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8月25日(火)_01

8月25日(火) 目が覚めて顔を上げると、彼が昨日の姿勢のまま眠っていた… あまり寝返りをうたないんだ… 星ちゃんはいつも起きると裏返しになって寝てる。 その寝顔が可愛くて…大好きなんだ… ふと、星ちゃんを思い出して、急いで頭の中から彼を追い出す… 一緒に過ごす残りの時間だけでも、俺は彼だけを愛していたいんだ… 寝顔を撫でて、愛おしくキスをする。 そして、バイオリンを持ってテントの外に出る。 「寒っ!」 山の近くのせいか…マイナスイオンが爆発してる。 湿った空気にバイオリンを取り出すのを躊躇して、テントの中に戻した。 そのまま裸足で濡れた草の上を歩く。 足の裏に葉っぱの一つ一つを感じて、弾力を楽しんで、ゆっくり歩く。 「北斗、おはよう…」 そう言ってテントから顔を出す、寝ぼけた顔の彼に抱きついて甘える。 「濡れてる。」 そう言って足の裏を彼に見せる。 「あぁ~あ…もう野生児じゃないんだから。靴を履きなさいよ。」 そう言われて靴を差し出される。 それでも、俺はこの朝露を感じたいんだ。 「いいの、このままで良いの。」 そう言って、まもちゃんから離れると、踊る様に濡れた緑の上を歩く。 彼はそんな俺を見ながら微笑む。 お日様が昇って辺りを明るく照らす。 さっきまで湿っていた緑が乾いて葉をピンと天に伸ばす。 いつの間にか焚かれた焚火にポットが置かれる。 俺は椅子に腰かけて、山を眺める。 「おはよう…いつまでここに居るの?いつ、帰るの?」 そう呟いて、山の上を飛ぶ鳥に視線を移す。 「あれはトンビかタカか、ハゲワシか」 指を差して聞くと、コーヒーを作るまもちゃんが一緒に見上げて言った。 「カラスだよ。」 え?本当? コーヒーの匂いがしてきて、彼がすすって飲む音が聴こえる。 カラスなんだ…カラスってあんなに自由に空を飛べるんだな… 東京のカラスしか知らないから、彼らがあんなに美しく大空を飛んでいる所を見た事が無かった… なんだ、カラスは美しい鳥じゃないか… 俺は視線を地上に戻して、彼のコーヒーを一口貰う。 「にが…」 そう言ってすぐに鉄のマグカップを置いた。 「ふふ…大人の味だからな…」 そう言ってサングラスをかけて俺に微笑むまもちゃん。 おれにはあなたが大人には見えないよ。 日が強くなってきて、麦わら帽子を被った。 「ご飯出来たよ。」 今日の朝ご飯は、買ってきたパンとウインナーと卵焼き。 後、オレンジジュースだ。 片膝を立てて、椅子に深く腰掛けながら朝ご飯を食べていると、まもちゃんが俺の膝をポンと叩いて注意する。 「お行儀が悪いだろ~?」 「ん~。誰に向けての行儀だよ。俺はこうやって食べたいの。」 渋い顔しながら隣に座って、俺の食べるのを見てる。 「これは、マタギの食べ方なんだ!」 俺はそう言ってまもちゃんに教えてあげる。 「よくテレビでやってるでしょ?マタギが、ウサギを獲って来て、捌いて食べるんだ。その時にお行儀なんて要らないだろ?俺はマタギをリスペクトしてるの。だから、こうやって食べるの。」 涼しい顔してそう言ってやると、まもちゃんは食い気味に言う。 「でも、北斗が食べてるのは、ウサギじゃないだろ?そして、北斗はマタギじゃない。だから一緒に食べる人をリスペクトしろよ。お行儀良くして?」 全く!理屈っぽいんだ。 俺は彼の正論に論破されて、渋々膝を下ろした。 にっこり笑って俺の頬にキスすると、まもちゃんは俺の隣で朝食を一緒に食べた。 バイオリンを取り出して、踊りながら弾く。 彼はそれを眺めてのんびりする。 「見て~超絶技巧だよ~!」 俺はそう言いながらバイオリンを上手に弾く。 彼は笑顔になって拍手をくれる。 テントを片づけ始める彼を他所に、俺は山に一曲弾いていた。 「これが好き?それともさっきのが好き?」 聞いても答えない山に話しかける。 スウェットから着替えて、昨日と同じ格好をする。 サングラスをかけて、麦わら帽子を被って、派手なウインドブレーカーに身を包んで、愛のあいさつを弾く。 「お兄ちゃん!結婚して!」 そんな声が聞こえて、視線を移すと、昨日の家族がこちらに向かって歩いて来た。 お父さんの手にはギター。 兄妹は緑の草原を子犬みたいに駆け回ってる。 俺の足に思い切り抱きついて、女の子が言う。 「お兄ちゃん!結婚して!」 もう口癖になってるのかな…すぐにプロポーズしがちな女の子に恐縮する。 「おはよう…今日も元気だね。」 俺は彼女を見下ろして、頭を撫でると微笑みながらそう言った。 「おはようございます。良い音色が聞こえて…来ちゃいました。」 そう言って笑うお父さんの隣… お母さん…! 