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8月26日(水)_01

8月26日(水) 「瑠唯さん…」 彼の夢を見て…目覚めた。 汗をかいた体がクーラーで冷えていく 胸の動悸がまだ収まらない… 隣にうつ伏せて眠る星ちゃんの顔を覗く。 彼の口元に手を当てて、スッと感じる息を指先で撫でてみる。 この前…俺に沢山、曲を弾いて聴かせてくれたんだよ。 笑って…弓を誉めてくれたんだ。 凄い物を作ったねって… 涙があふれて、自分が大丈夫じゃないと知る。 「うっ…うう…うっ…やだ…いやだ、怖い…」 体が震えて、涙と一緒に感情が溢れてくる… 隣の星ちゃんを起こさない様に、顔を抑えてむせび泣く。 「星ちゃん、俺もう行くね。」 俺はそう言って星ちゃんのベッドから出る。 寝顔が相変わらず可愛くて、少し眺めてみたんだ。 バイオリンのケースを持って、俺は歩の別荘をベランダから出る。 ベランダの階段を降りて、湖の前に立って、彼が来るのを待つ。 瑠唯さんは…もう今日を迎えることが出来ないんだ。 もう直生に会う事も…出来ないんだ。 目からポタリと涙が落ちて、地面に染みた。 「北斗~!」 来た。 俺は涙を拭いて、後ろを振り返って笑って言う。 「まもちゃん、おはよう。昨日はよく寝られた?俺はぐっすり寝たよ?」 そうやって虐めてやるんだ。 俺の体を持ち上げて、抱きしめて、ハフハフする彼に笑って言う。 「夜ご飯の焼きそばが、しょぼい!って言われた!」 俺の話を聞いてまもちゃんが笑う。 「じゃあ、今日はもっと良いのを作ってやろう。」 そして手を繋いで一緒に帰るんだ。 遊歩道を歩いて、縁石に上って、彼とおしゃべりしながら帰るんだ。 「焼きそばがしょぼい訳無いよ。だって美味しかったもん。ひねくれてるんだよ。カップルでひねくれてるんだ。類友って言うじゃん?」 俺がそう分析して言うと、まもちゃんが言う。 「じゃあ、俺と北斗も類友なの?」 彼の言葉に、一瞬固まって、彼の顔を見て、吹き出した。 「俺はこんな頑固者じゃない!」 俺の言葉にまもちゃんが異議を唱える。 「北斗は頑固者だよ?そして刺激的で、セクシーで可愛いと美しいが五分五分なんだ。」 よく分かってるじゃないか! 「ふふん。ん?でも、俺は頑固者じゃないよ~?」 俺がそう言うと、まもちゃんは言った。 「おいで、抱っこさせて…とても、寂しかったんだ。」 全く…寂しがりなんだ… 俺は両手を広げてまもちゃんに抱きついて抱っこしてもらう。 彼の髪に顔を埋めて、彼の熱に安心する。 「まもちゃん…俺も、寂しかった…」 そう言って、彼の顔を見下ろして、キスをする。 あと5日… 俺がそうしたくて午前中だけ、お店を開けてもらうことにした。 寂しいんだ。 彼のお店を手伝えなくなる事が…とても寂しい… まもちゃんと急いで近所のスーパーに買い出しに行く。 俺はカートを押して、彼の入れる材料を眺めてる。 大家族の主婦みたいに、手際よく材料をポンポン入れていく彼は男前だね。 「まもちゃん、チョコ食べたぁい。」 俺がそう言うと、まもちゃんは手をフイフイとやって他人事の様に言う。 「カゴに入れちゃいなさい。」 フフフ、ホント、変な人。 俺は言われた通り、カゴの中にチョコとお菓子を2、3個入れる。 「こんなに沢山要るんだ~?」 お会計を済ませた後の食材の山に驚愕する。お店をやるのも大変なんだ。 まもちゃんが車に食材を乗せるのを、カートを持ちながら眺める。 「よし、良いよ。戻してきて?」 許可が下りたので、俺はカートをガラガラと戻しに行く。 戻ってくると、まもちゃんが携帯で誰かと話してた。 話しの様子から相手がのりちゃんだと分かって、彼が今日、お店に来ることも分かった。 俺が助手席に乗って、まもちゃんが運転席に乗った。 ユサッと車が揺れて、俺は彼の方を見て言った。 「まもちゃん?お店が開くまで、ピアノを弾いてても良い?」 俺がそう聞くと、まもちゃんは嬉しそうに微笑んで俺を見た。 そして、そのまま顔を近づけて伏し目がちになって、俺にチュッとキスをする。 「北斗のピアノ…大好きだ。」 そう言って微笑んで、俺の唇をペロリと舐めた。 「んふふ。嬉しい…」 俺はそう言って、車の窓を開ける。 顔の風を受けながら、一目散に彼のお店まで戻る。 急いで食材を店の厨房に運んで、まもちゃんは手際よく冷蔵庫にしまっていく。 俺はその様子を眺めながら、ピアノに腰かけて、蓋を開く。 そのまま、気ままに弾きたい曲を弾いて楽しむ。 時間も忘れて、弾いてる最中に曲替えしながら、ひたすらピアノを楽しむ。 「北斗ちゃ~ん!!」 あれ? 時計を確認すると、すでに11:00を過ぎていた。 いけね! 俺はピアノの蓋を閉じて、椅子から立ち上がって言う。 「後藤さん、いらっしゃい。今日は何にする?」 そう言って、常連の後藤さんを席に案内して、彼のセクハラ発言を右から左へと流す。この流れもだいぶ板について来た。 「北斗ちゃんのあんよで蹴られたいよ~!」 そう言って身もだえする後藤さん…俺はどう言い返すのが正解なの? 「ハハ…めちゃくちゃ痛いですよ?」 まもちゃんが会話に入ってきて、俺を水やりに行かせる… 最近は、これがルーティンになって来てる気がするよ。 花壇の花に水をあげていると、カシャカシャカシャと連射の音が後ろからして、俺は笑って話しかける。 「のりちゃん?俺は晋呉さんに会ったよ?のりちゃんと同じで良い人だった。」 そう言ってから、後ろを振り返る。 カメラを外して、のりちゃんが俺に笑い掛けて言う。 「北斗…おはよう。」 