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第11話 犬、王子に誘われる(2)

「俺が今日、先輩を誘ったのは、そいつらに対する宣戦布告をしたかったからです。先輩は断じてそんな人じゃないし、いいところだっていっぱいあるのに」 「大袈裟なんだよ。他人が何をどう言ったかは知らないが、証拠がなけりゃ、ただの噂の域を出ない。俺は何ひとつ自分の性志向について言及した覚えはないし、会社の人間とは寝てない。だからどうしてそんな噂が広まったのか、知らないし、知りたくもないな」 「伊緒先輩……」 「そんな顔すんな。犬みたいだな、お前」 「ワンって鳴きますか」 「餌やるよ」  犬だと思っている相手に面と向かって犬と言ってしまう自分を、伊緒はかなり酔っ払っているなと思った。だが、お互い様だし、きっと斑目なら酔狂の戯言だと許してくれるだろう。試しにポテトチップスを目の前にぶら下げると、ガブリと咀嚼される。斑目のきれいな歯並びと犬歯の鋭さが、間近に見えてテンションが上がった。拳二個ほど上にある頭髪を、クシャクシャにかき回してみたい衝動に駆られる。 「何でお前が怒るのか、理解に苦しむな」  言いながら、他人事に真剣に怒っている斑目を見るのが楽しかった。自分を突き放して見ることの多い伊緒からすれば、斑目みたいな人間は不思議な生き物に見える。伊緒のことに腹を立てる斑目に、嬉しさを感じ、心に火が灯るのがわかった。  斑目はポテチを咀嚼すると、沈黙した唇の間から、呻くように声を発した。 「──好きだからです、先輩」  ポテチを食べたその口で、言う。 「誰が?」 「……俺がです」 「誰を?」  伊緒が追い詰めるように問うと、斑目は顔を赤らめた。 「その人は、鈍くて、俺がいくら尻尾振っても全然気づかないんです」  滲んだ声で言われて、伊緒は思わず自分の中にあるフィルターをひとつ増やした。外部からの刺激を濾過して、無駄なものが心に届かないよう自衛する。過去に苦い経験をしてきた伊緒なりの処世術だったが、それでも斑目の言葉は、まるで砂浜に光る白い貝殻のような存在感を放った。 「ずっと、ずっと、今も好きなのに、いつまで経っても犬から昇格させてもらえない」 「俺のことなんか好きになってもいいことないぞ」  驚きとともに言葉を放ってしまってから、伊緒はしまった、と思った。いつもなら、上滑りするように相手の本音を躱して、煙に巻くのが伊緒なりのコミュニケーションだった。斑目相手に踏み込んでしまって、こんなことをクソ真面目に言うなんて、まるで自意識過剰野郎だと自己嫌悪に陥った。 「待った。今のなし……」  慌てて前言を撤回しようと手を挙げると、その手をぎゅ、と握られる。大きく暖かな温もりの、無骨な手の感触に頬が火照る。 「俺の気持ちに気づいてるなら、どうして袖にしないんですか」 「気づいてたわけじゃない」  本当だった。  斑目に恋心を隠すので精一杯で、まさかこんなに真面目に好かれているとは、思いもしなかった。それに、学生時代の伊緒は、人を遠ざけ、身を守ることに必死で、外から入ってくる好意にまで、気づく余裕がなかった。 「俺は、あなたが欲しいです、伊緒先輩」 「……」 「先輩」  まるで返事を促すように呼ばれる。  途端に伊緒は、考えた。 (こいつどんなセックスするのかな)  考えた途端、駄目だと首を横に振る。冗談に紛れさせて返事を引き延ばすには、自分が溺れすぎていることに気づいた伊緒は、罪悪感から白旗を上げることにした。

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