奥さん…やめてください。その人は俺の夫です。 まもちゃんを見るお母さんの目は、女の目になっていた…ダメ!ダメだよ! 「まぁ…何て素敵な…イケメン…」 そうだろ?彼は俺のだよ?ダメだよ?あんまり近づかないで? 「一曲一緒にお願いできませんか?」 お母さんの動向に気が気じゃない俺に、お父さんがそう言って微笑む。 俺はお父さんに微笑むと言った。 「もちろん、お願いします。何を弾きましょうか?」 お母さんはまもちゃんのファーストコンタクトを取っている…!! ん~、ダメだよ!! 「では、ヴィヴァルディ…四季“冬”バイオリン協奏曲第4番ヘ短調…」 お父さんは俺を見てそう言った… まもちゃんに気を取られていた俺は、固まってお父さんを凝視した。 マジか…面白いね。 俺の今度のコンクールで弾く予定の内の一曲だ… 久しぶりに弾くな… 「んふ、良いでしょう。」 俺はそう言って笑うとバイオリンを首に挟んだ。 そして弓を大きく構えてお父さんを見る。 彼は俺を見て準備が整ったことを知らせる。 そのまま冒頭を合わせて弾き始める。 それは草原に鳴り響く波のようになって広がっていく。 俺は丁寧にダイナミックなヴィヴァルディを弾く… バイオリンの繊細な音を重厚にして、細かく弓を動かして美しい旋律を弾きあげる。 美しいバイオリンの音がより美しく輝いて見えるこの曲で、俺の一番を見せてあげる。 …夏の午前中を冬に変えて…木枯らしの様に…吹き荒れるようなバイオリンを弾きましょう。 理久にも聴かせてあげたかった… 成長した俺の姿を…見せたかった。 目の奥が熱くなるのを堪える様に、固く目を瞑って、曲に集中する。 「ふふ…凄いな…」 お父さんが感嘆の声をあげて俺を見上げる。 俺は目を瞑ったまま、その声を聴く。 今までの曲と違う…熟練させたこの曲をまもちゃんにも聴かせてあげよう… それは嵐のような木枯らしだ。 木の葉を巻き上げて、高く巻き込んで舞い上げて、上空で手を離す。 ユラユラと落ちてくる木の葉が地面に着く前に、もっと遠くへ飛ばしてしまう。 二度と会わないように、冷たく、突き放して、遠くの方へ飛ばしてしまうんだ…。 曲を弾き終わって、目をゆっくり開ける。 弓を静かに離して戻す。 ギターでベースをしてくれたお父さんの顔を見て微笑んで、丁寧にお辞儀する。 「君、凄いね…めちゃめちゃ良かったよ…痺れた。」 お父さんはそう言って俺に拍手をくれた。 「んふふ、ありがとうございます。」 俺はそう言って笑うと、弓を持つ手が震えている事に気付いた。 感情移入しすぎて、極まったみたいだ… 落ち着かせるように軽く手を振る。 「まもちゃ~ん、どうだった?」 俺が尋ねると、彼は笑顔になってとっても沢山の拍手をしてくれた。 お母さんはすっかり俺のバイオリンに夢中になっていて、女の子と一緒に目がハートになっている。 バイオリニストもモテるのか…? 「またどこかで~!」 そんな素敵な言葉を置いて、楽しい一家は帰って行った。 「北斗…さっきの曲、凄く格好良かった…何だろう。今までのと少し違うね。」 「そうなんだ。次のコンクールで弾く予定の曲だからクオリティーが高いんだ。このまま持ち上げて、最高の仕上がりで臨む。」 俺はそう言ってバイオリンと弓をケースにしまうと、まもちゃんに言った。 「あれが今の俺のベストだよ…」 まもちゃんはうっとりしながら俺を見て言った。 「北斗…格好いい…」 まじか!? 「え~、本当?本当に?抱かれたい?」 俺はそう言ってふざけて、まもちゃんの顔を覗き込みながら、抱きついて甘える。 「いや、抱きたい…」 なぁんだよ。それ… まもちゃんはそう言うと、俺に熱いキスをした。 俺の腰を抱いて、離さない様に、離れない様にきつく抱きしめて言う。 「本当に、凄い人だ…」 そうなのか… 俺は頭を彼の胸に埋めると、彼の腰をギュッと強く抱きしめ返した。 「俺の事…好き?」 「大好きだよ…分かるだろ?」 分からないよ。 俺は超が付く鈍感なんだ… 口で言って貰わないと、分からないんだ。 寝袋を畳むのを一緒に手伝う。 意外とコツが要って、1人じゃどうしても袋に収まらなかった… 「ん~!これで3回目なのに!なぁんで入ってかないの?」 そう言って怒る俺を笑って見て、丁度いいタイミングで手伝ってくれる… 大好きだよ…まもちゃん。 昨日、俺のもやもやを一つ晴らしてくれたり…こうやって助けてくれたり…彼は意外と大人だった。ガキっぽいだけで、良い大人だった。 帰りたくない、戻りたくない。 そんな思いとは裏腹に、片づけは着々と進んで、俺達の楽しいキャンプは跡形もなく片付いた… 俺はとても寂しかった。 でも、まもちゃんは清々しそうに言った。 「じゃあ、戻ろうか。」 