きっと、まも~るってのが…面白かったんだ。 「護!行きましょう!この子、気持ち悪いから、嫌いなの。ね、行きましょう!」 男同士でしてるから気持ち悪いの? だとしたら、まも~るはもっと気持ち悪いのに… さっちゃんに連れられて、笑顔で彼女に話しかけて、宥めるまもちゃんを目の端で見送る。 何だよ…はたから見たら立派なカップルだよ? 嫌々なんて見えない… 楽しそうな、お似合いの、カップルじゃん。 「北斗、ソフトクリーム、もう要らない。」 星ちゃんがそう言うから、俺は残ったコーンをガブガブ一気に食べた。 「あと、さっちゃんをあんまり煽るなよ。酷い事されたらどうするんだよ。バスの運転手も目つきが怖かったし…良い?もう煽るな。俺と、約束して?」 星ちゃんがそう言って、俺に小指を向けてくる… ダメなんだ…頭に来て、言っちゃうんだもん。 俺はそっと小指を出して…星ちゃんと出来ない約束をした… 針を千本飲む覚悟もしないで、約束を守るつもりも無いのに、指切りした。 まもちゃんの触れた肩が温かくて…ジンジンする。 さっちゃんの目の前で俺がまもちゃんにキスすれば、彼女はどうするのかな… 気持ち悪いって…言うのかな。 「星ちゃん…お腹空いた…」 俺はそう言って、星ちゃんの残り二つの目的地に行く前に、ご飯を食べたいとごねた。 悔しさを食欲に向かわせる! それにはバイキングがうってつけだ! 俺は星ちゃんの手を引いてジンギスカンのバイキングにやって来た。 案内された窓際の席で、頭の中で流れるジンギスカンに合の手を入れる。 「ウー!ハー!」 「北斗…やめろよ…」 星ちゃんが恥ずかしそうに見てる…でも、何人かは俺の頭の中の曲が伝染してるよ? 「ジン、ジン、ジンギスカーン…」 ほら、どこからともなく聴こえてくるじゃん。 俺はラム肉を沢山持ってきて、もやしタワーの上に乗せていく。 「ウー!ハー!」 「北斗!やめろって!」 そしてこのお店の秘伝のたれをかける。 「良い匂いして来たね!」 俺は鼻をスンスンして、もやしタワーの上で、全く火の通っていない肉を目の前に、そう言う。 窓の外で、偶然通りがかった歩と春ちゃんが、俺達を見て指を差して笑う。 何か話しかけてくるけど、よく分からない。 「肉…乗せすぎ…って言ってるよ。」 星ちゃんが教えてくれた。 だから、俺は彼らにジンギスカンを踊ってあげる。 頭の中の音楽に合わせて、キレキレに踊ってあげる。 「北斗!」 星ちゃんが恥ずかしくって怒る。 窓の外の歩と春ちゃんは爆笑して転がる。 後ろからさっちゃんカップルが来るのが見える…。 笑い転げる二人を見て、まもちゃんが俺のジンギスカンの踊りと、巨大なタワーを見て…目を見開いて大爆笑する。 「う~!」 俺は踊りを止めて、火の通っていないお肉タワーを崩す。 「あぁ!北斗!まだ火が通ってないのに!」 星ちゃんが怒る。 「だって、全然火が通らないじゃん。もう良いんだよ。こうして鉄板でジュージューしたら良いんだ!」 俺はそう言って、鉄板の中でぐちゃぐちゃにしてタレを思いきりかけた。 笑い転げる歩に声を掛けると、さっちゃんカップルと一緒にどこかへ行った… 人の食事を覗くなんて…趣味が悪いよ。 全く。 どうせ、またあの女は俺の事を気持ち悪いって言って、まもちゃんを独り占めするんだ…!! 「北斗、まだ食べるの?」 「まだ食べる~!」 星ちゃんは早々にご馳走様した… 俺は、まだまだジンギスカンをする! ラム肉は太らないんだ。 だからバレリーナの焼き肉はラム肉なんだ!! 「もう、絶対食べ過ぎだよ!?」 お店を出ると星ちゃんがブチ切れてる。 「星ちゃん…見て見て~?」 俺は膨れたお腹を彼に見せて笑う。 「赤ちゃんできちゃった!」 そう言ってケラケラ笑って、星ちゃんと腕を組んで歩く。 「星ちゃん…この子の名前、何にしよう…」 隣の星ちゃんにお腹をさすりながら聞くと、彼は俺の顔とお腹を見て言った。 「ジンギス・かんたろう…」 なにそれ!なにそれ! 「ぐははは!ぐははは!それは…それは…!!」 そう言いながら爆笑すると、吐きそうになって、もっとウケた。 かんたろうなんて…女の子だったら、どうするんだよ… 全く、本当に、星ちゃんは面白いんだ。 彼の次の目的地に到着し、一緒に入る。 