今日はカメラ以外の荷物があるみたいで、両手の塞がってる様子に、俺はお店のドアを開けてあげた。 「北斗、すごく良い写真が沢山撮れたよ!」 のりちゃんが興奮気味にそう言って、俺に持ってきた荷物を掲げて見せる。 あの中に写真が入ってるのかな… とりあえず、のりちゃんを奥の席に案内する。 まもちゃんとおしゃべりを始めるから、お客さんが多くなってくると迷惑なんだ。 ランチが終わってから来てくれれば良いのに、気が回らないんだ。 だから、彼女が出来ないんだ。 「この店は開いたり閉まったり、予測がつかないな~!」 そんなコメントを言いながら、常連さんが気まぐれに開いてるこの店に集まって来る。 俺は手際よくお客さんを次々に席に案内する。 メニューを渡して、注文を受けて、まもちゃんにお伝えする。 ランチのプレートに付け合わせのサラダとゆで卵、プチトマトを2つ乗せておく。 「北斗~、なんでお店お休みしたんだよ~。」 俺の店じゃないよ…全くさ。 「さぁね、シェフに聞いてよ。今日は何にする?」 不定休の店の常連は、諦めも、受け入れるのも早いんだ。 俺がそう言うと、すぐに注文をくれる。 段々と、俺もお客さんの顔を覚えて来たよ。 そんな中、のりちゃんは俺の写真を撮り続けて、ちょっとしたストーカーみたいになってる。 遠くからだったらまだしも、彼は近接撮影が好きなようで…俺の後ろを付いて回るんだ…。 「あっ、のりちゃん…危ないよ!」 お料理を運ぶ俺にぶつかりそうになりかけて、俺はブチ切れ寸前だ。 彼の腕を掴んで、お客さんから見えないカウンターの前に連れて行く。 「ドキドキ…」 そう言葉に出して、胸に手を当てるのりちゃん。 その様子に、まもちゃんもニヤニヤしながらこっちを見てる。 全く!この大人たちは…!! 「のりちゃん、これからもっと忙しくなるんだ。ウロチョロしたらぶつかるから、案内した席に座って待ってて!」 俺がそう言うと、のりちゃんが足をジタバタさせて言う。 「だって、だってぇ、北斗の傍から離れたくないんだも~ん!!」 「なんだ?」 まもちゃんが料理の手を休めて、カウンターに近づいて来る。 俺の手を掴んで、のりちゃんが体をくねらせる。 「北斗…一緒に居てよぉ~!」 どうしたら良いんだ… この変異した大人を俺はどうすれば良いんだ… 「なんだ、ダメだろ。お触りするな!」 まもちゃんはそう言って、のりちゃんの体をお玉で叩く。 収拾がつかない…!! 俺はのりちゃんの手を掴んで、一番厨房から見える席に移した。 「ステイ!」 そう言ってのりちゃんを椅子に座らせる。 後ろの厨房に視線をやると、まもちゃんがのりちゃんを睨んで見ている。 「ヒェ!」 短く悲鳴を上げて、のりちゃんは大人しくなった。 まもちゃんにのりちゃんを監視してもらいながら、俺は他のお客さんの席をまわった。 ランチの最中、お客さんにしてはビシッとキメた格好の中年男性がやって来た。 「いらっしゃいませ~。何名様ですか?」 俺はにこやかな笑顔で対応する。 「北斗さんという方へ伝言を預かりました。」 なぁに?それ… 俺は固まって男性を見ると、怪訝な顔で言った。 「俺が北斗です…」 男性は俺の顔を見て頷くと、伝言を伝えた。 「北斗君、本日サロンで、お会いしませんか?おばあちゃんより。」 あ…重ちゃんのおばあちゃんだ。 俺はその男性の顔を見て言った。 「僕、お店のお手伝いがあるから…4時なら大丈夫です。」 俺がそう言うと、男性は頷いて、では4時で…と言うと店を出て行った。 あっという間の伝書鳩の彼に、そこはかとない同情を抱きつつ、俺はランチのお客さんを捌いた。 「北斗!北斗!これ、これ見て?」 のりちゃんが忙しいのに懲りずに声を掛けてくる… 「今忙しいの…後にしてよ。」 俺はそう言ってのりちゃんを一蹴する。 しかし、手元の写真をチラッと見ただけで、まんまと食いついてしまった。 「何これ…凄い、俺…めっちゃイケメンじゃん。」 そうだ…あの(仮)CDジャケット撮影で撮影した写真が出来上がったようだ。 落ち着いた色合いの写真は、高級感すら演出して、中に映る俺は、絶世の美少年だ。 「え~、やだ~、すご~い!どうして?どうして?」 すっかり俺はのりちゃんの席に腰かけて、その写真を食い入る様に見始める。 だって、めちゃめちゃ美少年なんだもん。 「こんなの…ダメだよぉ…のりちゃん。大変だよ?こんなかっこよく撮られちゃったら、大変だよ~?」 俺はデレデレしながら写真を眺めて仕事をさぼる。 「これが北斗だよ?お前は美少年だよ~?」 俺のデレに合わせるみたいな口調でのりちゃんが言う。 「ほらぁ、こうやって今見ても、北斗は可愛いよ~?」 やっだ~!もう…やだぁ! 「北斗~、お水ちょうだい~。」 「あ、は~い」 俺はその写真をのりちゃんに返すと、お水を入れたピッチャーを取りに向かう。 途中、のりちゃんの席に座り込んでいた俺の様子を、厨房から見ていたまもちゃんが、何?何?と興味津々に聞いて来た。 俺は顔だけで、凄いの見せてもらった!と言って、お客さんお水を足しに行く。 残されたまもちゃんは、呆然と立ち尽くして、今にものりちゃんの所に行ってしまいそうなくらい心ここにあらず…になってしまった。 凄いな…写真家って被写体をあんなに盛って撮影できるんだ… これは…今度から書類で使う証明写真は、スタジオで撮った方が良いかもしれないな。だって、盛れるんだもん。 俺はすっかり感心して、のりちゃんを見直した。 「ねぇ、他にも見せてよ…」 ランチのお客さんもだいぶ減って、俺はのりちゃんの席に行くとそう言って催促した。 「これは?」 そう言ってのりちゃんが取り出した一枚の写真… それはあの結婚発表会で、俺が踊りながらバイオリンを弾いている写真… 「わぁ…これ…すごく良いね。」 