嫌だよ…まだ戻りたくないよ… 後ろ髪を引かれる俺とは違って彼はとっとと車に乗り込んだ。 俺は北アルプスに丁寧にお辞儀をして、お別れをした… そして彼の助手席に座る。 膝にバイオリンを抱えて、遠くに離れる山を見送る… 彼と別れる時も、こんな感じなのかな。 胸が痛くて、寂しい気持ちしかない。 隣のまもちゃんは俺の顔を見て、首を傾げて言う。 「どうして…そんなに悲しい顔をするの?」 俺はまもちゃんの顔を見て、何て言ったらいいのか分からない。 「…分からない」 そう言って涙を落として、彼の腕に顔をそっと付けた。 温かくて、力強い腕に顔を付けて、守ってもらう。 めそめそ泣いて、感情が揺れる自分を守ってもらう。 信号で車が停まると、まもちゃんは俺の頭を撫でて優しく抱きしめて言う。 「泣かないで…大丈夫だよ。」 何が…? 俺はそのまま彼の膝に頭を落として、泣いた。 まもちゃんはしくしくと泣く俺の髪を撫でながら、車を運転して家路に着く。 こんなに帰る時が辛いなんて…思わなかったんだ。 来る前も、来た時も、こんな風になるなんて思わなかったんだ… ただ…彼と離れる時の恐怖が一気に襲ってきて、体を起こしていられないくらい、悲しくて、怖くて、彼の膝で泣き続けた。 俺が泣いてる理由が分かるみたいに、彼はそっと頭を撫で続けた。 「北斗、お昼は何食べたい?」 そう声を掛けてくる彼の顔を見上げて、ぴえんの鼻の穴を眺める。 そっと手を伸ばして、彼の伸びた髭を撫でる。 ザリッと音がした。 そのまま手をだらんと彼の胸に落として、ズリズリと降ろす。 彼が、脱力して呆ける俺の顔を覗き込む。 そして、優しく微笑んで、俺の髪を撫でる。 俺はそんな彼の笑顔を見て、また離れたくないと…涙を流した。 こんな感情に支配されて…無駄に時間を過ごしたくないよ… もう少し…もう少しこうして過ごして、落ち着いたら笑おう… 何事も無かったみたいに…笑って、彼を笑わせよう… ただ今は…まだ、こうして、呆けて…頭の中を真っ白にしていたい… 何も考えない様に… こうして自分を真っ白にしていたい… まもちゃん…まもちゃんはさっきみたいに…平気で俺から離れられるの… そんな疑問も全て…すべて忘れて…頭を真っ白にした。 「北斗…親父の所に寄って、帰ろうか?」 まもちゃんがそう言うから、俺は彼の膝から体を起こした。 「行きたい。オジジに会いたい。」 俺はそう言って、涙でグシャグシャな顔を拭った。 そしていつまにか高速を降りていた車の窓を開けた。 膝に抱えたバイオリンを撫でて、窓から外を見る。 「凄い高い木がたくさん生えてる~!」 そうそれは背の高い杉林…花粉症じゃなくてよかった… まるでファンタジーの世界の様な幻想的な杉林に囲まれた道… いつのまにこんな山道を入っていたんだろう… 「まもちゃんの家、こんな道通らなかったよ?」 彼に視線をあてずに聞くと、まもちゃんは言った。 「こっちはこの前の道の先だからね。来てないんだよ。もうすぐ着くからね。」 そう言って、俺の太ももをサスサスと撫でた。 リカバリーした俺を褒めてるのかな… そのまま車は見た事のある小道に入って、少し上って、オジジの…まもちゃんの工房に到着する。 俺はバイオリンを持って助手席を降りると、走って工房に入る。 「オジジ~!」 俺がそう呼ぶと、工房の職人が俺を見て笑って言った。 「おっ!北斗!遊びに来たの?」 「んふふ~。そうなんだ。キャンプ帰りだよ~。」 そう言って、椅子に座って我が物顔で寛いでいると、オジジが現れて俺の頭をそっと撫でた。 「まも~るが来るよ?」 俺はそう言って、遅れて入って来たまもちゃんを指さした。 「ふふ…何しに来た。」 そう言ってムスくれた顔のまもちゃんに声を掛けて、オジジはどこかに行った。 「何しに来たって…ちょっと寄っただけじゃないか…」 ブツブツ言って俺の隣に座るから、俺はまもちゃんの体にもたれて、のんびりした。 木の良い匂いがして、職人が木を削る音を聴く。 自分のバイオリンをケースから取り出して、この空気に触れさせる。 「ほら、帰ってきたよ?お前のお家…。」 そうバイオリンを見ながら呟いて、ちょっとまもちゃんを見た。 居心地悪そうに背を伸ばして、落ち着かない様子だ… 「ほい…」 そう言ってオジジが、俺とまもちゃんにお茶を入れてくれた。 俺はバイオリンを彼に渡した。 「帰ってきたよ?褒めてあげて?」 俺がそう言うと、オジジは俺の顔を見てバイオリンを見て言った。 「…お帰り。」 んふふ。 俺はオジジからバイオリンを受け取ると首に挟んで弓を構えた。 そして、静かにゆったりと”私のお父さん“を弾いた。 まもちゃんはこの曲を知らないみたい。 でも、オジジは俺の目の前に座ると、うっとりとした顔で微笑みながら、聴き入った。 