美術館だ… それはまるで財閥の大奥様のお家の様な建築物… 上品な出窓に、よく整備のされた庭…チョロチョロと音を出す池… ピンクの小ぶりの花が庭の緑にポイントを付けている… 「うわ~、凄い建物。北斗、写真撮って?」 星ちゃんに言われて、俺は“建物と星ちゃん”の写真を撮る。 早速入館料を支払って、中に入ってみる。 入り口を入ると、目の前に両側から上がる、大きな階段が見える。 中央に大きな絵画が飾って有って、まるで貴族の家だ… 「北斗、俺、じっくり見たいから…別行動にしよう?」 星ちゃんに同行を断られた… 俺がさっさと抜けていくタイプだとすると、星ちゃんはじっくり2~3時間、居座るタイプなんだ… 「…良いよ。」 きっと星ちゃんはここで何時間も使うんだ… 俺は、その間…何をしていようか… 美術館の中をトコトコ歩いて、目を惹く作品を見て、またトコトコ歩く… ほら、あっという間に終わった。 二階にも上がってみる。 上からすれ違う人が、貴族に見える… 雰囲気のある階段と、足元の絨毯に、そんな錯覚さえ覚えてしまう。 静かな館内で、弦の鳴る音がして、俺は音の鳴る方へと足を向けた。 鳴らした音じゃなく…引っかけて鳴ってしまった音… どこかな~どこかな~ 探していると、見つけた! 背中を丸めて、誰かが何か作業している様だった… 「オジジ!」 俺がそう呼ぶと、背中を起こしてこちらを振り返った。 まもちゃんのお父さんだ。 俺を見ると、可愛い笑顔になって、俺を手招きする。 だから、俺はロープを跨いで向こうへ行った。 「こんな所で、何してるの?」 俺が聞くと、オジジは古いバイオリンを手に持って見せてくれた… 「これの弦を直した。」 美しい赤茶色のバイオリン… 俺に差し出すから、両手に大事に持った。 だって、こんなガラスケースに収められているバイオリン… きっと歴史のあるものなんだ… 「北斗は神出鬼没だな…今日は何しにここに来たの?」 そう言って、オジジは作業が終わったのか、道具を片付け始める。 「友達と高原に遊びに来たんだよ。一緒に来た子は、下でずっと絵を見てる…」 俺がそう言うと、オジジが言った。 「じゃあ、オジジと遊ぶか…」 そう言って俺からバイオリンを受け取ると、ガラスのケースに戻して、鍵をかけた。 そして、俺のシャツを見て、驚いた顔をして言った。 「これ、護から?」 「あぁ、これ…貸してもらった。」 俺がそう言うと、少し寂しそうな、悲しそうな顔をして言った。 「一緒に働いていた時、あいつが良く着ていたやつだ…」 そうなんだ… くすんだピンクのシャツ… 「まもちゃんも、さっちゃんってやな女と、一緒に今日ここに来てるよ…」 俺がそう言うと、オジジは視線を下げて、吐き捨てる様に言った。 「また、あいつは…そうやって、恥知らずな生き方を…」 その姿が痛々しくて… まるで裏切り者の様に、自分の息子を思う気持ちが、苦しそうで… 俺はオジジの顔を見ながら、言った。 「オジジ、まもちゃんはそんな男じゃない…」 俺の方に少し視線をあててオジジが言った。 「北斗…何か弾いてくれ…」 そう言ってオジジが俺にバイオリンケースを渡す。 いつも持ち歩いているの? そこには誰かの名前が書いてある… 譲(ゆずる)… 直感的に分かった。 これは、まもちゃんのお兄さんのだって… あの時、工房の前で弾いたのも、このバイオリンだった… 「良いよ…何を弾こうか…?」 俺はそう言ってオジジの手を引いた。 二人でロープの外に出て、二階の廊下からベランダに出る。 「オジジの所の松脂は凄く調子がいいけど、粉が良く飛ぶ。」 俺がそう注文を付けると、オジジが笑って言った。 「よく音が出るなら、粉なんて大したこと無いだろう。」 全く! 「ねぇ、オジジ?このバイオリンは誰の物?」 ケースを開いて、バイオリンと弓を取り出しながら、視線をあてずにオジジに聞く。 「それは…息子のだよ。北斗…俺の息子のバイオリンだ。」 ベランダの手すりに肘をついて、俺を見ながらそう言うオジジはちょい悪イケメンオジジだ。かっこいいよ。 「そう…今どこに居るの?」 俺はバイオリンを首に挟んで、視線だけオジジにあてて聞く。 「…死んだ。」 ごめんなさい。 「そうか…それは、ごめんね。言いたくない事を聞いてしまった。」 俺はそう言うと、立ち上がって、オジジに笑顔で聞いた。 