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第19話

その晩、翔琉が帰宅したのは日付が変わる直前だった。 「ただいま――と、めずらしく今日はこんな時間まで起きてたのか? まさか、今朝の続きをする為に待っててくれたのか?」 クスリと翔琉は笑うと、出掛けに羽織っていた黒のクルーネックの皮ジャケットを脱ぐ。 リビングのソファで独り体育座りをしていた俺は、ちらりと視線だけを翔琉へ向けた。 「何だ、また調子が……悪くなったのか?」 ソファの背へ二つに折り畳んだジャケットを置くと、そのまま背後から俺の頭をそっと優しく撫でる。 「そんなんじゃ、ないです」 ウソだ。 たった今までそれは嘘だったが、翔琉が俺に触れた瞬間、それはすっと凪ぐ。 翔琉は俺の隣りへ腰掛けた。 ふわりと嗅ぎなれたムスクの香りが俺の鼻腔いっぱいに拡がり、不思議と身体が軽くなる。 朝と同じだ。 翔琉が傍にいると、翔琉の匂いを嗅ぐと、調子悪いのが嘘のように和らいでいく。 「ほら――」 そう言って、俺からチュウと翔琉へ唇を重ねる。 「何だ、やはりソレ待ちだったのか?」 キスを終えたところで、ご馳走様と言いながら上機嫌に翔琉は言う。 「だったら、シャワー浴びてから続きを」 朝、仕事で出て行った後のことを何も知らない翔琉は、そう言って立ち上がろうとした。 「待って下さい!」 咄嗟に俺は、その手を引き留める。 一瞬、翔琉は驚いた顔をして見せた。 「あ、の!」 昼間のこと、翔琉に言わないと。 ずっとその為に、起きていたのだから。 だから今、言わないと。 タイミングを逃すことになってしまう。 あれから今日、翔琉がいなくなってから、俺はまた、バイト先で調子を崩してしまったこと。 キッチンへ入ったら、余計に調子が悪くなり、慌ててトイレへ駆け込んでしまったこと。 副店長からその時、もしかして妊娠――しているのでないかと言われたこと。 そして早退した帰りに、ドラッグストアへ寄ったこと。 それから帰宅して――。 俺は、翔琉の顔をじっと見上げた。 「あ、何だ? まさか、待てないのか?」 今夜はヤケに積極的だな、などと直ぐさま翔琉は嬉しそうに笑う。 思わず俺は、顔を強ばらせる。 今から言おうとしていること、もし翔琉へ告げたら、この男はどんな顔をして見せるのか。 急に、怖くなってしまったからだ。 でも、言うならば今しかない。 そう俺は、思った。 勇気を出せよ、俺。 思えば、いつだって翔琉は俺に対して、悪く言ったことはないはずだ。 良くも悪くも、きっと全て受け止めてくれる……はず。 キュッと拳を握った俺は、震える唇を気が付かれないように、力を込めて口を開いた。 最愛の人を信じて。

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