ねぇ…まるで、俺のバイオリンが歌っているみたいだろ? 声の様な…繊細な変化を付けて、バイオリンを弾いて歌わせる。 「相変わらず…良い音だ…」 オジジにまた褒めてもらった。 俺の…まもちゃんのバイオリンが…喜んでいるみたいに、よく音を伸ばす。 嬉しいね… 頭を撫でてもらって、満面の笑顔で猫みたいにごろにゃんする。 「うしし。…オジジ、一緒にお昼食べよう?まもちゃんが作ってくれるって。」 「北斗…そんな事言ってない。」 俺はそう言ってごねるまもちゃんを無視して、オジジをランチに誘った。 オジジは嫌な顔をしてまもちゃんを見て、俺を見る。 だから、俺はオジジを見て、うんと可愛くウインクした。 ため息をついて、オジジが首を縦に振って言った。 「後で行くから…」 全く… 「ほ~い!」 俺はそう言って、まもちゃんの手を引いて工房の奥の…オジジの家。 まもちゃんの家に入って行った。 「木の匂いが凄い~!」 木目が美しい室内に、木をくべる本物の暖炉。 茶色と白黒の猫が2匹。 フカフカの丸い絨毯と揺れる椅子。 ひざ掛けと読みかけの本… まもちゃんは嫌々部屋に入って、辺りをこっそり見渡して言った。 「…汚いな、全く。全然片付けて無いじゃないか…」 俺の部屋より綺麗だよ? 「猫、可愛い。ねぇ、まもちゃん。この子たちの名前は?」 俺は揺れる椅子に腰かけて、猫を呼んだ。 「タマとマルだよ…」 そう言って猫の頭を指先で撫でるまもちゃん… 「タマ…マル…おいで~?お兄ちゃんの所においで~?」 そう言って俺が呼ぶと、まもちゃんが正面に来て言った。 「北斗、お昼なんて作らない。もう帰ろう?」 「やだ、まもちゃんは呼んでないもん。来ないで?俺はタマとマルを呼んだの。」 俺はそう言って、ごねるまもちゃんを足で退かす。 そして猫の方を見て一生懸命、優しく呼ぶ。 でも、チラッと見てくるけど…全然近づいて来ないんだ。 飼い主に似てるんだ。 俺の様子に、ため息をついて、まもちゃんがふらふらと室内を散策する。 どうだい?君のいた頃と同じかい? 俺は椅子から立ち上がると、我が物顔でオジジの家の冷蔵庫を開ける。 俺の後ろから、まもちゃんが冷蔵庫の中を覗く。 素直じゃないんだ。 俺がお肉らしきものを手に取ると、まもちゃんがそれを取って言う。 「これと…あの卵と、この野菜を使おうか…」 最初からそうすれば良いのに… この親子はとにかくお互いに素直じゃないんだ。 こうやって誰かが入って、ちょっとお手伝いしないと…素直にならない。 前はお母さんがそうしたのかな… それとも、お兄さんがそうしたのかな… まもちゃんがお料理を手際よく台所で作り始める。 俺はその後姿を見て、誇らしげに言う。 「さすが、まもちゃん!…ご馳走を作ってくれるんだ。」 俺の方を見て、まもちゃんが笑顔になって言う。 「北斗…こら!」 全く…素直じゃないんだ。 俺はまもちゃんにお料理を任せて、徐々に慣れて来たタマとマルを撫でた。 開いた窓から森林浴をする。 「ここは、クーラー要らないね…」 俺はそう言って深呼吸する。 自然の空気が思った以上に涼しい…ここで昼寝したら気持ちよさそうだな… 「北斗…」 そう言ってオジジが部屋に戻って来る。 俺の体を後ろから抱きしめて… これでは、新婚夫婦に悪戯する義父じゃないか! それでも、俺はオジジが好きだから、そのまま抱きつかせる。 だって、この人は彼のお父さんなんだもん。 「ねぇ、猫が懐かないね。」 俺は後ろのオジジにそう言う。 オジジは猫を手で払って追い払う。 「あっ!なんて事するんだ。寝ていたのに…」 俺がそう言うと、うしし。と背中で笑う。 俺とオジジのラブラブな姿を見て、まもちゃんが動揺する。 「な、な、な、何してんだよ…!!」 これは家族愛だ… 大丈夫、オジジの抱擁にはまもちゃんみたいないやらしさなんて無いよ。 「こっちの部屋は何があるの?」 俺は背中にオジジを乗せたまま部屋を散策する。 「こっちは、護の部屋。」 そうか…じゃあ後で本人に案内させよう… 「じゃあ…こっちの部屋は?」 「こっちはオジジの部屋だよ?北斗も入ってみる?」 そう言ってグフグフ言い始めるオジジ… この親子は、ふざけるのベクトルを振り切ってるんだ。 そんな風に煽ると、まもちゃんが怒るぞ…全く 「出来たよ!!」 怒鳴り声の様にそう言って、まもちゃんが俺達を呼ぶ。 俺はオジジと一緒に、まもちゃんの用意してくれたテーブルに向かう。 踊る様に、オジジからくるりと体を翻して離れると、オジジが俺の為に椅子を引いて置く。俺はくるりと回りながらそこに腰かけた。 一連の息の合った様子に、まもちゃんが訝しげに見る。 「北斗…まさか…」 「んな訳無い!」 俺はそう言って、まもちゃんの良からぬ想像を止める。 