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第9話 犬、王子と恋をする(2)
伊緒の批評のせいで、斑目は過大評価され、「新創作研究会」の中でそれなりの居場所を獲得していったらしかった。OBたちは首を捻っていたが、伊緒は自分のしたことを後悔しなかった。想いの丈を告白する代わりに、あの批評会の小さな用紙に刻み込むように書き付けた記憶が蘇ってくる。自覚した途端、伊緒は薄汚れた自分を見透かされそうで、恥ずかしくて斑目の前に立てなくなった。斑目に、自分の想いを悟られたくなかった。斑目の視界に入るのが、怖くなった。だから逃げ回った。
でも、それももう、昔のことだ。
燃料をくべなければ、残り火が燃え上がることはない。
「お前、物好きだよな。何年も前のことを覚えてるなんて」
「先輩にはどうでもいいことかもしれませんが、俺には違うんです。それに、まだ五年前です。俺には、過去じゃありません」
「五年も前のことなんて、忘れるだろ、普通」
「俺は覚えてます」
斑目の視線とぶつかった時、パチリと熾火が跳ねた気がした。
その熱い視線に、伊緒は身震いした。全力で暴かれ、裸にされ、灼かれるような錯覚に陥る。これ以上、近づいたら駄目だと、理性が警鐘を鳴らしていた。せっかく心の奥底に押し込めた想いが、斑目の箸の使い方などを見ているうちに、溢れ出す。
「──お前、大事に育てられたんだろうな」
「はい?」
「食い方がきれいな奴は、愛されたんだと見てわかる」
「はあ……」
五年も前を今だと言い切る斑目に、過去だと切り返せない伊緒は傷つけられた気がした。一方で、あの過去と斑目との記憶がごっちゃに混ざり、それでも確かに斑目の存在に、救われていることを伊緒は自覚する。
「……ここだけの話、ですけど。課長に先輩と顔見知りだって言ったら、下に付いてみるかって言われて、「はい」って言ったんです」
「そんないい加減な理由で俺の下についたのか?」
「はい」
こいつの愛嬌は何気に仕事し過ぎだろ、と半ば呆れ気味に伊緒が杯を煽ると、斑目もそれに倣った。約束の時間は迫っていたが、席を立つだけの理由を考えられなくなっていく。
「……河岸を変えるか」
忘れるはずの邂逅を引き伸ばしたのが伊緒自身だと気づく頃には、二人とも強かに酔っていた。
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