俺はそう言って写真を受け取ると、のりちゃんの席に座り込んでしまう。 何でこんなにイキイキとした写真が撮れるんだろう… このアングル…この表情…千年に一度の子みたいじゃん… これが仕事を受けられるレベルの写真家の実力なのか… 「北斗…北斗…」 厨房から呼ばれて、慌てて料理を受け取りに向かう。 「ね、ね、どうだった?どうだった?」 カウンター越しにまもちゃんがソワソワと聞いて来るから、俺は目を見開いて、凄い!の表情をして、出されたお料理をお客さんへと運んだ。 最後のお客さんへ料理を出し終えると、まもちゃんが厨房から一直線にのりちゃんの席に向かって行く。 「見せて?見せて?」 子供みたいにはしゃいでそう言って、のりちゃんの写真を見せてもらって、笑顔で感嘆の声を上げる。 「うわ~~~!凄い!可愛いじゃないか!」 ありがとう…ただ、格好いいの間違いだろ? のりちゃんのテーブルに沢山の写真が並べられて、どれも俺が被写体で映っている事に、少しだけ…ほんの少しだけ、ストーカー感を感じてしまった… 「こんなに、いつ撮ったの…?」 それは後藤さんに付き合っておしゃべりしてる俺の顔から、結婚式発表会で直生と伊織と談笑する姿まで…多岐にわたって俺を撮影していた。 「俺、のりちゃんの未来の奥さんが可哀想になって来る。こんないつも撮影されたら、ちょっと気持ち悪いもん。」 俺はそう言いながらまもちゃんの膝に座って、写真を眺めた… 「違う。俺は依頼されたから、こんなにしつこく撮ったんだよ?」 依頼ねぇ… そう言ってる最中も、のりちゃんは俺を被写体に、写真を撮る。 「まもちゃん、こんなに俺をコレクションしてどうするの?」 後ろの彼に尋ねる。 「糧にする…」 そうポツリと言って、熱心に写真を見るまもちゃん… やめてよ…そういうの。 悲しくなるじゃん… 「これが俺のお気に入りだよ?」 のりちゃんがそう言って差し出した写真を、視線をあげて一緒に見る。 それは俺が“お爺ちゃん、死なないで”というタイトルで撮影した、まもちゃんとの一枚。 お互い顔を寄せていく瞬間の一枚… 俺が伏し目がちに写って、まもちゃんはあおり気味に写る、その一枚が…とってもロマンティックで素敵だった… 「あぁ…お爺ちゃん死なないで…がこんなに素敵になるなんて…」 まもちゃんはそれを見てそう言うと、固まってしまった… 本物の俺が目の前に居るのに…その写真から目を離さないで、じっと見つめていた。 俺はのりちゃんの顔を見る。 彼はまもちゃんの顔を見る…まもちゃんは写真の俺を見る。 「俺はこれが一番好き。」 そうして、結婚発表会で中世コスプレしながら、バイオリンを弾いて踊る写真を取り上げて俺は言った。 すかさずまもちゃんが、俺の写真を手に取って見る。 「あぁ…可愛い!」 止めろよ!照れるじゃないか! 「こんなに向こうは楽しそうだったんだ…。北斗、可愛い…!俺もこれが好きだ…実にお前らしい…。」 そう言って笑いながら、写真を眺めてる。 俺はまもちゃんの膝から立って、お客さんにお水を注ぎに行く。 すっかり別れた後の事を考えてる彼に、少し安心して、自分の糧を探さなきゃと思った…だって、俺は心の準備さえ出来ていないんだから… それにしてもよく撮れていた。何枚か欲しいな…星ちゃんにも見せてあげたい… 「北斗~」 丁度その時、星ちゃんがお店に現れた。 「星ちゃん!一人なの?」 俺は彼に抱きついて、スリスリして喜んだ。 「どうしていなくなったの?一言、言ってから行ってよ…!」 お怒りの様子だ… 「違う、ちゃんと言った。星ちゃんがぐっすり寝ていたから、聞こえなかったんだよぉ?」 俺はそう言って、星ちゃんを席に案内する。 星ちゃんはまもちゃんとのりちゃんにペコリと会釈した。 「俺が奢ってあげる。何食べる?」 一緒に席に座って俺が聞くと、星ちゃんは視線を落としてメニューを眺めた。 そうだ、星ちゃんは見てから決めるんだよね。 「じゃあ…オムライス。」 ふふ…可愛い! 俺に視線をあげて、星ちゃんが微笑んで言った。 俺は星ちゃんの注文を取って、隣の席のまもちゃんに言いに行く。 「まもちゃん。星ちゃんと俺にオムライス作って?」 「ほ~い…」 そう言って席を立って、まもちゃんは星ちゃんの顔を覗いて声を掛ける。 「星ちゃん、昨日は北斗がお世話になったね。」 星ちゃんはまもちゃんを見上げて笑って返す。 「いえ、いつも北斗がお世話になってるので、構いません。」 まもちゃんの顔が笑顔のまま固まって、動きが一瞬止まる。 俺は最後のお客さんのお会計をしに行く。 のりちゃんが、不思議な固まった笑顔で俺を見つめる。 変顔で笑わせようとしてるの? 本当に…大人げない人しかいないんだな。 「ありがとうございました~。またお願いします~。」 そう言ってお客さんを見送って、お店のドアの看板をクローズドにする。 鍵を閉めて、星ちゃんの席に戻ると、まもちゃんは厨房でオムライスを作り始めていた。 俺は星ちゃんの席に戻ると、彼の隣に座って体に寄り掛かった。 「星ちゃん?俺はね、今日も働いたよ?偉い?ねぇ、偉いだろ?」 そう言って甘える。 星ちゃんは俺の方に視線を落として、優しい笑顔で笑う。 「北斗は頑張り屋さんだからね。頑張り過ぎちゃうんだよ?知ってる?」 「んふふ。なんだか優しいじゃん。どうしたの?星ちゃん、どうしたの~?」 俺は星ちゃんのほっぺをツンツンしながら、彼の胸にしなだれかかって甘えた。 のりちゃんがそんな俺を見ながら、遠い目になって言う。 「北斗は…凄い…今、ギリギリの橋を渡っているね…」 何で?