「わ~!美味しそうだ!ねぇ?オジジ、そう思わない?」 まもちゃんの体にもたれながら、そう言って、オジジに笑う。 「うん…旨そうだ。」 そうだよ。彼は料理も得意なんだ。 少し恥ずかしそうに、まもちゃんが照れて笑う… こうやって少しづつ、仲良くなってよ…俺の為に。 そして、彼の気持ちを繋いで。 馬鹿な事を考えない様に、錨になってよ。 「んふ~!美味しい!これは何のお肉だったんだろう…?」 俺はそう言って首を傾げた。 「鹿?」 まもちゃんがオジジに聞く。 「そう、貰ったんだ…鹿肉。」 鹿肉?凄いな。これは… 俺が膝を立てようとすると、まもちゃんが手で抑えて止めた。 「だって、マタギじゃないか!?鹿肉なんて食べるのはマタギじゃないか!だったら、雰囲気を出して、膝を立てて座るんだい!」 俺がそう言うと、オジジが俺の方をジロリと見て、低い声で言う。 「膝を立てて食べるのか?」 こわい~。 俺はオジジに頷いて、答えた。 シンと静まる室内… まもちゃんは俺が怒られると思ってるみたいだ。 俺は澄ました顔で、オジジとしばらく見つめ合う。 「こんな感じ?」 オジジはそう言って片膝を立てて座る。 「父さん!何でそんなに北斗に甘いんだよ~!甘やかさないで!」 まもちゃんがそう言って逆に怒る。 俺はオジジと笑って、膝を立ててご飯を食べる。 そして、怒ったまもちゃんを見る。 「まも~るもそうすれば良いのに…」 俺がそう言うと、まもちゃんは俺に言う。 「絶対しない!」 ああそうかい~。 美味しい料理を食べて、お腹いっぱいになった。 お皿の片付けを手伝って、オジジと一緒に揺れる椅子に座って膝にマルを抱く。 「なぁんで、そんなにベタベタするんだよ…おかしいだろ?」 まもちゃんがそう言って、俺に手を伸ばす。 俺は伸びてくるまもちゃんの手を取って言った。 「オジジ?この前、凄い仕返ししてやったんだ。ねぇ?まもちゃん教えてあげてよ。」 俺はまもちゃんの顔を見て笑いながら話す。 まもちゃんは顔を固まらせて、俺を見下ろす。 「北斗がまた何か悪い事したのか~?あ~あ…」 そう言ってオジジが俺の背中で本を読み始める。 俺はまもちゃんの顔をじっと見つめる。 のりちゃんにしたように…晋呉さんにしたように…オジジに俺の事…話してよ。 ね? 「…いや。凄い事をしたんだよ…北斗が。誰にも出来ない事をした…。」 俺の目を見つめながら、まもちゃんが俺の話をし始める… 口元が緩んできて、自然にほぐれた笑顔になって、話し始める。 俺の後ろでオジジが大笑いする。 俺の背中を優しく撫でながら、オジジが大笑いする。 彼が笑うと、まもちゃんも笑顔になって、俺も楽しくなった。 「ヤバかったんだよ…?でも、女傑が助けてくれたんだ。」 俺はそう言って、細かく教えてあげる。 「カチューシャはマーチで良かった。ただ、フィガロの結婚は納得できてないんだよね。もっと良いアレンジをしたかった~。でも、最後の雪の進軍は傑作だった!」 俺はそう言うと、オジジは目を丸くして驚いた。 「俺もそれを見たかったよ!」 そう言って微笑む。 見せて上げたかった。俺のパイドパイパー。 「北斗…気を付けろよ。」 帰り際にオジジが俺を心配して言った。 「俺には、まもちゃんが居るから大丈夫。」 俺はそう言ってオジジを抱きしめて、続けて言った。 「それに、もしもの時はオジジが面倒見てくれるんだろ?どっちに転んでも俺は楽しい。」 そう言ってのけてやった。 「護。北斗を頼むぞ。」 そう言って、オジジがまもちゃんと握手するのを見た。 触れるのはいつぶりなの… 「またね~!オジジ!」 俺はそう言って車の窓から手を振る。 俺の大好きな人のお父さん… 彼にそっくりのお父さん… 「北斗はおやじとベタベタし過ぎだ…」 車の中でまもちゃんがそう言って口を尖らせる。 「だって、まもちゃんにそっくりなんだ。たまに分からなくなる。」 俺はそう言って首を傾げて見せる。 「ブフッ!そんな事無い!俺はあんなに年を取ってない!」 「でも、年をとったらああなる確率が高い!それくらい似てるんだ。」 俺は笑いながら彼に話す。 「目つきとか、口元とか、表情とか、手付きとか、匂いとか、全部そっくりなんだ…」 俺がそう言うと、まもちゃんが反応する。 「手付きって…何の手付きだよ…!」 コーヒーを持つ手付きだよ。馬鹿タレが。 「あぁ、お昼ご飯美味しかったね。また行こうね。」 そう言って、彼の返事を聞かないで窓の外を見る。 「…うん」 俺の背中に…小さい声で、彼がそう言った… 俺は嬉しくて、窓の外を眺めてクスクス笑う。 「なぁんで笑うの?!」 そう言ってまもちゃんがいじけるから、教えてあげた。 「リスがジャンプを失敗して木から落ちたんだ。だから笑った。」 