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第21話 犬、失恋す(3)

「話があるんだろ? 何だ?」 「希先輩……」  熱に浮かされた声で名前を呼ばれ、身体があらぬ反応を示す。半ばイキ狂うようにして意識をなくした身体は、斑目の痕跡を生々しく残していた。伊緒はそれらを無視しようとして、斑目との間に、適切な距離を取ることを決めた。 「昨夜のこと……すみませんでした。謝りたくて」 「別にもういい。過ぎたことだ。気にするな。普段通りに戻れれば、俺はそれで」 「それじゃ、俺は嫌です」  強い口調で斑目が言ったので、伊緒は思わず本から顔を上げた。 「は……?」  斑目を見ると、まるでセックス中に見せたような苦悶の表情を浮かべていた。 「昨夜のことは本当に反省してます。大人しく、あなたに従えなかったことは。でも、先輩が他の男がどうとか言うから、俺、頭にきて……」 「俺のせいだってのか」 「先輩のせいです。半分は」  馬鹿言ってろ、という気分だった。  だが、斑目を睨みつけると、真摯な光を宿した眸に、睨み返された。 「ベッドでヤッてる最中に、他の男の話を持ち出すのはルール違反だと思います」  呆れたが、正論なだけに反論に困った。 「俺の素行が悪いことぐらい、百も承知だったろ」 「先輩の素行が悪いことと、マナーを守らないことは別でしょ」 「ふざけんな。犬のくせに一度寝たぐらいで……」  恋人面するな、と言いかけて、伊緒は吐き出そうとした言葉の残酷さに、口ごもった。 「俺は先輩が欲しいです。恋人になりたいです。一緒にいたいです。昨夜、俺を他人じゃないと言ってくれたじゃないですか。選ばれたんだと思って、嬉しかった。試すみたいに童貞だって告白して、あなたを釣ったことは反省してます……。でも、好きになった気持ちは本当です。あなたを前にして、誤魔化すことなんてできない」 「勝手言ってろ……話にならねえ」  伊緒は乱暴に本を閉じると、苛立ち、斑目から顔を背けた。 「謝っといて、俺に責任なすり付けるとか、意味がわからねえ。お前は俺の何なんだ?」 「恋人になりたい、犬です」  斑目が自らを犬と称したことに、少し胸のつかえが下りた気がする。だが、斑目が恋慕の情をもって傍にいようとすることは、伊緒にとって想定外だった。 「そうだ、お前は犬だ。わかってるんなら犬らしくしろよ」 「あなたを好きな、犬です」 「っそういうことを、簡単に言うのは止せ」  言いながら、頬が火照ってくるので伊緒は困った。完全に告白されている。こんななし崩しに関係を変えられるなんて、伊緒の望んだことじゃなかった。 (だいたい、斑目に、俺は汚れすぎてる……)  斑目が真剣な視線を向けてくればくるほど、昔に拘泥している自分を変えようと躍起になり、できなかったことを伊緒は思い出す。敗北感も、絶望感も、その時に死ぬほど味わった。今、また、それを繰り返したいとは思わない。

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