「では、何を弾きましょう?」 オジジは上品にする俺に微笑むと、意地悪な目をして言った。 「北斗、ラ・カンパネラを弾いてみろ。」 ふへへ、良いよ。弾いてやるよ。 俺は弓を美しく構えると、オジジの為にラ・カンパネラを弾いた。 超絶技巧…弓を弦の上で跳ねさせたり、左手でピチカートしながら弓で音を抑える。その他の技巧を駆使して、ピアノでも技術のいるこの曲を弾く。 それも、上品に美しく、弾きあげてあげる。 全て、目の前のちょい悪オジジの為に。 俺に、亡くなった息子の事を教えてくれた、オジジに応える様に、俺の持てるものを全て乗せて、この曲を贈ろう。 「アハハハ!凄いぞ!北斗!上手だ!」 曲の途中なのに、そう大きな声で言ってオジジが喜ぶ。 俺はそれを見て微笑むと、もっと上手く弾いてあげるんだ。 褒められると伸びるんだ。特に俺はね。 両親に見てもらえなかった、俺は、そうなんだ。 肘をついて、俺をうっとりと見つめて微笑むオジジが、まもちゃんに見えて…目が奪われてしまう。 それでも俺の手が止まることは無くて、練習によって、叩き込まれた体は勝手に動く。 「まもちゃん…」 オジジを見てそう言って、俺は曲のクライマックスを弾く。 「北斗!ブラボー!!」 曲が終わると、オジジがそう言って俺に拍手する。 俺は極まって、オジジに走り寄ると、抱きついて泣く。 「うわぁん…まもちゃん…」 何故か知らないけど、オジジは俺を抱きしめてくれた… はたから見たら、美少年とオジジが抱き合ってるんだ。 いつの間にか集まったお客たちは、見てはいけないものを見た様子で散っていく。 「北斗、俺は護に似てるか?」 腕の中の俺に、低くて渋い声で聞いて来る… 俺は頷いて言った。 「オジジ…まもちゃんは、オジジが思ってる様な男じゃない…強い男だ。」 そう言う俺の頭を撫でて、オジジは言った。 「こんなにバイオリンが上手なお前が言うんだ…きっとそうなんだろうな。」 俺はオジジの胸からそっと離れると言った。 「オジジ、次は何を弾く?」 俺の前髪を手で分けて、おでこを出すとオジジが言った。 「パラディスのシシリエンヌはいかがですか?」 その少しふざけた言い方が…まもちゃんにそっくりで、俺は思わず笑って、オジジの頬を撫でて言った。 「本当に…そっくりだ。」 そして、体を離すとバイオリンを首に挟んで、弓を美しく構えて、オジジの為にパラディスのシシリエンヌを弾いた。 美しくつながる旋律を絶やさないで繋いで、この曲の持つ美しさに酔いながら、弾きあげる。これは23日も弾く予定の曲なんだ…だから、ここ最近は毎日弾いている… 外で弾くせいか、音の伸びが果てしなくて、そのまま体を持っていかれそうな音に身を任せる。 思いきり伸ばして、丁寧に形を変えて、次に繋いで、優雅にゆったりと、美しく弾く。 曲が終わると、やっぱり俺はオジジに抱きつく。 「オジジ…まもちゃんが…嫌な女と居るんだ…でも、仕方ないんだ…でも、嫌なんだ…耐えられないよ…あの女が大嫌いなんだ!!…なのに、どうして…どうして笑えるの…そんな事…どうして出来るの!?」 俺はいつの間にか、彼らの事情と自分の感情を併せて、吐露するみたいに感情をぶつけて、オジジの胸の中で泣いた。 それは、はたから見たら、イケない情事の様で、いつの間にか集まった観客は申し合せた様に散っていく… 「北斗…護が好きなの?」 驚いてる訳じゃなく、まるで確認する様に、オジジは聞いて来た。 「大好きだよ…全て無くしても良い位…大好きなんだ…」 「そうか…護は、幸せ者だな…」 オジジは俺の頬を持つと上に上げて、俺を見下ろして言った。 「北斗、譲の弾けなかった“ラ・カンパネラ”をあんなに上手に、あいつのバイオリンで弾いてくれて、嬉しかったよ…。ありがとう。」 その目がとても優しくて… 堪えていた思いが込み上げて、彼に助けを求める様に、縋ってしまった… 「オジジ…まもちゃんを……止めて。」 顔を歪ませて、オジジの肩を掴んで懇願する。 彼が、さっちゃんと結婚して、やろうとしてる事を…止めて欲しい。 俺には止められないから… 苦しむ息子を、もう解放してあげて欲しい。 「北斗…護は、やっぱり彼らに復讐しようとしているのか…」 そうだよ…そうだよ… だから、止めてあげてよ… 「ずっと一人なんだ…もう、止めてあげてよ…可哀そうだよ…可哀そうだ…」 俺の目から涙があふれる。 