俺がそう言うと、彼は俺を見て微笑む。 そうだよ。 オジジの所に戻って、あんな結婚、もう止めなさい。 そうすれば俺は安心して帰れるよ…? 離れるのは悲しいけど、それでも、安心して帰れる。 「本当だよ~?本当にリスが、こうやって…バン!ってぶつかって落ちたんだ。」 そう言って俺は手でリスがぶつかった様子を…想像しながら教えてあげる。 「無い無い…」 そう言って受け付けないまもちゃんに言う。 「本当だよ~?」 ケラケラ笑ってそう言う俺に、釣られるようにまもちゃんが笑う。 楽しい車内に笑い声が溢れて一杯になる。 「帰ったら、湖に行こうよ。」 俺がまもちゃんにそう言うと、まもちゃんは片付けがあるって言う。 仕方ないな…俺も片づけを手伝おう… お店に帰ってきて、車を停めて、まもちゃんが荷物を運ぶのを手伝う。 まもちゃんの部屋のベッドに乗って、彼の働く姿を応援する。 洗濯物を回して、日のあるうちにテントを干す。 ベランダから湖を見て、風を浴びる。 お店の駐車場に知ってる車が入って来るのを見つけて、上から声を掛ける。 「お~い!直生!伊織!俺はど~こだ~?」 俺はそう言って、声を掛けると、ササッと陰に隠れてうしし、と笑った。 「北斗…北斗…瑠唯が…!」 そう言った直生の声色で…俺の表情から笑顔が消える。 咄嗟に目を合わせたまもちゃんも、表情が固まる… 「北斗!待って!一緒に行く!」 俺が走りだすと、まもちゃんがそう言って俺の腕を掴む。 「1人で行くな…」 そう言って俺を抱き寄せると、一緒に2人の方へ向かった。 「北斗…どうしよう…瑠唯が、瑠唯が…」 動揺してオロオロする直生をなだめて話を聞く。 体を撫でても、目を合わせても、彼が落ち着くことは無い。 状況を代わりに伊織が教えてくれた。 「さっき、病院から連絡があった…昏睡だって…」 え? 「つい…この前、話したよ…?」 俺はそう言って、呆然とする。 「とりあえず病院へ行かないか…?」 そう言うまもちゃんの声掛けにより、我に返って、俺はまもちゃんの車で二人の車を追いかけた。 先ほどとは違う静まり返った車内。 何も話さないで、まもちゃんの腕を掴んで飛んでいきそうな胸の動悸を堪えた…。 キャンプから帰ったら、会いに行こうと思っていたんだ… クラシックギターの音色を聴いて…瑠唯さんを思い出していたんだ…。 昏睡? どういうことなの… ホスピスに着いて、直生と伊織が先に入って行く後姿を見る。 俺とまもちゃんも遅れてホスピスへ入る。 看護師さんの案内で、瑠唯さんの病室へ入る。 あぁ…なんて事だ… 初めて入った彼の病室には、壁一面に楽譜が張ってあり、何度も譜読みしたのか…注意書きが所々に書いてあった… ベッド脇のサイドテーブルにチョコンとのった水笛の小鳥… ベッドに眠る瑠唯さんは、呼吸器を付けて、穏やかに眠っているように見えた… 「自発呼吸が無い状態で…呼吸器で延命しています。本人の希望により、連絡を差し上げた方がみられたら、延命を止める様に言われています。」 看護師さんが優しく非情な事を直生に言う。 直生は瑠唯さんの顔を見て、固まって小さく震えている… 俺は瑠唯さんの隣に行って、直生と一緒に彼の顔を見下ろした。 痩せて頬がこけてしまっているけど、綺麗な寝顔にしか見えない。 「まもちゃん…瑠唯さん、寝てるんだよね…?」 とぼけた声で俺がそう言うと、直生が大泣きをして、俺を抱きしめる。 「北斗…どうしよう…どうしよう!!別れたくないんだ…!!居なくならないで欲しいんだ…!!北斗…助けてよ…!!助けて!!」 俺は直生に強く縋られて、体が震えた。 目の前で俺に縋って泣く直生を、ひきつった表情で見下ろす事しか出来なくて… 固まってしまった。 怖かったんだ…彼の激情が。 恐ろしかった… まもちゃんが俺を直生から引き剥がして、自分の腕に抱く。 「この子は子供だ…だから…頼む、縋るな。」 そう言って俺を強く抱きしめる。 震える体の振動が、まもちゃんの体を揺らして、自分に戻ってくる。 瑠唯さんを見下ろして、固まって動かなくなる直生に、看護師さんが決断を迫る… 待って…待って、待ってよ…! 頭の中がぐちゃぐちゃになって…ただ、このままではいけないと思った。 「直生…弾いて」 俺は咄嗟にそう言うと、まもちゃんから離れて、壁に張られた楽譜を引き剥がして直生に渡す。 「弾いて…」 そう言って、直生を力を込めた目で見る。 そして、自分のバイオリンを取りに車に戻る。 涙で前が見えなくなって、震える手で車の鍵が開けられなくなって、まもちゃんが代わりに鍵を開けて、バイオリンを取ってくれた… 急いで瑠唯さんの病室へ戻る。 そして、二つのチェロとバイオリンを眠る彼の前にスタンバイする。 ざっと譜読みして、顔を見合わせて弾く。 