どういうこと? のりちゃんの言葉に星ちゃんが不思議そうに言う。 「ん、俺が来たら…いけなかったかな?」 「そんな事無いよ?まもちゃんのオムライスは美味しいから、一生に一度は食べた方が良いよ?本当に美味しいんだから。俺の大好物に入ったもん。」 俺はそう言って星ちゃんに笑って話す。 星ちゃんは俺を見て笑うと言った。 「俺のチャーハンと、どっちが好き?」 は? だって、まもちゃんは一応プロのコックさんだ。 星ちゃんの作ったチャーハンは美味しいけど、比べる物じゃないだろ? 俺は星ちゃんから体を起こして、彼を見つめる。 「え…分かんないよ…」 そう言って、星ちゃんの笑顔を首を傾げて覗く。 彼の目の奥の方に、何かメラメラと燃えるものを感じて、戸惑う。 昨日から…いや、この前、高原に遊びに行った時から感じていた、彼への違和感。 「変なの…」 俺はそう言って、一回首を傾げると、星ちゃんから視線を外した。 丁度のタイミングで、まもちゃんが星ちゃんの目の前にオムライスを置く。 俺の目の前に置かれたオムライスに、デカデカとソースでハートが描いてある。 「んふふ!何これ。可愛い!見て?星ちゃん、可愛いだろ?こういう事するんだよ、この人…本当、おっかしいんだ。」 俺がそう言ってまもちゃんを見て笑うと、星ちゃんも笑った。 ただ、その目の奥がメラメラと燃えてるんだ… 「…食べちゃえば、同じなのにね。」 そう言って、星ちゃんはオムライスを食べ始めた。 まもちゃんが怯えながら星ちゃんの背中を見てる。 何だ?何が起こってるんだ? 俺は情報が処理しきれないよ… 星ちゃんが食べ始めたから、俺もハートのソースをグチャグチャにして、オムライスにスプーンをさした。 そして、一口すくって大きく食べる。 「ん~~!美味しい!まもちゃん!美味しい!」 俺はそう言ってまもちゃんを見ながら、足をバタバタさせて喜ぶ。 その隣で星ちゃんは黙々とオムライスを食べた。 まもちゃんは俺を見ながら、ひきつった笑顔になる。 「んはは!変な顔しないでよ!おっかしいな~、本当に、馬鹿なんだ!」 そう言って、まもちゃんを見ながら、さらに笑う俺…。 星ちゃんは早々にオムライスを食べ終わると、俺に言った。 「じゃあ、31日は駅で待ち合わせって事で…大丈夫?ちゃんと、来るよね?」 何を心配しているの? 「もちろんだよ。だって、昨日そう話したじゃん…」 俺はそう言って不思議そうに星ちゃんに尋ねる。 「星ちゃん?俺が駅に来れないと思ってるの?大丈夫だよ?だって、まもちゃんが送ってくれるもん。ね?まもちゃん?」 俺は隣の席で写真を見る彼に聞く。 まもちゃんは俺の方を見ると、軽く笑って頷く。 星ちゃんは俺達のやり取りを視線を上げずに、黙って聞いている。 「だから!だから…心配なんだよ!!」 星ちゃんが突然語気を荒くして言った。 俺は驚いて、星ちゃんの顔を凝視する。 その表情は怒っている様な、苦しんでる様な…複雑な表情だ… 「信用できない!お前を連れ去るかもしれないだろ!?その時間に連れて来ないかもしれないだろ?やっぱり無理ですって…返さないかもしれない!俺の所に…お前を戻さないかも知れないじゃないか!!」 「やめてよ!!」 俺は怒った! まもちゃんはそんな事しない。絶対しない! それに、俺は物じゃない…戻すとか、返すとか、言われるのは嫌だ! 「星ちゃん!もういい!何でそんな事を言うんだ!まもちゃんはそんな事しない!それに、俺は物じゃない!誰の物でも無い!返すとか…戻すとか…勝手に言うなよ!俺は彼を愛してる。彼も俺を愛してる。だから俺の困る事なんて…絶対にしないんだ!」 俺はそう言うと、頭に来て店を飛び出し、二階に行った。 星ちゃん、あんまりだ。 まもちゃんはそんな事しないよ。 どうしてそんな事を言うんだよ… あんなに後押ししてくれたじゃないか… 俺が彼に素直になる様に…梯子まで外して、行かせたのは星ちゃんじゃないか… 変だよ… そんな風に、怒るのは…おかしいよ! 二階の部屋。 まもちゃんのベッドで、東京へ戻る切符を眺めながら、うつ伏せて突っ伏している。 階段を上がる音が聴こえて、まもちゃんがやってきた。 そして、ベッドにうつ伏せる俺の体に、覆いかぶさる様にして抱きしめて来る。 俺の肩に、ハフハフしながら、まもちゃんが小さい声で言った。 「北斗…?星ちゃんは、焼きもちを焼いてるんだよ…」 「知らない!」 まもちゃんの優しくて低い声が、俺の鼓膜を揺らして、体に染み渡る。 俺は寝返りして、仰向けになると、両手でまもちゃんに抱きつく。 「まもちゃん…?まもちゃん…?大好きだよ。」 そう言って、彼の首に顔を埋めて、キスをする。 そのまま自分の方に彼を引き落として、彼の体に潰されながら強く抱きしめる。 どうして… 俺を返すとか…戻すとか…言うんだろう。 人の気持ちなんて…そんなに簡単に切り替える事なんて出来ないよ。 俺は、まもちゃんを愛して、彼に愛されて、満たされた。 期間限定で…その感情が、簡単に切り替わる訳、無いじゃないか… 変だよ。 星ちゃんの考え方はおかしいよ…! 俺は物じゃないんだ… 「まもちゃん…星ちゃんがやきもち焼くのはおかしいよ…彼は、俺を、まもちゃんの所に送ったじゃないか…それは、そう言う事だよ?なのに、まるで鵜飼いの様に紐で縛って、自分の方へ戻ってくると思うのは間違いだ!」 俺はそう言って、まもちゃんの顔を覗いて、続けて言う。 「まもちゃんがダメなら伊織に行く、伊織がダメなら直生に行く。直生がダメなら他の男か、女に行く。星ちゃんの所なんかに、もう行かない!!」 