取り入って何かしてやろうと企んで、彼らに近付く彼を見るのも。 さっちゃんを怒らせて、目を付けられた俺が、お兄さんの様に…何かされるんじゃないかと、恐怖に泣く彼を見るのも。 辛いんだ… 「北斗、どこまで知っているか知らないけど…俺には、護は止められないよ。お前だったら止められるんじゃないのか…あいつの一番大事な人だろ。あの家の者と結婚して以来、あいつが俺の所に来ることなんて無かった。そのあいつが、頭を下げて、お前のバイオリンを直せと…あのバイオリンを直せと言って来たんだ。」 そう言ってオジジは俺の頬を撫でて言った。 「そして、捨てたはずのバイオリン職人の技術を使って、自分でお前のバイオリンを直した。俺から見たら、それは奇跡だ。あんなに素直に、お前の言う事を聞くあいつを見て…分かったんだ。お前の事を愛してるんだと。それは俺から見たら…奇跡だ。」 だから…と繋げてオジジが言う。 「護を止められるのはお前しかいない。」 そんな……俺には出来ないよ… 「どうして……自分を殺して、1人で耐えてきた人を、止める事が出来るんだよ…!」 俺はオジジの胸の中で、苦しんで呻くようにそう言うとひたすら泣いた。 もうダメなんだ…まもちゃんはあの女と結婚して、あの女も奥さんと同じように… そうする為に、これまで頑張って耐えて来たんだ。 彼が間違っていても…彼が賭してきた物を否定なんて出来ない。 「北斗…もう忘れなさい。この事は忘れなさい。自分の事としないで、忘れるんだ。」 そう言っておじじは俺の背中を撫でて、俺の体を強く抱きしめた。 忘れる…? 復讐のまもちゃんを忘れたら。 残ったのは…可愛いまもちゃん。 傷ついて、寂しくて、泣き虫のまもちゃん… 「…じゃあ、たまにお店に来てよ。そして彼に会ってよ…約束してよ…」 そう言ってオジジを強く抱きしめる。 居なくなってしまう俺の代わりに、彼の事を守ってあげて欲しい… 「彼と連絡を取って、1人じゃないって、教えてあげてよ。そして、気遣ってあげてよ。」 お願いだ… 寂しがりなんだ…とっても、泣き虫で…弱いんだ。 「分かった…北斗の言う通りにしよう。」 俺はその言葉を聞いて…少しだけ安心した。 そして、オジジの体を離れると、バイオリンを首に挟んで聞く。 「まもちゃんは俺がこの事を知っていると知らない…だから、彼には言わないで。彼が俺に話したら俺はその時、彼を止めよう。…では、最後に…何を弾きましょうか?」 「スラヴ舞曲をお願いできるか。」 すぐにリクエストするオジジは、まもちゃんの様に悲しい顔をしていた。 俺は弓を美しく構えて、スラヴ舞曲を弾く。 流れるような、怪しげな旋律を奏でて、音を響かせて弦を擦る。 オジジの目は、まもちゃんに…本当にそっくりだ。 悲しそうな目が似てる…優しい目も似てる…口元も…そっくりなんだ… 彼が年をとったら、きっと、あなたみたいになる。 それまで…彼が生きていたら…きっと、あなたみたいになる。 仇をとった後にも、もし彼が生きていたら…きっと。 きっと、あなたのようになる。 曲を弾き終えて、バイオリンをケースに戻す。 弓の毛を緩めてケースにしまう。 「バイオリンを…道具を、丁寧に扱えない奴が、触ってはいけない…それは当然の事だ。だから与えられた時にきちんと教えてもらうんだ。」 俺はそう言って、バイオリンのケースを閉じた。 そしてオジジに手渡す。 「俺もあの女に同じことを言った。しかも、今すぐ手放せと言った。だからまもちゃんは心配している。俺も同じようになるのではないかと、心配しているようだ。事実、俺は色々な嫌がらせを受けている。でも、彼が彼女の気を紛らわせているのか…未だに爺の逆鱗には触れていない。しかし、今後、触れる時が来るかもしれない。だから、もし俺がバイオリンが弾けなくなってしまったら…オジジの所で、雑用係で雇ってくれ。」 俺がそう言うと、オジジは大笑いして言った。 「もちろん、雇ってやる。だが、そうなるな…」 そうか…なら、安心だ。 強い風が吹いて…お約束通り、俺の麦わら帽子は、頭から飛んで… ベランダから下に落ちていった… 「あ~あ…」

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