彼が最近好きだと気が付いた…”亜麻色の髪の乙女“ それはまるで彼を見送る様に…美しく繊細な旋律… こんなに悲しいのに…こんなに動揺しているのに…弓を持つ手が震えることは無くて…自分の体に染みついた演奏に、弓を持つ手が…自分の物じゃないような気さえしてくる… 直生の嗚咽を聞きながら、俺は凛と美しく立って、瑠唯さんを見送る… 主旋律がぶれたら台無しだから… 「瑠唯さん…瑠唯さん…」 掠れた声で、彼の名前を呼ぶと、涙が頬を伝って流れ落ちていく。 最後の最後まで、美しい姿を見せて…曲を弾き終わる… 直生が泣き崩れて眠る瑠唯さんの体を抱いた。 俺は…ただ彼の背中を見て…泣きじゃくって上下する背中を見て…放心した。 意を決した様に直生が看護師さんに頷く。 看護師さんがそれに応えて、瑠唯さんの呼吸器を外す… 「あぁ!!瑠唯!瑠唯!!」 泣き叫んで瑠唯さんに縋る直生の背中を見る… 他人が見てはいけない気がするほどの慟哭。 まもちゃんが呆然とする俺の体を抱いて、病室を出る… 足がガクガク震えて…力が抜けて、まもちゃんに支えられながら椅子に腰かける。 背中まで震えて、奥歯がガチガチと音を鳴らす… 「まもちゃ…」 そう言って、彼の膝に突っ伏して…放心する。 あぁ…居なくなってしまった…瑠唯さんが、居なくなってしまった… あっという間に…簡単に、亡くなってしまった。 何てことだ…あの優しい人に、もう会えないなんて。 何てことだ…!! 「北斗…大丈夫か…」 まもちゃんの膝で呆ける俺に伊織が声を掛ける。 俺は何も答えられなくて…ただ廊下の縁を見ている… まもちゃんはずっと俺の体を撫でて、意識が飛んで行かない様にしている。 「北斗…ありがとう…最後に、瑠唯が笑った気がした。」 そう言って病室から出て来た直生が俺の頭を撫でる。 嘘だ…笑う訳ない…彼は居なくなってしまったんだ。 もう、二度と会えない場所に… 行ってしまったんだ。 堪えていた感情が爆発する。 涙がどんどん溢れて、声にならない叫び声が、喉の奥を切り裂く。 「うっうう…うわぁああっっ!!うわぁああんんっ!」 あの優しい声も、あの繊細なギターも、力強い愛のあいさつも…もう、もう二度と… 楽しそうな笑い声も、優しい笑顔も、もう二度と、見ることが出来ないんだ…!! 嫌だ…こんなの…嫌だ! 体が感情と一緒にどこかへ飛んで行きそうになる… それを抑える様に、まもちゃんが俺を強く抱きしめて言う。 「北斗…北斗…大丈夫……落ち着いて…」 落ち着いてる…でも、でも…感情がどんどん溢れるんだよ… まもちゃん…怖いよ。怖いんだ…! 「まもちゃぁん!まもちゃぁん!!」 俺はそう言って彼に抱きついて泣き喚く… 止まらないんだ…悲しさよりも、恐怖が…怖くて堪らない。 まもちゃんの家に帰っても、俺の感情がおさまる事は無かった。 夕陽が照らす部屋の中。 ただ俺の泣き声だけが部屋に響いていた… ベッドに腰かけるまもちゃんの膝にしがみ付いてオイオイと泣き続ける。 声が掠れても、出なくなっても、体の奥から湧き出る感情が止められないんだ。 「北斗…大丈夫だよ…」 そう言って俺の体をずっと抱いてくれる彼が…瑠唯さんの様に、居なくなってしまうなんて考えると…俺の体が、頭が、心が…言う事を聞かなくなるんだ。 ひたすら、怖い… 「まもちゃ…やだ、1人にしないで…」 そう掠れた声で言って、彼の腕を強くつかんだ… 涙は枯れたようで…もう目から落ちるのを止めてしまった。 「もし…まもちゃんが死んだら…俺も…死ぬ。」 俺はそう言って彼の目を見て縋った。 まもちゃんは俺を見て、目の奥をグラグラと揺らした。 「だから…だから…死なないで…」 もう二度と会えなくなるなんて…耐えられる訳が無いじゃないか!! 耐えられる訳が無いんだ!! 俺の顔をじっと見つめて、何も答えない彼にだんだんと不安になってくる。 「俺の…バイオリン…ずっと見るって約束しただろ…約束しただろ!」 そう言って彼の胸を叩く。 嫌だ…死ななくても良いのに、死を選ぶなんて…。 俺に会えなくなる事を選ぶなんて…嫌だ 「分かった…分かったよ…」 そう優しく言って、俺の髪を撫でて、宥めようとするなよ… 嘘だ…嘘なんだ… 俺をなだめて、この話を終わらせたそうにする彼の様子に静かに憤る。 その場しのぎの言葉で取り繕って、俺と離れてから死ぬつもりなんだろ… 復讐した後、1人、悲しみに暮れて…死ぬつもりなんだろ…! 俺は体を起こして、彼の顔を正面から見るように顔をゆっくり起こす。 まもちゃんは俺の体を支えながら、顔を起こす俺の顔を覗く。 彼と見つめ合って、堪らなく愛しく思って、口元が緩んで、微笑みかけた。 彼の肩に手を置いて、そっと体を近づけて寄り添う。 