俺はそんなに簡単で、馬鹿な男じゃない! そんな風に思われていた事、そんな風に星ちゃんが思っていた事が、無性に腹が立った… 「北斗…星ちゃんは後悔してるんだよ…。俺の所に送った事を…後悔してるんだ。」 まもちゃんがそう言って、俺の顔を見下ろしながら、優しく両手で髪を撫でる。 そんな…諭すように言って、大人の顔なんて見せないでよ…馬鹿のくせに! 「うるさい!俺はまもちゃんが好きなんだ!」 そう言って、まもちゃんの頭に頭突きする。 「~~っ!!」 悶絶して仰向けに寝転がるまもちゃんに、跨って乗る。 「見てよ!この切符!俺はこれで東京に戻るんだ!この日の、この時間に!!大好きな…あなたと離れて…1人、東京に戻るんだ!!分かるか!?今どれだけ辛いか!!分かるかよっ!!」 俺は彼の顔に切符を乗せて、そう言って、大泣きする。 だって、まもちゃんと離れたくないからだ… 「北斗…分かった。分かったよ…」 「分かってない!!何も分かってない!!しかも、俺の愛する人は、俺を置いて死のうとしてたんだ!それがどれだけ悲しいか…分かるか!どれだけ…辛いか…分かるか!!二度と会えなくなるような選択を、しようとしていたんだ!!思いとどまれよ!俺の為に!俺はこんなに辛い気持ちのまま、1人で帰るんだぞ!なのに…逃げるなよ!護!!」 まもちゃんは体を起こして、俺の体を抱きしめて、泣き叫ぶ俺の胸に顔を埋めて強く強く抱きしめて来た。 俺はただ、思いのままに感情を爆発させて、大泣きした。 「そんな…そんな俺に!星太郎の事なんて…グチグチ言うんじゃねーよっ!!俺はお前の事で手一杯なんだ!他の事なんてどうでも良いんだ!!分かったか!馬鹿野郎っ!!」 俺がそう言って叫ぶと、胸元のまもちゃんが大笑いをして言う。 「アハハハ!!分かった…分かった…!もう言わない!もう言わないよ、北斗…」 そんな彼の笑顔をぼんやりと涙越しに見下ろした… もうこの人は死なないって…その時ぼんやり思った… さっちゃんと… 彼女が人に恨まれて、殺されるまで、一緒に居るんだろうと思った… そして、俺のパトロンになって、沢山貢いで、愛し続けてくれるって…思った。 きっと、もう大丈夫だって、思ったんだ。 彼の体に抱きついて、隙間の無い位ぴったりと抱きついて、俺はまもちゃんを独占して、彼の愛情に浸っていた。 「財閥の…おばあちゃんが俺に会いたいって…サロン、ド、プロで…会いたいって…」 俺がポツリと言うと、まもちゃんが吹き出して言う。 「ブフッ!サロンね…」 どうしても…サロンって言うと…ド、プロ…が続いて出て来ちゃうんだ… 「んふふ…ん、そう…そこ。ぶふっ!何でかな…続けて言っちゃうの…ド、プロって…」 俺がそう言って、笑いをこらえて聞くと、まもちゃんが言った… 「きっと…テレビの見過ぎなんだよ…ブフッ!」 え?どうして…? 俺はまもちゃんと体を少し離して、彼の顔を見ながら尋ねた。 「どうしてさ、どうしてテレビの見過ぎで、言っちゃうの?」 俺が聞くと、まもちゃんが俺を見て、笑って言った。 「だって、それ、CMで言ってるやつだろ?」 え… そうだったっけ? 俺は吹き出して笑って、言った。 「嘘だ!違うよ!えっ?本当に?見たことあるの?そのCM?」 「ブフッ!…あるよ?サロンドプロ~ってやってるもん。」 まもちゃんが言ったそのメロディに聞き覚えがあって、俺は指を差して大笑いした。 「だははは!!ヒィ~!ヒィ~!それだ…それだぁ!!」 俺がそう言うと、まもちゃんは首を傾げながら笑って言う。 「ずっと前から…何で、サロンドプロって言うのか…気になってたら…無意識だったの?やばいな。北斗、恥ずかしいよ?それ、他の人にも言ってるの?きっと、それを聞いた人は…あ、この子テレビの見過ぎだなって思ってるよ?」 嫌だ! 「嘘だ…!思わない!」 「いや、優しいから言わないだけで、きっと思ってるよ?」 「違うもん!違うもん!つい、言っちゃっただけだよ?」 そんな下らない話で、さっきの怒涛の感情が消え去って、嵐が去ったあとみたいに、スッキリと快晴になる… 「まもちゃんも一緒に行こう…?おばあちゃんに会わせてあげる…ううん。紹介したいんだ…俺の大切な人って、あの人に紹介したいの。ね?良いでしょ?」 俺がそう言って彼の肩にもたれて言うと、まもちゃんは俺の髪の毛を撫でて、良いよ。と言った…。 嬉しい…俺のまもちゃんを誰かに紹介できる事が…嬉しい。 「なぁんで、そんな恰好するの?Tシャツで十分じゃないか!」 まもちゃんが綺麗な格好に着替えてる。 それはちょっと格好よくて…俺は彼を見上げて、ニヤけながらごねた。 「良いから、シャツだけでも着て?」 俺はそう言われて、仕方なく彼のくすんだピンクのシャツを着た。 それを黒パンにちょっとだけ入れて、ぶっかく着た。 「んふ、可愛い…」 そう言って俺にキスをくれるまもちゃんは…ボタンを開けた青シャツに、ベージュのチノパンを穿いてる。ちょっとヨットとかに乗ってそうだけど、そんなに体力は無さそうに見える…年だからな。 手にバイオリンケースを持って、一緒に車に向かう。 「ねぇ、まも~るの名前の隣に、ほく~との名前を書いてよ。」 バイオリンケースを見ながら、彼の名前の焼き印を触って言った。 「ん~、良いよ。後でやったげる。」 まもちゃんはそう言うと、俺の頭を撫でて、そのまま車をバックさせる。 俺は膝にバイオリンを抱えて、車の窓を開ける。 走り出した車は、俺の顔にガンガンに風をぶつけていく… それが楽しくて、いつもこうして窓を開ける。 歩の別荘の前に星ちゃんが居たのを見つける。 手を振ろうとしたけど、俺はそのまま彼を見送った… 喧嘩した訳じゃない…今は、そんな気分じゃないだけなんだ… 「北斗、帰りにスーパーに寄ろう?