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第20話 犬、失恋す(2)
シャワーを浴びて着替えると、だいぶ気持ちがシュッとした。
下半身はガタガタだったが、噛み痕と引っ掻き傷以外はきれいなものだった。斑目がそれほど手酷くせずに、伊緒の快感を優先させた昨夜の記憶が戻りそうになり、慌てて頭を振ってバスルームから出る。食事を用意した斑目に、何を言ってやろうかと思っていたが、いざ顔を合わせると、斑目はしゅんとうな垂れた犬みたいな顔で、伊緒から気まずそうに目を逸らした。その様子を見た伊緒もまた、怒る気が削がれて、結局、うやむやになってしまった。
食事はフレンチトーストにサラダとカフェオレという軽いものだった。食欲がまるでなかったが、あれだけ動いたあとだ。何かを補給するようにでも、食べた方がいいことは経験上、わかっていた。
動けないこともなかったが、自分を使ってくれ、という斑目に、とりあえず当面の間は甘えることにして、食事を終えると食器の片付けを任せ、シーツの洗濯を頼み、買い物を頼んで家から追い出すと、伊緒は王様のように居間のソファに腰を下ろし、先日、買ったビジネス書を読みはじめた。
昨夜あれだけおいたをした犬が、まだ伊緒に懐いている。伊緒には理解不能な行動原理を持つ斑目を、きちんと躾け直さなければならない、と伊緒は思った。
伊緒の中の、世界の色が変わる前に。
買い物を頼んだ斑目が帰ってきたのが二時頃だった。渡された鍵を何気ない顔でローテーブルの上に置いた斑目は、食材を冷蔵庫に仕舞い、乾いたシーツを取り込んでベッドメイクをしてから、伊緒に話しかけてきた。
「先輩、何読んでるんですか?」
「ん? ん」
ぞんざいな返事をしても、斑目が許すところは変わらなかった。伊緒は気のない声でブックカバーを捲ると、表紙を見せ、またソファに横になった。
「『最強のPDCAで回す最速仕事術』? 文学とかじゃないんですか」
とかって何だ。相変わらず雑なくくり方をするな、と伊緒は思ったが、声に出してはこう言った。
「卒業した。俺は変わったんだ」
「嘘、ですよね? 本棚、小説と評論ばかりでビジネス書なんか一冊も」
「お前、見たのかよ」
少しドン引きする。が、犬の所業だと思えば、腹も立たない。斑目には言っていなかったが、ビジネス書は読んだらすぐにスマホに要点だけメモって、捨てていた。
「目に入ったんです。すみません……。先輩が眠ってる時、ちょっとだけです」
眠っているというより、半ば気を失っているに近かったのでは、と思ったが、あまりにしょげ方が酷いので、伊緒はあまり突っ込まないでいてやることにした。
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