そして、俺を見上げる彼を見下ろして、彼の頭を抱きしめて、ゆっくりと言う。 「本当だよ…俺は、護が死んだら生きていけない…分かるだろ?」 まもちゃんの目を覗いて、彼にキスして、肩に項垂れる様に体をもたれさせる。 彼の体に脱力させて自分の体を沈めていく。 それは静かな激情だ… 演奏する時の様に、言葉全てに感情を乗せた… 静かだけど、強くて、心のこもった音色を持った言葉。 俺の気持ちが全て乗ってる… 全身全霊を掛けた…言霊だ。 「…分かったよ…もう、止める。」 まもちゃんがそう言って涙を落として、項垂れる。 俺は彼の体を抱きしめて泣いた。 嘘か本当か分からない不安を抱いたまま、彼にしなだれかかって泣く。 瑠唯さん…瑠唯さん…どうして死ななきゃいけなかったんだよ… 死ななくても良いのに、死を選ぶ人 死にたくないのに、死んでしまう人 どちらも同じだ… 死んだら、もう二度と会えなくなる。 その事実は同じなんだ。 「まもちゃんはどう思うか知らないけど、俺はやる時はやる男だよ?」 彼の背中にしがみ付いて、彼がキャンプの片付けを終えて、休憩する間もずっと言う。 耳が腐るまで、体に沁み込むまで言い続ける。 バイオリンの練習と同じだ。 反復方法を用いて彼に刷り込む。 まもちゃんは俺が言うたびに、うんうん。と適当に相槌を打つ。 「俺はまもちゃんが死んだら、本当に死ぬよ?」 俺が顔を覗き込んでそう言うと、彼は口元を緩めながら答える。 「うん。そうだね。」 彼の頬を包み込んで、自分の方へ向ける。 そして顔を寄せてうっとりと頬ずりしながら俺は言う。 「本当だよ?」 「知ってるよ。」 気持ち良さそうに俺の頬ずりを受けながらまもちゃんがそう言った。 彼の膝の上に、正面から跨って座って、彼を見下ろして言う。 「まもちゃんはオオカミ少年だ。ずっと嘘を付いていたから、本当の事を言ってもどっちが嘘か分からなくなる。俺は本気だよ?」 俺がそう言うと、まもちゃんは顔を少しだけ上げて、上目遣いで言う。 「分かってるよ…」 彼の頬を包んで、自分に向ける。彼の体に体を押し付けて、愛おしそうに顔を見下ろして笑いながら話しかける。 「俺の作ったマグカップが届くんだ…1か月後に。受け取るだろ?」 「俺にくれるの?」 「まもちゃんに作ったんだ…」 「それは…嬉しいね。」 そうだろ… 嬉しそうにそう笑って、俺の胸に顔を埋める彼の頭を抱きしめる。 「だから死ぬなよ…俺はまもちゃんの為なら何でもするよ?まもちゃんは俺の為に何でも出来ないの?」 「出来るさ。」 そう言って、俺の顔を見上げて口を尖らせ始める。 俺はそれが可愛くて、また言った。 「じゃあ死ぬなよ。」 「死なないって言ってんじゃん。」 本当かな…嘘かな… 本格的に口が尖って来る彼が面白くて…俺はしつこく言った。 「まもちゃんは…」 「オオカミ少年なんだろ?何回も聞いたよ。」 不謹慎だけど… 俺の終わらない問答に、段々と苛ついて来る彼が可愛くて…面白くて…彼のほっぺを突きながら更にしつこく聞いた。 「死ぬ?死なない?」 「死なないよ…言ってんだろ?」 そう言って怒り始める彼に、笑いながらまた聞く。 「死なない?死ぬ?」 大きくため息をついて、まもちゃんは、クスクス笑う俺を見上げて言った。 「金持ちになって、北斗のパトロンになろう。そしてお前に金をじゃんじゃん使おう…良いだろ?俺もお前も楽しいじゃないか…ただ、子供は作らない。愛せないから。」 「本当?」 俺は目を輝かせて彼の顔を覗く。 まもちゃんは俺の顔を見て言った。 「本当だよ…」 ハッキリ言ってどっちか分からない。信用も出来ない。 結婚だってする必要も無いけど、まだするつもりな彼に少しだけ不安が残る。 それでも、もう言うのも聞くのも疲れてしまった。 もし死んだら俺も死ねば良い… だから、もう言うのを止めた。 「嬉しい…良かった!」 俺はそう言って、彼の頭を優しく抱きしめる。 グー… 丁度のタイミングで、俺の腹時計が鳴った… 「まもちゃん、お腹空いた…」 「ブフッ!」 まもちゃんが吹き出して笑う。 「北斗…本当に有刺鉄線に電気が走ってるね…」 そう言って、まもちゃんは、俺の胸に顔をスリスリさせて、俺の腰を強く抱きしめてくる。 「痛くて痺れたの?」 俺が彼を見下ろしてそう聞くと、彼は俺の方を見ないで、うっとりと目を瞑って言った。 「そうだ。ぶん殴られて痛いだろ?そして、心を打たれて痺れるんだ。」 ふぅん… 俺はまもちゃんを抱きしめる。 嘘つきの大人を抱きしめる。 「まもちゃん…痛い事してごめんね…愛してるんだ。ごめんね。」 そう言って彼の髪にキスをした。

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