食材が全部なくなっちゃったんだ。」 え?あんなに買ったのに? 「本当?凄いね、あんなに沢山あったのに…あっという間になくなっちゃうね…」 本当にそれは驚きの一言だ。 たった数時間お店を開いただけなのに… 飲食店って大変だな。 「ねぇ、まもちゃん?今日の夜ご飯は、何にしようか?」 俺はそう言って、隣のまもちゃんを見て笑う。 「北斗の好きな物を作ろう…そして、しょぼくないやつ。」 んふふ。分かってるね。 「じゃあ…すいとんは?」 「ん~、えっ?すいとん?ん~…」 なんだ、ダメなの?安くて、美味しいのに… 「じゃあ…そうだな~、手巻き寿司!」 「ふふッ!それってほぼ準備するものないよね?」 まもちゃんがそう言って、俺の言う料理を全て全否定する。 「もう!じゃあ、まもちゃんが決めてよ!」 俺はそう言って、頬を膨らませてムスくれた。 膨れた俺のほっぺを、指で押して、ぶ~と音をさせて、まもちゃんが笑う。 「この!この!」 まもちゃんの腕を、ペチペチ叩いてふざけて怒る。 そうこうしてる間に、まもちゃんの車はサロンに着いた。 お豆腐の様な建物… 「北斗?お行儀よくするんだよ?」 そう言うまもちゃんの腕を掴んで、腕時計を見ると3:55。 すごい、ピッタリ良い時間だ。 俺はバイオリンケースを持って、車を降りる。 入り口を入って、さっきの伝書鳩のお仕事をしてくれた男性に会う。 「こんにちは。先ほどはわざわざありがとうございます。」 ちゃんと俺はお礼も言える。 まもちゃんを後ろに従えて、俺は男性に案内されて、サロンの奥に向かう。 それは、重厚なドアの前。 男性がドアをノックする。 中からおばあちゃんの声が聞こえて、男性によって扉が開かれる。 雰囲気の良い部屋の中は、大きな猫足の茶色い丸いテーブルと、椅子が4脚。観葉植物と、外へ出られる大きな窓。そして、おばあちゃんと、理久がいた。 理久を見て、俺は表情が固まった… 「北斗…」 そう呟く彼は、とても悲しそうな顔をしていた… まもちゃんに背中を押されて、部屋の奥まで入る。 そして、財閥の大奥様…重ちゃんのおばあちゃん…女傑の彼女にお辞儀をしてご挨拶をする。 「本日は…お招きいただきまして、ありがとうございます。勝手ではございますが、僕の大切な人を同伴させて頂きました…。お見知りおきを。」 俺は丁寧にそう言った後、にっこり笑って、言い直す。 「おばあちゃん、俺、この人の事が…大好きなんだ。だから連れて来てしまった…良い?」 俺がそう言うと、おばあちゃんはとても嬉しそうに笑って、こう言った。 「ご挨拶をありがとう。わざわざ来てくれて嬉しいわ。…北斗君、あなたはバイオリンでも、重ちゃんの事でも、その他のドキドキする事でも、いつも私を驚かせてくれる素敵な人よ。本当に大好きよ。」 そう言って手を差し出してくるから、俺はその手を取って甲にキスをして笑った。 おばあちゃんはまもちゃんを見ると、嬉しそうに両手を合わせて言った。 「あなたにお会いしたかったのよ?嬉しい!思った通り…なかなかの色男ね!これでは、大変。きっと良からぬ虫が付く事でしょう…いけないわね。」 そうなんだ。良からぬ虫がついて、半分腐ってるんだ。 俺はおばあちゃんに促されて椅子に腰かける。 隣の椅子にまもちゃんが座って、お付きの人が俺達に紅茶を入れてくれた。 「今日はね、少しおしゃべりをしたくて呼んだのよ?理久先生から、あなたの子供の頃の話を聞いたの。とても可愛らしい子供だったのね…ウフフ。」 おばあちゃん!ダメだよ。勝手に聞いたら…何を聞いたの? 「小さい頃、スピーカーに穴をあけて、大層怒られたそうね…うふふ。その後、理久先生に泣きついて、理久先生が代わりにご両親に謝ったって…本当なの?フフフ。」 俺は顔が赤くなって、理久を見る。 理久は俺から視線を逸らしておばあちゃんを見る。 「ダメだ!勝手にそんな事話したらダメだ!」 そう言って怒るけど、おばあちゃんが続けて言う。 「練習がしたくなくて、バイオリンの弦を全てはさみで切っちゃったの?それを理久先生がすべて張り直して、その日のレッスンが終わってしまったって…ウフフ。可愛い。」 俺はおばあちゃんと理久を交互に見て、恥ずかしくて顔を俯く。 だって、まもちゃんまで笑うんだもん… 「小さい頃から、とっても頑張り屋さんだったのね。熱が出ても、レッスンを休まないそうね…苦しく唸りながらバイオリンを弾いて…そのまま倒れたんですってね…先生は病院へ連れて行って、変質者に間違われて通報されたそうよ?ウフフ。」 そんな事もあったな…小3の時だ… 「コンクールが近くて…仕上がっていない曲で挑むのが怖かったんです。」 俺はそう言うと、笑って言った。 「今でも曲を仕上げるまでは恐怖と戦っています。自分には弾けないんじゃないかって…自問自答に苦しんで…泣きながら譜読みをして…泣きながら練習します…」 俺がそう言うと、おばあちゃんは驚いた顔をした。 「まぁ!本当に?」 俺は頷いて答える。 「本当に…」 「北斗は嫌なんです。ストイックに上を目指すんです。孤高です。」 理久がそう言って俺を見る。 俺は理久を冷たい目で返して言う。 「それを知ったうえで、楽譜を多く渡したの?」 彼は俺を見て、笑って頷く。 どういうつもりだよ…俺を怒らせたいの? 「どうしてそんな事したの?」 俺が聞くと彼は無表情で俺を見つめて答える。 「お前が苦しむようにそうした。実際、めちゃくちゃ苦しかっただろ?」 俺は席を立ちあがって理久の方へ詰め寄る。 「北斗君、お待ちなさい!」 おばあちゃんの声が聞こえるけど俺は頭に血が上った! 途中まもちゃんにあっさり止められて、動けなくなる。 