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第6話 犬、王子に懐く(1)

 それから部室で斑目と逢う機会が増えた。  いつ行ってもいて、いない時は少し待っていると斑目が現れる。耳の垂れた大型犬みたいな顔をして、付かず離れず伊緒に付き従う斑目を、次第に空気と錯覚するようになったほどだ。  その日、スマートフォンで何やら熱心に文章を打ち込んでいる斑目が、不意に顔を上げた。 「先輩、何読んでるんですか?」 「ん? ん」  声をかけられて集中力が途切れるのが面白くなくて、ぞんざいな返事を返しても、斑目は許してくれた。 「西部……誰、ですか? ずいぶんシンプルな装丁の本ですね。小説?」 「自伝みたいなもんだ。死んだ人間の」 「へえ」  話しかけてくるのはいつものことだったが、話が続かずに気まずい沈黙が訪れるのも、またいつものことだった。斑目がいると、周囲の空気が変わる。それが伊緒には心地いい。無理矢理に間を詰めてくるかと思えば、そっと寄り添ってくれるところは、まるで本物の犬だった。 「あ、先輩の批評、良かったって評判ですよ」 「批評? ああ……」  文芸サークル「新創作研究会」の部室を使うためには、四半期ごとに発行される季刊誌に作品が載るのが一番、手っ取り早い。そのために日々研鑽を続ける者だけが、「新創作研究会」には集っている。そして、部誌「新創界」への掲載は、批評会と呼ばれる会議において部員全員の批評を元にふるいにかけられた上位作品が、編集会議を経て選ばれることになっていた。その批評会での批評のことを斑目は言っている。 「みんな的確で有り難いって。先輩の批評を元に手直しした作品を、部誌に載せるのを止めて、出版社に送るって言う人も」  伊緒は昔から、物事を系統立てて分析するのが得意だった。それが緊急避難的に入った「新創作研究会」でも役に立っている自覚はある。しかし、斑目が入部して四半期が過ぎ、夏季休暇まで秒読みの時期に、斑目がいつの間に周囲と打ち解けたのか、雰囲気に敏い伊緒にもわからなかった。  愛嬌があって、人懐こい斑目だ。大方、伊緒のいないところでも犬っぽい癖を出して、可愛がられているのかもしれない、と思うと、胸の奥がチクリと疼いた。 「そういえば、批評会、楽しみにしてたのに、俺の批評には「ラノベ」って大きく書いてあるだけでした。今回は掲載を見送る方向で、って編集委員の人にも言われちゃって」  そう言って笑える、斑目の強さが眩しい。夏の日差しみたいな男らしさを秘めた手で、下手な小説を堂々と書く斑目が、伊緒は羨ましかった。 「人のふんどしで相撲を取る俺より、お前の方が百倍マシだよ」  自嘲と憧憬のないまぜになった声になってしまったことに恥ずかしさを感じながら、伊緒は斑目を尊敬するようになっていた。しなやかな若芽のように、どこまでも高く伸びてゆく可能性は、伊緒にはないものだ。

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