「北斗…何故、俺がそうしたか…話させてくれ…」 理久は懇願するような顔になって俺を見つめた。 まもちゃんが俺を膝の上に座らせて言った。 「北斗…先生の話を聞いて…」 どうしてまもちゃんまで…そんな風に言うの? 俺はまもちゃんの顔を睨むようにして見た。 彼の表情からこの行為の意味が知りたかったんだ… まもちゃんは最高に眉毛を引き下げて、口を尖らせた変顔をして、俺を見つめた… 最低だ… 本当に最低で、馬鹿だ。 「…それに真っ当な理由があるなら…聞いて見たいものだ。」 俺はそう言って理久の顔を見た。 彼はホッとした表情で頷くと、俺を見ながら淡々と話し始めた。 「お前と一緒にハンガリー舞曲を弾いた日の事を覚えてるか…。あの後、俺は幸恵さんに話を持ち掛けられた。お前の…進学への投資を検討していると…」 はぁ? 「海外の有名な音楽院や…普通の家庭では行けない様な進学先を提示されて、俺は…お前の為になると思って…その話に喜んで乗った。」 俺は理久の顔を見ながら、まだ状況が理解できないでいた。 おばあちゃんは俺の様子をたまに見ながら、理久の話を聞いている。 「事ある毎に、この話をちらつかされて…いつの間にか対等だった関係が崩れていくのが分かった…。まるで脅されている様な気にさえなって来て…そこへ来て、お前に確信を突くような事を言われて…俺はその度に動揺して、たじろいだ…。」 俺の体を抱きしめるまもちゃんの手が強くなっていくのが分かる… 理久は時折、自嘲する様に笑いながらも淡々と話し続ける。 「お前への馬鹿みたいな嫌がらせも…全部俺が考えた。お前を良い学校へ行かせたかったんだ…その為に、一時の苦痛も仕方なしと思たんだ。すまない…北斗。どんな下らない事でも、彼女の言う事さえ聞いていれば、機嫌さえ損ねなければ…お前が苦労してコンクールで入賞しなくても…良い学校へ入れてあげられると…安易に飛びついた俺が馬鹿だったんだ…。」 それが…理久がさっちゃんに従った理由なの…? 「俺を…良い学校に入れる為に…さっちゃんの言いなりになって、奏者としての誇りを失って、馬鹿みたいに下らないお使いをしてたって事なのか!!」 俺は怒った! 怒って理久に掴みかかると、後ろからまもちゃんが俺を抱き上げて引き離す。 「理久!瑠唯さんが死んだ!彼は直生と愛し合ってた!入院したのは病気のせいだ!お前も同じ楽団に居たそうじゃないか!お前…知ってたんだろ?彼の病気の事!同じバイオリンパートだったんだろ?お前は俺に嘘を教えたじゃないか!そんな奴の話なんて、信じると思ってるのか!!」 俺はそう怒鳴って、理久に言葉を浴びせる。 彼は瑠唯さんの話を聞くと、愕然とした表情になって目を歪ませて泣いた。 「瑠唯…瑠唯……!」 両手で顔を抑えて、小さく震えて泣く理久は…悲痛な顔をして俺に言った。 「瑠唯は…直生と愛し合っていた…。その前は俺と…俺と付き合っていたんだ。」 嫉妬…なのか…? まもちゃんは俺を椅子に座らせると、その後ろに立って俺の肩に手を置いた。 たまにポンポンと叩いては、自分がここに居ると合図を送って来る… 「瑠唯の笑顔が…どことなくお前に似ていて…だから愛した。でも、よく言われたんだ…理久が好きなのは…僕じゃないって。そうこうしているうちに、瑠唯は直生に見初められて…あっという間に別れを告げられて…目の前で、お前に似た瑠唯が、直生と一緒の所を見て…自分勝手に嫉妬したんだ。」 理久は俺を見て、自嘲気味に笑うと、込み上げてくる感情に揺さぶられるように、両手で顔を覆って泣いた。 瑠唯さん…理久と付き合ってたんだ… 彼が俺に似てる…?だとしたら、俺は相当な美人だ… 理久は顔を上げて、俺の目を見つめて話の続きを話す。 「お前と…直生と伊織が居る所を見て…強い嫉妬心が沸き起こったんだ。お前は俺の愛する人だから…とうとう、その人までも取られたと思って…悔しかったんだ…。だから、下らない噂を…お前に教えた。昔の様に…俺の元に戻ってほしかった…。だけど、やればやる程、お前は俺から遠く離れて行った…!」 まもちゃんが俺の肩をギュッと掴んだ…。 まるで懺悔でもする様に、理久は全てを打ち明けていく。 理久が…前の理久に戻ったように感じて、俺は彼の話をうがった見方せずに聞いた。 「北斗…あの結婚発表会の時、お前にさようなら…と言われて…お前を失ったと知って…俺はもう止めたんだ。彼女の話を聞くことも、お前への投資話に乗る事も。そして、彼女のバイオリンの教師も辞めた。愛する人を…失いたくないんだ。俺の全てを教える。だから…どうか、俺を許してくれ…。」 そう言うと、理久は俺の足元に突っ伏して土下座した。 「北斗…許してくれ…俺を許してくれ!」 俺はすぐに椅子から立ち上がって、理久の目の前に正座して座った。 そのまま彼の顔を持ち上げて自分の方へ向かせる。 歪んだ目で俺を見つめる理久の目を見て、尋ねた… ずっと…ずっと、気になっていた事。 「理久…なぜ…突然居なくなったんだ…。それが、まだ、納得できない…」 両目からポロポロと涙があふれて落ちる。 大好きだったんだ… ある日突然、彼がレッスンに来なくなって…俺の目の前は真っ暗になった。 喪失感…悲壮感…耐えられない孤独を味わった。 納得なんて出来る訳もなくて、毎日、毎日泣いた… 彼のレッスンに慣れていた俺は、新しいバイオリン教師をなかなか受け入れることが出来なかった… 彼じゃないと… 彼じゃないと嫌だ… そう言ってごねる俺を…母さんが水に沈めたんだ。 どうしてレッスンに来なくなったのか。 なぜ、何も言わないで…俺の前から居なくなったのか…聞きたかった。 あんなに…あんなに大好きだったのに… 何も言わないで居なくなるなんて…納得できる訳無いんだ。 ポロポロ涙を流す俺の涙を拭きながら、理久が笑って言った。 「まだ、小学生だったお前に…結婚を申し込んだからだ。」 え? 「ご両親がそれを知って、俺をクビにした。ふふ…さすがに、小学生相手に…ふふっ、まずいよな…」 理久はそう言って笑うと、俺の方を見て悲しそうに言った。 「ずっと、お前だけを愛してるんだ…」 何てことだ… 理久との思い出を辿ると、確かに思い当たる記憶がある。 けど、全て冗談だと思っていたんだ。 小学生の俺にはそれをまともに受け取る様な情緒も無く、理解さえしていなかった。 「あの時の…あれは、本気だったのか…」 俺はそう言って理久の顔を見て大笑いする。 バイオリンを反復練習していた時、突然理久が俺の目の前に膝まづいて、指輪のケースを開いた状態で差し出して来たんだ。 呆気にとられながら、バイオリンを弾いていたら、指輪に…当時流行っていたアニメのシールが付いていて…俺はバイオリンを止めて、その指輪を手に取って…シールだけ剥がして指輪を元に戻したんだった! 何てことだ…!! 「理久…そうだったのか!」 俺はそう言って笑うと、スッキリした顔で理久を抱きしめて、許した。 そしてまもちゃんにポロポロ涙を落として笑って言った。 「まもちゃん…理久は…理久だった!俺の理久だった!」 俺に泣きながら抱きついて、理久がスリスリしてくる。 俺はそれを正面から受けて、理久を思いきり抱き締めた。 それをまもちゃんが引きつった笑顔で見てる。 「良かった…俺はてっきり、理久が俺の事を楽しんで虐めてるんだと思ったんだ…。良かった…理久の事を悪くなんて思いたくなかったんだよ?苦しかったんだよ?だって、理久は…俺の理久じゃないか…そうだろ?俺の嫌な事なんてしないで…もう。二度としないで…。」 そう言って彼の頬に頬ずりすると、肩に項垂れて甘える。 子供の頃、そうした様に、彼の体に脱力して甘える。 「もういなくならないで…突然、いなくならないで…!悲しかったんだ…苦しかった!目の前が真っ暗になって、死んでしまう所だった…。理久が大切なんだ…もう、もう突然いなくならないでくれ…!」 彼の襟足の髪が俺の頬を掠めて、こしょぐったいのまで当時のまま変わらない理久が、俺を抱きしめて、何度も頷いて謝った。 理久…大好きだよ。俺も…お前の事を愛してる。 昔から、ずっと愛してる。 俺は立ち上がって、この場を設けた主催者…女傑に深々と頭を下げて、礼を言う。 星ちゃんが昨日言っていた話を思い出したんだ。 おばあちゃんが理久を連れて結婚報告パーティーを抜け出した話。 理久から事情を聞いて、俺と話す機会を、彼女が作ってくれたんだ。 「おばあちゃん、ありがとう。理久を…理久を嫌いにならなくて済んだ…!おれは彼が大事なんだ…俺の事を育ててくれた、彼が大事なんだ。」 俺がポロポロと涙を落としてそう言うと、おばあちゃんは目を潤ませて笑って言った。 「北斗君のお役に立てて…良かったわ。」 役に立つどころか…あなたは俺を何度も助けてくれた。 「このご恩は一生忘れません。」 俺はそう言って、彼女にもう一度丁寧にお辞儀をした。 彼女は俺のお辞儀に応える様に、頭を下げて俺に微笑んだ。 「それでは…俺はここで失礼します。北斗…またね。」 理久はそう言うと、深々とお辞儀をして一足先に部屋を出て行った… 俺とまもちゃんは、おばあちゃんの前の席に座り直して、紅茶を飲んだ。 彼女は突然にっこり微笑んで、隣に座るまもちゃんに言った。 「ウフフ…ごめんなさいね。私、婚約者さんのお家の財政状況を調べてしまいましたの…。今、主要の収入となってる家電の部品工場は…新しい家電の登場によって、もうすぐ負の遺産となりそうですね。ずいぶん大きく広げてしまって…畳むのも大変なんじゃないかしら…?ウフフ…」 突然のさっちゃん家の破産予告 まもちゃんは唖然とした表情で、おばあちゃんの顔を見つめて固まってる。 「まもちゃんの嫁ぎ先は…貧乏になっちゃうの?それは困るよ。俺のパトロンになってもらうのに…それは困る!」 俺は笑いをこらえながら言った。 「そ、それは…本当ですか?」 まもちゃんがたじろいでおばあちゃんに聞いてる。 彼は何も知らなかったみたいだ… 「ええ、調べさせました。今年は乗り切れても…来年、再来年は…ウフフ。」 おばあちゃんはそう言って、口元に手を当ててウフウフ笑ってる… これが女傑! あのパーティーで作戦を練ってる時もウフウフ言って一番強い案を出して来るんだ。 男なんてビビッて話にならない所を蝶のように舞って蜂のように刺すんだ。 惚れちゃうよ。 「まもちゃん、どうするの?貧乏になったら、俺にお金をじゃんじゃん使えないじゃん。じゃあ、さっちゃんと結婚する必要もないね…止めちゃいなよ。損するだけだよ?」 俺はそう言ってまもちゃんの膝に寝転がった。 「そろそろ…みんな、蜘蛛の子を散らしたように逃げて行くんじゃないかしら…共倒れしたくないでしょうし…婚約者さんのお家は敵を作りすぎたから…助けても貰えないでしょう。私が止めますし…ウフフ!」 おばあちゃんはやる気だ。さっちゃんの家を潰しにかかってる。 関わるとろくな事にならないさっちゃんの家を追放する気だ… うふふ! 俺はまもちゃんのぴえんを眺めながら思った…。 俺の思った通りだ。 誰が手を出さずとも…驕れるものは衰退していくんだ… 「まもちゃん…諸行無常だよ…」 俺はそう言って彼の膝をポンポン叩いた。

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